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教育基本法連続(月例)学習会の概要


                 浅井 定雄(京都教育センター)


教育基本法連続(月例)学習会開催にあたっての呼びかけ
 
 「お国のため・・・・ほしかりません勝つまでは・・・・」と、人々を戦場に送り続けたあの「教育勅語」に代わって・・・
 戦後、「人格の完成をめざし・・・・」と、今日の教育基本法が誕生した!
 今日、再び「戦争をする国」「戦争かできる国」へと変質させようと、「心のノート」を強調し、「愛国心」を必要として、競争主義教育のもと、この「教育基本法」か「改訂」されようとしています。
 「拙速な教育基本法見直しではなく、百年の大計にふさわしい、深い教育論議を望みます。」と、2001年4月21日16氏の声明趣旨の具体化として、2002年7月には「教育基本法とは何だろう」(季刊ひろば臨時号)発行などの取り組みをしてきました。
 2004年度は、連続学習会を企画しました。気軽に誘いあってご参加いただき、みんなで語り合えることを願っています。
(「教育基本法連続(月例)学習会記録パンフレット第1号より」)


教育基本法連続(月例)学習会の日程


 回   開催月日 条文・テーマ 話題提供者
第 1回
 
 1月24日(土)
 
前文
教育基本法を学ぶ今日の意義
野中 一也
 
第 2回
 
 2月28日(土)
 
第1条 教育の目的
「人材の育成」か「人格の完成」か
市川  哲
 
第 3回
 
 3月27日(土)
 
第2条 教育の方針
文化の創造と発展
山本 忠生
 
第 4回
 
 4月10日(土)
 
第3条 教育の機会均等
教育上差別されない
荒木 穂積
 
第 5回
 
 5月 8日(土)
 
第4条 義務教育
すべての子どもに確かな学力と生きる力を
春日井敏之
 
第 6回
 
 6月 5日(土)
 
第5条 男女共学
共に学習することのすばらしさ
安田 雅子
臼井 照代
第 7回
 
 7月 3日(土)
 
第6条 学校教育
公教育は、どうあるべきか 学校とは
鰺坂  真
 
第 8回
 
 8月 7日(土)
 
第7条 社会教育
「生涯教育」をどう考えるか
築山  崇
 
第 9回
 
 9月18日(土)
 
第8条 政治教育
子どもたちの自主・自治活動
西野悠紀子
 
第10回
 
10月16日(土)
 
第9条 宗教教育
宗教教育をどう考えべきるか
大島 亮準
加藤 西郷
第11回
 
11月20日(土)
 
第10条 教育行政
教育は不当な支配に服することなく
室井  修
 
第12回
 
12月 4日(土)
 
第11条 補則
今なぜ教育基本法「改訂」なのか
広原 盛明
大平  勲
総括集会
 
12月 4日(土)
(午後)
この一年間を振り返って
 
深沢  司
 


*1回〜11回の時間はいずれも午前10時から12時まで、会場は京都教育センター室にて
*12回は、時間は午前10時から12時までで、会場はキャンパスプラザにて
*総括集会は、時間は午後2時から5時まで、会場はぱるるプラザにて


教育基本法連続(月例)学習会の概要

                          浅井 定雄(京都教育センター)


第1回学習会 教育基本法を学ぶ今日の意義 前文 
 

 2004年1月24日(土)に、第1回の学習会が行われました。話題提供者は野中一也先生でした。野中先生は、「(1)教育基本法を学ぶ今日の意義」として、政治の右旋回の岐路にあたり、対米従属、アメリカの植民地化が進められている中で、日本がイラク占領戦争への加担している状況があり、だからこそ教育の「原点」より未来への展望を見すえる必要があると指摘、また憲法9条の輝ける理念を実現する長期的な展望があり、その大きな展望のために一人一人が主体的に学ぶことを強調されました。

 次に「(2)主体的に学ぶために」として、先生自身の体験から、父親・叔父の戦争体験、さらには自身が国民学校1年生で、市電で護国神社前を通るとき、敬礼の強要された話をされ、「学習の中で、批判力を身につける大切さ」を話されました。

 そして、「(3)前文から学ぶ」として、教育基本法は、「国体護持」思想の否定から、生まれたこと。しかし、それなのに今は、「日本の精神は天皇を崇拝すること。それは、国を守ること」とされてきている危険性を指摘されました。 具体的な内容として、第1項に関して、

@「われら」・・・・天皇ではなく、国民/「国民」の意思で。憲法・教育基本法を!
A「日本国憲法の確定」・・・・戦前、「教育勅語」との断絶。 新生日本のスタート/憲法の意義
B「民主的で文化的な国家」
  ・民主的という概念は、政治、経済、社会などを含めて、あらゆる面で「民主的」
  ・文化的・・・・真・善・美の文化的価値を実現する国家/戦争放棄した文化
  ・思想、良心、信教、表現、学問などの自由を保障する国家
  ・個人の自覚を経て国家へ/権力的国家的な「文化」でない/「資本主義の退廃文化」
C「世界の平和と人類の福祉」
D「この理想の実現は教育に力に待つ」/ 教師が喜んで、教育に日本の未来の希望を抱いた。


第2項
@「個人の尊厳」・・・・個人の「品性」/人格と結びつけて品性を考えたのではないか
          人格の尊厳/生徒を人 間らしく扱う
A「真理と平和を希求する人間」
   真理・・・・科学的認識/「希求」する「人間」/文化的存在としての「人間」
B 「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」
   すごい表現だと思う。文化の伝達は教育による/よい文化を形成する主体者/個性は 民   族、国民を含む個性


第3項
@「日本国憲法の精神に則り」
A「教育の目的を明示」/「ssollen」の世界/理想を持つ意義
B「新しい日本の教育の基本」/「新しい」の意義/1945年の「敗戦」
  「新しい日本」/排他性を持たない/在日外国人との共生,共同/「共生の思想」の創造
C「教育の基本」/ベースに据える/「基本」=大黒柱
 


第2回学習会 「人材の育成」か「人格の完成」か 第1条
 


 2004年2月28日(土)に、第2回の学習会が行われました。話題提供者は市川哲先生でした。市川先生は、「学校教育を含む意図的な教育の営みには何らかの目的が必要である。公教育の場合、その基本を決めているのが教育基本法第1条である。」として話をされ、「第1条の言葉は抽象度が高い。だから教育基本法を改悪しようとする勢力も全面的には否定できない。」と指摘。しかし、そこで問題になるのは、教育基本法を具体化するための下位の法律や施策に教育基本法の精神や趣旨が生かされているかどうかが問題であると指摘されました。

