トップ ひろば ひろば143
基礎学力を問い直す
−−つけたい学力の中身と評価−−

                              松下 佳代(京都大学)


1.学力調査結果は何を物語るか


  昨年末から今年にかけて、三つの学力調 査の結果が新聞紙面をにぎわした。OECDのPISA2003、IEAのTIMSS2003、そして文科省の教育課程実施状況調査である。表1はそれらを簡単 に比較したものだ (順序は結果の公表順)。



 PISAとTIMSSの結果はともに 昨年末公表されたが、とりわけ、PISA の結果は「PISAショック」ともいうべ き衝撃をもたらした。中山文科相は、初め て「学力低下」を公式に認め、全国学力テ ストの実施、生活科や総合的な学習の時間 の見直しを含むゆとり教育の見直し、二〇 〇六年度学習指導要領改訂などの方針を 続けざまに表明した。

 実は、二〇〇〇年の調査結果(特に読解 力の低さ)も文科省の政策に少なからぬ影 響を与えてはいた。結果の公表直後に「学 びのすすめ」が出され、二〇〇三年度から 学力向上アクションプランが実施されたことに、そのことは見てとれる。しかし、二〇〇四年末 まで文科省は、学力低下は認めず、ゆとり教育を制度的 には維持したまま、他方で、学力向上策を進めるという 二重構造をとってきた。それが、この二重構造を解消 し、制度的にも学力向上の方向に動き出すというのだか ら、大きな転換である。

 しかし、その後今春公表された文科省の教育課程実施 状況調査の結果によれば、「学力低下に歯止めがかかっ た」とされ、PISAをめぐる一時のややヒステリック な反応は沈静化しっつあるようだ。

 PISAとTIMSS、文科省調査の結果の間には一 見するとくい違いがあるように見えるが、そこに一貫し た特徴を読みとることは可能だろうか。今、問われてい る学力の中身とはどのようなものであり、そのためには どんな評価が必要なのだろうか。


2.PISAの学力観−−数学的リテラシーを例に


 どんな学力調査も、背後に何らかの学力観が存在する。三つの学力調査の中でとりわけ斬新でよく練られた 学力観を示しているのが、PISA調査だ。PISAで は「学力」ではなく「リテラシー」という言葉が使われている。リテラシーとは、一言でいえば、自分のもつ知識をある特定の状況の中で使いこなせる能力のことだ。

 つまり、(知識(内容))(状況)(能力(プロセス))がリテラシーを構成する要素である。数学的リテラシーを例にとってみていこう。

 まず、(能力)から。それは、具体的には、図1のよう なプロセス(数学化サイクル)をたどることのできる力 としてとらえられている。つまり、「様々な場面や状況 において、数学を用いて問題を設定し定式化し解決し問 題の解を解釈する能力」 である。



 この数学化サイクルは、八〇年代から数教協で使われ てきた「数学的問題解決の図式」とよく似ている。どち らも、数学を数学的世界の中だけで閉じたものとせず に、数学的世界と現実の世界を行き来し、現実世界の問 題を数学を使って解決する力こそが、学校教育で身につ けるべき算数・数学の学力だと みるのだ。

 ところで、教科書の問題はそ の単元の知識を使えば解ける ようにできているが、「現実世 界の問題」を解決するのに必要 な数学的な知識が一つの単元 の知識でおさまるなどという ことはほとんどない。PISAでは、(内容)を、学校の教 育内容ではなく、関連しあう四 つの包括的なアイディアとし てまとめている。

 リテラシーのもう一つの構 成要素である(状況)とは、「現実の世界」としてどんな 状況を設定するかということをさしている。PISAで は、状況が生徒にとってどのていど身近か (縁遠いか) によって、五つの状況に分類している。

 PISAの問題は、すべてこのような三つの構成要素 を考慮して作られている。

 例えば、南極大陸の地図を見せて、そのおおよその面 積と求め方を尋ねる問題。採点は、問題独自の採点基準 を作って、完全正答(2点)−部分正答(1点)−誤答 /無答(0点) という三段階で行われる。このような採 点方法もこれまでの大規模学力調査にはほとんどみられ なかったものである。

 このように、PISAでは独自の学力観と評価法が提 案されている。私たちは順位よりむしろ、その学力観と 評価法に注目すべきだ。


3.学力が高いとはどういうこと

 では、PISAにおいて学力が高いというのはどうい うことなのだろうか。PISAでは、それを数学的リテラシーの「習熟レベル」で表し、数学化サイクルと関連 づけて説明している。問題はどの程度見慣れない非定型 的な問題か。現実世界の問題を数学的問題に「定式化」 したり、数学的解答を現実的解答へと「解釈」するプロ セスにおいてどのくらい多様で複雑な情報を組み合わせ る必要があるか。数学的問題を「解決」して数学的解答ノ を導くプロセスにおいて何段階くらいのステップを処理 する必要があるか。こういった点から、習熟のレベルを みようとするのである。

