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京都教育センター第36回夏季研究集会
               第六分科会 記録(要旨)

 「教育改革の動向と義務教育制度−財界の教育提言や国の施策と宇治市の小学校統廃合−」


                        (市川 哲(京都教育センター地方教育行政研究会)
 
 ここに掲載した記録は、2005年8月27・28日に開催された「京都教育センター第36回夏季研究集会」の中で行われた分科会・分散会の内容を当日の記録にもとづいて京都教育センター事務局の責任でその要旨を編集したものです。文責は、京都教育センター事務局にあります。


はじめに

 今次の「教育改革」には、教育を経済のグローバル化に対応させようとする動機と、「失われた10年(+α)」の中で破綻が露呈した国と地方の借金まみれの財政構造を闇雲に「改善」しようとする動機が混在して存在する。そして「何でもあり」の規制緩和や多様性と選択をうたう「新自由主義」が二つの動機を包み込み、結びつけている。

 第6分科会では、経済のグローバル化に教育を対応させようとする財界の教育提言や国の施策を先ず検討し、次に1500人を超える小中一貫校という、「とんでも計画」による宇治市の小学校統廃合問題を討議した。もちろん後者は子どもたちへのしわ寄せで強引に財政危機の「改善」を図ろうとするものである。


T 財界の教育提言や国の施策

 未来社会を描くことは簡単ではない。かつてP・ドラッカーは「基本的な経済資源」(生産手段)が土地や天然資源、資本ではなく、「知識」となる「知識社会」を未来社会像として提示した(P・ドラッカー著『ポスト資本主義社会−21世紀の組織と人間はどう変わるか』)。それは知識を使うことが付加価値を創出する本流となる社会であり、それを担う知識労働者(knowledge worker)が社会の中心的な地位を占めるとされる。

  このような社会が訪れるかどうかは不明だが、近年のコンピューターを含む情報通信技術(Information and Communication Technology)の発展をふまえるならば、未来社会は情報や知識が今以上に重要性を増す社会となるであろうことは想像に難くない。そうした社会を科学技術庁『平成11年度 科学技術の振興に関する年次報告(概要)』(2000.6)は「知識基盤社会」として定義し、それは「知を基盤として持続的に発展していく社会」(科学技術・学術審議会人材委員会資料、2004.6.23)であるする。 「知識基盤社会」では、どのように「知識労働者」は教育されるのか、「知識労働者」となることができる教育機会が誰にでも保障されるのか、また情報や知識にアクセスし、それらを取得し、必要ならば新たに書き加える能力、すなわち情報社会、知識社会におけるリテラシーを誰もが獲得できる教育をどのように構築するのか等々、従来の思考の枠組みを超えた論議や教育運動も求められているように思う。そうした問題意識を根底にもちながら財界の提言や文部科学省の教育政策のいくつかを報告した。


(1)財界の基本戦略と教育要求

  1)「奥田ビジョン」(2003年1月1日)

 日本経団連の『活力と魅力溢れる日本をめざして』は「奥田ビジョン」と呼ばれている。これは「2025年度の日本の姿を念頭においた新ビジョン」とされ、財界サイドの構造改革の実行を小泉内閣に強く迫るものである。しかし『前川レポート』(1986年)や『樋口レポート』(1999年)で出そろった改革案が店ざらしになっていることへの「いらだち示す」(「奥田ビジョンを読む」神戸女学院大学・石川康宏)ものでもある。

 「奥田ビジョン」は「国民が新しいかたちの成長や豊かさを実感でき、また世界の人々からも『行ってみたい、住んでみたい、働いてみたい、投資してみたい』と思われるような『活力と魅力溢れる日本』に再生していくために必要な改革提案と、それを実現するための日本経団連の行動方針を示している」とし、東アジアを足場にグローバル競争に勝つことをめざし、国民の福祉や教育、医療を切り捨てた「小さな政府」のもとで新自由主義的な構造改革をさらに推し進める内容である。また「『活力と魅力溢れる日本』への道のり」では「個人の能力や個性に合った教育を選択できる」として「競争原理の導入による多様な教育サービスの提供」があげられている(消費税率を毎年1%ずつ引き上げ「最終的には16%にする」ことも明示されている)。