 そして、「教育基本法改悪の動きには2つの背景がある。」として、「国家主義」と、「新自由主義」をあげました。「国家主義」の点では、いま自衛隊が3軍そろって海外に出ている。「戦争ができる国づくり」が目指されていることの危険性。そして、「新自由主義」の点では、資本が国境を越えて世界に広がり、競争するメガ・コンペテーション段階(大競争時代)に入ったという認識を示されました。そして、今次の教育改革も「大競争時代」に対応する経済界の求める施策が盛りだくさんで、とりわけ「エリートを効率よくつくりたい」という要求が強いことを指摘されました。そして、「従来の教育制度は、憲法と教育基本法のもとで平等をたてまえとしていた。しかし、「途中脱落を認める」ならば、その制度も変わる。競争から脱落する者は「別のルートがある」、それも個性だとして不満がたまらないようにする。その背景に、国も地方も大きな負債を抱える中、「みんなに教育を保障する」ことを放棄し、縮小するという教育大リストラ政策がある。早期に効率的に競争させ、選別する制度と、それを納得させるイデオロギーを持ち込んでいる。」と説明されました。さらに、現在狙われている教育基本法の改悪案の内容を批判したのち、「『教育の目的』を法律で定めることについてはさまざまな議論がある。しかし歴史をふまえてとらえるならば『過去の国家主義的教育を除去するためには明文化が必要』とする議論や文脈の中で、第1条の意義が明らかになると考える。前文で『個人の尊厳を重んじ』とされ、第1条も『人格の完成』をまず挙げ、『価値の多元性』を認めた上で『教育の目的』は設定されている。『個人の尊厳と人格の完成』は戦前教育の『国家主義』を否定するものであるが、『真理と平和を希求する・・・・』等々、さまざまに議論しながら具体化し、深めていけばよいのではないか。また『教育』基本法であって、『学校教育』基本法ではないのだから、社会教育を含め、さまざまな分野での具体化が課題となる。教育基本法から豊かな内容をどう引き出し、また肉付けしていくのか、私達の力量が問われている。」と説明されました。
 


第3回学習会 文化の創造と発展 第2条


 
 2004年3月27日(土)に、第3回の学習会が行われました。話題提供者は山本忠生先生でした。山本先生は、「うたごえ運動43年。出身は宮津市、電気の学科を出た。ひまわり合唱団で口説かれてうたごえの専従一号になった。」と話を始められ「6年前に恵那のうたごえに行って、これからはもっと考えなあかんといわれた。今までの教育の方法ではあかんと。そのとき、はたと思い当たった。運動を新しい人に伝えるのにどうすればよいか。スローガンから入った伝え方をしていたのでは、心をつかめないなと思っていた。そこから自分のやってきたことを整理して考えた。たまたま、文化の創造と発展について話せということになって引き受けた。」と説明、沖縄の平和記念資料館に何度も行ったことや、小学校4年生のとき、田畑先生という先生に歌作りを教わる中で疎開・終戦を迎えたことなどを話されました。そして、沖縄の資料館の中でみた文章によって、「音楽というのはそれ自体戦争を否定している文化の一翼なんだ」と思ったことや、『芸術とは何か』という岩波の本から、「あらゆる芸術は人間の生命の躍動感だという。うたごえの一つの証明だと思っている。」と話されました。

 最後に「今年、55年の運動をどうしようか。サークルがそれぞれテーマを持って運動ができないか。アフガニスタンからイラク。戦争は広がりつつある。『私の平和』というテーマを掲げた。カンパ袋にメッセージの欄を作った。そのメッセージでパンフを作った。メッセージをつないでわたしの平和という歌を作った。」として、平和の歌を披露されました。

@「わたしのへいわ、いのちのかがやき、わたしのへいわ、いのちのうた。
 かがやくひとみ、こどものえがお、ぴあののねいろ、わらべうたこもりうた。
 いさかいがあってもきみをたいせつにするこここひとりひとりがつくるわたしのへいわ。
Aしあわせのねがいいきていくちからとものわらいごえあたたかなてのひら
 かなしみをくりかえさないようにひとりひとりがつくるわたしのへいわ
Bいのちのおもみこころにきざんでせかいのつなげくずれないへいわで
 かけがえのないいのちうばわれないうばわないひとりひとりがつくるわたしのへいわ
 わたしのへいわいのちのかがやきわたしのへいわいのちのうた。」
 


第4回学習会 教育上差別されない 第3条


 
 2004年4月10日(土)に、第4回の学習会が行われました。話題提供者は荒木穂積先生でした。荒木先生は、「『教育上差別されない』条項がどういう経過で生まれてきたのか、これからどういう方向に行くのか。国際的な視野ももとに考えたい。」として話をされました。

 一つ目は、教育を権利ととらえるか義務ととらえるか。義務から権利への転換はいつ、どのように起こったのか。今日の教育改革は、国際的な子どもの人権の動向から見てどのように位置づけなのかという点について話されました。第2次世界大戦を契機に、子どもの権利をめぐって「保護の対象」から「権利の主体」へのパラダイム転換があったこと、これが「教育基本法の時代背景としてこのことをしっかりと見ておく必要」がある。このバラダイム転換は、「子どもの権利宣言」の歴史的発展の中に象徴的に現れている、と話されました。また、第2次世界大戦前の1924年、「子どもの権利に関する宣言」から、第2次世界大戦後の1959年の「子どもの権利宣言」では、主語が「各国の男女」から「子ども」になり、「義務のある」から「権利と自由を享受する」となったことをあげ、このパラダイム転換はなぜ起こったのかについて、その歴史的背景を説明されました。「第1次世界大戦後国際連盟という国際組織があったにも関わらず、なぜ第2次世界大戦を引き起こしてしまったのか」その深い反省の上に国連がつくられたという経緯があり、その一つとして、「人権」を国連の中心に据えるべきであるということが議論された点や、民主主義が衰退するとファシズムが台頭するという、民主主義とファシズムとを対極としてとらえ、第2次世界大戦前・後において主権者をめぐっての「義務」から「権利」へのパラダイム転換が起こり、人権確立が国の独立、民主主義の確立と不可分のものととらえられるようになったと説明されました。

 また、二つ目は、教育の内実をつくって行く上で「発達保障」ということの必要性について、「子ども権利や教育の権利の内実をどのようにつくって行くか」について、現在、われわれが獲得してきた人権でもっとも優れた人権の内実をもつものは「子どもの人権条約」(1989年、国連第44回総会で採択)であるといわれていること。また、2003年に作業委員会が発足し、すでに2回の会合をもって「障害者の権利条約」の草案議論が始まっていることも紹介されました。そして、この「障害者の権利条約」では「子どもの権利条約」をさらに進めた人権概念がどのように入ってくるか興味深い、と話されました。

 また、21世紀に取り組むべきミレニアム課題として国連はアナン事務総長の提案によって「人間の安全保障委員会」を立ち上げているが、日本の緒方貞子さんとインドのアマルティア・センさんが共同議長になっていること、そしてその2003年5月に「人間の安全保障委員会」最終報告が出され報告書に掲載されている主な提言は、(1)紛争の危険からの人びとの保護、(2)武器拡散からの人びとの保護、(3)移動する人びとの安全保障の推進、(4)戦争から平和への移行期のための基金の創設、(5)極貧者が裨益するような公正な貿易と市場の強化、(6)最低限の生活水準の保障、(7)基礎保健サービスの完全普及、(8)効率的かつ衡平な特許制度の創設、(9)普遍的な基礎教育の完全実施、(10)グローバルなアイデンティティの促進の10項目であることなどが紹介されました。

 最後に、「京都では、『発達保障』という言葉を教育現場では使わない(使わせない)ようにするということがあったと聞くが、『発達保障』という考え方を人権の歴史や今日の世界的な動きの中に位置づけて考えてみると、教育や福祉の根本となる大事な理念と響きあうと思う。障害者の権利宣言には『ノーマライゼーション』の理念が強く反映しているが、『障害者の権利条約』においては、ノーマライゼーションとともに『人間の安全保障』および『人間の発達保障』ということを権利としてしっかりと根付かせていきたい。」と話されました。

 


