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■学校五日制問題を考える■
子どもは24時間の生活で育つ
−−五日制での二学期を終えて

                 綴喜郡・小学校教師  池添 廣志


  「二〇〇二年四月問題」と言われる課題に直面して、ほ ぼ一年がすぎました。学校五日制の完全実施、新しい学 習指導要領の下での教育課程、教科書、授業、総合的な学習の時間、評価問題など目の前の大きな課題と子ども たちの困難さの現実の中で「学校とは」「地域とは」何か を考えさせられ続けてきました。

 今までの六日制であろうと五日制であろうと、そもそも子どもの成長・発達は週七日制であり、毎日二四時間 の積み重ねの中でなされていくものであったはずです。 それを週五日は今までよりぎゅうぎゅう詰めの生活にし、 あとの二日を「ゆとり」あるものにすると言ったところで本筋がちがっているわけですから、子どもたちにとってゆとりにも何にもなるわけがありません。子どもの成長・発達のためには、毎日の生活の中で、学習や仕事、 遊び、休息、余暇などがバランスよく入っているほうが よいわけですから、この論理に背いた五日制に子どもの真の成長・発達の道が見えてこないのは当然のことでしょう。

 五日制を経験している私のクラスの子どもたちは、五日制になつてよかったというのが一一名(二八名中)で した。そのわけとしては、ゆっくりできる、ねられる、 遊ぶ時間が増え、好きなことができるから、というものでした。他の子どもたちは、勉強が苦しくなった、習い ごとが多くなった、ひまになった、遊ぶ時間が減った、 土日の行事がなくなった、などの理由で「もとにもどしてほしい」という声をあげているのです。
 月曜日の朝の子どもたちの第一声は、「つかれた!」で あり、お母さんにおこられずにホッとするというのが多いのです。子どもたちの声から考えると、五日制の中で、 習いごと (塾やおけいこごとだけではなくスポーツなど も含む) の増加とひまをもてあます子どもたちという構図がうかび上がってきます(もちろん、自分なりに有意義に二日間をすごして気持ちよく学校に来ることができる子どももいます)。

 子どもたちの生活が忙しくなった一つの背景に「学力低下問題」があるように思います。四月の懇談会や家庭訪問では、「学力は大丈夫ですか?」「教科書が変わった ようですが?」「うちの子はついていけますか?」という 親の不安が数多く出されました。新しい教科書を見た教師の中からも「これで何を教えるの?」という声が出さ れる状況でもありました。一方で、文科省は、「学びのすすめ」で国民には、「子どもに勉強させる」とアピールしていました。
 だからこそ学校の第一義的任務である「学力」をすべての子どもにつけるためのとりくみは、すべての人の共通の要求にもなる条件がありました。
 私たちの学年では少人数授業の大変さ、問題点を指摘 しつつも、年間の見通しや計画教材研究を集団で進め、 何をどのように教えるのか、教材の補助プリントや宿題 はどうするのかも話し合い、少人数授業での授業内容が 子どもたちの学力形成に結びつく努力をしたり、総合的 な学習の時間を使って、教科の発展や回復の学習にもと りくむようにしてきました。
 また、「表現力をつける」という全校のテーマ実現に向 けて、行事(修学旅行や児童会主催のまつりなど) に対 して、自分(たち) の思いをもち、交流し、みんなの願 いに高め、実現していくための学年集会を中心としたと りくみを大切にしてきました。学級会活動の時間がなくなり、子どもたちに自治的活動が弱まり、子どもたちの人間関係が不十分な状況の中で、一人ひとりの子どもた ちの思いをつむぎ合っていく学年集会のとりくみは、時間がかかるけれども、自治のカ、人間関係をつくり出す上で大切なものでした。この時間を保障したのが総合的な学習の時間です。
 学校の責務として、子どもたちに学力をつける、学校へ来るのが楽しいと思える学校づくりをしていくことが、 現在の困難さの中で大切なのではないかと思っています。

 一方、子どもたちの成長、発達の場としての地域の生活がどうなっているのかを見ないと、「二四時間の生活」 で育つ子どもの姿が見えないことも感じています。
 本来、子どもたちにとって「地域」とは意味ある大人 の意図から独立し、自らの意志で人間関係と活動をつくり出し、豊かな自分をつくりあげる場です。
 これは、昔の 「ガキ大将を中心とした集団」 の活動を見ればあきらかなことです。
 地域の異年齢集団の中で、子どもたちは自主性、自治のカ、平等の大切さ、仲間の大切さ、やさしさ、達成感…な どを身につけてきたのです。仲間という集団の中で子ど もたちは成長、発達してきたのです。
 この地域での集団が活動できるためには、自分たちで自由に使える時間、群れて遊ぶ空間と仲間、子どもたち が伝える豊かな子ども文化があったのです。この時間、 空間、仲間文化がはたして、いま、地域に十分に存在し ているのでしょうか。ここに、いま、地域で子どもが育 つていくための大切なポイントがあるように思います。
 五日制下の地域では、「体験・経験を」というスローガ ンのもと、様々なイベントや受け皿作りがさかんに行わ れていますが、はたして子どもの成長、発達にとってど うなのでしょうか。
 家庭、地域を見たとき、「学校くささ」や「学校文化」 が大きく広がっており、支配しているように思えるとこ ろがたくさんあります。地域に大切なのは、上から教え たり、ひっぱったりすることではなく、「共に」 つくり出 す関係ではないでしょうか。
 学童保育や少年少女センターの実践から見ても、子ど もたちが、自分たち自身が主人公となって、生活、活動 できる場をつくり出し、どんなに時間がかかっても子どもたちが企画し、工夫し、協力しあって運営するとりく みを大切にしたいものです。どんなに大切な「体験」で あっても、評価のためや、「やらされる」ものでは、子ど もの力にはなりません。子どもたちの思いや願いを子ど もたち自身が組職し、子どもたちで協力して実現してい くというとりくみを大切にできるのが、地域の活動です。
 このようなとりくみの中でこそ、子どもたちの自主性 や主体性が育っていくのではないでしょうか。
 地域の中に、子どもたち自身の異年齢の集団が存在し、 子どもたちの自主的な活動が存在することが、地域の「受 け皿」づくりとして、一番大切にしなければならないこ となのではないでしょうか。

 子どもたちは、「二四時間の生活」の中で育ちます。子 どもの成長、発達のためにも、「二〇〇二年四月問題」は、 学校の問題だけではなく、家庭、地域にもおそいかかっ ている問題ととらえ、子どもの全面的危機に対して、い まこそ、それらを変えていくための家庭、学校、地域の 共同の力が必要なのではないでしょうか。

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