  2)『21世紀を生き抜く次世代育成のための提言−「多様性」「競争」「評価」を基本にさらなる改革の推進を−』(2004.4.19)

 これは社会の「多様性のダイナミズムを引き出すためには、自分の得意分野を持つ多彩な個人と、社会の諸分野で活躍するリーダーが必要になると指摘し、そうした人材を育成するために、均質性を重視してきたこれまでの教育のあり方を根本から見直すことを求めた」「奥田ビジョン」を教育の分野で具体化するための提言である。

 その現状認識は「資源の乏しいわが国にとって、競争力の源泉は人材」であるとした上で、IT化、グローバル化の中で競争を勝ち抜くためには「今こそ、教育を国家戦略の重要な柱として位置付けることが必要」であるとしている。そのうえで「わが国社会が誇ってきた倫理観を改めて身につけ、あわせて自国の文化や歴史などの教養をしっかり持つこと」、「与えられた知識だけに頼るのではなく、ものごとの本質をつかみ、課題を設定し、自ら行動することによってその課題を解決していける人材を育成すること」、「教養を備えた各界におけるリーダーの養成」が競争に勝ち抜くために必要であるとする。

  また産業界は「志と心」、「行動力」、「知力」の「3つの力を備えた人材を求めている」が、「すべての生徒・学生に、この3つの能力を完璧に満たすことを期待している訳ではない」として、3つの力のバランスは「各人の個性」であるとする。これは結局、「伸びる子は伸ばし、そうでない子はほどほどに」という教育観を「知力」に限定せずに表現したものと考えられる。

 なお、「大胆かつスピード感ある改革の必要性」を強調しており、そこでは「改革に向けた考え方」として「均質性を重視した教育からの転換を図る」、「公教育の世界に新しい風を入れる−外部の人材やノウハウを活用」、「教育行政の方向性−「多様性」「競争」「評価」」として「「多様性」に富んだ教育に向けて現場の裁量を拡大する」、「「競争」と「評価」を基本に現場の取り組みを促す」があげられている。

  さらに「具体的な政策課題」として「初等中等教育」では「学級編成基準の弾力化や特区などの地方行政や学校の裁量」の拡大、「学区制の自由化(学校選択制の導入)による競争、学校評価の導入など、民間的な考え方が教育界にも導入されつつある。こうした改革をさらに加速させ、全国に広げる」「前述の3つの力(志と心、行動力、知力)は、初等中等教育段階からの積み重ねを通じて養われることから、通常の教科における授業においてはもとより、総合的な学習の時間等を有効に活用して学校や教員の独創的な取り組み、授業改革を進めることが必要」「「唯一の正解」を教える授業方法を改革していこうという動きが広がっていくことを期待したい」とし、あわせて教育委員会制度の改革が取り上げられている。

(2)文部科学省の提言や施策

  1)『義務教育の改革案』(2004年8月10日)

 これは「1.義務教育制度の弾力化」「2.教員養成の大幅改革」「3.学校・教育委員会の改革」「4.国による義務教育保障機能の明確化」についてふれており、1については「 義務教育の役割を再確認し、その到達目標を明確に設定」「 小・中学校の区切り方や小中一貫の導入など、義務教育の制度を弾力化し、地方が多様な教育を主体的に実施」がふれられている。また2については 「教員養成のための専門職大学院などの設置」「教員免許更新制の導入」が提案されている。3には「保護者・住民が学校運営に参画する「学校評議員」「学校運営協議会」の全国化」「学校評価システムの確立と教員評価の徹底」「教員人事、学級編制についての地方・校長の権限強化」「教育行政の責任ある担い手となるよう、教育委員会の在り方を見直し」が、4には「国の基準を必要最低限のものに見直し、地方が創意工夫を生かして義務教育を実施」「義務教育費国庫負担制度については、義務教育の根幹を支える財源保障としての役割を明確にし、地方の自由度を更に高める観点から改革」が述べられている。

