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教育基本法学習会・・・・6           2004・3.

                                     土野 友人


   競争主義の克服


・第3回(3月27日)「第2条:教育の方針」のとき、合唱コンクールなどをめぐって、一般的には「競争主義」とのかかわりで、若干の議論がありました。「うたごえ運動のとりくみの中で全国大会への出場チームを決定するにあたって、コンクール形式をとらない。第1位・第2位・・・といった順位決定ではなくて、推薦制を取り入れている。なるべく2位より1位のほうが良いのだ(2位より3位の方がダメなのだ)という様なイメージをさけたいという意向からである。そればかりか、推薦枠を一つ残して、誰でも参加可能な希望する者が参加できるチームづくりも準備している」とのことであった。

 話題提起のあとの意見交流の時、早速に発言あり・・・。「競争主義」の批判のあまり、「運動会での100m走のような順位決定をやらない! そのような競技そのものを、やらない!」ことを主張する人達もいること。

・今の世の中、なんでもかんでも「競争」の感がある状況の中で、学校教育の中にも、悪しき「競争主義」が侵入してきている。エリート校と「ダメ」学校、良い学校・悪い学校のイメージづくり、「特色ある学校」というカモフラージュ?「通知票」のあり方から、「教員評価」をめぐる考え方まで、なにかと「競争主義」的になっている。一方、個性尊重とか、個性重視などといいながら、矛盾した方針・方法を押しつけてくる。(類似したこととして、自主性の尊重といいながら卒業式のワンパターン化も、しかりである。)要するに、今日の競争主義の状況は、「選択の自由を保障する」という、いかにももっともな根拠があるようで、結果的には「競争主義」の導入であり「選択の自由」の著しい制限であり、能力主義以外のなにものでもない本質を示している。まさに欺瞞ではないのか!

・人類が創造したスポーツの祭典:オリンピックまでもが、「日本は、金メダル何個!」といったように、その国家主義・競争主義に利用されがちである。スポーツには、厳格なルールがあり、そのルールに基づいての徹底した競争である。これは、競争主義といわれるものではない。ここにこそ、競争の素晴らしさが生かされている。このことと、学校生活の基盤としての「学級」・子どもたちの教育活動の基盤としての「学級」を崩してまでの「少人数授業」や「習熟度別授業」のあり方も、同様な混乱の結果とも思われる。

・「競争主義」を見事に克服している姿は、障害のある子どもたちおも含めた「ぞうれっしゃ合唱」の中に存在していた。うたごえ運動の実践の中にあった。

 ある限定された範囲内での一つの方法としての「競争」と、「競争主義」とは本質的に異なる。ここに留意しなければ、「競争はなんでも反対から、逆に、なんでもありの今日の状況まで」ブレが生まれると思う。教育実践の中にも、「競争」は存在するが、教育という人間の発達を保障する活動そのものが「競争主義」に汚染されることとは、異質のことであり、明確なる区別が必要であると思う。
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