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すばらしい京都の保育システム


                  トゥイ ドゥオン ディン




  私は修士課程で学ぶために、三年間娘と二人で日本で暮らしました。その間私の夫は他の国で働いていました。それは私だけでなく娘にとっても、まさにうち続く困難と取り組んだ三年間でした。いまはもう京都におりませんが、当時の生活の大変さと同時に、京都の人々の素晴らしさを実感しています。そのころのことを考えると、私と娘が出会った日本の人々のたくさんの笑顔や、私たちが必要としたときに差し伸べられたたくさんの手助けが思い出されます。その上、もし京都の素晴らしい保育システムがなかったら、私は京都で修士課程を無事に終えることができなかったのではないかと思っています。

 最初私が京都大学で学ぶことを選んだのは、京都大学が素晴らしく評価の高い大学であるということと、私の先生の推薦があったからです。しかし、私が日本で学ぶ理由として、もう一つ重要なことがありました。それは、留学に娘をつれてくることができるということでした。アメリカやヨーロッパに留学した場合、子どもの保育費用に奨学金の半分から四分の三もかかってしまい、これでは生活ができません。日本では、収入のない人の保育費用はとても安く、日本政府からの支援とあわせると、まったくお金がかからずに済みました。それに加えて、日本では、とくに京都の保育サービスはとても良いものだったということも、言っておかなくてはなりません。京都大学の修士課程はとても厳しく、みんな競い合って勉強します。さいわい私は娘を保育園に送り出したあとは、娘のことで心配することはなにもなく、全力で研究に集中することができました。

 二〇〇七年の桜の季節に二歳の娘を京都に連れて来たとき、私は京都大学の修士課程の一年目でした。そのとき娘はまったく日本語が分かりませんでしたが、私が研究室で報告を行わなくてはならなかったため、日本に来て三日目には一日中保育所で過ごさなければなりませんでした。その後も一週間くらいは私が出かけるときに娘はずっと泣いており、私は娘を置いていくことに強い罪悪感を感じました。ありがたいことに先生はとても愛情をもって、娘のためによく考えて世話をしてくれましたし、娘が新しい環境に早く慣れるよう手助けをしてくれました。この先生たちのように(あるいは日本人のように)、勤勉で心をこめて働くのは世界のどこにもいないと思います。また娘は先生たちからお絵かき、歌、折り紙だけでなく、何事に対してもまじめに、真心こめて接することも学びました。

 私の娘の通っていた保育所でとても印象が残っていることがあります。娘と同じクラスだった「しん君」という障害をもった男の子のことです。しん君は話したり、立って歩いたりすることもできませんが、他の子ども達とおなじように保育所の活動に参加していました。私設の幼稚園でも障害児のための特別な保育所でもないにも関わらず、いつでもしん君をみる先生がそばにつき、しん君を抱きかかえて泳いだり、走ったり、他の子ども達と散歩に出かけたりしていました。私はこのようなことができるのは日本だけだと思います。日本では障害を持った人も健常な人と同じように生活ができます。また、先生たちが障害を持った男の子に愛情をもって世話をする様子を見て、他の健常なこどもたちがとてもたくさんのことを学ぶことができるということも重要なことです。

 現在、私は別の先進国におり、二つの国の保育システムを比較することができ、日本の保育システムの素晴らしさ、日本の先生たちの責任感、娘を日本の保育所に預けている間、いかに安心してまかせていたかを実感しています。

 小さいころの生活環境はこどもの人格の形成に重要な役割を果たすとよく言います。だから私は娘を身体的にも社会的にも清潔な環境で、また日本、特に京都のように愛情に満ちた環境で育てることができ、とても幸せに思っています。

*注 原文は英語。筆者はベトナムのハノイ出身。京都大学大学院薬学研究科で学び、二〇〇九年二月に帰国、現在はシンガポールの大学に勤務。(訳者)

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