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学力問題を正面にすえた研究・実践を
−−京都教育センター学力・教育課程研究会「夏季研究集会のまとめ」より−−


小野英喜(京都教育センター)


 
文科省によってつくられた学力低下

 
 京都教育センターの夏季研究集会が成功裏に終了しました。学力・教育課程部会は、第一日日の第一分散会「基礎学力と習熟度別学習を考える」と、翌日の第三分科会「学力・教育課程分科会」を企画・運営しました。

 この分科会でも話題の中心となったのが、子どもたちの学力保障をどのように進めるかということであり、そのとき「どの子どもにも等しい学力を」なのか「個性に応じた学力を」なのかが問われることになります。レポートの報告でも明らかになりましたが、文部科学省・教育委員会は、「子ども一人ひとりの能力にあった学力保障を」ということを強調して習熟度別学習を強制しています。

 いま、「学力」が大きな課題になってきています。その一つが学習指導要領の改訂に伴う「学力低下」の論争が行なわれており、これが教育内容や学校制度にいたるまで議論されていることです。「学力低下論」を危惧する実態の報告や論争は、大学教育をも巻き込んでいます。

 例えば、ある大学では」学力保障の取り組みを提言する中で、大学生に「読み、書き、そろばん」の基礎学力が不足しているとして大学教育の危機をあらわにしています。大学教育を進めるための基礎学力が、江戸時代の寺子屋で言われた程度の内容を問題にしていることにも驚きですが、それ以上に基礎学力をこのようにとらえる「貧弱な学力観」ではなんともしがたいという思いです。

 また、日本経済調査協議会は、二〇〇四年六月に「これからの大学を考える」という提言を出し、「大学教員の中には・・・・十年一日のような陳腐な講義を繰り返すものがいる」と批判し、制度として消滅した教養教育の必要性を「教養教育には、専門教育だけでは果たしえない重要な役割がある。・・・・また、健全な市民社会の形成者として必要な資質を養うものである」と、大学教育の質的転換を求めています。

 さらに同協議会は、二〇〇二年十二月に、「二一世紀の教育を考える」と題する提言を出し、教育の役割を「生きる力を育てる」というこれまでの言葉を「社会力を育成する」として、それを「主体的に社会とかかわって変えていく能力を子どもの頃から身につけ伸ばしていく」ことであると説明しています。

 学力の定義が「生きる力」から「社会力」に変わり、これを学校教育に求めています。社会カは「健全な成熟した市民社会を構成するにふさわしい資質を持った国民の養成」で「これは学力を伸ばすことと決して矛盾するものではない」と述べています。

 しかし、この提言の問題点は、「子どもの能力は一様ではない以上、それぞれの差異に十分応じた教育指導を行う体制をとらなければならない」と習熟度別学習のより一層の取り組みを求めていることです。

 このように、「ゆとり教育」によって生じた学力低下が、資本の要求に合わないことから、「人間の能力は生まれつきで決まる」という社会的ダーヴィニズムの古い論を展開しています。そして困ったことは、このような学力・能力の考えが現在の学校現場(教師とえ母)にも広がっていることです。

 学習指導要領の改訂による教育内容の三〇%削減や小・中・高枚のすべての学校で選択制を導入したことにょる「学力低下」は、親の所得や社会的な格差による学力差として表れていることに注意しなければなりません。

 学力をめぐる論争と取り組みの中で、大きな問題は、「ゆとり」と「学力低下論争」が「横並び画一主義の克服」とか、「悪平等の見直し」「できないものも個性」が義務教育の複線化と、習熟度別授業の強制で、小学校低学年から学習内容の質と量に格差をつける授業が全国規模で進んでいることです。

 これに対して、私たちが、京都市立新林小学校の実践のような有効な取り組みを提案できているかどうかが問われています。

 私たちは、文部科学省や教育委員会が進める差別的な学力観を批判するだけでなく、すべての子どもに「どのような学力」を「どのような教育実践で」保障するのかを研究し提案しなければなりません。

 
 主権者として自立するにふさわしい学力をすべての子どもに

 
 「基調報告」は、最初に学力問題をめぐる情勢を、行政側からと民主勢力側からどのように見るかについて提起がありました。文部科学省・財界は、教育基本法がもとめる「人格の完成」ではなく、学校教育を「グローバルな競争に勝ち抜くエリート養成」という「人材開発」の意図を露骨に示し、学校五日制や習熟度別学級など低学力と格差容認の政策をすすめています。また、地方自治体の教育委員会は、文部科学省以上に差別的な教育行政を進めています。しかし、高知県など一部の地方ではよりましな行政の動きも見られます。

 一方、民主勢力側の取り組みとしては、不十分な点が多いでしょう。労働組合運動としてみても、「学習指導要領の白紙撤回、見直し要求」や「学校五日制」に見られるように、地方自治体の決議が力になっておらず、子どもの学力を保障する提起になっていません。学習指導要領は、「白紙撤回や見直し」ではなく「試案扱い」という方針を出せなかったのでしょうか。学校五日制にしても、土曜日の受け皿ができていないため、学力低下と学力格差増大に拍車をかけることになりました。

 全国教育研究集会の「学力・評価分科会」は、日教組時代の曖昧さを引きずっていて、レポートの内容が学力保障や評価のないものが出てきています。さらに深刻なことは、全数教研集会の学力分科会に提出されたレポートを集計すると、一九九〇年から二〇〇三年までの一四年間に、一〇本以上のレポートを出している都道府県は、北海道、埼玉、東京、滋賀、京都、大阪、高知に過ぎず、五本しか出していないのが一三府県(参加都道府県の五〇%)に及んでいます。これでは、労働組合が、子どもたちの学力保障の視点から研究活動を十分に進めているとは言いがたい実態があると言えます。京都においても、支部教研で学力分科会が開催できていないところが多く、国民の要求に応える実践をするためには、この課題を克服していくことが必要でしょう。

 
 「主権者として自立するにふさわしい学力をすべての子どむに」保障するためには、次の三点で共通した取り組みを進めることが望まれます。

 @学力形成を中心にした教育課程で、学力づくりと学校づくりを統一して進める。
 A細野武男氏が提起した「教育の三原則(科学的認識、集団主義、全面発達)」を再評価し、実践課題として追求し、「学力形成と人格形成の統二した取り組みを進めることが必要である。評価問題の研究と「よりましを通知表づくり」に取り組むことが求められている。

Bこのような情勢の中で、家庭学習は単に学校教育の補完物ではなく、「独習」という学習の到達目標に近づくための最も有効な方法で、本来は学校の教育課程に位置づけられるものである。子どもの学習を保障し学力をつけるための家庭塾や寺子屋についても研究を深めていきたい。その意味で、京都子ども勉強会の二〇年間の取り組みに学びたい。

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