 いわゆる「三位一体改革」による義務教育費国庫負担制度との絡みで4については全国知事会等の地方の動向もあり、先行きが不明であるが、その他の項目はすでに実施されたり、あるいは具体化のために中教審に諮問されたりしており、ほぼ今日の教育改革のありようを示すものである。

 2)『甦れ、日本!』(2004年11月4日)

 これは中山文科大臣が内閣府の経済財政諮問会議(後述)の求めに応じて提出したものである。

  「このままでは東洋の老小国へ」という現状認識(「1.危機的な日本の現状」)のもと、「2.諸改革の基盤となるのは人材−教育改革の重要性−」では「〜知力、体力、品格、教養〜 日本は人材こそが資源」であるとし、「3.国家戦略としての教育」では「国際的「知の」大競争時代、各国とも国家の命運をかけて教育改革を推進」、「4.教育改革の方針」として「(1)頑張ることを応援する教育」「(2)義務教育の改革 −2年で仕上げ− @教育基本法の改正 〜新しい時代の日本人像〜、A学力向上 〜 世界のトップへ  〜競争意識の涵養、全国学力テスト実施、B教員の質の向上〜教員免許更新制、専門職大学院、C現場主義〜人事・予算など、市町村(広域)の権限強化、学校評価制度の確立、D義務教育費国庫負担制度の改革 義務教育は国が基本的な基準の設定、水準の確保、機会均等を実現 地方の自由度を高め財源を保障する」とし、あわせて「(3)教育改革の標語」「<子ども> ・くじけるな ・ウソをつくな ・弱いものいじめをするな」「<大人> ・ほめよう ・叱ろう ・励まそう」を掲げるというものである。

  「国家戦略としての教育」は『21世紀を生き抜く次世代育成のための提言』を受けたものであり、全体としてグローバル時代、「知」が重要性をもつ未来社会に向けた財界の人材要求にそう文章であると考えられる。先の『義務教育の改革案』同様、具体化がすでに図られているものや着手が予定されているものがほとんどである。

 3)『義務教育特別部会における審議経過報告』(2005年7月19日)

 最後にごく最近の文章を見ておく。これはこの2月に中教審の総会直属の部会として設置された義務教育特別部会の審議経過報告である。同部会は「(1)義務教育の制度・教育内容の在り方、(2)国と地方の関係・役割の在り方、(3)学校・教育委員会の在り方、(4)義務教育に係る費用負担の在り方、(5)学校と家庭・地域の関係・役割の在り方」の5点を対象に審議を行っている。 その中から(1)に係わるところを一部抜き書きしておく。

  「1 新しい時代の義務教育を創造する −基本的な視点−」では、教育基本法の趣旨に基本的には基づいて「民主的、平和的な国家・社会の形成者として必要な公民としての資質を育成」が義務教育の重要な役割であると述べている。その上で「「我が国が、今後とも活力を持って競争力を維持するため、また、高い知性の国民が形成する文化国家として発展するためには、そのような国家・社会を担う優れた人材を育成することが重要である」「資源に恵まれない我が国は、教育を通じて人材育成を充実することが何より重要である。国際的に知の大競争時代の今日、諸外国に遅れをとることなく、人材育成の基盤である義務教育の質の向上に国家戦略として取り組む必要がある」としている。

  そうした義務教育を実現するために国がとる「戦略」は「@ 国際的に質の高い教育の実現を目指す」「A 教師に対する揺るぎない信頼を確立する」「B 現場の主体性と創意工夫で教育の質を高める」「C 確固とした教育条件を整備する」である。

