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特集 新教育課程 この一年

鼎談 京都の教育でいま何が起こっているか

                            辻 健司・藤原義隆・得丸浩一



  教育基本法の見直しの動きが強まる 中、新学習指導要領の実施など「教育改革」は、いまの学校現場に何をもたらしたのか。今号では京都の教育現場 のこの一年を振り返り、検証します。


藤原 今日はお二人から、この一年間を振り返った京都の教育現場の状況を伺いたいのですが、教師が家庭訪問で廻ると、どこの家でも出てくるのは「土・日、他のお宅ではどうしておられますか?」ということだそうです ね。昨年から始まった完全週五日制で学校現場や子どもた ちのようすはどんなふうに変わってきているでしょうか。

●忙しさの中身が変わってきている

得丸 一学期の末に学校ごとにアンケートをとって、「学校五日制になってゆとりができましたか?」という質問 をしたら、九七%が「かえって忙しくなつた」と答えて います。「変わらない」が三%、「ゆとりができた」とい う回答はゼロでした。さらに秋に開かれた教研集会での話で、「やっぱりそこまで現場がしんどくなってきている のか…」と痛感したのが印象に残っています。
 たとえば学習指導にしても、京都市は「電話帳」と言 われている非常に分厚い指導計画を作って、一応それに のっとってやれということになつたわけですが、その中 身は一時間、一時間の具体的な評価項目が並んでいるんですね。毎時間、評価のことを気にしながら授業をしな ければいけない。あるいは補助簿をつけながら授業をしないとあかんということ一つとっても、ものすごい負担 ですよね。だから中学の話では、それまでは丁寧に机間 巡視をしながらどの子が解っていて、どの子が解ってい ないかをみて、解っていない子にはアドバイスをしてい た先生が、補助簿をつけなければならないようになったこの四月から「机間巡視ができなくなった」と言うんですね。教えに行けない。成績のつけかたも、観点別の評 価になったから非常にめんどくさいことをいっぱいしな いといけない。また時間割も朝一〇分、一五分の読書タ イムやドリルタイムで時間が出っ張る。いままでゆっくり「どうや元気か」とペラペラおしゃべりしていたのが、 ベルが鳴るなりパッと漢字ドリルや計算ドリルを始めるようになった。それも、現場の多忙化の一つなのではない、かというようなことが特色ですね。

 完全過五日制になっても、根本的ないくつかの条件がある程度整っていたら、別にそんなに学力低下がどうのこうのと大騒ぎしなくてすむと思うんですね。ところ が調査をするとやっぱり学力は下がっている。いまみたいな学習指導要領で縛りをかけ、大雑把に言えば三割削減という教育内容を押し付けてくるのを、もう少し現場 でいろいろやれるような工夫の保障をするのなら話は違 ってくると思うんですよ。
 また授業内容だけではなくて、学校の教育課程編成権など、言わば学習指導要領の総則にさえもちゃんと認めて書いてあることが守られていなくて、学校の行事なんかも、「いまはとにかく授業時間の確保」ということで削るでしょ。だから校長の一存で突然体育大会がなくなる高校が増えたりしている。遠足が減ったり、学校祭が縮減されたり、子どもにとって「学校っておもしろいな」 と思えるような行事が減らされていっている。中学校では、選択教科なんかも現場ではやりくりをしているでしょうが、全く別メニューでしかもクラスが解体するよう なわけのわからないものを押し付けるから、確保すべき本体の授業時間数が減るし、中身も削られている。総合的な学習の時間については工夫をすればおもしろいこともできるでしょうが、それも何の人的、予算的保障もな いというなかで、現場が困難に直面しているということ ですね。
 土、日の問題は、学校だけの問題ではないと思うのですが、何か学校でしなければいけないような雰囲気があ ります。もともとゆとりができるなかで、子どもが地域や家庭でどういうふうに過ごしていくかという「ゆとり教育」そのものは、子どもたちも望んでいたことなのに、 家でゴロゴロしているとか寝ているとか、部活に行きっ ぱなしとかいう実態が問題視されていますね。本来、家庭教育や地域での教育の在り方をもう一度みんなで考え 直すなかで、どう休みのときの“子どもの育ち”を保障 するかというような問題の立て方で親も住民も受け止め るべきと違うのかなと思うのですが、いま、学力低下が 強調される一方で土曜日に授業をしなければいけないよ うな風潮が強まってきている、とくに高校なんかね。
 けれども、そんなので本当にいいのかなというふうに、 三日で言えば競争の教育を一層きつくしようというような 流れを感じますね。

