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簡潔な条文の中にこれほど豊かな内容とは

−−「教育基本法第6回学習会(第五条・男女共学)」に参加して−−

浅井 定雄(京都教育センター)


戦前・戦後の歴史の中で男女共学を探る

 
 話題提供の安田雅子先生(京都教育センター)は、「教育基本法の第五条には“男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。”と記されている。戦前の教育ではどうだったのか?」と問いかけられ、戦前の教育についての概要を報告されました。その中で、家庭科教育については、「芸能科家事は、我が国家庭生活における女子の任務を知らしめ、実務を習得せしめ、婦徳の涵養に資するものとする。・・・・家を斉へて国に報ずるの精神を涵養すべし。国民科との関連に留意し、礼法を重んじ、我が国家庭生活の充実、改善について指導すべし。躾を重んじ、勤労の精神を養い、利用節約、清潔、整頓等について訓練すべし」とされるなど、家事や裁縫は、重要なイデオロギー教科であって、単なる技能教科ではなかったことが明らかにされました。

 また、旧憲法下の日本で、家父長的家族制度護持、家長(戸主)の権限強大、戸主の家督相続、親権制度の父権的色彩が濃厚で、男女の差別、男尊女卑、また結婚原因の不平等、家族国家観、忠孝一致、失業救済の家族制度、民法典の家父禄など、多くのものが残されていた中で、日本国憲法が公布により、憲法22条「婚姻は両性の合意のみ・・・・」などの規程を受け、民法と家庭の民主化が図られ、教育基本法で「男女共学」が掲げられはしたものの、戦後も政府は、古い家族制度を温存しようと策動していたことが明らかにされました。

 その中で、安田先生自身が関わってこられた、京都における高校家庭科共学の取り組みについて報告されました。安田先生は、定時制高校生徒の要求に見合った教育内容と質を検討し、高校三原則を守り、教員間の理解を深めようと、学習会を組織し「文部省のカリキュラムでは、体育が女子より男子の時間数が多い。その代わり女子にはその間に家庭科をやるという性による差別がある。これをなくすために家庭科の女子のみの家庭科必修はなくし、男女共学2単位とするのが妥当である。」として、定時制の家庭一般2単位を男女共学必修とするカリキュラムを決定、実施してこられました。

 その後、1979年の「女性に対するあらゆる差別を撤廃する条約」の国連での採択、1985年の日本政府の批准。この中で日本の家庭科の女子のみ必修が問題となり、共学へ大きく動くことになった経過。1994年、文部省は、家庭一般を男女共学4単位を決定した事などが報告されました。しかし、その一方で京都府教委などによる高校家庭科副読本に対する攻撃が行われたり、また、男女共同参画法についての動きや、「バックラッシュ」の動きなど最近の動向についても報告されました。

 
高校三原則と男女共学

 
 臼井照代先生(元府立高校長)は、「自分は、戦争の始まった1941年に高等女学校を卒業した。戦前の教育をまともにうけてきて、それを引きずってきた人間で、戦前の教育を素朴に信じてきた人間である。」と前置きされ、戦後、新しい教育をということで古本屋をまわって、そこで初めて戦前は男女で教科書が違っていたということを知ったときの驚きを語られました。そして男女共学に対して、戦後まもなくの高校の生徒会新聞に載っていた当時の生徒たちの思いを紹介されました。「当時生徒たちは新聞紙上に何度も男女共学を書いている。高校三原則の中で、これを取り上げ、高校三原則の中でないと男女共学も生かせないと言っている。」と強調されていました。

 
バックラッシュを許さず

 
 討論では、参加者から感想や第5条に関する意見などが、多数出されました。

○中学校の家庭科について言えば、昭和25〜6年ぐらいまでは、男子に対して何を教えるかというのは全くなかった。男女共に教えるというのもなかった。しばらくして技術家庭科に代わり、男女別学に学ぶというようになってきた。・・・・しかし、子どもたちから「もっとわかるように教えてくれ」という意見が出て、その中で「教科論」が職場で交わされるようになってきて、家庭科についての職場理解も進んできた。

○今は、小学校の家庭科で男女共学で調理実習や裁縫をやっている。福岡で10年教師をしていたが、そのときは家庭科は女子だけで、「なぜか?」と思っていた。京都は、男女共同教育が進んでいて、すばらしいと感動した。今また女子に対する攻撃が強められ、教師生活30数年の中で様変わりしてきて、反動的になってきている。

○99年の男女共同参画法で「男女共同参画」と言い、「男女平等」と言わなかったのは何故か?。「男女平等の名称を避けたのは、「結果の平等を嫌う産業界への配慮から」といわれている。英訳ではGender Equality(男女平等)である。外国へは「男女平等」と言うが、国内には「男女共同」という。これが財界戦略に従ったものである。企業の男女差別の実態を告発されて、男女平等を求められてはたまらないというのが本音であるのではないか。

○「男女平等」を求める運動が、大きく高まった時期があり、そういう流れの中で「男女平等」が使われたら、財界が困るというので、そういう形になったのではないか。これが地方で条例が制定される段階になって、すごいバックラッシュがあって右翼や国民会議などの攻撃がすごかった。「男女特性論」というので「男女はそれぞれ特性があって、それでやれ。」という形で攻撃がなされてきた。

○男女共学について、学校教育の中の変遷がよくわかった。社会の中でマスコミを通じて、女の子に対して、「ぶりっこ」とか「かわいこちゃん」と呼ばれた頃から、女の子がそちらに流されていく中で、自分らしさを失っていくのを感じている。教科書裁判の中でも書かれていたが、男女平等の流れを押しつぶすような流れを脅威に感じている。ある人の書いていたもので、「ブレスレットでも女の子は、フリルのついた大人と同じ格好をさせている。」というのが書いてあった。教科書は男女同じ扱いでも、テレビやマスコミで「男女は違うんだ」ということが流されているのが怖い。

○東京の都立養護学校の性教育が、都教委の攻撃を受けているが、性教育は男と女の二つだけではない、いろいろあるんだということをやっているが、それをしている学校も少なくて、攻撃を受けている。東京は「男女混合名簿」への攻撃もあって、東京ではバックラッシュと言っても、むちゃくちゃなやり方である。

○会合などで名簿に当たり前のように書いているが、私たち自身もふっと自分たちの場合から、性別を書かせない、学年を書かせないで年齢を書いてもらうなど、身近なところから広げていけることがあるのではないかと思った。

○男女とも自立して行くという上で、私たち自身が教育基本法のこの条項を大切にしていくということが必要なのではないか。

 
 2時間の学習会もあっという間に終わりました。たいへん充実した内容でした。そして、改めて教育基本法の今日の教育に果たしている役割の重要性、反動的な動きを阻止している力の大きさを感じられずにはおられませんでした。

 京都教育センターでは、今後も月1回のペースで「教育基本法月例(連続)学習会」が行われています。ぜひみなさんもご参加いただきたいと思います。

 なお、第1回から6回までの報告や討論の詳細は、「学習会記録集(第1号〜6号)」が出されていますので、京都教育センター事務局にお問い合わせ下さい。また、京都教育センターのホームページ上でもごらんいただくことが出来ます。


 
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