 @に係わっては、義務教育の到達目標を明確化するために「義務教育9年間を見通した目標の明確化を図り、学校教育法に規定することを検討する必要があると考える」、教育内容の改善については「将来の職業や生活への見通しを与えるなど、学ぶことや働くこと、生きることの尊さを実感させる教育を充実し、学ぶ意欲を高めること」と職業との関連が強調されており、学習指導要領については「各教科の到達目標を明確に示すことが必要」とされ、「総合的な学習の時間の役割は今後とも重要であるが、同時に、授業時数や具体的な在り方については再検討が必要」「国語力はすべての教科の基本となるものであり、その充実を図ることが重要」「科学技術の土台である理数教育の充実が必要」「全体の見直しの中で、それらの授業時数の在り方について検討する必要がある」などの指摘がされている。なお「小学校段階における外国語教育」「情報リテラシーを高める教育」にも言及されている。

  その他「あるべき教師像の明示」養成、採用、研修、評価等の各段階を通じた「教師の質の向上」、「首長と教育委員会の権限分担の弾力化」や教育委員の中から教育長を選ぶ現行制度検討など「教育委員会制度の見直し」などにもふれている。

U 宇治市の小中一貫校導入問題

(1)45学級、1500人を超える小中一貫校

  児童生徒数の減少にともなう学校のあり方を検討してきた「宇治市学校規模適正化検討懇話会」は、2004年10月の「中間答申」で西小倉地域の3小学校と西小倉中学校を統廃合する小中一貫教育のモデル校設置を提言した。そして、この3月には小中一貫校を西小倉地域だけではなく、将来的には東宇治、南宇治地域でも設置する最終答申(以下「答申」)を出した。学力低下やいじめ、不登校、「学級崩壊」などの「心の問題を始め多くの課題」の背景には「小学校と中学校の接続のあり方が重要なポイント」としてあるとし、小中一貫教育導入ですべてが上手くいくかのように描く「答申」の論理は強引である。

 「学校教育法施行規則17条」は「小学校の学級数は12学級以上、18学級以下を標準とする」としている。この規定は学校の「設備編成」に関する規定であり、子どもの発達のための教育上の視点からする「適正な学校規模」ではない。しかも「地域の実態その他により特別の事情」がある場合は、それ以下の小さな規模の学校の整備も可能である。したがって小規模校もありうることを前提に、「12学級以上、18学級以下」を一応のメドとするのが児童生徒数の減少にともなう学校のあり方を考える基本姿勢というべきである。

  ところが「答申」はかつての「宇治市学校規模適正化検討委員会」の「検討のまとめ」が述べる「小中学校とも18学級を適正規模の基準としつつ、18学級以上でかつ過大規模校にならない規模とする」という「見解を尊重することにした」という。子どもの学習条件にとって重要である学校規模の問題は、行政の「前例踏襲」の論理に似た、単に過去の「見解」を尊重するということで片づけられてしまった。その結果、西小倉地域の小中一貫校は、年次ごとの児童生徒数の動態から、一時的に45学級、1500人を超える規模が予想される。これをも「18学級以上でかつ過大規模校にならない規模」の学校とするところに、宇治市における小中一貫校導入問題の本質が隠されている。

(2)小中一貫教育の実態

 全国に先駆けて2006年度に誕生する東京都品川区の小中一貫校(小学校1学年3学級、中学校5学級。学校規模は23学級。なお品川では学校選択制もあわせて取り入れられている)について、少し資料が古いが見ておく。

 そこでは「基礎・基本の内容を確実に定着させる授業のほか、子ども達一人ひとりの多様な資質や能力を踏まえ、それを系統的・継続的に伸ばすため、小学校と中学校の垣根を越えた柔軟な学習計画や学習内容に基づいた授業」(「小中一貫校開設準備ニュース bP」)がおこなわれるとされる。

