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特集2

追いつめられる子ども?
「心のノート」から見えてくるもの




■小学校低学年一、二年用を読んで■

こんな「良い子」が本当に魅力的だなんて思えない
                小学校教諭 石津川 広

 『心のノートは』には、「うそなんかつくもんか」という ページがある。母親にうそをついてしまった少年が「回り から鋭い目が降りかかる」 (活用書) のに心を痛めて改心す る話が載せられている。これなど、オオカミが来たとうそ をついて結局オオカミに食われてしまうというあの少年の話よりもずっと、ありそうもない話だ。
 まわりの人間との不信関係からは「良い心」は生まれな い。まわりに「受け入れてもらえる」という安心感があっ てこそはじめて、人は素直になれるものなのだ。うそをつく子に対して「鋭い目」で不安にさせても、さらにうそを 重ねさせるか、パニックに追い込むだけだ。
 『心のノート』が作り出す「良い子」とは、要するに、「回 りの鋭い目」で子どもを緊張状態におくことによって「良 い子」を演じさせるだけのことであって、子どもの心を育 てはしない。それどころか、ホンネとタテマエの使い分け に長けただけの 「良い子」を作り出 すことの罪が深い。
 『心のノート』に イラストで描かれ た 「良い子」像、 それは、朝は早起 きして洗面し、父母に挨拶し、友だ ちと誘い合って学 校に行く。学校で はしっかり発表し て学習し、家では きちんと宿題をして、お手伝いもして、早寝をする子。友だちがたくさんあって仲良くする子・・・・。
 これはたしかに、どこに出しても恥ずかしくない 「良い子」に違いない。だが、何とリアリティのない、魅力の感 じられない子ども像であることか。例えば、あのトム・ソ ーヤーに出てくるたくましい子どもたちは、こうした「良い子」像とは対極の子どもたちだったが、ずっと魅力的でリアリティのある子どもたちであった。
 世の中「良い子」ばかりじやない。みんなちがってみんないい。「今のキミが一番すてきだよ」と、私はメッセージを送りたい。




■小学校中学年三、四年用を読んで■
「良い子」の視点よりリアルな視点を
                      小学校教諭  山科五郎


 小学校中学年の「心のノート」では、「みんなでつくる楽 しい学級、すてきな学校」をめざして、「学校は、どんなと ころ?」と問いかけるページがあります。
 学校で働いている先生がいたり、一緒に学習する学級が あります。学校にくる人々、人間関係を問題にしているペ ージがあります。その中の一項目に先生に注目させる部分 があります。
 「先生は、勉強を教え、ほめたり、しかったり、はげまし てくれる」存在であるのですが、先生の別の面を発見させ 記述させる欄があります。
 その欄に、どんな事柄が入るのでしょう。私のクラスで は、「ギャグをいう」「コチョコチョをする」「あそんでくれる」などと書かれました。
 次のページでは、「先生の好きなところ、楽しいところ」 をみつけて書くように指示しています。参考作品は、「良い子」の文です。
 「先生は、よくほめてくれる。きまりを守らなかったり、 うそをいうと、きびしくし、授業で分からない時には、放課後おしえてくれる。きびしいが、私たちのことをかんがえてくれている」という意味の参考作品がそえられています。私のクラスでは、本当のことを書くことを目指しつつ、 「先生のことで、発見したことを書こうとよびかけました。

 先生
         香
 先生は、算数のときなど
 子どものころの話をする。
 木登りのこととか、
 海での遊びのこととか
 とにかくよくしやべる
 先生の話はあきない
 先生の話はたのしい
 でも、先生
 べんきょうしてん
 わすれたらあかんで

 優しさのなかに、厳しい指摘があります。
 私はこのページを指導する上で、社会科の授業として、私 へのインタビューをしてもらいました。各グループ五問まで。インタビューと詩の作品をそえるなどして、壁新聞に しました。「よい子」の視点ではなく、人間もリアルに見る ことのできる力を育てたいと考えています。




■小学校高学年五、六年を読んで■
人間は弱さをもってはいけないのか
                     小学校教諭 小林恵太


がんばりきれないときもある

 「心を暗くしてしまう自分の中の『ずるさ』自分のまじめ さにもっと光をあててごらん」のページを読んでみた。
 まじめに誠実に生きたい。子どもたちにもそんな風な生 き方のできる人間に育ってほしいと願う。しかし、人間は ″弱い″ものだ。『心を暗くしてしまう自分の中の「ずるさ」』とあるが、そうだとすると、すぐ『ずる』をしてしまう自分などは、いつも暗く落ち込んでばかりいなければな らないことになる。
 いつもいつも誠実に生きようとしても、がんばり切れないときだってある。心の弱さに負けるときも当然ある。
 そういうとき、子どもたちは自分は″ダメ”な人間だと 思い、自分の心を恥じなければならないのだろうか。そして自ら心を暗くしてしまわなければならないのだろうか。自分の弱い心を責めさせてはいけないのではないか。弱い心 は誰しももっているものなんだよというメッセージこそ、子 どもたちに届ける必要があると逆に思う。”良い子”競争 に子どもたちを追い込んでしまつたとき、ふっとそばにがんばっている友だちを見つけた子どもは、つい羨ましくな り「まじめさをちゃかしてしまう」ようになるのかもしれない。

正直な心にふたをする

 誠実に生きようとしても、ちょつと「なまけて」みたく なつたり、「楽をしよう」と思ってしまうときもある。そ れでいいとは言わない。
 しかし、自分の正直な心に動きにふたをさせてしまう 結果となってしまっては意味がない。それぞれ”弱さ” ももちながら生きているのが人間だ。そんな人間の方が リアリティがあるし、また、そんな人間同士だからこそ 理解し合うこともできる。

