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つながりを求める子どもたち
−−少年事件から見えてくること−−少年事件から子どもの願いを探る

                              倉本 頼一(滋賀大学)


1.「友達と遊ぶのそんなにスキでわないんで…」

今日は溜息が出るほど暇でやんす。
友達と遊んだりシナイカラ
Aの家わ 山の中腹?ぐらいで
住宅地に離れているんで。
遊びに行くのメンドクセーーーーー
なんで。
あヒいいいいいい〜〜〜〜〜〜。
でも友達と遊ぶのそんなにスキでわないんで
別にいいでやんす。(ハ)
そういえば日記の書く量でPT変わるって 聞いたけど               (五月四日)

 これは、あの「佐世保小六同級生殺害事件」の加害者A子の、パソコンのホームページに書かれた五月四日の日記です。五月四日といえば、あの事件の一ヶ月程前になります。同じ連休中のことをA子は次のようにも書いています。

暇すぎ
ヒッマだぁぁぁぁぁぁ〜
しかもアイス食べたから寒い
さっむーひっまー
ぁ〜
暇暇暇暇
あと小説を書き直します。
暇暇暇(略)

GW三日目。どこにも行ってません。
暇。
今日は七時に起きて顔洗ったりして、 居間に誰もいない から一時間そこで勉強して、そのうち朝飯食べたくなって食パン食べて、十時にまた寝ちゃいました。(略)

 A子は、この年六日間あった連休中どこにもでかけずに家にいたというのです。なぜか、姉、父、母、祖母もでかけていることが多く、A子は一人ですごしたというのです。ですから、「暇暇暇」と書いているのでしょう。しかし、そんな子は日本中にいっぱいいるでしょう。連休といえども、家族がそれぞれ働いたりでかけたり、家で一人になる子はめずらしくありません。しかし、そんな時子どもは、電話をかけたり、あてがなくても外に出て、近くの子どもを誘ったりするのではないでしょうか。

 ところが、A子は違ったのです。「溜息が出るほど暇でやんす」「友達と遊んだりシナイカラ」と書き始めて、その理由を「A子の家わ 山の中腹?ぐらいで 住宅地に離れているんで。遊びに行くのメンドクセーーーーー」と書いていますが、「住宅地に離れている」だけではないのです。なるほどAの家は山の中腹くらいの小さな村落ですが、しかし、「離れている」のは物理的・地理的な条件だけではないのです。「遊びに行くのメンドクセーーーー」「なんで」と書きながら、「でも」「友達と遊ぶのそんなにスキでわないんで」と、自分の心の内を表現しています。「友達と遊ぶのが嫌い」と書ききってないところが、その時のA子の本音ではないでしょうか。  

「そんなにスキでわないんで」とは、「友達と遊ぶのは本当はスキ」ということであり、「本当は遊びたい」という小学六年生の女の子では当然の自分の気持ちを、無理におさえ込んでいることの表われでしょう。それが、「そんなにスキでわないんで」であり、「別にいいでやんす」と無理に自分に言いきかせているところは、寂しさをこらえるA子の心と姿が見えるようです。だから、「別にいいでやんす」につけ加えられた「(ハ)」は、A子の溜息が聞こえる表現ではないでしょうか。  
実は、A子には「友達と気軽に遊べない」状況が「山の中腹」ということ以上にあったのです。


2.「下品な愚民や」「顔洗えよ」−−攻撃と孤立

 「友達と遊びたい」、友達とつながっていたいと思っていても、「友達と遊ぶのそんなにスキでわないんで」「別にいいでやんす。(ハ)」と言わなければならない理由が、当時のA子にはあったのです。

うぜークラス
つーか私のいるクラスうざってー。
エロい事考えてご飯に鼻血垂らすわ、
下品な愚民や
失礼でマナーを守ってない奴や
喧嘩売ってきて買ったら
「ごめん」とか言って謝る
へタレや
高慢でジコマンなデブスや
カマトト女しったか男、
ごく一部は良いコなんだけど
大半が汚れすぎ。
寝言言ってんのか?って感じ。顔洗えよ。

 友達と遊びたいと思っても、自分の学級の子ども全体を「下品な愚民や」「ヘタレや」「カマトト女しったか男」「寝言言ってんのか?って感じ」「顔洗えよ」と罵っている状況では遊べません。A子は、五年生の終わりに大好きだったバスケットクラブを「成績が下がった」という理由で「親にやめさせられた」頃から、「荒れ」始めていたのです。ちょっとしたことでキレるので、みんなは避けるようになっていたのです。「喧嘩売ってきて買ったら『ごめん』とか言って謝る ヘタレや」とは、そんな友達関係を表現しているのです。「カマトト女しったか男」とクラス全体の男も女も敵対的な関係としてとらえられているのです。しかし、「ごく一部は良いコなんだけど」と、おそらく被害者Sさんとは「良いコ」とまだ関係がつながっていることを表わしています。だからこそ、その 「ごく一部」 のSさんとの関係がくずれた時、がまんできない孤独感が攻撃性に転化して爆発したのです。


