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特集1 
総論 親と教師の協同関係を築く
--子どもの願いを重ねながら--


               春日井 敏之(立命館大学) 




1 子どもが生まれたときの喜びを原点に

 子どもは、かけがえのないいのちと幸せになる権利をもってこの世に誕生します。新しいいのちの誕生と愛らしいしぐさは、それだけで、かかわる家族を笑顔にしてくれます。 子どもが成長していく過程で、様々な課題に ぶつかったときにこそ、「よく生まれてきて くれたね」と家族で待ち望み、喜びあったときのことを子どもに伝え、子育ての原点にしてほしいのです。

 宮崎駿は、子どもたちのためのアニメー ション映画作りに触れて、「こんなに先の見えない時代に生まれてくる子供達に、『えらい時に生まれてきちゃったね』と言いたくなるけど、やっぱり『よく生まれてきてくれた』 という気持ちのほうが強いんですよね。(中略)それでもやっぱり子供達に『生まれてき てよかったんだよ』と言える映画をつくるしかない」と述べています(1)。親や教師が、こ のような姿勢で子どもと向き合っていくことは、大人と子どもの双方に、存在レベルの自己肯定感を育む土台となることでしょう。

 しかし、現実には子育てをしていくための日々の生活や仕事があり、特に乳幼児期の子育ては、たいへん手間のかかる厄介な営みです。一日中子どもとかかわっている 母親には、喜びや充実感と表裏の関係で、不安やストレ スも高まってきます。

 親がこうした葛藤を抱えた場合、次のような対応傾向 が、重なりながら存在しているのではないでしょうか。 @子どもを抑圧し、体罰や暴言も含めて絶対的な怖い親 として存在し続ける。A子どもとぶつかり葛藤が生ずるような場面を避けて、金銭・物品などで愛情を肩代わりし続ける。B塾や習い事など、様々な手立てを打ちながら、過剰な期待を子どもにかけ続ける。C子どものことで困ったときに、自分の親はどうしてくれたのか、どうするのだろうかと、親子関係の原点に戻って考えてみる。D親としての葛藤を一人で抱え込まないで、夫婦、自分の親、同世代の友人や先輩、先生など、周囲に相談 してい。


2 若い親も生きづらい社会環境

 子育ての葛藤のなかで、自分も親から「暴力的な抑圧、 愛情の肩代わり、過剰な期待」といった対応を受けていたために、同じような対応をしてしまい、どうしていいのかわからないといった相談を受けることもあります。 しかし、こうした背景には、親の育ちだけではなく、親 を追い詰めていくような社会状況もあるのです。 具体的には、@一九九〇年代半ばから、政策的に進行してきた非正規雇用層の増加により、青年層と若い夫婦の過密労働や経済的な不安が増している(2)。A経済的な格差の拡大が、塾や習い事の密度、読書習慣、家庭学習 の時間といった、家庭教育における格差の拡大につながっている(3)。B乳幼児期から、企業社会、学校という一元的な競争社会に家庭が巻き込まれ、学校的な競争に おいて優位を占めようとする早期教育が煽られている (4)。C早期教育のもとで「スーパーキッド」を目指してきた結果、ゆっくりと大人になる機会を奪い、薬物、性的行動、肥満など、子ども・青年の中に大人と同じ問題状況を派生させてきた(5)。D子育てにおける母親の孤 立傾向が強まり、大人の子どもに対するパワーの濫用、誤用、不適切な使用によって、子どもが肯定的な自己評価と自立性の感覚とを剥奪される児童虐待が増加してい る(6)、といった課題があげられます。

 二〇〇〇年代に入り、政府・文部科学省は、たとえば 「早寝早起き朝ごはん」国民運動、「子どもと話そう」キャ ンペーンなど、家庭教育のあり方に対する政策を矢継ぎ早に提言しています。じかし、「早寝早起き朝ごはん」が大切なことはわかっていても、深夜まで進学塾は開かれ、宿題に追われている子どもたちも増加しています。 また、「子どもと話そう」といっても、子どもが起きている時間に、父親は会社から帰っているのでしょうか。


3 荒れている子どものからの発信-−親や教師へのSOS

 最近研究会などで、中学校だけではなく、保育園・幼稚園、小学校においても、「アホ、ボケ、死ね」などと誰 に対しても言ってしまう子どもや、すぐに手が出てしまう子どもが増えているという報告をよく聞きます。園長先生や校長先生が止めても、興奮状態に入ってしまうと効き目はありません。これは、発達障害とその周辺の子どもたちと見ればすべて理解できるといった状況でもありません。思春期における親からの精神的な自立のサイ ンとも明らかに異なります。この背景には、どのような子どもたちの危機とSOSが含まれているのでしょうか。

 第一に、現代の子どもたちが、大人と同じレベルの不安やストレスに晒されているために、キレやすい状況に あるのではないか。父親から捨てられたり、暴力を受けるのではないかといった母親の感じる不安を、一緒により強く感じているような子どもがいる。第二に、家族内 のストレスが、一番弱者である子どもに向けられることが多くなっているのではないか。親から、「アホ、ボケ」 だけではなく、本心ではないにしても、「生まないほうがよかった」といった全面否定の言動を受けて悲しい思いをしている子どもがいる。第三に、学校が、規範や学力 など、「あるべき姿」に基づく「比較と競争」のレールを 敷くことによって、不安やストレスを抱えた子どもを追 い詰め、子どもの抱える葛藤とのズレが生じているので はないか。教師が話を共感的に聴こうとしただけで、ボロボロ泣きだす子どもが増えている。第四に、多忙化とバッシングに晒されながら、教師が疲弊し子どもの話を共感的に聴こうとするだけの保水力が枯渇してきているのではないか。「アホ、ボケ、死ね」といった暴言を毎日聞かされて、傷つかない教師はいない。子どもの言動の意味を集団で問う支援ネットワークがなければ、一人で はとても心身共にもたない。第五に、このような困難な状況にあっても、子どもが親や教師に求めていることは、「自分のことを認めてほしい」という素朴で健気な願いではないか。

