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京都教育センター夏季研究集会
みんなで語り合う分散会(2)
ニーズに応じた教育と「特別支援教育」を考える
−−どうなる障害児教育のゆくえ−−
「特別支援教育」の光と影について学習、交流を深めよう
 
日時:2004年8月28日(土)14時〜17時
場所:京都教育文化センター302号室A
司会:中須賀ツギ子(京都教育センター)
記録:浅井 定雄(京都教育センター)
コメンテーター:宮嶋 邦明(京都府立大学)
当日の記録(大要)

司会:
みなさん今日は。ちょっと涼しくなりましたが、あいかわらず暑い毎日が続きます。京都市の学校でも「二学期制」になって、もう学校も始まっている所もありますが、暑い中でもしっかりと勉強して力をつけていきたいと思います。司会をする中須賀です。今回はじめてこういう分散会をつくったのは、東京の例などでも障害児教育に対する攻撃が鋭くなってきている状況もあるし、京都教育センターの「教育基本法学習会」の「義務教育」の部分を議論した中でも障害児教育のことが問題になって、黙って見過ごしたら、たいへんな事態になるというので今回の分散会がもたれた。忙しい中で、準備をしてもらった方に感謝したい。基調提案は、M先生で、あと、京都市教組障害児教育部から発言を求める。コメンテーター:宮嶋先生です。


基調提案


Mです。特別支援教育と障害児教育との差異を中心に報告します。
 今、たいへんな教育攻撃の中にあり、障害児教育も例外ではない。世界の人権宣言・権利教育も踏まえて、文科省もどういう対応をしていくのか。小泉内閣の「構造改革」のかけ声と教育のリストラの中で、公教育の責任が放棄されようとしている。
 「特別支援教育」がどういう流れの中ででてきたのか? 2001年1月に『21世紀の特殊教育のあり方について』(最終報告)の中で、それまでは通常学級の中に障害児はいないと言われていたが、インクルージョンの流れもあって、6.3%の軽障害児が存在することを認めた。LD・ADHDなどの子どもたちの存在である。当初、文科省も施設整備など必要と言っていたが、小泉内閣が出現すると、「構造改革」の中で、予算を伴うものは大きく削除するということになっていった。2003年3月の最終報告が出たが、その流れの中で大きく後退し、また政府の政策に加担しながら「特別支援教育」が展開されようとしている。LD・ADHDなどの子どもに光を当てたことは大事だが、施設・設備・教員の充実ではなく、従来ある養護学校などの施設・人員の再編成という形で行われている。京都では、Y養護学校やM養護学校などが研究指定校になる。また、総合養護学校制度にして、「特別支援学校」にするという動きで、2005年度発足をねらう。その中で特殊学級(障害児学級)をなくしていこうという形で内容も入っていて、全国の校長会の中でも反対の声が起こり、来年度の法改正は断念するということになった。

 2004年1月に「LD等支援体制ガイドライン」が公表された。養護学校関係は8月か9月に出すと言っている。2004年2月に中教審に「特別委員会」を設置。制度「改正」について検討している。来年の問題についてしっかり書いてあって、内容は、私の資料3枚目の「今後の特別支援教育のあり方について・最終答申のポイント」を参照してほしい。「これ以上、金は出さない」というのを中間報告で書いていたが、意見が出たので最終答申では「改正点があったら地方で勝手にやって・・・」となった。障害児学校も「設置しても良い」という形になったが、「義務」とはならなくなった。教育財源の国庫補助の廃止など、地方の一般財源化になって「地方におまかせ」となって、何に金を使っても良いということになると、各地方ごとに教育水準が違うということになってしまう。全国的に先進県がなければ、たいへん憂うべき時代になる。文科省は「補助金を死守する」というが、それは「文科省のひも付き予算」が何もなくなってしまうという状況になるからだ。

 障害児学級の実態については、資料の「京都府の障害児学級の推移」を見てほしいが、京都市は54.94%だったのが6年間で87.29%となり96学級増加した。これは京都市長選挙などの焦点となったりして、勝ち取ってきたものだった。全国に比べて少なかったのが、運動の中で増えてきたということである。


 こういう状況の中で一方では「条件整備をした」と言いながら、外の所で「特別支援教育は金がかかりすぎ」と言う。「うまく効率的に」やれという。資料の8枚目に、国際比較があるが、その中で教育関連費がGDPの中にしめる割合は、日本は外国に比べて教育費も教員費もたいへん少ないことがわかる。通常学級にお金を使わないでおきながら、さらにそれとの比較で特別支援教育は「金がかかる」と言っている。

