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エッセー◎私と京都
正直に言わせてもらいます、日本の印象


モハメッド・カレム(京都大学大学院理学研究科)


 
 私が研究室の日本人の同僚を通して思い至ったことは、この文章において私は日本、特に京都での生活について率直に述べる必要があるということです。私の心の中で起こる実際の印象や気持ちを正直に書くことこそが、私の行うべきことであり、日本の文化や社会を単に賞賛するだけの文章を書くのは望ましいことではないと感じたのです。これは私だけでなく、日本の方々自身にとっても重要なことだと思います。美辞麗句だけを並べるというのは、すべての場合において他の国の人や文化とコミュニケーションをとり、交流を広げようとするとき、大きな障害となります。私は正直に述べることこそ望ましいと思います。

 
日本文化との最初の接触

 
 私が初めて日本の文化と人々のものの考え方に触れたのは、カイロにある日本大使館を文部科学省の奨学金の申し込みのために訪れたときでした。そこで、あることが私の心を非常にひきつけたのです。私はかねてから日本はアメリカ合衆国についで世界で二番目の経済大国であることを知っていましたが、にもかかわらず文化センターや日本大使館に置かれている家具や調度が他のイギリスやドイツ、フランスなどの大国の大使館にあるものと比べたとき、大変慎ましやかなものであったことです。そのとき私の目に、これが非常に奇妙なものとして映ったのですが、日本の心情と他の西洋や中東の国々との間にある深い違いに気付くきっかけとなりました。このときから私はこのような精神的なあり方を理解しようとつとめ始めました。

 
日本に対する最初の印象

 
 私は二〇〇三年の春、日の光が燦々と降り注ぐ早朝に、関西国際空港に到着しました。飛行機の着陸があれほどまでに印象的であるとは知りませんでした。飛行機がまるで海水の上に降り立ったかのようでした。

 私は、日本語に対してほとんど何も知らずに日本にやってきたため、驚きはいきなり始まりました。私は周りで何が起こつているのか何一つわからないところに立たされていることに気づきました。はじめ私はすべてのことが京都大学と文部科学省の人々に従って進められていることを発見しました。タクシーの運転手は私を京都の私の家の前に何も言わずに降ろしました(たとえ彼が何かを言ったとしても、私は彼のことを何一つ理解できなかったでしょう)。私は漢字がわからなかったため、どれが私の家なのかわからず、ただ通りに立っていました。もし、若い外国人が私のようにタクシーで着いたら、どれが私の家なのか彼に聞こうと思いました。どうにか家にたどり着くことができましたが、しかしこれが私の外国人としての、最初のそして最も小さな問題でした。

 
京都の我が家

 
 京都の私の宿舎は、大きな寮の中にある小さな部屋でした。寮のほとんどの部屋は、完全な西洋の様式でした。それらの部屋が持つ唯一の日本的な特徴といえば、とても小さいということであり、この部屋にあるすべてのものは、おかしいほど小さく、台所などは約〇・五uしかありません。トイレもまた非常に小さく、用を足すのが非常に困難であり、私の長い足のためにドアを閉めることができなかったぐらいです。

 ただ、その宿舎の非常に良かった点は、主に外国人の居住者で占められていたということであり、日本の文化だけではなく、他の文化や考え方とも交流をするチャンスを得たことです。この部屋はとてもきれいで、とても安かったのです。気に入らなかった点は、京都大学の学生が私の部屋の窓近くで楽器(とくに大きなホーン)の練習をしていたことです。私がこの熱心なミュージシャンにどれだけ苦しめられていたか想像に難くないでしょう。

 
ショーの始まり

 
 私が日本で修士課程の研究をするために奨学金を得ようと努力を始めたとき、科学を学び研究をする以外に、文化交流活動や他の活動に参加することになるなどとはまったく考えていませんでした。もちろん私はエジプトにいたとき、日本の文化と業績について分厚い本を読み、頭では理解していましたが、初めて日本の地に降り立ってから、他の文化に対しては読書と直接の体験との間に大きな違いがあるということを痛感せられました。

 私が日本へ海を渡ってきた最大の理由は(今もそうですが)、科学を学び、研究を行なうためです。ですから京都についてわずか三時間後に、私は、これから研究生活を送ることになる京都大学の研究室を訪ねました。このときもうひとつの、しかも非常に大きなカルチャーショックを受けました。これは私にとって、非常に重いものでした。日本に来る前、私は京都大学がおそらく日本で最も優れた大学であると考えており、少なくとも六人の科学者がこの大学で自然科学分野におけるノーベル賞を受賞していることを知っていました。しかし私が初めて見た学生の部屋は、私にとってまるで災難といってもいいものでした。私は思わず自問しました。

