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教育基本法・学習会・・・・・22。          04・9・5.

                                     土野 友人


  「・・・この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」


 いま、京都教育センターでは、 教育基本法・連続(月例)学習会学習会2004  に取り組んでいます。「教育基本法改悪」が「憲法改悪」の先兵として強行されようとしています。教育基本法・前文にも「・・・・この理想(日本国憲法)の実現は、根本において教育の力にまつべきものである・・・・」と明記されています。今日の「管理と競争」の教育では、憲法は生かされません。憲法九条とともに教育基本法が生かされることこそが、戦争のない平和な社会を形成していくことになると確信しています。

憲法 とくに九条を守るための緊急の呼びかけ(8・31付)に応えて、その要請はがきに 私もひとこと返信いたしました。

・教育基本法は、憲法を生かすための根本的な存在です。ところが、今日の学校現場では生かされるどころか、教育実践の自由、発言の自由さえも圧殺されているようです。

 第9回は、第8条:政治教育です。その案内チラシの裏面には、04・7・31付のA新聞トップ記事を引用しました。それは、 被爆地の平和学習 衰退? というものでした。

 広島の小・中学校での年間計画作成では、7年前95パーセントであったが、今年は24パーセント(小学校28,中学校12パ^セント)とあった。被爆地・広島の教育現場で「平和」について学ぶ機会が激減していると・・・。「平和教育が政治的な活動と受け止められ、自由に教えることが難しくなっている」と。原爆をテーマーにした「ヒロシマ平和カレンダー」を教室から撤去するような教育委員会からの「指導」があったためとある。指導理由は「教育の中立性」のためとある。

・ 私も、かって現場にいた頃、毎日終学活では「いろいろな歌をうたって、さようなら」をしていたが、そのなかので、「原爆許すまじ」を歌っていたら、校長室に呼び出されたことがあった。ベトナム反戦のころであった。まだまだ発言の自由があったように思う。逆に、抗議をしたことを覚えている。平和教育なるものについては、かなり久しく以前から、何かとクレームがつけられていた。京都からの修学旅行の取り組みにおいても、しばしば、ヒロシマが話題にされていたことも思い出される。

・ 「平和のための戦争展」についても、しかりである。8月恒例の戦争展である。夏休みの学級・学年・全校の登校日なるときは、この戦争展見学をかねての「平和学習」の取り組みであった。しかし、教育委員会はこの戦争展への後援を止めてきた、そして、生徒たちの見学にブレーキを、またその案内すら学校で出来なくしてきた。やむおえず、始業前(勤務時間前)のひととき、校門前で登校してくる生徒たちに、その案内を配布していた。まるで、塾か何かの宣伝のように・・・・、しかしこれすら「カメラをもって、その状況を撮影にくる管理職!」。もう、なにおかいわんやである。そして、君が代・日の丸問題しかりである。教育基本法はこのようにして迫害されつづけてきた。・・・・・。
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