●「イライラ」と「ボーツ」の子どもたち

得丸 ある地域の教育懇談会に行って皆さんの話を開いたのですが、小学校の先生がいまの子どもたちはボーツとしているか、イライラしているかのどちらかやと言われたので、どういうことかなと思ったんです。
 結局イライラしている子というのは、土・日家でテレ ビとかゲームするとかしかなかった子どもたち。地域に何の受け皿も無いのですから、どうしても家で過ごすこ とになってしまう。そうなると男の子なんかは特にゲー ムをしちゃうということになるんですよ。一緒にいる母 親にしてみたらそれを見て、それまでは家にいなかった わけですから、土曜日に家にいるなんて気になるでしょう。どうしても「何をしているの」とか「宿題やったんか」、「勉強せえ」とか「テレビばっかり観ていたらあかん」という話になるんですよ。ずーつとその小言を聞き 続けながらゲームをしていた、テレビを観ていたという 子どもたちがイライライライラして学校に来るらしいんですね。
 ボーツとしている子どもというのは、それとまた対照的に土・日休みになったので、いわゆるスポーツ関係の少年団とかボーイスカウトとか、塾とかがシャカリキに なってやるんですよね。それでクッタクタになって月曜日を迎える子どもたち。舞鶴の方が言ってたのは、野球 の監督が「毎週合宿ができるようになった」と、本当に合宿をするらしいんですよ。だから野球をしている子でスポーツマンなんだけれども、月曜日の体育の日にグタ ッとしててね。他の子どもが「こいつのこと怒らんといたってや。こいつ土・日の代休やねん」と先生に言って いるという話をされたのです。京都市内では、まだそういうことは無かったし、聞いていなかったのですが、二 学期になってみると醍醐でも出ているんですよ、合宿が。 これはとんでもないことだと思っているのですけれど。

 家庭でも子どもたちと一緒に過ごしたいという親の願いがなかなかその通りにいかない、社会の問題がありますね。土・日の休みを保障されない仕事がけっこう多 い。子どもが遊ぶといったらゲーム産業が発達する。親子で一緒に遊んだり、過ごしたりということができず、 勤め先の関係や雇用状況が深刻だとかで何とかして収入を保たなければと土・日もなく働くというようなことに なる。子育てを放棄しているわけでもないのですが。
 そういう社会全体の中で土曜日の活動のひろがりや受け皿は大事なんでしょうけれども、もっと地域の異年齢の集団で遊ぶとか、その遊び場がちゃんとあるとか安全も保障されているとか、親はいなくても楽しく半日過ごせるようなものが、とくに障害のある子どもたちにとっ てはなおさら無いですよね。そういう社会の側の条件整備が不十分なまま突入をしているから、本当にいまの子どもたちというのは一方で競争の教育がきつくなり、一 方で土・日メディア産業がどんどん取り組まれてきてい るので、かつての子どもが抱えていた困難とは全然違う 困難性がありますね。

●教師は「やりがい」を求めている

藤原 教師も土曜日は教材作りも含めて職員室に来ている人が多いそうですね。いつもと同じぐらい自動車が学校に並んでいる。みんなが休みとは違う状態なんですね。そう せんと仕事が片付かんと言っておられましたね。

得丸 職員会議の時刻が非常に遅くなっている。そして会話や議論が少なくなった、という話は聞きますね。結局その会議の後も仕事が溜まっているのがわかっているから、いら んことを言って長引かさないという処世術ですね。