 PISAでは、調査結果をふまえて、学力のレベルを レベル6〜1と1以下の七つに分けている。例えば、レ ベル6とレベル1では次のような違いがある。

 ●レベル6 見慣れない複雑な問題場面において、自ら探究やモデル化を行いながら、情報を概念化・一般  化して利用できる

 ●レベル1 情報がすべて与えられ問いも明確な見慣れた場面で、指示にしたがって、問いに答えることができる

 この習熟レベルは問題の難易度とも対応している。難 しい問題が解ければそれだけ習熟レベルが高いというこ とだ。

  このようなPISAの「習熟」のとらえ方は、学校で の習熟のとらえ方とずいぶん違っている。学校で算数・ 数学の「習熟」といえば、多くの教師が「計算の習熟」 をイメージするのではないだろうか。しかし、計算とい うのは、上の数学化サイクルでいえば、数学的問題から 数学的解答を導く定型的な手続きであって、数学的プロ セスのほんの一部でしかない。ドリルでいくら計算に習 熟したとしても、習熟レベルではレベル1にしかならないのである。


4.三つの調査結果の共通性


 さて、こうしたPISAの学力観をふまえた上で、最初にあげた問題を考えてみよう。

 PISAで日本の子どもがよくできたのは難易度の低 い問題(低い習熟レベルでも解ける問題)であり、道に できがよくなかったのは難易度の高い問題(高い習熟レ ベルが要求される問題) であった。このことは当たり前 といえば当たり前だし他の国でもみられた傾向なのだ が、日本の場合はその傾向がとりわけ顕著だった。難し い問題になると無答率も急にはね上がり、平均よりも高 くなる。さらに、文科省調査でも、全体としては学力低 下に歯止めがかかったとされてはいるが、計算問題のよ うな定型的な問題の通過率が上がった割に、式から文章 題を作る問題のような非定型的な問題の通過率はむしろ下がっている。TIMSSでも、PISAや文科省調査 と同じような傾向がみられることが、これまでに指摘さ れている。

 このように、三つの調査結果の間には、「学力低下」と 「学力低下に歯止め」という違いがあるようにみえなが ら、その中身にはむしろ共通性があるのである。


5.学力向上策と計算ドリルブームの問題点

 さて、以上のPISAの学力観をふまえると、文科省の政策の変更や現在各地でくり広げられている学力向上 策は、ボタンをかけ違えたもののようにみえる。

 「学力を上げろ、そしてその成果を客観的に示せ」とい われたときに、誰でもできて結果も表れやすいのは、算 数・数学教育の場合、計算の習熟である。実際、学力向上策の推進と計算ドリルブームとは軌を一にしている。 PISAショックによる文科省の政策変更は、この傾向 をますます強める可能性がある。だが、PISAの求め る「学力」(リテラシー)と現在の学力向上策やその現場 における「学力」の間には大きな溝がある。PISAで 最も高い成績をおさめたフィンランドでは、日本の学力 向上策とは逆に、総合学習の充実、教科書検定の全廃、 グループ学習などの方針がとられている。フィンランド の教育がそのまま日本にあてはまるとはいえないが、逆 の方向を選択することはもっと正当性がない。


6.どんな指導と評価が必要か

 それでは、求められる指導と評価はどのようなものな のだろうか。二点あげておきたい。

(1)段階論をとらない

 段階論というのは、基礎では数字や記号の世界だけで 練習を積み、応用になって初めて現実の世界との行き来 をすればよい、という考え方である。例えば、基礎では計算問題、応用になって文章題というような方法であ る。そうでなく、思考したり、推論したり、コミュニ ケーションしたりといったことを、学習の初期段階から 行わせるべきである。

(2)評価方法を変える

 どんな評価方法をとるかは、教師が本当は何を重視し ているかを子どもたちに伝えるメッセージになる。私た ちは、パフォーマンス・アセスメント (PA) という評 価方法を提案している。それは、ちょうど、フィギュアスケートの演技(パフォーマンス) の評価と同じような 評価方法である。私たちは、演技させる代わりに、二〇分で一問の自由記述式の課題を与え、自分の考え方を 式・言葉・図・絵などを使ってB4一枚の紙に書かせた。 そして、それを、四つの観点、0〜3の四段階で評価する。具体的には、ルーブリソク (採点基準)を作成して採点する。これは、PISAの採点法と似ているが、 もっと細かく子どもたちのパフォーマンスの質を把握す ることができる。子どもにとっても、一間の問題に二〇分もかけて一人でじっくり考え表現することは、単なる テスト以上の有意味な学習経験になるはずだ。

 思考力や表現力を育てることが重要だということは、 以前からいわれてきた。だが、そのような質を評価でき る方法は現場でほとんど使われていない。PAは、その 現状を変える力をもっている。


トップ ひろば ひろば143