 「私は親しい人々と国を残して、こんな環境の中で仕事をしに来たのか?」

 研究室はとても古い建物にあり、化学物質のある棚にはほこりが積もっていました。古い壁には落書き。学生とスタッフたちには、座って仕事をするためのわずかなスペースしかありませんでした。

「ああ神よ!」

 私はこの衝撃が、私の中にとても根深いフラストレーションを二ケ月の間(私が新しい日本の生活に慣れるために要した期間です)呼び起こしたことを覚えています。

 ところが実験室には、素晴らしい実験装置と、数多くの優れた科学機器。

 私は、カイロの日本大使館で見たこと、そして研究室で見たことを理解し始めました。私はこのときの状況を次のように解釈しています。日本人の研究者には多くの資金があり、高価で、高性能な科学機器を持っている。しかし、その仕事場というと快適でもなければ清潔でもない。そして学生たちは、周りに何の問題もないかのように研究を行なっている。この文化では人々が不満を話し合ったりすることは無いのであろうということでした。これは本当に大きな疑問であり、私にとっては災難ですらありました。

 
「語学の授業」をめぐつて

 
 私と、日本の文化と精神との深い対立は、語学の授業によるものでした。私はカイロにある日本の大使館から(そしてエジプトにいるかつて日本で学んでいたことのあるエジプト人の学生から)、日本語の授業は文部科学省により、必須科目でなく、選択科目として課されていると聞いており、私は教授に日本に来る前に私は語学の学習において非常に劣っているということを知らせていました(ドイツ語とフランス語に対して嫌な経験をしていました)。教授は私に、私の研究は全て英語で可能であると言っていました。また多くの外国人の学生は、ここでは自分の立場を説明すれば、これらの語学の授業を免除することができ、なんら問題が無いと話してくれていjした。しかしそうはならず、大学の人々は何とかして私を語学の授業に参加させようとしたのです。私にとってこれは非常に迷惑なものでした。

 日本の大学のシステムが重要視しているのは、どうやって規則に従わせるかということだけであり、研究者が完全に研究に集中し、行なえばかえつて損失になると知っていること(つまり語学の授業のことである)に対して時間の無駄を避けようとする能心度を理解しないということです。私が英語を話すことができるようになった唯一の理由は、エジプトで子どもの頃から、私の生活の全てを英語の学校でおくっていたからに過ぎません。

 
あえて苦言を

 
 西洋人(そして中東の人々でさえ)の大部分が、寺院を訪れ、異なる日本の伝統的な祝い事やお祭りを見に行き、その他の多くのこの地の文化に触れようと、あまりに気にしすぎているのではないでしょうか。

 私はこのような文章だけでは、私の見解と日本(特に京都)の生活について述べるには不十分であると思います。また、いま言っていることは、私の個人的な意見に過ぎず間違ってもいるかもしれないし、あるいは正しいかもしれません。しかしここで私は、あえていくつかの点について述べておきたいと思います。

 @日本人は(その社会的な関係において)非常に深く互いに結びついており、これこそが、経済的、技術的な成功を得るための大きな支えとなっているということ。

A日本人は忍耐強く、また一事に非常にこだわると感じます。彼らの(察する”という原理に極端に重きを置く)意思疎通のスタイルは、私にとってはっきりしないものであり、耐え難いものでした。

Bあらゆる国の人々が自分の国と文化を愛し、自分たちの成果に対して誇りを持つのは当然でしょう。しかし、日本人は、その点で、少し度が過ぎているのではないかと感じます。誇りというものには、他人にとって心情的に受け入れられる限界というものがあります。

C私が混乱させられるのは、誰がどの事柄に対して責任を持っているのかよくわからないことです。仕事と責任の所在がはっきりしないところがあります。もっと正確かつ明確に、1とお願いしたいと思います。

D私は言語というものが同じ国の人々を一つに結びつける最大のものであることを知っています。だからこそ言語について注意しなければなりません。しかし、私が日本で見たものはあまり健康的でないように思います。日本の人は日本語を学ぶべきだと強調しますが、他の英語を話さない文化的な国々(例えば、ドイツ、フランス、デンマークなど)では、外国人に対して彼らの生活をより良くするために生活の中のあらゆるものの英語版を作ろうと試みています。日本語は世界の中で日本でしか通じませんし、何故外国人研究者が多くの時間を割いて日本語を勉強する必要があるのか疑問に思うのです。彼はもっと彼の研究に集中すべきなのです。

 
 私は日本人の中の一部の人々には、この文章の中で私が日本人に伝えたいと思っていることを理解してもらえないし、日本の生活に対する不適切な評言だと感じるかもしれません。しかし私は、日本の人々にとって耳の痛いこともあえて言うことが、私の責務であると感じているのです。

京都大学大学院理学研究科 カイロ (エジプト)出身

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