第5回学習会 すべての子どもに確かな学力と生きる力を 第4条
 
 2004年5月8日(土)に、第5回の学習会が行われました。話題提供者は春日井敏之先生でした。春日井先生は、「教育基本法4条をもとに、教育情勢や教育改革の中味をみていきたい。また『今なぜ教育基本法改正』なのか、子どもの状況も含めて報告したい。」として話をされました。

 教育基本法第4条「義務教育」に関わっては、教育基本法第4条は、憲法第26条と一体となっていることを指摘。また「義務教育の意味の変遷」について、戦前は臣民の三大義務として「兵役」「納税」と共に「就学義務」とされ、子どもに対してではなく、国家に対する保護者の義務として規定されていた。これに対して、戦後は「臣民の義務」から「国民の権利」へとパラダイム転換された。「国民の権利」と言うことは、国家が国民に対しての義務である。国民が教育を受ける権利を実現するための条件整備を行う義務が国家にあるという事だ。根本的に視点が変わった、と指摘されました。

 国民の教育を受ける権利「憲法26条」に関しては、「義務教育の無償化は15歳までとされているが、しかし権利としての教育はそれだけではなく生涯にわたるものである。『とりあえず15歳までは最小限度』であって、生涯にわたる教育保障を考えて行く必要がある。子どもの教育を受ける権利も、国の権利保障義務も、子どもの年齢にかかわらず継続する。」また「普通教育をどこで受けるか。たとえば、学校に来ていない不登校の子どもたちの教育保障をどう考えるのか、この子どもたちは二重・三重に著しく不利益を受けている。子どもの教育を受ける権利が、その事情に応じて保障されていないことを見る必要がある。学校以外の、家庭・社会で受ける教育の権利についても考えていく必要がある。」と話されました。

 次に、戦後の学習指導要領の変遷についての話のあと、「なぜ今教育基本法の『改正』なのか」と問いかけ、今まで改正論議が正面浮上しなかった理由は、一つは戦後の教育や民主主義の枠組みを壊すことへの国民の反対運動への恐れと、もう一つは保守政治の中で改正をしなくても一定教育行政を進めてこられたという点にあると説明、しかし、今回改正論議が焦点化してきた理由は、一つは政府・文科省の進める教育改革にとって、教育基本法が大きな障害になってきたという点と、もう一つは改正に手を付けても国民の抵抗を押し切ることができるという政治判断にあると話されました。

 また、「心のノートと連動する教育基本法・憲法『改正』の動向」として、「心のノートは、どのような目的をもって登場してきたのか。特に1980年代以降の教育改革路線の中で捉えていく必要がある。それは、イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権の影響を受けた中曽根政権下での「臨時教育審議会答申」(1984年〜87年)、小渕政権下での「21世紀日本の構想」懇談会報告(2000年)、森政権下での「教育改革国民会義」報告(2000年)、小泉政権下での文部科学省「21世紀教育新生プラン」(2001年)の流れの中で、より具体化されてきた。」と説明し、「鮮明になってきた教育改革路線の特徴」として、第一に、教育の平等主義(教育を受ける権利、機会均等)から、競争原理に貫かれた能力主義、効率主義への転換。第二に、教育市場の自由化、規制緩和の推進と国の財政支出の削減、重点化への転換。「自由化・規制緩和」と「自己選択・自己責任」。第三に、平和的な国家、社会の形成者としての国民の育成から道徳教育強化による愛国心育成への転換。第四に、2003年には教育基本法「改正」が中央教育審議会から答申され、国会審議の段階に直面していること。第五に、こうした教育改革路線が、首相の直属あるいは私的諮問機関による報告を受ける形で文部科学省(旧文部省)をリードし、首相主導で短期間に推進されてきたこと。第六に、最終的には平和主義から、日米軍事同盟の下で有効に機能ずる自衝隊を認知する9条改正を含む憲法「改正」とこれを是認する国民の育成をはかっていくこと。第七に、これらの一連の流れは、新自由主義と国家主義の動きの中で生まれ、教育基本法・憲法「改正」に向けて合流している点では共通していること、などをあげられました。

 最後に「京都における『心の教育』推進の動向と対応」として、心のノート作成に先駆け、京都市では河合氏を座長に2001年8月に「京都市道徳教育振興市民会議」が発足し、心のノートが配布された2002年6月〜7月にかけては、この「市民会議」によって京都市立の小・中・高等学校の児童生徒と保護者に対して「道徳教育一万人市民アンケート」が実施され、報告書が出されていること。また、2003年には京都府下の小学校では「知識・理解」「技能・表現」「思考・判断」を含めた4つの観点別評価基準の中の「関心・意欲・態度」の項目で「わが国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を持つとともに、平和を願う世界の中や日本人としての自覚を持とうとする」という内容で、ABC評価をするということが行われていることを紹介し、「心情を「関心・意欲・態度」としてABC評価することの問題性と合わせて、道徳教育の徳目を教科学習で評価する教科学習の道徳化として、重大な問題を含んでいる。」と指摘されました。

 


第6回学習会 共に学習することのすばらしさ 第5条

 
 2004年6月5日(土)に、第6回の学習会が行われました。話題提供者は安田雅子先生臼井照代先生でした。

 話題提供の安田雅子先生は、「教育基本法の第五条には“男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。”と記されている。戦前の教育ではどうだったのか?」と問いかけられ、戦前の教育についての概要を報告されました。その中で、家庭科教育については、「芸能科家事は、我が国家庭生活における女子の任務を知らしめ、実務を習得せしめ、婦徳の涵養に資するものとする。・・・・家を斉へて国に報ずるの精神を涵養すべし。国民科との関連に留意し、礼法を重んじ、我が国家庭生活の充実、改善について指導すべし。躾を重んじ、勤労の精神を養い、利用節約、清潔、整頓等について訓練すべし」とされるなど、家事や裁縫は、重要なイデオロギー教科であって、単なる技能教科ではなかったことが明らかにされました。

 また、旧憲法下の日本で、家父長的家族制度護持、家長(戸主)の権限強大、戸主の家督相続、親権制度の父権的色彩が濃厚で、男女の差別、男尊女卑、また結婚原因の不平等、家族国家観、忠孝一致、失業救済の家族制度、民法典の家父禄など、多くのものが残されていた中で、日本国憲法が公布により、憲法22条「婚姻は両性の合意のみ・・・・」などの規程を受け、民法と家庭の民主化が図られ、教育基本法で「男女共学」が掲げられはしたものの、戦後も政府は、古い家族制度を温存しようと策動していたことが明らかにされました。

 その中で、安田先生自身が関わってこられた、京都における高校家庭科共学の取り組みについて報告されました。安田先生は、定時制高校生徒の要求に見合った教育内容と質を検討し、高校三原則を守り、教員間の理解を深めようと、学習会を組織し「文部省のカリキュラムでは、体育が女子より男子の時間数が多い。その代わり女子にはその間に家庭科をやるという性による差別がある。これをなくすために家庭科の女子のみの家庭科必修はなくし、男女共学2単位とするのが妥当である。」として、定時制の家庭一般2単位を男女共学必修とするカリキュラムを決定、実施してこられました。

 その後、1979年の「女性に対するあらゆる差別を撤廃する条約」の国連での採択、1985年の日本政府の批准。この中で日本の家庭科の女子のみ必修が問題となり、共学へ大きく動くことになった経過。1994年、文部省は、家庭一般を男女共学4単位を決定した事などが報告されました。しかし、その一方で京都府教委などによる高校家庭科副読本に対する攻撃が行われたり、また、男女共同参画法についての動きや、「バックラッシュ」の動きなど最近の動向についても報告されました。