 
 養護学校を「総合養護学校」にしようとしている。そうなると、自閉・多動・肢体不自由・知的障害も抱えることになる。どうするかと言うと「部門でやる」という。その中では学校の中での集団編成が、話し合いの中でどう追求していくのかが問われる。だのに、現在ある養護学校で「手が余っている」(実際には余っているどころか足りないのだが・・・)教員を、地域の相談役・コーディネーター役にさせようとしている。

 現在の人員体制の中でやっているから、「地域の教育相談」ということで出て行くが、4月で一年分の予約が満杯になる。我々は人員の増員を要求しているが、それに対して「(教育相談を)もっとやれ」という対応で、しかも「人員配置はしない」ということになっている。校内操作の中で、今まで3人の集団指導体制であったものが、「一人担任制」にして、残った2人を公務分掌に位置づけ、地域支援のコーディネーター役に割り当てていく。通常学級には、今までいた軽度障害児に加えて、障害児学級からも入ってくる。そして、それに対する相談は「コーディネーター役に」ということになる。養護学校では、すでに180名規模で建てた設備に、改修もなく、それ以上の子どもを受け入れている。

 1998年以降、障害児は少子化の下でも増えていると言われている。資料1−2を参照してほしい。医療技術の進歩もある。こうした中でも、障害の多様化・多量化が進んでいてる。私の学校も、広い地域を範囲とするので、南部では13地域にサマースクールがあると、13人の教師が分かれて行く。遠く離れたU市の肢体不自由児も来ていて、養護学校を「2校つくれ」という運動になっている。今までは、何学級に何人の教員という形で、教員定数法の範囲であったが、学級がなくなる中で、教員数の保障ができなくなっている。

 特別支援教育では、6.3%の「軽度発達障害」の子どもたちのほかに、不登校の子どもたちもいる。これへの対策について教委は「スクールカウンセラーがいるから別枠だ」という。しかし、「重なり」の部分には手が打てていない。私の資料を見てもらうと、いつから不登校児童が増えていったかをみると、面白い結果がわかる。京都では蜷川民主府政が倒れて、高校が類型化されてきたころから全国平均を抜いて不登校が増えてきたことがわかる。通常学級の中には、総合的にみて10%近くの配慮を要する子どもがいるのではないか。これが世界的に見ても妥当な数字である。日本は、「障害」ということで、率を少なくしか認めていない。障害がなければ、障害児学級をつくらないでおこうという動きになり、「一人学級はつくらない」などの行政的な目で行われている。今、ターゲットにされているのは、「一人学級」であり、それをつぶして担任をコーディネーター役にしようとしている。またコーディネーター役の仕事を、「ガイドライン」にあるような内容を、担任を持ちながら「やれ」というところもある。

 特別支援教育では、6.3%の「軽度発達障害」の子どもたちのほかに、不登校の子どもたちもいる。これへの対策について教委は「スクールカウンセラーがいるから別枠だ」という。しかし、「重なり」の部分には手が打てていない。私の資料を見てもらうと、いつから不登校児童が増えていったかをみると、面白い結果がわかる。京都では蜷川民主府政が倒れて、高校が類型化されてきたころから全国平均を抜いて不登校が増えてきたことがわかる。通常学級の中には、総合的にみて10%近くの配慮を要する子どもがいるのではないか。これが世界的に見ても妥当な数字である。日本は、「障害」ということで、率を少なくしか認めていない。障害がなければ、障害児学級をつくらないでおこうという動きになり、「一人学級はつくらない」などの行政的な目で行われている。今、ターゲットにされているのは、「一人学級」であり、それをつぶして担任をコーディネーター役にしようとしている。またコーディネーター役の仕事を、「ガイドライン」にあるような内容を、担任を持ちながら「やれ」というところもある。


 モデル事業から見えるもの
 
 京都府U市の例で言えば、地域に教育相談の案内を出したら、申し込みが殺到した。軽度発達障害の子もくる。対応できる人員をどう確保するのか。学生の教育実習を長期にして単位化するなどの対応をとる大学や、また地域ボランティアでやるという学校もある。また、小中の統廃合で場所をつくろうというものある。小泉「教育改革」の中で、養護学校の統廃合をして寄宿舎をつぶし、要員をリストラしていく。こういうことを教育の中でどんどん進めて行こうとしていく。この問題は、すべての教員の問題としていきたい。お母さんたちは、地域で子どもを育てたいという思いを持っている。しかし養護学校がなければ、障害児学級にいくしかない。また通常学級では「習熟度別」授業をやっていくから、担任はクラスの子どもを把握することもできず、そこに障害児が入ってくるから、たいへんということになってくる。父母と結んで教育運動を起こしていかなければならない。