 4−3−2制をとる9年間のカリキュラムは、小学校1年生から英語教育が導入され、次の3年間は中学校のように教科担任制をとり、「子ども達の個性や能力を育む」(見極め?)、そして最後の2年間は「ステップアップ学習」として「個々の子どもたちがもつ特定分野の優れた能力を引き出す。また、年齢を超えた学習集団の編成、習熟度別学習や課題選択学習の選択、上級学年の学習内容も視野に入れた発展的学習をおこなう」(品川区教委「品川区における小中一貫教育の基本的な考え方」)。

 こうした小中一貫教育には、教育を格差化してエリートを生み出す教育であるとする批判がある(佐貫浩「品川区の小・中一貫校について」、「品川の小中一貫校構想について―学校教育に格差と混乱を生み出す無謀な実験―」:http://www.jcp-shinagawa.com/report/05/参照)。

 いわゆる「教育特区」(小泉構造改革による「構造改革特区」の教育版。「構造改革特区」とは、社会経済の活性化のために地方公共団体や民間業者のアイデアをもとに、特定地域に限って規制を緩和し、それを実施するもの。いわば一部地域を法規の適用除外として「治外法権」を許すもの。「よい成果」を上げたものは、全国的に広げられることになっている)を用いて、学習指導要領の規定を超えて小中9年間の独自の教育課程を編成する小中一貫教育、小中一貫校を設置する「特区」が品川区以外にも、北海道三笠市、三重県津市、奈良県御所市、その他でも実施されている。

 京都市もその一つであり、大宅中・大宅小、陶化中学校・陶化小学校・東和小学校・山王小学校の2ゾーンで小中一貫教育がめざされている。後者では昨年度から6年生に英語科が、また今年度は3年生から5年生までに年間15時間〜20時間の英語活動が実施されている。

(3)小中一貫教育をすすめる文部科学省のねらい

 こうした地方の動きを奨励し、後押しするのが文科省である。中教審「義務教育改革の内容とスケジュール案」(2004.09)や河村文科大臣が経済財政諮問会議に提出した「義務教育の改革案」(2004.8)で小中一貫校の制度化や義務教育の弾力化がうたわれ、中教審「義務教育に係る諸制度の在り方について」(2005.1)では「小中の一貫教育について積極的に検討すべき」であるとされている。

 小中一貫教育のねらいは「理解が早い児童には早く中学校の学習内容に入らせたり、理解が遅い児童には徹底して小学校の内容を教えたりする」(「読売新聞」2003.1.6)ことであり、推進に込めた文科省のねらいには能力に応じた教育、すなわち小学校、中学校段階から競争と選別を強化し、“できる子は伸ばし、そうでない子はほどほどに”という格差をつける教育の推進という面がある。

(4)宇治市の小中一貫教育の問題点

 宇治市の「答申」は「小学校高学年から中学校進学時に生じる子どもたちの心理的不安を軽減し、義務教育9年間を見通した教育課程を編成し、系統的・継続的な教育活動を展開できる」ことや「異年齢集団による多様な活動などを通して豊かな人間性や社会性をはぐくむことができる」ことを「基本」にして小中一貫教育、小中一貫学校を考えるとする。しかし、そうしたメリットらしきものも45学級、1500人の超大規模学校もありとする現実の前では色あせてしまう。

  今日、生活や家庭、地域の状況が変化する中で困難を抱える子どもたちが増えてきている。多人数の学校はそうした子どもたちに丁寧に接することを難しくするだけではなく、新たな困難を生み出す可能性をもつ。例えば、子どもたちが帰属意識を持ち、仲間意識を高めるための行事は、45学級、1500人の学校では一堂に会する場を確保することすら困難である、また規模が大きくなることで子どもたち同士の人間的な交流をもつ機会が減り、人数が多すぎることで子どもたち同士の係わりに新たな問題が生じることが考えられる、さらには9年間という発達段階の異なる子どもが多数生活することは、小学校高学年がもつ困難性と中学生の不安定な時期の課題が交わり、干渉しあう問題が起こることが考えられる、等々。