 臼井照代先生は、「自分は、戦争の始まった1941年に高等女学校を卒業した。戦前の教育をまともにうけてきて、それを引きずってきた人間で、戦前の教育を素朴に信じてきた人間である。」と前置きされ、戦後、新しい教育をということで古本屋をまわって、そこで初めて戦前は男女で教科書が違っていたということを知ったときの驚きを語られました。そして男女共学に対して、戦後まもなくの高校の生徒会新聞に載っていた当時の生徒たちの思いを紹介されました。「当時生徒たちは新聞紙上に何度も男女共学を書いている。高校三原則の中で、これを取り上げ、高校三原則の中でないと男女共学も生かせないと言っている。」と強調されていました。

 


第7回学習会 公教育は、どうあるべきか 学校とは 第6条

 
 2004年7月3日(土)に、第7回の学習会が行われました。話題提供者は鰺坂真先生でした。話題提供の鰺坂真先生は、「教育基本法の第6条は、「法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。 2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。」これだけのことであるが、いろいろ調べてみると大変含蓄のある内容だと思った。「公の性質」と言うのは、「公教育」をあらわしている。政府がからんでくるが、同時に市民革命以来の国民の要求というものがあり、市民と支配者との矛盾が必ず起こってくる。公教育が国家主義的に取り込まれるというのが、必ず起こってくるが、同時に、そうさせない市民の側からの取り組みが求められている、と話されました。

 「一番はじめの学校は、1763年のプロイセン・フリートリヒ大王のもので、はじめから国家主義的な性格を持っていた。同時に、民主主義的・共和主義的性格も持っていて、その両方を見ていく必要がある。対立しているように見えるが、矛盾しながらも、同時に共通した要素がある。」と説明し、次に、フランスのコンドルセが中心となって、革命議会に「公教育委員会」がつくられ、革命議会に報告された。経過を説明されました。

 「公教育という言い方は、いつからは明確ではないが、コンドルセ(あるいはフランス革命政府)がしきりにつかっている。」と言い、その前提とし、当時の教育の実情を「教育が不平等と不自由になっている」「王権のもとで宗教的権威に従属しているものとなっている」と指摘されています。コンドルセたちは1791年、タレーランによる立憲議会への報告の中で、信仰の自由、教育の自由を中心にして、学校からの宗教の排除、(今日でも、フランスではベール問題で揺れているという問題もある)、単一系統の教育制度、小学校での無償の教育、中等学校での給費制度など教育の機会均等を主張していた経過を説明されました。そして、1792年には、コンドルセを責任者とする公教育委員会は「公教育一般組織に関する法案」を議会に提出したが、その中で、@自由の原理、A非宗教性、B無月謝制、を主張していたが、一方、C義務制は主張されていなかった。義務制にすると、国家権力の介入を招くとしてコンドルセは排除していると指摘されました。

 こういう、コンドルセたちの教育理念に立って考えてみると、教育基本法はこれに重なる部分がたいへん多いことがわかり、この教育基本法作成にたずさわった人たちは、コンドルセたちの教育理念に接していて、公教育を「公の性質を持つものであって」と表現していることがよくわかることを説明されました。

 「そして、そういう視点から考えてみると、今の政府与党の教育改革試案(「与党教育基本法改正に関する検討会」の中間報告)の「学校教育」というところを見てみると、3つのことが言われています。『学校は、国・地方公共団体及び法律に定める法人が設置できること。』『学校は、教育の目的・目標を達成するため、各段階の教育を行うこと。』『規律を守り、真摯(しんし)に学習する態度は、教育上重視されること。』と書いてある。1つめは、従来どおり置いてあって、2番目からは『公の性質を持つものであって』という言葉が見事に省かれている。わざわざ書かれていないということは、注目すべきことではないのか。コンドルセたちの教育理念にある『普遍的』『公』を政府与党は削除してしまって、さらに3番目に、『規律を守り、真摯に学習する態度』が書かれていて、国家主義的な視点が強く出ていることがわかる」と言います。

 次に、鯵坂先生は、「同時に教育解体論も進行している。」として、最近の教育解体論の現れについても批判され、「私は、民主主義の精神と公教育の精神は結びついているものである、歴史の発展方向であると思う。国家権力の介入を排し、公教育の民主主義的な性格を要求していくべきものであると思う。憲法と共に教育基本法も守らなければならないものである。」と結ばれました。

 


第8回学習会 「生涯学習」をどう考えるか 第7条

 
 2004年8月7日(土)に、第8回の学習会が行われました。話題提供者は築山崇先生でした。話題提供の築山先生は、「第七条には、2つの条文がある。第1項は、家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。第2項は、国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。であるが、今の教育基本法には『生涯教育』にふれていないから改正を、という声があるが、社会教育にはふれており、これと生涯教育との関係を考えることで改正をしなくても十分にやっていけることである。」と指摘されました。

 社会教育の概念について、「公式用語としての『社会教育』は、はじめに1890年頃、社会教育ということばが用いられた。公用語としては『通俗教育』であった。次に1921年『通俗教育』に替わって『社会教育』が呼称として用いられるようになった。そして1924年に社会教育局が設置された。戦前は、国家的教化動員の色彩が濃厚であり、また非施設型・団体主導型の事業で、農村や青年を対象としたものが中心であった。」しかし、「戦後、教育基本法に基づき、1949年に社会教育法がつくられた。1988年に『生涯学習局』が設置され、公教育の一環として秘録認知さることとなった。地方自治体では、教育委員会事務局内に、学校教育課と生涯学習課がおかれ、生涯学習課内に社会教育担当(係)が位置しているか、その逆(社会教育課内に生涯学習係)が多い。また自治体によっては、生涯学習推進のための組織が、首長部局におかれている(全庁体制になっている)場合もある。」と解説され、「社会教育の『控除的理解』については、社会教育法の定義では、『第二条 この法律で社会教育とは、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に基づき、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクレーションの活動を含む。)をいう。』とあるように、『学校教育以外で行われるのが社会教育』という規定がされている。これが一つの特徴である。」と説明されました。

 また、「地方公共団体の任務という点で言えば『・・・・努めなければならない』という努力規定であって、しなかったからといって責任を問われるわけではない。義務規定ではなく、努力規定にとどまったと言うことがその後に問題を残したといえる。社会教育の場合は、地方公共団体(とくに市町村)がどれだけ熱心であったかによって、かなりの地域差がでたというのがその特徴である。長野県では約1800の公民館がある。」として、松本市の例を挙げて説明されました。

 また、「第2次大戦後の国連を中心とした動き」を取り上げ、「第1回成人教育国際会議(1949デンマーク)は、世界の問題への目的意識的なアプローチによって、東西の違いを和解させる寛容の精神について話し合われた。第2回成人教育国際会議(1960カナダ)は、「国際理解から世界平和へ:軍縮の問題」「不平等の問題」が話し合われている。画期をなしたのは、第3回成人教育推進国際委員会(1965)で、ラングラン(成人教育部長)は、その報告文で「ユネスコは、誕生から死に至るまで、人間の一生を通じておこなわれる教育の過程−それ故に全体として総合的であることが必要な教育の過程−をつくりあげ活動させる原理として(生涯教育)という構想を承認すべきである。そのために、人に一生という時系列に沿った垂直的次元と、個人及び社会全体にわたる水平的次元の双方について、必要な統合を達成すべきである。」と述べており、生涯教育は、初等、中等、高等教育の再評価も含んで、より包括的な定義を得る。」と説明されました。続いて、「第4回成人教育国際会議(1985パリ)」「第5回成人教育国際会議(1997ハンブルグ)」への発展も解説されました。