 習熟度別授業については、「あんたはチャレンジ学級か」とささやかれながらも、それでも親は「習熟度別がいい」とか「通常学級がいい」とか言うことになっている。「LD親の会」の中では、「(障害児に)光が当たって良い。」という声もあるが、「パイの奪い合い」になってしまうのではなく、ある意味では困難だが、ある意味では大きな運動になりうるという取り組みを進めていかなければならない。

 また、「介護・支援」という言葉が使われると、「権利」という主張ができにくくなる。生活の視点、地域との連携の視点、権利としての教育、民主主義の視点、こうした運動が 求められている。ニーズとしての教育を保障させていくことが大切だ。

司会:引き続き、京都市の障害児教育の現状についてTさんから報告をしていただく。
 
Tです。具体的に学校でどのようなことが起こっているかを中心に話したい。京都市では、今年度1.5割〜2割の教育予算が削減されている。その中で養護学校が新設されたのは大きな意義がある。運動の成果である。しかし、中味には問題がある。

 市内すべての養護学校7校に、すべて「総合」という名前が冠された。それは「特別支援教育」につながっていくものだ。昨年までは、障害種別の養護学校だった。法律は変わっていないので、法的には障害種別の養護学校になっている。単に「総合」がついたのではなく、意図的につけられたものである。地域性ということで、市内を4校にわけて、中学校区別で近い養護学校にいくことになった。少し通学時間は短くなったが、それでも1時間を超える子もいる。「障害種別の枠を超えた全国初の総合性・地域性養護学校へ」と言われているが、新しい学校制度の一環で、法律を変えても位置づけていこうとしている。

 金を使って、リーフレット各種をたくさんつくって市民や保護者に対し「こんなに良い学校ができますよ」という宣伝がどんどん行われている。カラー印刷で、すごい金をつかってやっている。リーフレットを見て、「うちでこんなことができるんやて・・・」と驚く教職員がいる現状だ。すべてトップダウンで決められ、やられている。


給食「自校直営調理方式」から民間委託「クックチル方式」に
 
 これもたいそうなパンフレットができて、「給食が充実します」と宣伝している。Sという業者が請け負っている。校長やPTA役員は試食しているが、担任は試食もしないで実施を迎えている。給食調理員は校内にいなくて、業者(それもパート・請負)が調理補助のパートとして雇われて、「暖め直し」を時給***円でしている。給食費は変わっていないので、今までの給食調理員分の給料が業者持ちになり、事実上のリストラになっている。

 その中でさまざまなトラブルも生まれている。食べる者と調理する者は顔も合わせないし、給食も本当に「まずい」。(写真を見せて)これは何の献立だと思いますか? これは「焼きそば」だが、誰が見てもそうとはわからないし、(何だろう?と)考えなければならないというようなものになっている。これはさすがに後になって、業者も「失敗でした」と言ったという。しかし市教委や校長には謝るが、現場教師や子どもには謝ったという事実も知らされていない。もちろん保護者に説明やプリントもない。パンフレットでは「おいしい、楽しい給食」「好評を得ている」と宣伝されているが、いったい誰に好評なのか・・?

 子どもの中には、クックチル給食をいっさい受け付けなくなるとか、体重が減るとかのことが起こっているが、校内でもそのことを上(管理職)に言える体制にはなっていない。夏休みもいろいろな行事があるが、教師も「9月1日から(クックチル給食が)またある・・・・」とゲンナリしている。学校行事も、給食優先のために、養護学校4校が統一実施されるということになって、土曜参観も給食優先で4校同時に行うということになる。

