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小学校でつけたい学力
−−国語教育・「ことばの力」を中心に−−

                          浅尾  紘也(京都教育センター国語部会


学力を社会的にとらえる


 私が、学生であった頃、それはもう四〇年以上も前に なるのですが、その当時も「学力論議」はさかんに行われてきました。高校時代にあの「全国一斉学力テスト」 を受けた年代ですから、学力についての論議は、それ以 後もずうっと続けられてきていると言えます。

 当時、友人の影響もあって、むのたけじに惹かれてい た私は、その本の一節が、鮮明に残っています。

 「学力とは、子どもがやがて社会に出て行ってから事 の是非善悪を正しく見きわめることのできる判断力で あり、社会人として困難に打ち勝って生きぬいていける 生活力のことですね。個人と社会を一つに結びつけて考えることができないなら、学力ではありません。ただ の物知り博士にするつもりなら、百科事典を買って与え て、ページをめくる練習をさせればそれですみます。」 (「日本の教師にうったえる」より)

 もちろん、この部分だけではなく、前後の教育・子ど もについてのとらえ方、考え方に惹かれたのではありま すが。  また、教師になりたての頃、京都教育センターの細野 武男先生が、学校でのしごととは、
 「科学的認識・集団主義・全面発達」
であるとしてまとめられて提起されたことは、私の教育 実践の大切な視点になりました。


伝え合うことができる「ことばの力」を基礎に

 ですから「学力」とは、単に個人的な力ではなく社 会的にとらえることなくして問題にできないものだとい う想いが私にはあります。

 だとすると、国語教育研究・実践に関わってきた者と して、その基礎に、「ことばの力」があり、それが学力の 土台となると言っていいと考えています。私たちは科学 にしても、文化・芸術にしても、それへのアクセスは 「ことば」でします。そして「ことば」で認識・思考し、 伝達していきます。この力をしっかりつけていくことこ そ、個人としての人間形成だけでなく、社会的存在とし ての人間的成長にとって、たいへん大切なものだと考え るのです。

 しかし、現行の指導要領では、言語の伝達機能ばかり を偏って重視し、認識・思考の力を切り捨て、「ことばの 力」をつけていくことが人間的成長につながること−つ まり「人格形成をめざす国語教育」としての目標・構造・ 内容をもっていません。

 また、その指導要領国語科を基に作られた国語教科書 は、活動ばかりをさせることに偏り、言語教育・文学教 育・作文教育として、国語教育をしっかり構造的にとら えた教材配当をせず、「伝え合う力」という不思議なキー ワードのもとに、その活動ばかりをさせていくものと なっています。

 本来なら、「伝え合うことができることばの力」を育 て、つけていくことこそが国語教育としての独自性であ ることが、少しもおさえられていないのです。そして、 活動(インタビュー・パネルディスカッション・スピーチ・ 発表会・新聞づくり・自書づくり・人形劇・ペープサー トなどなど) の技術や技能ばかりが問題にされているの です。

 残念ながら、この国語科指導の決定的な弱さは、国際的な学力調査においても、じつに如実にあらわれる結果 となっています。とりわけ、「論理的な読解力」と「自分 を表現する力」の弱さは、かなり深刻な状況であること が示されています。

 少し極端な言い方をすれば、「言語についての学習の 脱落(ほとんどない言語教育)」「読まない説明文教育」 「読まない文学教育」、そして「書かない作文教育」では、 「ことばの力」も「国語の学力」もつかない・伸びないの は、当然と言えば、当然なのです。

 もちろん、これは国語教育だけの問題ではありませ ん。「事実」を書かない・教えない歴史教育、大切な教 材・内容が荒いザルの目からこぼれ落ちてしまっている ような算数教育・理科教育…というふうに、教育全体の 問題に繋がるものです。


「国語の学力」を伸ばす教育実践

 だとすると、子どもたちの力を伸ばす教育としての国 語教育の実践を進めるには、何が大切にされねばならな いのでしょうか。

 それは、何も特別なものにとりくむことではないので す。

○言語の、法則的体系的な学習をめざす言語教育

○論理的な文章を確かに読む力を伸ばす説明文教育

○豊かに形象を読み、文学体験を深める文学教育

○自分の体験や想いをしっかり表現する作文教育 の実践を進めていけばいいのです。

 京都では、国語科を「話す・聞く・読む・書く」とい う言語活動場面を領域として設定するのではなく、「言 語教育(説明文教育をふくむ)」「文学教育」「作文教育」 の三分野を国語教育の構造として考える「国語教育三分 野説」としての、理論と実践の積み上げがあり、教研集 会や自主的サークル活動が展開されています。そこでの 成果と積み上げをさらに実践的に検討しっつ、今こそ、 広げ、とりくんでいくことが大切なのです。

 国語教育が、言語操作や言語技術だけに偏るものでは なく、「ことばの力」をつけていくことで人間的成長をめ ざしていくものになること、それが「国語の力」をつけ、 子どもたちの学力を伸ばす教育実践となる、私はそう考 えています。

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