 最後に、日本における社会教育の歴史を述べられ「生涯教育は、波多野完治が紹介しているが、一番関心を示したのは企業であって、それは社員の再教育として考えたのであって、住民の学習という形には進まなかった。今のように生涯学習が言われるようになったのは1980年代後半の臨教審第2次答申で、日本の教育体系を学校教育から生涯教育にシフトを変えることを提唱してから、それ以後動きが急になった。」「企業が「職業能力開発」を重視したこととあいまって、生涯教育でも『問題解決』を重視した方向がでてきて、世界の生涯教育の動きと比べると、日本の場合大変底の浅いものになってしまっている面がある。90年代以降、日本の社会で起こってきたことは、生涯学習の分野で、今まで公が担ってきたものに、民間が参入できるようになっていったことである。いわば生涯学習の民営化、有料化という形で進行し、経済格差が、学習機会の差を生み出す事態となっている。」として、「国際的な議論の中では、生涯学習の中に市民一人一人が主体的な力量をしっかりとつけていくという立場が貫かれているが、日本の場合は、民間の参入で市場化されていって、本来の目的がうすめられてしまっているという問題がある。」と結ばれました。

 


第9回学習会 子どもたちの自主・自治活動 第8条

 
 2004年9月18日(土)に、第9回の学習会が行われました。話題提供者は西野悠紀子先生でした。話題提供の西野先生は、「アテネオリンピックでも日の丸がさかんに振られていたが、その中でナショナリズムが培養されている。沖縄(ヘリコプター墜落事故)の問題も飛んでしまって、国民が政治から遠ざけられていく。こんな中だからこそ、教育基本法の学習は重要。」と話を進められ、第8条について「第8条は、2つの項目から成り立っている。1項目目は「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」また2項目目は「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」とある。第8条と第9条は非常によく似た内容。戦争が終わって、戦前の教育の反省から出てきたものである。」と解説されました。

 そして、「教育基本法によって、教育は、主権者である国民を育てる教育であることが明らかにされた。これには戦前の教育への反省がある。戦前の教育は、天皇に忠誠の臣民づくりが目的だった。戦前の政治は主権者である天皇を補佐するのが目的だった。小学校など、1948年まで国民学校令が続いた。また大学については国家のためになるエリート養成が、大学の目的であった。」として、「(国民学校令)−1941年」についても解説されました。

 丸山真男「日本ファシズムの思想と運動」(1947『現代政治の思想と行動』所収)によれば、ファシズムを支えるのは中産階層であり、ごく普通の人々と、極く一部のエリートのための教育に分かれていた。「天皇は神」と教えられ、これを否定する教育を(大学で)受けられたのは、ごく一部の者のみだった。多くの国民はそういった教育を受けられないで、支配体制を支えた。一般の大衆は、自由な教育を受けられなかった、それへの反省としてこの条文が生まれた、説明され、文部省教育法研究会「教育基本法の解説」には、「『良識ある』というのは、単なる常識を、単なる常識をもつ以上に『十分な知識を持ち健全な批判力を備えた』ということである。『公民』というのは、最も広い意味においては、『社会団体の一員として積極的に社会を形成していく場合の国民』ということができよう」と記されており、具体的内容として、@民主政治、政党、憲法、地方自治等、現代民主政治上の各槊制度についての知識。A現実の政治の理解力、及びこれに対する公正な批判力。B民主国家の公民として必要な政治道徳及び政治的信念。(『教育基本法を考える』より)と説明されている。このように、1947年〜8年の段階では、政治の仕組みだけではなく、「理解力」「批判力」も学ぶとされてきた、と説明されました。

 そして、「政治的教養をどう身につけるかと言う点で、1つは社会科の創設があり、公民的分野での教育が期待された。また2つ目には自治的活動の活発化が期待された。」として、自らの高校での実践を紹介されました。最後に「今後の課題として、民主国家の一員として現実の政治の理解力、およびこれに対する公正な批判力を持つ人間を再びどのようにして育てていくのか、が課題と考えている。」と結ばれました。

 


第10回学習会 宗教教育をどう考えるべきか 第9条

 
 2004年10月16日(土)に、第10回の学習会が行われました。話題提供者は大島亮準住職加藤西郷先生でした。

 はじめに、大島亮準住職は、「世直しの地固め、みなさんは生き仏」として、「教育センターの主催で世直しの地固め、みなさんは生き仏、清潔な人の集まりです。」と、この学習会の意義を話されました。そして、自分の生い立ちから、三千院などでのさまざまな取り組みを紹介されました。そして、「子々孫々のために、地球上の生き物のために、・・・・。国会でも腐敗が進んでいる、と考えたが、清き一票を投じたからこうなっている。国民が主権者だということを忘れてはいけない。みなさんと対話して「どうしたらこの問題の解決に届くだろうか」ということを考える。解決という答えの代わりに、日本宗教者平和会議の文を読んで、説明に代えたい。子どもの前で、お経の代わりに読んでほしい。ここに集まっているみなさん、これを生き仏という。」と結ばれました。

 次に、加藤西郷先生は、「宗教教育って、どう考えるべきか 日本人にとって、宗教って・・・・」という題で話題提供をされました。加藤先生は「今日ほど私たちの『精神的自由の思想』が深く侵されてきている時というのは、戦後これほどひどい時はかつてなかったと思う。表面にでてきたのは森前首相の『神の国』発言、それに続く小泉首相のアメリカ追随の姿勢。しかしこれに始まったものではない。不破さんの『世界の流れの中で憲法を考える』という講演の中で、3つの問題点が指摘され、憲法改正は、戦後すぐの時期アメリカ発だということが資料で示されている。こういうことが3つの角度で書かれている。ぜひ(講演記録を)読んでいただきたい。そういうふうに考えると、目に見えない形で、私たちの精神的自由が侵されていることを感じる。」と話され、アイヌの問題で作品展などでの政府の態度を批判されました。そして、「精神的自由の思想を子どもたちの暮らしの中に」として、「教育基本法9条の『宗教教育』については、完全に侵されてきているのではないかと思う。私の関心は、子どもの中での精神的自由の保障・・・・現在は、根底から崩されているのではないか、端的には教育基本法9条『宗教教育』においてではないかと思う。」と話され、「では、どういう視座にたてば良いのか。」と問い、戦前からの宗教教育をめぐる状況について詳しく報告されました。そして、「教育勅語」の役割や、「宗教的情操」という言葉自身も、当時の文部官僚によって創作されたものであることを明らかにされました。