新設の養護学校

 
 新設の養護学校は3つの棟があり、5階建てになっている。エレベータを使って教室を移動するが、もちろん児童が一度には使えない。また1階には教室がない。車いすの子も多いので、避難・火災のときはどうするのか・・。教育委員会や管理職は「火災などは他の棟に平行移動すれば良い。」というが、地震などのときはどうするのか。各階のベランダにでても、その場所には消防車が入れないから救出もできない。また校舎内で排気ができないので、教室もくさくなる。市教委は「(空気の汚れは)堀川通りと同じ」と言う。
 京都市総合養護学校の経営の手引きでは、「・・・より効率的で、効果がある。」ということが何度も強調されている。養護学校の経営の基本を「効率・効果」の追求に置いていることは明らかだ。
 教育課程編成の基準となる「学習指導要領」のあり方の検討が必要だ。教育委員会の言う『個別の指導計画』だけで、子どもの教育が保障されるのか。何かあると、担任が責めたてられて、担任は疲れている。ある養護学校では7人休職、また別の養護学校では4人休職。教員はゆとりをもって子どもと接することができないでいる。このことは、結局全部子どもに返っていくのではないか。それに講師の先生が大変多い。その人たちも担任を持たされている。
 京都市内はなぜこんなに教員が追いつめられてきて、教育内容が変えられてきたのか。市内では、6年ごとにどんどん変えられる(異動させられる)人事政策で、教育実践の積み上げが継承されないで、子どものための教育ができない。どんどん変え(異動させ)ても、新しく赴任した先生は「これをしなければならないことになっているんだから」と言われて、文句をいわずにやることになる。
 クックチル給食についての第二弾の署名に、みなさんの協力がほしい。

 
司会:質問・意見を含めて出していただきたい。
 
●自校の障害児学級は、7年前は2人から始まったが、3年目で4人になって、5年目から8人になった。「人的加配を」ということで市教委・府教委にも言ったが、何も返事がなくて、言われたのは「個別の指導計画を出しなさい」ということだった。今は全部で6名を担当している。一応担任は決まっているが、保護者の理解を得て集団(指導)でやっている。1人1人の児童に一対一対応を迫られている。6年間で担当する相棒が6人も替わってしまって、児童に十分に対応した教育ができないのと、保護者の願いに応え切れていない。児童の中には本来養護学校に行くべき子どももいるが、自校でみている。子どもたちと「さよなら」して、ホッとするのが午後4時で、それから会議も仕事もあり、明日の授業準備もほとんど家に持ち帰ることになる。来られている講師の先生も、全力で夜8時9時までも学校に残ってがんばるが、パタンと倒れたり、辞められたり、交代も多い。
 4月にやっと講師でない通常の担任になって喜んだが、その4月に親とのトラブルもあり、現在は休職されている。今は、良いボランティアに支えられて、やっとできている状態だ。これで、障害児学級が廃止されたら、子どもたちが通常学級でどれだけやっているのか、とても人権無視の話だ。

 
●私の学校では、校長と保護者の合意で簡単に育成学級に入れるようになってから、さまざまな子が学級に来ている。4年前に障害児学級が発足した。はじめは3名、今は8名になっている。多動・自閉・言葉が出ていない子も2人、アスペルガーの子も・・・・、学級が発足してから入学しているので低学年の子も多く、バライティに富んでいて、大変だ。
 市教委への保護者の要望も校長が止めてしまって、学校と保護者の関係も悪くなった。担任の相棒も、休職している。教師がバタバタしている中で、不登校になった子どももでた。認定基準がゆるくなったが、それはそれで必要だが、障害児学級が「ふきだまり」のようにされて、しかも子どもに見合った人的保障がない。結局ボランティアに頼ることでしかまわしていけない。私が思うのは、特別支援教育、通常学級も大変で荒れているのだが、普通学級にも特別な支援を必要とする子どもも多いと思われる。保健室登校もあり、空き教室などほとんどで子どもを見ているという状態もあり、どこもかしこも手詰まり状態になっている。M先生の報告での3本柱、「学級教育の充実」「支援教育の充実」「通級教育の充実」・・・しかし、このことをどれだけ市教委は認識しているのか。障害児学級の担任は、たいへん孤独である。学校の中でも相談相手もなく、児童相談所に相談したくても多忙である。だから支援のネットワークは大変必要である。最終答申には、虹色のことが書いてあるが、現状は余りにもお粗末で、子どもの教育を保障することになっていかない。学校の校務分掌では人権教育の中で特別支援教育の主任があるが、この子をどうするかという話にはなっていかない。

市教委は研修で特別支援教育主任の研修をして、それは障害児学級担任とは別で、障害児学級がなくなれば、前記の主任に責任を持たそうとしている。

 
●府内からきている。養護学校から障害児学級に代わって1年目。中規模校で2クラスずつある小学校。情緒障害など4人で2クラス。毎週、校内の教職員と交流している。そして課題を共通理解している。教職員の中で児童の交流はできているのではないか。対象児がいるので、障害児学級を閉級したらたいへんと、校長も認識している。スクールカウンセラーも毎週来てくれる。京都市の児童相談所にかかっている人も、相談しようと思えばたいへん長い時間を待たなければならない。南部の養護学校に行っていた頃を考えると、クックチル方式というのは、たいへんひどいことだと思う。こういうふうになっていったら、給食を楽しみにしている子、生きることにもかかわっている子に、打撃をあたえてしまう。

