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京都教育センター夏季研究集会 
みんなで語り合う分散会(第3分散会)


「学校づくりと『教職員評価』を考える」
市川 哲(京都教育センター)
 


はじめに

 「新自由主義」はあらゆる領域に市場原理を持ち込もうとする。本来、市場メカニズムが働かない学校教育では、それぞれの学校に「特色」を出させ、それを顧客(児童や生徒。年齢が低いほど実際は親)が選ぶことを通じて「疑似的市場」を創出する。「疑似的市場」の中で消費者の選択に晒される学校は、選ばれる「商品」(特色ある教育)をつくり出すために学校組織(学校経営、教育活動、教育課程、教職員相互の関係、その他)を革新(イノベーション<行政が用いる「活性化」という語とほぼ同義であろう>)しようとする動機が働く。これを日常的に刺激し、組織のパフォーマンスを改善し続けさせるためにインセンティブ(誘因)を用いる。校長や教職員が常に組織イノベーションに熱心であるとは限らないので、より望ましい状態に組織を変えていくための変化を起こすインセンティブが必要とされるのである。ここでは誘因によって組織を構成する者が想定された行動原理に自律的に従うことが望まれている。

 こうした学校経営はいわゆるNPM(New Public Management:新しい公共管理=「行政の経営に民間手法を取り入れる」という考え方)の学校教育領域への応用である。そして、誘因にあたるのが優秀教員の表彰制度であり、給与や処遇と結びつけられた教職員評価であることは明らかである。

 われわれはこの「超近代的な」NPM(現在具体化されつつある教職員評価)にどう向き合っていけばよいのか?それ自体はプラスのベクトルをもつ学校組織と教育の革新という活動を子どもや親の支持を得てどのようにつくり出せばよいのか?こうしたことを根底的な問題意識としてもつ分科会は、20名が参加し、以下の報告を受けて討論をおこなった。

 
(1)「京都における『教職員評価』と運動」(梶川 憲:京都教職員組合)

 文部科学省は03年4月に「教員の評価に関する調査研究」(「教員一人一人の能力や実績等が適正に評価され、処遇等に反映されるよう教員の評価システムの改善に関する実践的な調査研究」)を全都道府県・指定都市に委嘱した。それを受けて京都府教委は6月「教員の評価に関する調査研究会」を発足させ、04年3月「教職員評価第一次調査研究報告」を発表、4月から小・中・高35校で教職員評価制度を試行実施している。今後、試行をふまえ05年3月に「第二次報告書」、同年4月より全校で試行実施、年度末に「最終報告書」、06年度から本格実施の計画である。
 また文部科学省は「05年度に新たな評価・給与制度を実施するための所要の法改正を行うとともに、実施に向けた準備を進める」としている。なお06年度に向けて「公務員制度改革」が動いており、この8月の人事院勧告は年功序列賃金をやめ、成果主義・能力主義の考え方に基づく「査定制度」を打ち出し、それに必要な評価制度の導入が図られている。
 「教職員評価制度」導入のねらいは、政府や財界の意図する競争と国家主義的な教育づくり=「教育改革」を進めるための学校体制づくりと教職員づくりにある。

 なお京都では、次のような手法で評価を行うことが考えられている(前記「第一次報告」)。@)目標管理手法の導入:各教職員が学校目標をふまえて年度当初に自己目標を設定し、評価者と面談(当初面談、中間面談、最終面談)。管理職は職務遂行状態を把握し、指導助言する。A)段階評価の実施(自己評価と評価補助者を含めた評価者による評価):年度末に一人一人が「能力」「実績」「意欲」の3項目をABC三段階で自己評価し、評価者がこれをCを標準にした加点方式で三段階評価する。B)評価結果の開示、苦情処理機関の設置:評価結果を本人に開示し、評価結果への不服申し立て機関を設置(教育委員会)、C)評価結果の活用:評価結果を研修、人事配置と異動、昇任、給与上の処遇と関連(公務員制度改革の動向と対応)。

 子どもの成長・発達を目的とする教育は、集団性、継続性、専門性や多面性などが求められるが、「教職員評価制度」はこうした教育条理と相容れないばかりか、以下の諸点からも問題がある。

