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児童虐待の増加要因と特徴
野田正人/立命館大学


虐待は増えているか?

 
 最近、わが国における児童虐待の増加要因は何か、という質問を受けることが増えた。特にマスコミからは頻繁に受ける。しかし、あいにく筆者はこの答えを持ち合わせていない。答えを知らないというより、増加しているという前提そのものが成立するのかどうかに疑問が残されている。児童虐待にかかわり、またそれを研究対象とする専門家の間においても、虐待は増加しているのか否かについては見解が分かれる。このような前提すら明らかにできていないところに、児童虐待問題への接近や対応の難しさがあり、そのことも児童虐待の特徴の一つというこどができる。
 児童虐待が増えているのか否かは、非常に難しい問題である。あまりに暗数、つまり周囲には虐待と認識されていない虐待の数が多いと想定されるからである。
 日本の児童虐待の定義は、家庭内で起こることを想定している。例えば都市近郊の比較的新しい大規模マンションを想像してみよう。このマンションの子育て世代に、どの程度虐待が潜んでいるのかはどうすれば分かるだろうか。かつての農村のように、一年中鍵などかけたことはなく、子育てや食事の様子が道を歩く人にも見えた時代と、今日の住宅構造を比較すれば、近隣が虐待に気づく可能性は著しく低くなると考えざるを得ない。それに輪をかけて、近隣との人間関係も希薄化しており、家族構成すら近隣が知らないという状況では、自然に虐待が認知されることは一層難しくなっているはずである。
 また、仮に親が子を叩いている場面に出くわしたとして、それを虐待と考えるかどうかという点についてはどうだろうか。しつけを理由として子どもを叩くことを肯定するかどうかについても意見は分かれている。
 筆者が学生に対して行ったアンケート調査でも、叩くことを虐待と思うかどうかは、ほぼ半々に分かれる。加えて、その学生自身が保護者に叩かれて育ったかどうかを聞くと、叩かれて育ったと感じている学生ほど、子を叩く必要があると答える傾向が強い。こうなると、目の前で行われる所在も、人によっては虐待と考えるし、人によってはしつけと考える、その考えは見る人が叩かれて育ったかどうかにも影響を受けるということになり、児童虐待とは何かという泥沼に入りこんでしまう。
 
 見かけの増加
 
 ところで、私たちが日本の虐待状況を把握するために用いる一般的な資料は、厚労省が作成する、全国の児童相談所が対応した児童虐待事例についてのデーターである(表1参照)。この資料によれば、虐待数は平成十三年、十四年は横ばいで約二万三千件台となり、平成二年の約一千件と比較すると、一〇年ほどで、二一倍強の増加を示したということになる。この増加は、やはり尋常ではない。
 なぜ平成二年からのデーターかというと、それまでは児童相談所では全国統一の虐待相談という分類枠を設けていなかった。児童相談所は厚労省に報告するため、相談をいくつかの種別に分類しているが、その中の養護相談の下位分類として虐待の統計をとるようになったのが、平成二年ということになる。それまでも大阪などいくつかの児童相談所では、内部で試験的に虐待の分類を試みたこともあるが、全国的には虐待という分類を必要とするとは考えられていなかった。そのため統計区分も無かったというわけである。全国に当時でも一六〇を越える児童相談所があり、そのすべてをあわせて一千件程度の虐待件数となると、小さなところでは数件、ゼロという児童相談所も出るという状況であり、統計区分をつくる必要も感じていなかったのだろう。
表1 児童相談所における児童虐待に関する相談処理件数の推移
                       厚生(労)省調査(年度は平成)
2年度 3年度 4年度 5年度 6年度 7年度 8年度 9年度 10年度 11年度 12年度 13年度 14年度
1,101
 