 
●教育相談をしているが、最近の相談は増えている。小学校中学年のADHDを持つ母親の例。子どもは通常学級にいるが、担任の女の先生も四苦八苦している。本人は給食時間に友達と2人で本を読むのが楽しみだと言う。母親は、自分の親の介護もし、さらに子どもに障害がある。親の苦しみは大きい。しかし担任の先生も大変で、たいへん忙しく、廊下で話す程度しかできない。養護の先生と話して、そこから伝えてもらっている。できれば養護の先生を2人ぐら配置してそういう子どもや親に対応してほしい。また、「同じ障害をもった親同士で話をしたい」という親の要望もある。そういう親の会の紹介もしてあげたいと思う。先生方に繰り返して言うが、そういう親は「先生は冷たい。もう少し暖かみを持って接してほしい」と思っている。教師は「(親の)子育てがなっていない」と言う。先生にお願いしたいのは、忙しくても時間をとって親の話を聞いて、じっくりと話を聞いて対応してあげてほしい。今日の職場の話をきいたら、先生は本当に大変だと思うが。

 
●相談活動をしている。大阪である親が「特別支援教育あるが、障害児学級なくなるか心配」との話だった。たまたまそこにいた(市教委側の)人が、「悪いものではない。一人一人にきめこまかな支援がある」と言う。親は安心した。私は「そんなはずはない。やはり具体的な話を聞かないと・・。」と思った。

 
●障害児学級で一人担当している。自分が人権を束ねた委員会を持っていて、特別支援教育の担当にもなっている。研修には教務主任が行っている。彼のクラスも問題があってそれにも対応しなければならない。「個別の指導計画を立てろ」と言われている。しかしそれにばかりかかっていられるわけではない。書類をつくって、直して、実態とどう合わすのかということもあり、たいへんである。小さい学校だが、けっこう忙しい。

 
●育成学級がどうなるのか。当初は「固定式学級はなくしていく」としていたが、校長会や他に反対が強くいったんは撤回したが、これが今後どうなるのか、どういう報告がでてくるかによる。しかし、これは力関係による。障害児学級の廃止を出させてはいけないし、出ささない運動を展開する必要がある。通常学級できめこまやかに対応できるような体制は、つくられていないし、今後つくられるという見通しもないし、むしろ悪くなる可能性も高い。

 
●市教委の研修などで「障害児学級がなくなる」ということが意図的に流されている。実際は、そうした方針は出されていないのに、「先取り」されている。そうすると親や学校は、「(なくなる障害児学級を)今更作っても・・・・」ということで、障害児学級新設の運動も消えてしまっていく。

 
●学童保育所での矛盾もある。健常児と障害児との混在する集団の中で、どのような対応が求められているのか。そこの所の研究がまだほとんどされていない。京都発達研究会の田中昌人さんの講演もあるので紹介したい。京都府・市教委の人権無視の施策の中には、子どもの発達についての理解が全くないと思う。

 
まとめ

宮嶋邦明:
感想的なことしか言えないが2つ言いたい。
 状況的な厳しい局面は、いろいろな場所で直面しているし、共通している。それを前提にして、教育と教師の役割の基本は、子どもの発達・成長を援助し、奉仕すること。そこの原点を忘れるわけにはいかない。親も教師も出発は共通している。しかし現状は、そのとおりいかない。子どもたちと接して、子どもの見せる笑顔とかに接することができれば、それを通じて元気をもらえるのではないか。

 親と教師との関係では、親は多様な要求を出してきたり、過大・一方的な要求の場合もあるが、まず教師が親の話を聞いて、受け止めてもらえないかということがある。私もそうだと思う。そういう場が学校になければ、どうしようもなくなる。

 次に、どうやって打開するかということだが、担任もわかっていると思うが、精神的・時間的に余裕がない。どうやって、受け止められる条件をつくるのか。相談できる場がある、親の声を聞くことができる条件をどうつくるのか。

 2つ目は、京都市教委のクックチル給食には改めて憤りを感じるが、多面的にそういう実態が進行していると思うが、パンフでいいことを言っているが、実態はこうだというギャップが余りにもひどすぎる。実態をどうやって暴露し、告発していくのか、ということが求められている。
 
司会:怒りを持って取り組んで行きたい。今日の分散会には、議員も2人参加してくれているので、そうした人の力も借りながら進めたい。

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