 では、「子どものことを認める」ということは、どのような姿勢でかかわることでしょうか。具体的には、「ほめる、励ます、頼りにする、ねぎらう、赦す、守る」といった親や教師の姿勢を、子どもに対する言動によって 伝えていくことではないかと考えています。


4 子どもを追い詰めない距離のとり方−−思春期・青年期の親子関係

 親の大きな期待を受け、有名な高校や大学に進学した思春期・青年期の子どもが、親や他者のいのちを奪うといった痛ましい事件が後を断ちません。大人が良かれと思ってしていることが、子どもを追い詰めているとしたら、かかわり方の見直しは必要です。

 乳幼児期から学童期は、生活面でのしつけや価値観の形成、学校の選択、学習塾やスポーツ・芸術に触れる機会の選択など、親が良かれと思いリードしながら子どもを育てる側面があります。しかし、気がかりなことは、@良かれと思いながら、競争原理の渦に巻き込まれて、子どもを追い詰めてしまう親や教師が少なくないこと。A親や教師の期待に過剰適応し、感受性豊かで学力も高い「よい子」が少なくないこと。B学校、家庭、塾、社会が、進学・就職競争といった一元的な価値観に覆われる中で、そこに乗れない子どもの居場所が乏しくなつていること。C特に発達障害など、様々な課題を抱えた子どもが追い込まれ、生きづらくなってていることです。

 そんな時に、親との教育相談で大切にしたいことは、子どもを追い詰めない距離のとり方を共有していくことで す(7〉。挫折や失敗をしたときこそ、「今まで、本当によくがんばってきたね」という親の二百で、子どものいのちが救われるようなケースは、少なくないからです。

 @わが子が思春期を迎えた頃、よくここまで大きくなつてくれたと素直に成長を喜び合う。A今までは通用 してきたかもしれない暴力・脅し・比較、物で釣る、泣 き落としといった子どもへの支配・コントロールをやめる。B保護者が良かれと思って敷いてきたレトルを子ども自身はどう受け止めているのか、フィードバックを求める。C子どもが挫折や失敗をした時、責めるのではなく、「今までよくやってきたね」とねぎらいひと休みをとる。D少し時間をかけて、これからどうしたいのか、子どもの相談にのって一緒に考える。E子どもを自分の人生の主体として尊重し、どんな時も見捨てないで見守り応援していく。

 親から見れば、わが子の挫折に遭遇し、先のことが不安になることもあります。しかし、挫折も無く、第一希望が全て叶う人生などまずありません。挫折や失敗をし たときにこそ、親や教師や周囲の人々とつながりながら、どう凌いで自分らしく生きていくかです。そうやって、大人たちは自分の人生を生き抜いてきたのではないでしょうか。子どもが挫折した時にこそ、挫折や葛藤を含めてリアルに自分の人生を子どもに語ることが、キャ リア教育としても、親や教師に求められているのではないでしょうか。


5 作戦会議のパートナーとしての親と教師

 学校と家庭は、それぞれの役割を担うような協同関係をどのように築いていけばよいのでしょうか。親と教師 の関係がうまくいかない背景として、次の点が気になっ ています。

 @話題に出る保護者は母親が多く、子どものことでは母親が孤立して困った状況を抱えている傾向がある。A親と子どもとのコミュニケーションがうまく取れていないケースが目立つ。B同時に親と教師とのコミュニケー ションもうまく取れていないケースが目立つ。C特に親が学校からの連絡を受けたときに、責められていると感 じる傾向がある。Dその土台には親自身が抱いている、学校に対する何らかの不信感がうかがわれる。E「学校であったことは学校で片付けて」といった親の言い分にも一理あることです。同時に、これらの課題は、教師の抱えている課題でもあるのです。

 そこで、親からの「苦情」も聴きながら、協同関係を 築くための教育相談活動に際して、次の点を大切にしたいと考えています。@どのようなきっかけであれ、親が 自ら学校に対して働きかけをしていることに対して、ねぎらい受けとめる姿勢を示す。A親からの「苦情」には、 どんな悩みや要望が含まれているのか、丁寧に聴き取り 読み解き共有していく。B親の悩みや要望には、自分自身に関わることと子どもに関わることが含まれているこ とをふまえ一緒に考え励ます姿勢を示す。C子どもにかかわって、学校と家庭でできることとできないことを 一緒に考え、役割分担を図っていく。D無理難題につい ては、管理職、学年主任なども交えて、親にきちんと返 していく。E課題への焦点化ではなく、成長を信じる視点を大切にして、子どもへのポジティブな評価も親に伝えていく。F子どもの課題への取り組みを学校内や親子関係だけに矮小化しないで、学校外や保護者の周辺の人的資源を探すこと。

 特に、ねぎらいに象徴されるような、親への手当て(ケア)というかかわりは、課題解決の前提として最も重要 です。親との入り口での微妙なズレの多くは、この欠如 に起因することが少なくないからです。

【文献】
(1)宮崎 駿二〇〇八『折り返し点1997〜2008』岩波書店
(2)鹿嶋 敬二〇〇五『雇用破壊l非正社員という生き方』岩波書店
(3)本田由紀二〇〇八『「家庭教育」の陸路一子育てに強迫される母親たち』勤草書房

 
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