  「答申」も中学生を含む異学年が混在することに「小学校低学年が威圧感を感じたりすることも考えられる」と問題点をあげてみせる。しかし、それに対しては「教員の積極的な指導」や「学校建築」の工夫で「解決することができると考える」とはなはだ楽天的である。さまざまな問題が考えられる大規模小中一貫校にともなうマイナス面を、技術的なことや教員の努力で乗り切れると弁を弄するのはあまりにも無責任である。しかも現場の教員が工夫し、主体的に作り上げることが求められる教育課程や指導方法、さらには「教員の積極的な指導」を可能とする条件整備については現場教員の声を聴く機会すら設けられていない。

(5)「答申」のねらいは教育費削減

  小中一貫校は親や住民の大きな関心事であり、かつ不安を覚える問題である。そうであるにもかかわらず、「西小倉の小中一貫校を考える集い実行委員会」の出席要請に、市教委は業務多忙を理由に欠席した。説明責任と透明性の確保は、最近行政が折に触れて強調し、学校現場に求めることであるが、あらゆる機会を活かして説明を尽くすことが行政にも求められることを銘記すべきである。

 多くの問題が指摘されるにもかかわらず強引に中高一貫校設置をすすめる背景には、子どもたちのためというポーズをとりつつ、実は財政的な動機強く働いていると考えられる。

 例えば、一貫校にすれば4校の耐震化工事や建て直しにかかる費用が1校分の費用ですむ、また一貫校にすると小規模校のまま3校を置いておくよりもクラス数が減るので教員数を減らせる(例えば、別々の3小学校の1学年に41名ずつ子どもがいると各校2クラスずつで総計6クラス、6人の担任が必要だが、1校にまとめると計123名で40名定員だと4クラス、4人ですむ。もちろん校長や教頭の数も減らせる。ただし現在は教員給与の負担は国と府が半分ずつであり、教員給与に関する宇治市の負担は無い。学級数を減らし、教員を減らすことに国や府の意向が強く働く可能性が考えられるところである。もし「義務教育費国庫負担法」が改悪され、教職員給与費が一般財源化されたり、さらには一定規模の市に一部交付されるようになると、教職員数を減らすことは府や市にとって直接の財政的メリットとなる)、また、各校に配置されている校務員や給食調理員等の数も1校にすると減らすことができ、これは宇治市の負担減に直接結びつく。さらには教員に小中兼務がさせやすくなり、これも教員数の減につながる。もちろん廃校後の跡地は売却を含めて有効利用できる、などである。

 「答申」は「むすび」で地方の自主性が高まる中、「財政逼迫を踏まえた市民・納税者の納得できる効率的な教育行政、財政を前提とすべきこと」をふまえて中高一貫を考えたこと、さらに義務教育が今後地方に委ねられるが「同時に、地域開発や住民福祉等、限られた財源をもって市町村が果たす課題は少なくなく、住民・納税者のコンセンサスを形成しつつも、より合理的で費用効果の大きい選択を行政当局は求められていることも確か」だとあけすけに述べている。その上で「答申」は「よりマクロで客観的な判断や評価が市民に求められている」と市民に45人学級、1500人の巨大規模校の受け入れとその結果に対する責任を求める。

  確かに限りある財源の中での住民サービスであり、効率性や費用対効果を考えることも必要である。しかい「答申」が提案する45人学級、1500人という巨大規模校が果たして「子どもの最善の利益」(子どもの権利条約)を第一義的に考えて出てきた結論であるのか、また財源確保のためならば子どもたちの教育が劣悪で、貧困な教育条件の下でおこなわれても良いと考えるのか、「判断や評価」の是非が問われているのは、実は懇談会と市教委なのである。

(以上の論考は、Tは市川が、Uは東 辰也:宇治久世教組 がそれぞれ報告したものをもとに、いくつかの資料をくわえ、市川の責任でまとめたものである)

 
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