 そして、「通(つう)宗教的情操」についても、佐木秋夫氏の評を引いて解説されました。

 (むかし、ある国で、酒教育の重要性が力説された。酒は人生社会において非常に大きなエイキョウをもつ。だから、教育の上でもこれを尊重しなければならない。これが、その国のえらい方々の御意見だった。しかし、こまったことには、一口に酒といっても、実に種類が多い。カストリもあればドブロクもある。離れ小島のさるざけもあれば、何々会社製造のアブサンもある。例えば何とか正宗で酒教育をほどこすと、ほかの洒に対して不公平になる。不公平ということは最もよろしくない。ほかの酒屋さんから苦情も出る。そんなメンドウなことなら、いっそ洒教育などやめてしまえばよさそうなものだが、ひどく、酒を尊重するたてまえだから、そうもできない。そこで頭のいい役人が、「洒的気分教育」ということを考え出した。洒を飲ませないで酒の気分だけ味わせよう、というのである。すべての酒には共通の気分がともなう。これを「通酒」または「酒一般」の味わい、と名づけてもよろしい。子どもたちにこの「酒的気分教育」をほどこしておけぼ、将来、めいめいの好むところにしたがって、どれかの酒をたしなむ下地ができる、大いによろしい、という訳である。「宗教教育はまかりならぬ、宗教的情操教育を大いにやれ」というのは、洒を飲ませずに酒を味わせろというのと、同じようにムリな話である。)

 また、こうした文部官僚による「宗教的情操」論の提起に対する教育界、宗教界の対応に留意することを指摘されました。

 さらに、文部科学省は、「特定の宗教教育はできない」といいながら、「特定の宗教(国家神道)」の宗教的情操である、「畏敬の念」を押しつけようとしている、と指摘し、「敬う」「畏怖」というものを書いているが、神道での「かしこみ、かしこみ」というのが「畏怖」であって、それは「通(つう)宗教的情操」ですらなくて、特定の宗教(=国家神道)のものである。宗教には、救い型・悟り型・繋がり型があり、神道は「救い型」「繋がり型」を特徴とするもので、民族宗教はおおかた、その部類に属する。「生命」という言葉も、ここで「生命の根源すなわち聖なるものに対する畏敬の念」と言っている「生命」であって、我々が「命を大切にする」生命とは異質なものである。言葉は同じでも、そのさす意味はまるで違うことをつかむ必要がある、と指摘されました。

 


第11回学習会 教育は不当な支配に服することなく 第10条

 
 2004年11月20日(土)に、第11回の学習会が行われました。話題提供者は室井修先生でした。室井先生は、「教育行政に関しては、教育内容・教育課程・教職員の問題で「不当な支配」に関して問題は多い。」と指摘し、戦後の教育行政の中での位置づけ、法律の上でどうなのか、判例ではどうなのかを、話題提供されました。

 はじめに「教育基本法第10条をみてゆく際に、まず日本国憲法との不可分一体性をみておかなければならない。同時に戦前の教育行政の批判の上に立って展開されていることを見ておかなければならない。21世紀に向けての教育行政の理念が示されていく、豊かにされていく基本がここにある。」と話され、「本条は、教育基本法各条項に明示された教育理念や原則を実現する教育行政の任務と限界を定めた包括的な規定であり、それだけに教育基本法解釈の最大の争点ともなってきた。本条の意義は、戦前のわが国の教育・教育行政に対するきびしい反省・批判の上に定めされている。教育基本法の立法趣旨と同じく、本条はとくにこの趣旨の認識が重要である。」と指摘されました。

 次に、「第1項の主語、『教育は』、第2項の主語、『教育行政は』、というように、『教育』と『教育行政』とをはっきりと分けて捉えていることが重要だ。」と指摘し、戦後まもなくの文部官僚の書いた文章を見ても、教育を教育行政の一部として捉えようとしていると説明。しかしこれは戦後否定されたものである。文部官僚は、三権分立の中の行政(内務行政)の中に「教育行政」を包摂している。そして「教育」自体を、「教育行政の一部」として捉えようとしている。そこには教育行政の特殊性、教育の独自性・特殊性を捉えようとはしていない。だから「学校教員に教育の自由・自律性があるのはナンセンス」ということになり、教育行政の末端に教師がいるということになる。それを補強する形で、現在でも「教員(=公務員)は学校行政の中で上下の支配関係に置かれている(特別権力関係)」ということが援用されている。そして「市民的権利はない」とされ、生徒も「営造物利用者」として「その支配関係に入らなければならない」とされている。それに従わなければ「出ていけ」ということになる。先の本の著者は「これは便利な考え」として戦前の解釈を説き始めた。こうした「戦前の」考えが、言葉では言わないまでも、続けられ、広げられている。しかし教育基本法第10条は、これを否定して「教育」と「教育行政」をはっきりと区別している。戦前の教育行政の反省の上に立って確立されたものである。第10条全体ではまずこういう点をみていただきたい、と説明されました。

 次に、項目の具体的な説明を行い、「第1項では「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と書かれている。教育に対する「不当な支配」の禁止と教育の国民に対する直接責任を明らかにしている。この「教育」の核心は、教育の内的事項、教育内容や方法などである。戦後直後の行政側は、教育を「内的事項」と言って「内容・課程・方法」など教育の核心的部分に関して「不当な支配があってはならない」と言い、この「不当な支配」というのは、「政党・官僚・財閥・組合など国民全体ではない勢力、とりわけその中心的な勢力であった官僚、と言っていた。「不当な支配」は法成立当初は「政治的・官僚的支配」が問題とされてきた。これは、戦前の教訓でもあった。戦後でも、これは留意しなければならない点だ。」と指摘、さらに「不当な支配に服することなく」というのは、教育の自主性の尊重である。内的事項(内容・課程・方法)への干渉が許されると、教育の自主性が損なわれる。「教育の自主性の尊重」の確認が重要である。何故「不当な支配」を許さないことが重要か。これは教育の自主性が侵されるからである。教育は、何かに縛られたり支配されたりしてはならない。教育は高度な精神作用である、だから自主性・自由は何よりも大切にされなければならない。教育が教育として機能していくためには、学ぶ主体としての者の自由(学問の自由)を保障することが重要である。」と指摘されました。

 また、「国民全体に対し直接に責任を負って」に関して、「「国民全体に対し直接に責任を負って」の意味について、「国民」とは、一人一人の個人としての国民(peopie,人びと,人民)を指し、学習主体である子ども・父母・住民(国民)のすべてに対して、とりわけ学校教職員の教育活動・実践が国民の意思と直結してすすめられることの責任が課されている。これは教師の教育権限の独立と学校自治の原理を内包そており、教育行政の上命下服体制からの独立を意味している。これはまた、公選制教育委員会の組織原理をも含むものである。」と説明、「第10条は、教育の自主性を損なう国家的介入を認めてはいない」と指摘されました。

 次に「第2項の意義」について、「第2項の意義は、「教育行政の意義と限界」を明らかにしたものである。先ほどの内的事項に対して「外的事項」と言い、内的事項を支える「教育条件」と言っている。「教育の目的を遂行するに必要な諸条件」とは、第1項の趣旨(教育基本法前文・1条・2条を基本)の「自覚」を前提にして、それに制約された規定となっている。即ち、それは、教育予算、学級・学校の規模、教育施設設備等のいわゆる教育の「外的事項」の意味と解され、一般には「教育条件」と称される。教育行政の原則は「教育内容不関与」である。そして「内的事項」について専門的技術的指導助言行政が原則である、と説明されました。

