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教育基本法連続学習会 レジュメ(2004年2月28日)
市川 哲(京都教育センター・地方教育行政研究会)
 
 
教育基本法第1条(教育の目的)
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
 
1. 教育基本法をなぜ変えたいのか?(その背景に国家主義と新自由主義)
@ 「戦える国」づくり
1. “ show the flag”(「旗(日の丸)を(戦場で)掲げよ」)から”boots on the ground”(「地上軍を派遣せよ」)に至るアメリカの要求(例えば、2000年10月のナイ・アーミテージ報告『米国と日本 成熟したパートナーシップに向けての前進』は、米国とイギリスとの特別の関係を日米同盟のモデルとする)
2. 必要なら「国益を守る」ために軍事力を行使する「普通の国」、国連常任理事国入りに象徴される「大国」をめざす国内の“主体的な動向”の存在
3. 「戦える国」のために国家的統合をはかる教育をすすめるため
A メガ・コンペテーション(「大競争時代」)に対応する教育(制度)づくり
1. 能力主義を徹底する中でITやバイオ、ナノ・テク等の分野を中心に世界の企業と戦えるエリートの育成
2. 公教育に対する国家の教育条件整備義務(財政負担など)を縮小する中で、従来の「誰もが頂点をめざす非効率的な」教育制度から、分に応じた選択と自己責任のもとで競争し、人材を比較的早期に、効率的に選別するための教育制度とイデオロギーの創出
 
総じて、国家のための「人材」、企業のための「人材」育成をめざす
 
2. 教育基本法をどう変えるのか?
@ 「新しい教育基本法を求める会」(会長:西澤潤一)による森首相(当時)に出した「新しい教育基本法を求める要望書」(99.9)
・日本の伝統・文化を基盤として国際社会を生きる教養ある日本人の育成
一、伝統の尊重と愛国心の育成
二、家庭教育の重視
三、宗教的情操の涵養と道徳教育の強化
四、国家と地域社会への奉仕
五、文明の危機に対処するための国際協力
六、教育における行政責任の明確化
 
A「社団法人全国教育問題協議会」の「教育基本法改正案」」(99.11)
・(教育の目的)第1条  「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、日本の伝統及び文化を尊重し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、感謝の念と奉仕の心を持ち、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
 
B 「新・教育基本法検討プロジェクト(「民間教育臨調」主査:加藤寛)」の「新・教育基本法私案」(民間シンクタンクPHP総合研究所 01.2)
・第一条(教育の目的)「日本の教育の目的は、人間が潜在的に有する道徳的・知的能力を発揮させ、わが国の歴史・伝統・文化を正しく伝えることによって立派な日本人をつくることにある。」
 
C 中央教育審議会「 新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」(03.3)
・ 第1章 教育の課題と今後の教育の基本方向について
2 21世紀の教育が目指すもの
・自己実現を目指す自立した人間の育成
・豊かな心と健やかな体を備えた人間の育成
・「知」の世紀をリードする創造性に富んだ人間の育成
・新しい「公共」を創造し、21世紀の国家・社会の形成に主体的に参画する日本人の育成
 
3. 教育基本法は戦前の日本と日本の教育の反省にたってつくられた
(ア) 戦前の教育
1. 「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(大日本帝国憲法第1条、1889年)
2. 教育は「臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ」天皇の「命令(「天皇大権」九条)」で行われる。憲法の明記する兵役や納税と並ぶ「臣民」(君主に支配される人民)の「三大義務」の一つ。「臣民」は教育を天皇、すなわち国のために受けていた。
3. 「教育ニ関スル勅語」(M23,1890年):国を統治する政治上の天皇主権をおぎない、教育上も道徳上も天皇が主権者であることを宣言。
4. 「朕惟(ちんおも)フニ」=天皇自らが考えてみたところ、と天皇を主語にして始まる難解な文語調の教育勅語は、道徳の源を天皇の祖先とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)以来の天皇に求める。
5. そして、孝行や友情、遵法などを説いた上で、「一旦緩急(いったんかんきゅう)アレハ義勇公ニ奉シ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ」と、国家危急のおりには(戦争にあたっては)義勇の精神をもって永遠に滅びることのない皇室のご盛運を助けなさい、とする(参考:塚本哲三『国体の本義解釈』S14,1939年)。
6. 教育の根本とされた教育勅語は、国定教科書に掲載され、学校の儀式やその他の機会にうやうやしく読まれ、趣旨の徹底をはかり、実際の教育にも具体化されて国民精神を支配。
(ア) 「私タチノソセンハ、ダイダイノ 天皇ニ チュウギヲ ツクシマシタ。私タチモ、ミンナ 天皇陛下ニ チュウギヲ ツクサナケレバ ナリマセン」(昭和16年からの国民学校<小学校>2年生の教科書『ヨイコドモ下』)(参照:入江曜子『日本が「神の国」だった時代−国民学校の教科書をよむ−』、岩波新書、2001年)。
(イ) 小学校教育の目的
@ 「小学校令」:「第1条 小学校ハ児童身体ノ発達ニ留意シテ道徳教育及国民教育ノ基礎並其生活ニ必須ナル普通ノ知識技芸ヲ授クルヲ以テ本旨トス」(M23,1890年)
A 「国民学校令」:「第1条 国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」(S16,1941年)
 