3.「他者に対する」「愛着」「安心感が希薄」で、「対人関係未熟」     −−A子の「審判」より

 二〇〇四年九月十五日、「佐世保小六同級生殺害事件」についての「審判決走」が発表されました。「審判決走」は、「人格特性」として「対人的なことに注意が向きづらい特性」を一番にあげて、次のように述べています。

 幼少期より泣くことが少なく、おんぶや抱っこをせがんで甘えることもなく、一人でおもちゃで遊んだり、テレビを見たりして過ごすことが多いなど、自発的な欲求の表現に乏しく、村人行動は受動的だった。  
 家族は、このような女児の行動を「育てやすさ」「一人で過ごすことを好む」ととらえ、ささいな表情の変化や行動に表れる欲求を受け止め、積極的にかかわることをしてこなかった。(略)
 女児は怒りを認知しても、感情認知自体が未熟であることや、社会的スキルの低さのために怒りを適切に処理することができず、怒りを抑制・回避するか、相手を攻撃して怒りを発散するかという両極端な村処しかできなかった。

 この「審判決走」は、「精神鑑定」の結果が事件の原因の全てであるかのようにしており、「学級、学校、今日の教育構造」、とりわけ、A子がクラブをやめざるをえなかった「中高一貫校への受験問題」、また「学級崩壊状況の中での子ども達の荒れや友達関係」、野放しの「ホラー、殺人サイト」「暴力、テロの戦争」といった現実社会については、ほとんど触れていません。しかし、そのことを前提としても、A子の人間関係のゆきづまり、友達関係の課題に対する対処の仕方の弱さが、家族、とりわけ親との関係と深くかかわっていることを指摘していることでは、「審判」の分析は重要です。

 今、問われている「人とのつながり」は、「いじめ」で示される「子どもの人間関係」「友達とのつながり」だけでなく、「子どもと教師、学校」との関係、「子どもと親、家族」さらには「子どもと地域、社会」も含めて、「人間的つながり」が、全体として問われているのではないでしょうか。ここに「つながりを求める子どもたち」と「少年事件」の関連性があるのです。


4.学年全体で無視され、「無」になった気が

 「悲しかったこと」と題するこの文は、「奈良女児殺害事件」のKが、六年生の時に書いた作文です。  四年生の時、実母を亡くした悲しさをめんめんと綴ったこの文章からは、むしろ人一倍気持ちのやさしい少年が読み取れます。「お母さんは墓石の下でねむっている。いつか、お母さんのいる天国へ…」と綴っている少年が、どこで変わったのかでしょうか。

   悲しかったこと           K
 ぼくの母は、三十三年七月五日に赤ちゃんを、産んですぐに出血多量で死んだ。ぼくは、五時間以上ないた。死ぬ前の日、みんなで、おいわいをして病院に行くお母さんを、おくつた。それが、お母さんといっしょにいた最後だった。五年になつて、ぼくはそのことを「かわいそうなA(弟)」という詩にかいた。その詩が本にのった。その詩を、天国にいるお母さんに見せたい。
 授業参観や日曜参観、そのときには、みんなのお母さんが来る。でも、ぼくのお母さんは来ない。そのたびに、みんながうらやましくなる。考えると、お母さんの寿命はふつうの寿命の半分しかなかったのだ。幼稚園のとき、ぼくは、足の骨を折ったことがある。お母さんは、つきっきりで看病してくれた。いままででも、心配かけすぎて、寿命が縮まったのかもしれない。
 もうすぐ小学校卒業。お母さんが死んでもう二年になる。お母さんは墓石の下でねむっている。いつか、お母さんのいる天国へ、おばあちゃんも、お父さんも、ぼくも、弟二人も行く。お母さんとこんどあおうときは人をいじめないようになってあうと思う。

 五月九日に行なわれた「第二回公判」で、その小中学生括、父の暴力について明らかにされました。

 「思い出すのが嫌です」「(見えない)左目のことや足が短いことやらいろいろいわれた」。

 中学生時代には、「学年全体で無視され、この世に存在していない『無』になったような気がした」「いじめっ子に金を渡すため、祖母の財布などから月二万円ぐらいをとった。新聞配達を始めた後は、月五万円くらいを渡していた」「(金を渡すために)万引きすると、おやじにゴルフクラブや金属バットで殴られた。何回も殴るときもあった」(朝日新聞〇五年五月九日付)。

 中学での「仲間はずれ」や「いじめ」については、卒業アルバムに本人の顔写小具をつかった学級のイラストの中でKだけを仲間はずれにしているものが載せられていることからも、事実であることが示されています。

 友を求め、仲間を求め、親の愛を求めていたKが、「いじめ」「無視」の学校生活と、実母を失ってからいっそうひどくなった父親の虐待・暴力の中で、屈折していったのでしょうか。「生まれつきの『性犯罪者』はいない」と言われています。「孤立」や「対等な人間関係から疎外される」中で、幼い子への興味が、今日の退廃性文化の影響で、性犯罪者へと育てていったのではないでしょうか。ここにも「つながり」を断たれ、孤立した少年の変化が見えるのです。


5.からかい″はあったが、いじめ″ はなかった?