 最後に、教育基本法改悪の動きに関して、2004年6月16日の与党による「教育基本法改正に関する検討会『中間報告』」の第10条(教育行政)に関しては、「教育行政は、不当な支配に服することなく、国・地方公共団体の相互の役割分担と連携協力の下に行われること。」「国は、教育の機会均等と水準の維持向上のための施策の策定と実施の責務を有すること。」「地方公共団体は、適当な機関を組織して、区域内の教育に関する施策の策定と実施の責務を有すること。」と書かれており、「教育は不当な支配に服することなく」を「教育行政は、不当な支配に服することなく・・・」と書き換え、教育行政が有効に発揮できるように、また国と地方が役割を分担しながらやれるようにしている。また、「政府は、教育の振興に関する基本的な計画を定めること。」としている。「教育基本法計画」に、教育についての考え方(教育観)などが入って、それを政府ができるというのであれば、それが一人歩きができてしまうことになる。これを教育基本法に入れることは、これを根拠に政府がどんどんと教育に介入していくことを許してしまうことになる。これはまた、先の「自民党の憲法改悪試案」の中での「国民の人権の制限」とリンクしている問題でもあって、重要な変更点であると、目を光らせていかなければならない、と注意を喚起されました。

 


第12回学習会 今なぜ教育基本法「改訂」なのか 補則


 
 2004年12月4日(土)に、第12回の学習会が、会場を移してキャンパスプラザで行われました。話題提供者は大平勲先生広原盛明先生でした。

 はじめに、大平勲先生から、「『教育改革』攻撃の中での教職員の現状と課題−−私たちの『学校づくり』をめざして−−」という題で、話題提供がされました。大平先生は、第六条(学校教育)の2項「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。」を取り上げ、「教職員は、戦前は天皇のために仕える、天皇・国家への奉仕者でありました。しかし教育基本法では、教員は『全体の奉仕者』であり、学校は『公の性質がある』とされています。『私』の利益のためにあるものではない。一部の階級や政党・利益団体の要求に応えるものではありません。」と説明されました。しかし、最近の状況について「ところが『新自由主義』的教育観での『受益者負担』『親の学校選択制』などは、公教育を否定する立場に立つものです。教育基本法の『全体の奉仕者』という規定は、権力や国家への奉仕者ではないという意味で、第1条の目的の実現のために取り組むことを要請されています。さまざまな階級・階層の一人一人の子どもに配慮した教育実践を集団的に行うもの。科学にもとずく真理・真実を教えるものでです。それには教師の自覚と教育・研究の自由の保障が必要であり、またそれに対して『圧力』があってはなりません。そのためには研修権が保障され、身分が保障されなければならないし、自主的な研修は保障され、奨励されるべきとされています。しかし、今日では組合の自主的な研修などに出ると、処分にもひとしい扱いを受けることも一部には見受けられます。」と指摘し、「教員の地位に関するユネスコ勧告」にもふれて、教員の位置づけを説明されました。

 次に「教育基本法に違反した『教育改革』攻撃の実状」について、戦後における反動的教育攻
撃と対峙する教育運動・教育実践を振り返りながら、くわしく説明されました。

1950年代






 
戦後マッカーサーの201号、池田=ロバートソン会談での「愛国心」賛美など、アメリカの対日政策の転換があって、教育公務員の政治的中立、任命制教育委員、特設道徳、勤務評定、旭丘中学校への弾圧などが相次ぎました。戦後、高校三原則も実施されましたが、地域に根付かないままに全国的にはつぶされていきました。(京都では高校三原則は1983年まで全国で一番最後までしっかりと守られていました。)しかしそれに対して、生活綴り方などの自主的な実践(山びこ学校など)も広がりました。また、日教組では「教え子を再び戦場に送るな」の理念的支柱を提起しました。
1960年代

 
学習指導要領による拘束が強くなってきて、教科書検定・学力テストなどが強行されました。それに対して、地域に根ざす教育が進められ、丹後、群馬県島小(斎藤喜博)、算数の水道方式など、民間研究運動が進められていきました。
1970年代


 
高度経済成長下での「落ちこぼれ」が問題になり、クラスの半分ぐらいが授業がわからない、ここから塾がさかんになってきました。また、京都教育センター(細野武男代表)が教育のあり方としての三原則(全面発達・集団主義・科学的認識の教育)を提起し、現場実践を励ましました。
1980年代


 
校内暴力・学校荒廃が起こり、このなかで「肉体派」の教師を優先して採用するなど、新たな管理強化が生まれて、前後して、臨教審構想が出されてきました。これに対して、非行克服での一致した学校づくりが教訓化され、子どもまつり、教育懇談会、上映運動など、父母との共同がのびの如く広がりました。
1990年代

 
いじめ・不登校などの「学校不適応」問題が生じて、これに対して行政は「個性重視、新しい学力観」などを打ち出しました。私たちは、父母に開かれた学校づくり、わかる授業・たのしい学校づくりをめざして取り組みを進めました。
21世紀に入って


 
21世紀に入って、競争原理と規制緩和の新自由主義(財界)とアメリカ追従の新保守主義(反動)が教育の基軸になりました。このように政府・文部省の戦後半世紀の施策はことごとく功を奏さず(教育の条理に根ざさず)、今や教育の根本的転換をさけぶまでになってきました。その意味でも、権力側にとって今や、教育基本法が最大の障害になっているのです。


 そうした戦後の教育実践・教育運動を振り返りながら、大平先生は「なぜ今『教育改革』なのか」と問い、「子どもたちの現状は、閉塞社会とメディア包囲、変容した父母大人の価値観の中で、発達途上の自分を子ども(自分)らしくさらけ出せない状態があります。また日本のお国事情として、『真面目に税金を払っていたら明日の保障はある』ことへの懐疑さえ生まれており、アメリカ追随で『豊かな』貧困が生まれています。イラクへ軍隊を派兵しているの主な国は、アメリカ・イギリス・オーストリア・日本・・・といったところで、アジア・アフリカやヨーロッパなどとスタンスを異にする『世界からの孤立』が進んでいます。私は、よく四条河原町で街頭宣伝をしますが、そこでの市民の反応で、一番関心があるのは食の安全問題です。日本の穀物自給率は26%で、北朝鮮やアフガンよりも下になっています。財界による教育支配については、効率を導く競争を激化させ、できない子も大事にする『機会均等』は税金の無駄遣いとし、教育の市場化を狙っています。学校・子ども・先生も『商品』とされ『商品価値』が求められる存在にあります。」「そして、シャワーのように降り注ぐ『改革』攻撃があります。教育改革国民会議が発足した2000年以降、新自由主義による規制緩和が進められ、学校選択、小中・中高一貫校、総合的な学習、小学校英語、習熟度別授業、社会人校長・先生、二学期制、株式会社学校参入などが進められています。東京では『学校選択』を広げる中で『学力テスト』を導入し、行政区・市町村毎のマスコミ発表までしています。学校毎の平均点が親に伝わるのは時間の問題といわれています。『学校選択制』の中で、ある中学校では3年生はたくさんいるのに、1年生はゼロに近いぐらいに少ないという学校も生まれています。校長は夜な夜な小学校6年生の家庭を回って『勧誘セールス』をしているという笑えない話も伝わってきています。習熟度別授業は7割を越える学校で行われ、社会人枠での先生採用、2学期制導入、なども進められています。株式会社の学校については、岡山県御津(みつ)町に特区申請して許可された学校があり、英語5時間以上、実技時間は極端に少ないという『自由な』教育課程を編成しています。そして『希望校への進学がだめだったらお金を返す』というのを『売り』にしています。こうなってくるともう公教育という看板は降りてしまっています。」「また、新保守主義による管理・統制も強まっています。国旗・国歌の強制、学校・教職員評価、週案強要、研修強制、心のノート、学力テスト、教育内容への露骨な介入などが行われています。東京都教育委員である将棋の米長邦雄氏は、11月2日天皇主催の園遊会の場で、『日本国中の学校に、日の丸掲揚・君が代斉唱させるのが私の仕事です。』といって、天皇からさえ『強制できませんよね』とたしなめられています。しかし現場では『日の丸・君が代』も定着させられてきています。『学力テスト』は心配です。学校評価・教職員評価・学校選択に直結する数値として一人歩きします。府教委は小4・6、中2のデータを持っています。いつでも出せる状況にあります。爆弾を持っているようなものです。」「『3割削減』を目玉とした現行学習指導要領は2002年4月からの『学校五日制』のもとで、早くも破綻をきたしています。しかし、今や官僚の中でも地位低下した文部科学省の『迷走』はあきれるばかりです。2004年8月には河村文相が6・3制の見直し、入学年令の弾力化、『落第』の復活などの方針を打ち出しましたが、発想する内容が、教育の専門家と言えないような場当たり的なものです。その極めつけは2004年11月の中山文相の『甦れ、日本!』発言で、教育危機を競争で打開しようとし、全国学力テストの復活を狙っています。」と状況を説明されました。