1,171
 
1,372
 
1,611
 
1,961
 
2,722
 
4,102
 
5,352 6,932
 
11,631 17,725 23,274
 
23,738
 
 
 ところで、今日の児童福祉法制上、重度や緊急性のある児童虐待は、基本的に児童相談所が対応することとされている。その最大の理由は、児童を強力に保護したり、親権を有する保護者に対抗するには、それに対応できる専門性と権限を有する機関でなくてはならず、少なくともそのような権限は児童相談所だけに付与されているためである。もっとも今の人員配置や設備の現状で専門性や権限を行使できるのかという問題はあるにせよ、法的にはそのようになっているので、権限のある児童相談所の扱い件数は非常に意味のある数値ということになる。
 一方で、虐待の数がどの程度、児童相談所の相談件数に反映されるかという点も大切である。児童相談所は強力な法律上の権限を有する故に、都道府県か政令市に公立機関として設置されることが義務づけされている。このため、虐待の第一発見者となりやすい保育所や学校・園などにとって、児童相談所は敷居の高い機関となりがちで、実際に児童相談所に通告することをためらう傾向を示しがちである。もっと困ったことには、児童相談所もこの数年非常に多忙を極めるため、連絡を受けてもそれを通告と受け取らず、その結果相談件数にはカウントしないという問題も指摘されている。
 このことは、実は平成十四年が前年と横這いなのをどう見るかという点にも関係する。厚労省としては、市町村のネットワークが充実して、児童相談所まで持ち込まずとも対応できるものが増えたので、結果的に児童相談所の扱い件数が上げ止まったという説明をしている。確かにその一面もある。しかし、これはあまりに行政説明的すぎる話である。このところ地方分権の追い風もあって、厚労省は児童虐待の切り札として、市町村ネットワトクの重要性を強調しており、予算的にも重点化している。確かに全体の数パーセントは、そのお陰で、児童相談所に回さないという効果があったとしても、愛知県関係者の調査などでは、市町村のネットワークができると、虐待問題への啓発が進み、より虐待の発見が進むとされていることから、当面ネットワークの効果は、児童相談所の相談件数を押し上げる方向に働くと考えるべき段階である。もっとも平成十四年段階では、この市町村ネットワークも計画中を含めて全国の三〇パーセント程度の地方自治体にしか設置されておらず、今後ネットワーク化が進むほどに発見数が増加すると予想する方が現実的である。
 いずれにしても、全国の児童相談所の状況を見ると、人口比や子ども人口比で計算して、数倍の虐待発見率の差になる地域があるため、実際の虐待の全数をつかんでいるという状況とは言えない。むしろ多くの児童相談所で件数的に飽和しており、そのために新規ケースを受理することが困難であるので件数がのびていないという、児童相談所現場の悲鳴と考えた方がよいように思われる。
 また、児童相談所の統計は、主訴が虐待の場合をカウントしているため、虐待児が攻撃的な問題行動を強めたので非行児として対応した場合や、障害児がネグレクトされている場合でも親の障害受容の問題として障害として対応したなど、虐待が養護問題の単体ではないという点を考慮できない分類になっており、「統計上、虐待の全数把握がしにくい」という指摘が増えている。
 
 その他の調査
 
 全国の一一万を超える専門機関が平成十二年度に対応した虐待状況への実態調査を、国立成育医療センターが実施した。その結果として、社会的介入を必要とするケースは年間全国で三万五千人発生し、児童一千人あたり一・五四人と推定されており、また死亡児童数は年間一八〇人とされた。
 この調査は、専門機関がていねいに実施した初の全国調査であり、非常に意味のあるものだが、教育・保健・医療・福祉・司法・警察などの専門機関が、ある程度虐待を疑った事例を前提にしているという点で限界があると考えられる。そうは言っても、毎年小さな市の人口に匹敵するほどの被虐待児童が生じていることだけでも、重要なことである。
 筆者は、スクールカウンセラーやそのスーパーバイザーとして、中学校にかかわる機会がある。これまで経験した一〇以上の学校での虐待を疑われる事例から、中学生段階で虐待を受けているか、過去受けたことがあり、何らかの社会的支援が必要と筆者が考えた人数は、一五人から二〇人に一人、つまり一クラスに二人程度。そのうち現在進行形で虐待を受けているものが半数、乳児期を含む過去に垂篤な虐待を受けていることが明白なものが四分の一という状況であった。
 学校で示す行動として多いのは、生徒間の行為障害レベルの激しい暴力・いじめ、解離性障害などPTSDと考えられるもの、性的逸脱、摂食障害、自殺願望や自傷行為などである。このうち四分の三の児童について、特別に研修等を受けていない一般の教員(担任や生徒指導担当など)は虐待とは考えていなかった。例外は障害児学級の担任で、サンプル数は少ないが、症状と虐待との関係を想定していた場合が四分の三程度はあった。
 このように、学校では、まだまだ虐待を発見するという段階にも達しておらず、それを児童相談所を含む関係機関に通告するという次の段階もできあがっていないと言わざるを得ない。
 
 おわりに
 
 児童虐待が増えているかについては、筆者はやはり増加していると考えている。しかし、今の統計の増加傾向は、虐待自体の増加よりも発見の増加によるものであり、しかも虐待実態とはまだまだ大きな開きがある。また一方、昨年の頭打ちは児童相談所の限界とも考えている。それゆえ、われわれはもっと虐待を見つけだし、その対応の仕方を検討することが必要だと考える。
 日本では、昭和八年に最初の児童虐待防止法が成立している。つまりは戦前から児童虐待があったことは間違いない。その後の数的な変化も大切であるが、虐待の質的変化も大きいだろう。
 数はともかく、今も虐待を受け続ける子どもがおり、決して少なくない子どもが死亡しており、虐待の後遺症で苦しみ、犯罪に走る人も多いという。このような現実を、われわれはきちんと受け止める必要がある。
 支援で大切なのは、まず子どものニーズを明らかにすることである。その上で、私たちが子どもに何ができるかを検討する。この順番が逆ではいけない。子どものソーシャルワークはそう教えている。われわれに求められていることは多いと考える。
 
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