 これは「寝屋川市立中央小数職員殺傷」事件の少年が、六年生の卒業文集に書いた文です。

 少年は、五年生の頃からゲームに熱中し、徹夜することもあって、学校で居眠りすることが多かったと伝えられています。

   夢
 僕の夢は、ファミ通という、ゲームの週刊誌の編集部員になる事か、ゲームの3Dデザイナーになる事です。なぜかというと、これから、科学がさらに発達し、そのうち、車が空を飛ぶようになつたりして、行き先を言ったら自動車で行くようなシステムも出るかもしれない。スターウオーズのR21D2やGP30みたいなお手伝いロボットが出てくるかもしれないし、ともかくいろんな電子町になったりして、ゲームもすごく人気が出ると思うから、すごくもうかると思う。手軽で簡単に作れるマシンもあるかもしれないし、スーパー高性能のチップがあるかもしれない。
 尊敬する人がゲーム業界に、かなりいるし自分がゲームを好きなので、週刊誌で仕事をしたら、楽しいし、金をたくさんもらえそうだし、新作のゲームの事がよくわかるのでなりたい。
 中学は一中に行って、高校はどこでもよくて、大学は行かずに、東京に一人暮らしをして、ヒューマンゲームスクール学院か、アミューズメント総合学院にいって、卒業したら、.エニックスかスクウェアかドライエースソニーコンピュータエンタテイメントか、ニンテンドウとコナミのモバイル21に入りたい。ジャーナリストにもなりたい。

 少年は、当初から「いじめがあったのに先生が助けてくれなかった」と供述していましたが、元担任も学級の当時の同級生も「いじめはなかった」「少年の思い込みだ」と警察もマスコミもそろって報道しました。しかし、一方で「居眠ってよだれをたらしていたので学級のみんなで大笑いしていた」「しぐさがおかしいのでからかうことはあったが、本人も笑っていたのでイジメはなかった」と、当時の同級生は証言しているのです。小学校高学年から登校をしぶり出し、中学校で「不登校」になった少年が、「からかい」をどうとらえていたか、表面的に「笑っていたからイジメではない」と、今になっても口をそろえて言う同級生や先生には、十五歳で大検に合格し感じやすく引きこもり状態になっていった少年の心がわからなかったのでしょうか。「ゲーム」を通してしか学級の友達と交わりを深めることができなかった少年の友達とのつながりが、中学校では通用しなくなっていったのではないでしょうか。


6.つながりを求める子どもたち−−子どもの願い

 以上、私は最近連続して起こつた「少年事件」「子どもをめぐる事件」の中から、「佐世保事件のA子」「奈良女児殺害犯Kの少年時代」「寝屋川市立中央小数職員殺傷事件の少年」という三つの事件における少年少女の書いた文章、表現を通して、事件の中の少年少女たちが、いかに人間的つながりを求めていたか、それがまた家族、学校、友達、社会の中で疎外され孤立していくことで、いかに悲しみ、苦しみ、屈折していったかを考えました。

 それは、三つの事件の中の少年や少女が、「事件」という形で表わしただけで、今日、子どもの大きな変化「新しい荒れ」「学級崩壊」の中で本当の人間的交わり、つながりを求めている姿と共通しているのではないでしょうか。「イライラする、ムカつく」「きしょい」「ウザイ」「うるせえセン公」「クソババー」と、はげしい言葉を投げかけてくる今日の子どもたちの本音と願いは、「自分たちのこの苦しみ、悲しみ、不満を、そのまま、ありのまま受けとめてほしい」「できる子、できない子でなく、一人の人間として認めてほしい」という思いではないでしょうか。

 一見、メールや携帯でつながっている「友達関係」も、「つながっていなくつちゃ症候群」(和田悠「特集」『つながってなくちゃなんない症候群』という子どもの危機・インタビュー小林道雄さんに聞く」『教育』七〇三号、国土社、二〇〇四年)と呼ばれる強迫観念にとらわれているのです。親も教師も子どもも、「新自由主義」と呼ばれる「競争社会」の中で、いつのまにか人間的共感を基本にした村等な関係ではなく、どちらかが上位に立ち、命令したり支配する形にゆがめられているのです。それが子ども社会、友達関係に反映して、「友の悲しみ苦しみを共有する関係」から、「友の悲しみ苦しみを喜ぶ」「いじめ」「仲間はずし」「暴力」に変えられているのです。そんな中で、子どもは苦しみ、叫びをあげているのです。

 今一度、親と子、子どもと教師、子どもと子どものつながりを見直し、その関係を「組み変えて」いかなくてはなりません。

 人間は人間との関係、集団の中で人に成長するのです。つながり″を求めつづける子どもの要求は、人間的成長の原動力となるのです。

 
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