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京都教育センター第36回夏季研究集会
               第八分科会 記録(要旨)

 「ことばの力」「国語の学力」の現状と問題点を深めよう

                     *教科教育研究会国語部会*
 
 ここに掲載した記録は、2005年8月27・28日に開催された「京都教育センター第36回夏季研究集会」の中で行われた分科会・分散会の内容を当日の記録にもとづいて京都教育センター事務局の責任でその要旨を編集したものです。文責は、京都教育センター事務局にあります。


 国語教育は、その「空洞化」がますます進む現状の中で、PISA調査などにみられる国語の「学力低下」の問題にもかかわり、「ことばの力」「国語の学力」についての論議を深めねばならない課題に直面している。

 今年の第8分科会では、その「課題」にもとづいて、標記のテーマでの報告・提起と討論を進めた。


1.国語の学力低下をどう見るか

 国語部会事務局の浅尾が提起をした。その要旨は、次のようなものである。

 「国語の学力低下をどうとらえるか」という問題は、当然の事ながら、「国語教育をどう考えるか」という本質的な問題を基本としている。私たちは、「指導要領・国語科」の国語教育観について、これまで一貫してその「言語技術主義」偏重を批判してきた。そしてこの言語技術主義は、その領域構成が表しているように、「聞く・話す・書く・読む」という、言語活動を繰り返せば言語が習得され、力がつくといったもの(言語活動主義)であることを批判し、それでは言語操作の技能だけに集約されてしまう(言語技術主義)ことを指摘し、それを乗り越え、「ことばの力」のつく国語教育実践を提起してきた。

 この提起は、「国語教育・三分野説」として、国語教育を「言語教育(説明文教育をふくむ)」「文学教育」「作文教育(綴方教育)」として構想し、それぞれの独自性を大切にしながら、「ことばの力」をつけていくことが子どもたちの人間的な成長(人格形成)につながる教育としての国語教育となることを考えてきたというものである。

 ここに来ての「国語の学力低下」の問題は、このように「学習指導要領・国語科」の基本的な問題が、極端に露呈していくような状況へと進められていったことが基本的な問題である。文科省は、またもや、その責任を現場教師におしつけつつ、「朝学習・宿題・補習、そして土曜授業の復活」などの「量的対応」に明け暮れようとしているが、大切なのは、「質的検討」である。

国語の力、何が「低下」しているのか

 OECD国際学習到達度調査の結果は、とりわけ「読解力」の低下を示している。まず、それだけでなく、自分の意見を「表現する」ことの低下も進みつつあることも見落としてはならないまた、それをうみだした原因を羅列的に挙げると、次の8点に集約される。

(1)指導要領・国語科のもつ、「内言」を切り捨てた本質的な問題点 

(2)「新学力観」と国語教育の活動主義・技術主義の偏重

(3)「総合的な学習の時間」と国語科の変質

(4)「伝え合う力」の強調による歪み

(5)国語の「基礎・基本」を「話す・聞く」とした問題

(6)国語教科書の雑多教材の増加という変化

(7)言語・説明文・文学・作文分野の教材の大幅な減少

(8)少人数授業と「習熟度別編成」による国語の授業の空洞化

(9)教師達の創造的な実践が大切にされていない現状

                              *各項目の詳細については、省略。


「低下」の本質をどうとらえるか

 これまで述べてきたように、「低下」が起こるべくして起こった状況が進んできた。「言語観」「内容」「体制・形態」「方法」など、それは「全面的に」といっていいものであることに、その深刻さがある。つまり、「低下」しているのは、「学力」だけなのか、あるいは問題となる「学力」とは、点数で表れるものだけではなく、人間としての力、「人間力」そのものではないかということを危惧せねばならないのではないか、と思う。 国語の学力低下を克服するには  このように見てくると、0ECD国際学習到達度調査結果が示したものは、単に「読解力」と「表現力」のみの低下であるとは考えられません。それは、国語教育そのものの「空洞化」そして「崩壊」への方向での変化の結果であるととらえることが必要なのではないか。

 今まで分析してきたことをもとに、私は、その克服については、国語教育全体について、次のような点を大切にしていくことではないか。

(1)国語教育が母語の教育として、人間的成長をことばの力を伸ばすことで実現していく教育であることをおさえた「言語観」を基本に置くこと。

(2)国語教育の構造を、「言語教育・説明文教育」「文学教育」「作文教育」としてとらえ、その実践を豊に進めていくための教材を保障する。

(3)さまざまな実践・研究の成果を正当に評価し、それらを集約して、国語教育実践にとりくむ基礎・基盤を創造する。

(4)言語の教育についての、体系的系統的な構造を見直し、基本となる「表記(文字・表記法)」「語い」「文法(品詞・構文)」の教材を保障する。

(5)言語についての学習をふまえた説明文教育・論説文教育の実践を進め、「論理としてのことばの力」をつけていくことをめざす。

(6)文学教育において、豊かで優れた作品(教材)で、形象を読むことを中心においた授業を大切にし、「形象としてのことばの力」を培っていくことをめざす。

(7)作文教育において、「生活に根ざす」ことを大切にし、子どもたちが表現したいことを、正しく豊かに表現できる力をことで、「生活としてのことばの力」を伸ばしていくことをめざす。

 この提起を受けて、論議が深められたが、基本的には提起を踏まえつつ、具体的な現場の状況や国語教育の現状をおさえての意見が多かった。

2.京都の各地で実施されている「学力テスト」を検討する

 午後の分科会は、現在京都の各地で実施されている「学力テスト」をもちより、その内容や実施の方法、その結果などについて論議をした。

 現在、全国で「学力テスト」の実施が広がっている。しかし、それが本当に子どもたちの力を正確につかむものであるのかどうか、また、それによって子どもたちの学力を伸ばす条件や環境が整えられるものになっているのかどうか等について、検討がいるのではないか。

  国語のテストの場合、その検討の視点として、
@ 構成されている「問題」が国語科(言語・説明文・文学・作文)として、妥当であるのか。
A その構成が分野のバランス、さらに分野での領域のバランスがとれ、総合的に学力をつかむものとなっているかどうか。 が、基本となるだろう。

 さらにまた、それが「学力」を把握するものとしての本質的な意味からはずれ、「教員評価」などに短絡的に結びつけられたり、「学校格差」を助長するもの(例えば、校区選択の資料に使われたり)として使われる事への「監視」も、現実には必要になってくる。

 そんな観点から、「資料」として、 ・京都府下で4,6年生全員に実施されている「基礎学力診断テスト」 ・京都市内で実施されている「学力定着調査」 ・府下各地で多く実施されている「教研式標準学力検査」(CRT) などの問題を持ち寄って、みんなで分析しつつ、どのように実施されているのか、どのような結果が出ているのか、その結果何が起こっているのかなどを論議した。

 詳細にわたる分析は、今後の課題であるが、それは、今後さらに深めていきたい。

 今年の分科会では、このような提起と論議があった。教科教育研究会国語部会では、これらの成果をもとに、国語教育の全体的な課題についての論議ととりくみを進めていきたい。


 
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