 続いて、「教職員をめぐる現状と課題」にふれたあと、最後に「今こそ、教育基本法の理念に根ざした『学校づくり』を」として、「今なぜ『学校づくり』運動なのか。別紙の10月9日の京教組全分会代表者会議のあいさつを参照してほしい。学校とは何か、矛盾する二つの本質があり、一つは、体制維持のための『道具』(機関)であり、もう一つは、すべての子どもの人格形成と豊かな発達が保障される場であるという本質です。『学校づくり運動』とは、前者を排し、後者を促進する意識的な取り組みである。そのために子ども参加、父母教職員共同の土俵を広げていく運動でもあります。今、教職員の声が学校運営に反映されない中で、学校づくりへの『無力感』がありますが、声を集めていくことが学校づくりの第一歩であることが確認されました。『学校づくり』こそが、子ども・父母の本質的な発達要求にこたえる唯一最大の私たちの実践エリアであり、反動勢力には手が出せないエリアです。」とその運動を提起されました。

 
 続いて、話題提供者の一人である広原盛明先生は、「教育基本法改悪を国家戦略論から考える」として話されました。はじめに「何故教育基本法改悪がきているのか、国家戦略論から考えたいと思っています。」と話され「今の社会の矛盾は、『どういう国家を創るのか』という根本問題に向き合わない限り解決できないような深刻な矛盾です。政府側には、『国連安保理事国になりたい』という主張が象徴するように、アメリカに追随して世界に出て行くためには、国民の意識を変えなければならない(いわゆる国際貢献主義というイデオロギーの注入)。そのための教育基本法がじゃまになっているという考えがあります。政府は、教育改革の中では、『トップリーダー層』をつくりたいと思っていますが、しかし教育基本法改悪の本当のねらいは、実は広範な国民、中間層の意識改革をねらったものではないでしょうか。底辺層は治安問題として対応しようとしています。」と指摘されました。

 また日本の教育史を振り返りながら、「明治国家成立当時は、ある意味『体制転換の危機』であったから、学制発布や大学令など大規模の教育改革をしたが、それは階層的には全階層からトップリーダーを選ぶというもので(立身出世主義)、これはものすごく成功したと思います。」「戦後、日本は海外での植民地を失ったので、国内の資源の有効開発の中で国家を建てていくということが求められました。その中心は成長主義イデオロギーで人材養成することでした。高度成長期は製造業全開の時代だったから、『均質で上等の労働力』をどのように育成するかが課題でした。この点で、他のイギリス・アメリカなどと比べてみると、他の国は外国から労働力を導入したが、日本では識字率も高く、農村にも優秀な人材がたっぷりとプールされてあり、豊富な国内労働力の調達が可能でした。その結果『合理化』などの『改善』も、職場でできるような優秀な人材を、国内で育ててきました。これが『みんなが中間層』という意識を持つような社会を育ててきたと思います。むろん憲法・教育基本法との関わりの矛盾はあったが、しかしこの時点では、教育の中で、未だ階層差別的な扱いというものはあまりなくて、終身雇用の日本企業主義というものをつくっていました。」「しかし、当時はそれで一定満足していたとは思うが、日本が外国に進出するなかで、貿易摩擦を起こして、それを克服するために外国に工場をつくって、企業が国際化していく中で、今までのような中間層をコアにした国内中心型の日本型企業社会を維持していくと言うことがじゃまになってきました。今までのそうした体制が、自民党の一党独裁の政治を支えてきました。しかし最近は、海外にどんどん投資をして、なにが起こるかわからないから軍隊で守ってもらって、海外にお金をまわしたいというところから、従来のように国内にお金をまわせなくなります。そこから国民には、『痛みに耐えてもらわなければならない』『国際競争に勝たなければならない』というマスコミをふくめた宣伝が一斉に行われるようになりました。しかし、その中で中間層の中にとまどいと動揺が起こってきています。具体的には、年金・医療の問題などで起こってきて、このままで『痛みに耐えろ』では維持できないところまできています。そこで『教育』によってそれを維持しようとして、経済面や軍事面も含めて国際競争に打ち勝つための『教育改革』が声高く叫ばれてきたのではないかと私は思います。」と話されました。

 そして、「政府の教育『改革』は成功するのか」と問いかけ、「「このまま行ってしまうのではないか」との懸念がありますが、私はそうは思いません。」として、その理由について三点にわたり説明されました。

 「一つ目は、いろいろな情報が公開されて、オープンになっている状況があります。情報を完全には隠しきれない。戦前のような形での情報操作はできない。今、マスコミを使って大規模な世論操作がやられてはいますが、しかし世界からは大きな情報が流れ込んでいるのであって、完全にはシャットアウトできない。」「二つ目は、特に教育に関わって、子どもたちを大国主義・競争主義的に育てていくことは成功しないと思います。「競争」には、目標が共有されなければなりません。戦前は「立身出世」という共通目標がありましたが、今日の青年の目標は多様であって、必ずしも同じ目標を持っているとは言えません。目標が多様化すれば、それに従っての教育目標が用意されなければならないが、それをしなくて、(目標が多様化しているのに)いくら「競争」的なものをもってきてもダメだと思います。」そして三つ目に「今、大学生・高校生の所で、大きな変化が生まれているのではないか。」として、「青年をそういうもの(大国主義・競争主義)にかりたてる客観的なものがないという点です。一生懸命に勉強しても、将来は保障されない。そういうものが中流意識の崩壊、多様化を生み出しています。また『少子化』の問題です。今まで人口増を想定していろいろやってきたものが、全部総崩れになってしまっています。
」とし、「教育基本法の改悪を許さないような社会的状況も生まれている」と説明し「こうした所に希望が持てるのではないかと思います。」と結ばれました。

 


全12回の記録が「みんなで語ろう教育基本法」という本で出版

 
 今回の教育基本法連続(月例)学習会について、藤原義隆先生(京都民教連運営委員長)は、「理想に近い教育基本法学習会」として、「@情勢の要求する内容で継続されたこと。A発表者は、どなたも精一杯の努力をして、すばらしい内容の提起をされたこと。B参加者:適切な人数、参加者層の厚さ、固定した参加者を中心に毎回新しい参加があったこと。C毎回、正確な記録がとられ、それが次の会には資料として提供されたこと。これは、凄いことだと思います。Dこれを、ベースにして出版が計画されたこと。」と評されています。ありがたいことだと感じています。本学習会の詳細は「みんなで語ろう教育基本法」をごらん下さい。       (終)

 
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