その結果としての「御國ノ為ニ」という思想性の徹底と悲惨な侵略戦争による戦禍
 
(イ) 悲惨な戦争と戦前の教育のあり方への批判と反省から日本国憲法と教育基本法は生まれた
「ポツダム宣言」:「六 ・・・日本国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」(1945年7月)
@ 支配層の意識:「国体護持」(「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ・・・」:「終戦ノ詔書」)教育政策の核心は「教育勅語」擁護にあった
1. 文部省「新日本建設ノ教育方針」:「今後ノ教育ハ益々国体ノ護持ニ努ル」(1945年9月)
2. 前田多門文相「吾人は改めて教育勅語を謹読し、その御垂示あらせられし所に心の整理を行はねばならぬと存じます」(1945年10月)
3. 安倍能成文相「私も亦教育勅語をば依然として国民の日常道徳の規範と仰ぐに変わりないものであります」(1946年2月)
 
A 日本国憲法(憲法五原則 @国家主権と国民主権、A恒久平和の原則、B思想の自由・表現の自由・生存権・勤労者の権利などを中心とする基本的人権、C議会制民主主義、D地方自治)は、政治上の主権者とされた天皇が教育上も道徳上も主権者であることを宣言した「教育勅語」とは相いれないのは明らか
B 憲法草案の議論に伴って(46.6議会上程)、教育基本法について議論した「教育刷新委員会」(46.8設置)の中にもあった「新勅語渙発説」は弱まり、「教育勅語に類する新勅語の奏請はこれを行わないこと」(46.9)を決議した(なお教育基本法が成立したのは戦後の新しい学校制度が始まる前日の1947年3月31日)
C 「教育勅語」にけりを付けたのは1948年6月19日の「教育勅語等排除に関する決議」(衆議院)、「教育勅語等の失効確認に関する決議」(参議院)
 
4. 教育基本法の性格
(ア) 「教育ニ関スル根本法」であり、前文で憲法との不離一体性をうたう教育基本法は、制定過程でも「教育の憲法とも称すべきもの」であり(高橋文部大臣)、いわば「準憲法的」性格をもつ
(イ) 制定に直接関与した田中二郎元最高裁判事・東大名誉教授は「教育基本法の構想が田中耕太郎文部大臣の創意に基づくもので、連合軍総司令部と直接関わりのないことは、一般に知られているところである」と、アメリカの押しつけ説をきっぱりと否定(『季刊教育法』23号)。
(ウ) 憲法との不離一体性については、「教基法は、憲法において教育のあり方の基本を定めることに代えて、わが国の教育及び教育制度全体を通じる基本理念と基本原理を宣明することを目的として制定されたもの」(最高裁「旭川事件判決、昭和51年5月21日」))。
 
 
 
5. 教育の目的に関して
(ア) 法律で定めることの是非について(教育目的の設定は教育関係者の判断に委ねられるべきであり、法律で規律できる事柄ではない)
@ 過去の偏狭な国家主義教育を除去するためには、憲法の精神に則った教育理念を国民の総意の表現として法律により明示する必要があった
A 憲法と教育基本法が提示する理念は、人類のたたかいやわが国民の犠牲の上で確認されてきた「未来へと開かれた普遍」(堀尾輝久)たものであり、歴史の中で高められ、豊かになることが予想・期待される理念である
B 価値の多元性を認めた上での秩序づけにとどまるから、思想良心の自由・学問の自由・教育の自由に抵触せず、また法的拘束力をもたない(兼子仁)
C 法律がある価値を普遍的と称すること自体に問題があり、教育基本法が教育目的を提示したことによって自律的・自主的な教育活動に国が制限を加える道が開かれた(山住正巳)
 
(イ) 「個人の尊厳」と「人格の完成」について
@ 戦前の国家主義教育への訣別のため、国家の必要とする「人材」への「錬成」を否定したもの
A 「人格」は理想的人間像であり、「人間性」は現実的人間像だから「人格の完成」と「人間性の完成」は同義ではない(田中耕太郎)<なお、教育刷新委員会では当初、「人間性の完成」とされていたが、「人間性」という言葉は人間が動物と共有する野性的なものを含むと考えられやすいが、「人格」なら人間が動物から区別される人の人たるゆえんの特性だけが考えられるので法律用語としてもより適当であるとする田中・文部省サイドの意見がとおる>。一方、「人格の完成」では人間の則るべき規範、基準性という倫理的ニュアンスがつきまとうので、教育が各人のもっている資質を充分にのばすことを本質とするという意味で「人間性の完成」にすべきという意見もあった(務台理作)。
 
(ウ) 「真理と平和を希求する人間の育成」
@ 過去の国家主義・軍国主義教育がもたらした弊害への反省とそれらを除去する決意を示す
A 学習権を保障するためには何よりも真理教育が要請されるし、また真理教育は議会政治の多数決原理にはなじまない
B 平和は学習権保障と内在的に密接な関連を有するし、また平和の維持・発展のために教育が貢献しなければならない
 
(エ) 主権者教育:教育の力による「民主的で文化的な国家」(前文)、「平和的な国家及び社会の形成者」としての「国民の育成」(1条)
@ 「形成者」は単なる成員・構成者ではなく積極的に「民主的で文化的な国家」「平和的な国家及び社会」を形づくっていく者
A 憲法のよって立つ国民主権原理を体現する民主主義を体得した主権者たるにふさわしい国民の育成
 
(オ) これらを「学校教育基本法」ではない教育基本法の下、学校は言うに及ばず、家庭、地域、職場、社会で実現していくことが求められる
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