 健康状態のデータでは、確実に悪くなっていますね。 退職年齢を迎えずに辞める人もどんどん増えていると思 いますが、私が考えるのには 「教師をやっていてもおも しろくない」というひろがりがかなりあるのではないかと。これはアンケート調査をしてもなかなかつかまえにくい問題です。生きがいをどんな単位ではかるねん、と いうふうにね。たとえば小学枚の先生にしてみたら、少人数授業で一人ひとりを丁寧にみると言っても、実際は クラスがバラバラになっていく。そこへ習熟度別をやれ、できる子とできない子に分けろということになると、子 どもたちがどんなふうにつまずいて、どんなふうに勉強 して良かったと言っているのか、クラスの子どもなのに その場面を自分の目で確かめられない状況が広がってき ていますよね。小学校の先生が確かに専科教育もないな かで、丸ごとクラスをもつというのは大変だと思うので すが、だからと言って少人数授業というのは教材研究の 時間を生み出すわけでもないですから、一週間のうちに授業の準備やノート点検をする時間がかえって減らされ るなかで、クラスが集団としてどう変わっていくかわか らない。それで細かい細かい書類作りを押し付けられると、いったい何のために先生をしているのかというとこ ろが奪われているのがものすごく深刻だと思うのですね。

得丸 賃金が二・五%カットということで、政府は史上初めてのマイナス人事院勧告ということやりました。そ れで運動として京都全体が盛り上がったか、全国的にも 役所を取り囲むような大きな抗議行動が起きたかというと、昔ほどじやないんですよ。特に教職員の動きからするともちろん金は必要ですが、「金より時間」、もっと言 うと「時間よりやりがい」なんですよね。それはすごく 感じています。市教組(京都市教職員組合)が超勤のレ ッドカード調査を四〇五件の対象で行なったところ、週 あたりの労働時間が一時間増えているんです。労働日は 一日減ったにも拘わらず、学校別では小学校が一二分、 中学枚が一時間二二分、養護学校も同じく一時間二二分、 一週間の合計が増えています。年代別に分けると、週あ たりの労働時間が一番多かったのは、二〇代で六四時間 超勤で働いている。とんでもないことですが、平均で二四時間超過しています。その原因を尋ねてみると、管理職に超勤をなくす意識がないという項目が、二〇〇〇年は二五%だったのが、今年の調査では四六%に跳ね上が つている。管理職も競争をさせられていますから、府教委(京都府教育委員会)はいちおう口先だけで「働き過 ぎはよくないよ」という通達も出していますが、「勝負ど ころでは頑張ってもらわないと」ということを言って、 超勤に対して減らそうとは思ってない。
 教員は確かに早く帰って遊びたいとか、ゆっくりした いという思いがないこともないのやけれども、子どもの ために頑張ってしまうところがあって、それは喜びなんですね。ただ自分で考えてやっているときはいいけれど も、上から言われて「こんなことして何になるのや」と いう仕事をやらされていることもある。新採の今年に入 った青年は、四年生の担任で子どもとちょっとうまくい かないことがあって、家庭訪問をして親とは一応関係を 修復をし、「頑張って下さい」と言ってもらえたのだけど、子どもとの関係修復はなかなかうまくいかない。彼 はそれを非常に悩んでいます。コミュニティスクールの 指定を受けていていっぱい会議があるそうですが、「もっ と子どもと一緒に遊びたい」と言っていました。そういうや らされている忙しさみたいなのが、蔓延してきていると思う んですね。

藤原 そうした生きがい、やりがいの部分に問題があると、集団づくりがものすごくしにくくなつていく。

〈2002年の教育をめぐる主なできごと〉
1月11〜14 教育研究全国集会に1万2000人(高知〉
   17 遠山文科相「学びのすすめ」アピールを発表
2月 7 今春卒業予定の高校生の就職内定率67.8%過去最低(文科省調査)
  24 文科省「学力調査」始まる
4月1 学校5日制スタート。改定学習指導要領本格実施
  9 高校の教科書検定で侵略戦争を美化した日本史教科書が合格
5月25 「教育基本法」全国ネットワーク結成総会(東京
7月18 梅原猛氏ら24氏連名で教育と文化を世界に開く会「教育基本法改悪 反対の声明」を発表
「絶対評価」の通知表渡される
 9月14〜15 民主教育研究所主催第11回教育研究交流会が京都で開催される
11月 9〜10 京都教育研究集会〈美山町、亀岡市ほか)
   14 中教審、教育基本法見直しの中間報告を文科省に提出
12月 6 府教育長「洛北高校を中高一貫校にする」と譲会答弁
   7 教育関連15学会「教育基本法見直し間蓮を考える共同シンポジウム」 開かれる(東京)
  10 府立学校在り方懇話会「まとめ」を発表(高校の統廃合・通学国の拡大 などの危険性)
  13 文科省「学力テスト」結果公表正答率15教科で低下
  14 「教育基本法見直し」に関する「1日中教審」京都集会