@)学校職場でなによりも大切な「教職員の共同・集団性」を破壊する、A)構成・公平な「段階評価」はあり得ない。強行すれば教職員の一挙手一頭足を監視する息苦しい学校・職場となる。今後、相対評価となるならばなお恣意的になる。B)校長も学校全体も「観察」「面談」「評価」に追い立てられ、教育活動が後回しになる。C)校長・教頭・事務部長など管理職が教育長(行政)による評価を受けることになり、学校教育目標や教育活動、さらに評価内容にまで介入する結果となる。D)団体交渉や労使合意を経ずに、人事権者による一方的な勤務条件の変更を評価制度を通じて行うことは法令にも違反する。E)結果、「評価」がものさしとなり、量的・質的に長時間過密労働が加速する。

 なお、府教委は「学校評価制度」と「教職員評価制度」を「車の両輪」として位置づけている。前者は外部評価と自己診断をふまえた学校の自己評価システムをつくり、「情報公開」を通じて競争できる土台作りを狙うものである。そのことによって「教育改革」を具体化するものであり、また後者はそのための教職員づくりということになる。

 
 
2)続いて市川 哲(地方教育行政研究会)から京都の教職員評価問題を深める立場から報告があった。内容的には梶川報告の補足に位置づくものである。

 「学校評価」と「教職員評価」を「車の両輪」とする京都府の「教員評価」について最大のねらいが、「府民の信頼に応える開かれた学校づくり」にあり(「教育新聞」04年1月29日号)、そのために、@)説明責任(アカウンタビリティ)を常に意識し、積極的な学校情報の発信とそれに対する家庭や地域社会からの具体的な反応を的確に受けとめるなど、双方向の情報交流を学校経営に生かす、A)管理職による的確な指導助言により、教職員自身が自己の能力や適性を自ら認識するとともに、その資質能力を向上させながら、各自の力量を最大限発揮できるようにする、とする記事が紹介された。

 また京都府の「教員の評価に関する調査研究会」の開催状況と審議の概要(府教委HP掲載)を用いて、例えば第1回目の会合では多様な意見が出され、評価者が単に管理職3人だけでよいのか、客観性、公平性のあるものにするためには評価する側が多様な見方(複眼的な見方が必要であるとの意か?)ができることが必要であるとする意見も出ていた(委員の意見要旨)ことなど、各回の特徴が紹介された。

 その上で都教組と全教が02年6月28日、都教委が先行し、文科省がすすめる教員評価による差別的な賃金・人事管理についてILO・ユネスコ『教員の地位に関する勧告』「共同専門家委員会」(CEART)に対して行った「申し立て」と同委員会レポートの内容が報告された。

 CEARTレポートによれば、「全教と文部科学省の提出した意見から、共同専門家委員会は新たな教員評価制度の導入と実施は以下の点で『勧告』に抵触していると結論する」として、 (a)『勧告』が予定している教員団体との十分な協議の過程を欠いていた、(b)重大な影響をもたらす主観的評価が行われることが明らかである、(c)教員は行われた評価の詳細とその根拠を知る権利を与えられていない、(d)勤務評定の過程に公開性と透明性が欠如していること、また評価の基準と実施方法に関しては(措置要求がありうるので)ともかく、評価自体に関する審査または不服申し立ての明確な権利がまったく存在しないことは明らかである、とされている。

 なお、 『教員の地位に関する勧告』(1966年)は「44.昇格は、教員団体との協議により定められた、厳密に専門職上の基準に照らし、新しいポストに対する教員の資格の客観的な評価に基づいて行われなければならない。」「45.教職における雇用の安定と身分保障は、教員の利益にとって不可欠であることはいうまでもなく、教育の利益のためにも不可欠なものであり、たとえ学校制度、または、学校内の組織に変更がある場合でもあくまでも保護されるべきである。」「46.教員は、その専門職としての身分またはキャリアに影響する専断的行為から十分に保護されなければならない。」「64.(1) 教員の仕事を直接評価することが必要な場合には、その評価は客観的でなければならず、また、その評価は当該職員に知らされなければならない。 (2) 教員は、不当と思われる評価がなされた場合に、それに対して不服を申し立てる権利をもたなければならない。」「124.給与決定を目的としたいかなる勤務評定制度も、関係教員団体との事前協議およびその承認なしに採用し、あるいは適用されてはならない。」としている。こうした国際的に合意されている原則を「教職員評価」問題を考える時にいかしていくことが求められている。

 
 なお、我妻秀範氏(須知高校)より「教職員評価を考える」をテーマとする文書報告があった。

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