●集団づくりを奪い、競争へ

 高校でもいよいよ府教委がフレックスハイスクール と言って、一時間目から一二時間目までやる。それで単位制だ、その生徒の関心で授業を選んでくれたらいいん だとかいうことで、午前の部とか午後の部、夜間の部と いった多部制の高校づくりをしようということを言って いますが、そうなると完全に「学級が無くなる」どころ の話ではなくて、「学年が無くなる」。七〇何単位か取っ たら卒業だし、留年しているとかしていないとかの概念 も通じない。そういう規制緩和のもとで高校がつくられ ようとしているけれども、そうなってくると学級で取り組んで「文化祭に催し物や劇をやろうか」とか「仮装行列しようか」という高校生ならではの取り組みというも のが、クラスが無いわけでけからやりようがない。そして、あの西京高校のような中・高一貫教育の、一部のエ リートを育てる学校づくりをしようとしている。それは、小学校の習熟度別学級で集団づくりを阻害しようとしていることにまで及んできていますね。
 教職員の集団づくりも難しくなってきている。これは もう優秀教員の表彰とその一方で「指導力不足教員」と レッテルを貼って、転職どころか退職強要するというこ とが始まっているんですよ。府教委は新開で優秀教員五〇人を発表して、ホームページに学校名と名前が載って います。八〇万円の予算を組んでそういう表彰制度を作 つた。市教委(京都市教育委員会)は、五四〇人余に一人ずつ二万円の図書券を配り、およそ一二〇〇万円の予算を使っている。現場である職員室ではシラッとした反応だったと聞いているけれど、何か教職員を競わせれば、 いい結果が出るという発想が文科省にも教育委員会にも 色濃くあるのではないかと思いますね。子どもたちも、 教職員も、学校もみんな競争させることがいいことだと いうふうに。

藤原 それは必ず全員を表彰しないというところに表彰 の意味があるんですね、分断するという。生きがいが感 じられへん教師が増えてきている、その背景というのは ちゃんと政策としてあるわけですね。

●地域の中で学校は育つ

藤原 これをどうはね返していくかということですが。

得丸 僻地校に行かせてもらったことがありますが、六 人の六年生を担任したんですよ。六人だと、目の前でつ まづいていたら、きみ違うやん、こうやん、こうやんと 一人ずつ説明できますから、全然違うんですよ。偏食の激しい子どもだったとか、生活面や学力でも相当しんどかった子どもだったと聞いても、六年目の子どもたちを見ているとわからないのですわ。結局、手厚く教えても らってきているから、カをつけているんですね。その子 どもたちと、地域の人が土地のことをどう考えているか というアンケートを全戸配布して、それをまた各々家を 廻って回収したら、地域のお年寄りがものすごく喜んで くれたという経験があります。お医者さんが地域にいな くて困っているということがわかって、今度お医者さん がそこで開業されることになったそうなんですわ。

藤原 親や地域との協力関係が大事になってくるという お話やね。地域懇談会をずっとやってきたという伝統が あるけれど、いま、インターネッ下でいろんな案内をす ると、大勢の人が参加するという時代になってきたね。

 この間も「守ろう憲法と平和」京都ネット主催の講演会とキャンドルパレードが開かれて、いろんな団体が 一緒に取り組んだり、『心のノート』があちこちで話題に なっていて、「心の教育は要らない市民会議」ができたり しています。もっと地域に根ざしていきたいですね。
     (二〇〇二年十二月収録・構成/松永ますみ)

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