自分らしくかがやく

 それぞれの持ち味を認め合いながら、カを合わせた り、心をつなげようとする人間の素晴らしさをこそ、子 どもたちとともに考え合うことが大切なのではないか。
 自分に自信がもてない子どもたちが多い今の時代であ る。そうでないと、子どもたちは「自分らしく心を育て かがやかせる」ことがますます困難になってしまう。




■小学校版から家族について考える■
「心のノート」で傷つけてもいいの? 子どもの心
                   京都母親連絡会  中須賀ツギ子


あたたかくて余裕いっぱいの家庭

 「行ってきます」「ただいま」の子どもの声に笑顔でこたえるエプロン姿の母親、両親と共に台所で料理を楽しんで いる子どもの姿。夜、絵本の読み聞かせをする父親、兄妹 と一緒に入浴する父親、祖母、母親、弟に看病される女の子・・・。低学年用の心のノートには、暖かくて余裕がいっぱ いの家庭生活が描かれています。

多様化する家族

 共働き家庭の増加に加え、母子家庭、ひとり親家庭、単 親赴任による別居家族等、子どもたちの家族・家庭の状況 は、多様化の一途をたどつています。
 更に長引く経済不況、失業者が増えるなかで親の働き方も様々であり、恵まれない人ほど、厳しい条件におかれ、家族の命、くらしを守ることさえ危うくなつています。そのようなときに、ばら色に描かれた家庭生活の様子だけを見 たり、教室で指導されたりすると、子どもたちは現実との ギャップをどのように感じるのでしょうか。

従来の性別役割分業が

 どの場面でもエプロン姿で、家事、育児、介護を一手に 引き受ける母親、仕事から帰ってきて家の手伝いをする父 親の措き方に大きな問題を感じます。長い間、日本社会の中で男女差別を温存してきた性別役割分業(男は仕事、女は家庭) の考え方から、男女が共に仕事も家庭も平等の立場で、という新しい流れに変わろうとしているとき、こうした時代の逆行につながる家族像の復活を許してはな らないと思います。





■中学生版を読んで■

“理想、勇気、思いやり、個性 ”は「心の ノート」(特設道徳)でつくれるの?
                        中学校教諭 瀬戸山京子



語らないA子

 「気がついたとき、私は二つの国の言葉を話していました。 中国語と日本語です。その前の記憶は、保育園でいつも一人でいたことです。二歳下の弟は、弟もまわりの子も言葉 が十分にしゃべれなかったので、すぐに一緒に遊べる友だ ちができましたが、私は日本語がわからなかったので、先 生やまわりの人が何かしてくれたり、言ってくれたりしても、何も答えられなくて、知らない人、知らない言葉の中で、いつも一人でいました。私が日本語がわからなかったのは、私が中国で生まれて三歳まで中国で育ったからです。 −−中略−−。
 A子は、中学二年生。今年の文化祭での”主張発表”で、 涙ながらに全校生徒の前で発表した冒頭の文章です。
 「中学へ入学した次の日、担任の先生が、私に『A子、中 国で生まれたこと、みんなに言ってるか』と聞きました。私は、『知っている人もいるかもしれないけど、言いたくない』 と、答えました。そしたら、先生はいろんなことを話してくれて、『早く、胸を張って、堂々と言えるようになるとい いね。一緒に考えていこう』と、言ってくれました。両親も、『何も悪いことをしてないのに、何で、隠そうとするの』 とよく言いました。でも、絶対に忘れることのできない、い やな思い出があって、怖かったのです。それは小学校のと き、友だちとケンカしてよく言われた言葉、『中国人のくせ に』とか『中国へ帰れ』。これを言われると私は何も言えず、 悲しくて、くやしくて、家に帰って一人で泣きました。−−中略−−。」

心の中を語れるのは

 祖父が中国残留孤児であり、一家で中国から日本に来た A子は、二校目に転校した小学校で一切、自分の生まれ育 ちを語ることはありませんでした。
 「でも、中学一年の終わり頃から、いろいろ言われるのも いやだけど、隠そうとしている自分もいやになりイライラ することが多くなってきました。そんな私に、母と先生は 『残念だけど中国人や韓国人に対する差別は確実にあるよ。 でも、それは差別する人たちの方が貧しくて恥ずかしい。自分の親や自分の生まれた国を隠すって、自分を否定してい ることにならないかなあ。もっと、自信をもって誇りをも ってがんばり。二つの国の文化をもつってすばらしいことやないの』って、いつもはげましてくれました。私もそのことから逃げている自分のことをわかっていました。言葉 や習慣が違う日本の社会で、必死になって働いている両親。 言葉の問題で、仕事を覚えるのも本当に苦労してがんばっ ています。親の苦労を見てきた私も強くならなきゃ、そう 思って書きました。−−後略」
 決して、とてもすばらしい、よい子のA子ではありません。すぐにふくれるし、けっこう敵もつくります。でも、毎日の学校生活の中で、A子の心の中に大きな変化が生まれたのです。
 ”心のノート”が、「自分を見つめる」とか、「心の姿勢」とか、「思いやり」を強調しています。一般的に否定されるものではありません。しかし、言葉でいくら、よい子像の強調をしても、信頼関係は生まれるものではあ りません。ましてや、指導要領のレールを外れ ない枠づけでは、なおさらです。
 A子は、親や担任の先生、クラスや学年の毎日の生活のつみ重ねの中で、自分のことを安心 して言える信頼関係を感じとったのです。

思春期の子どもたち

 様々な問題を起こし、親や先生の言うことを そう簡単には聞くはずのない思春期の子どもたち。中学生がよい子であるはずがないと言って も過言ではないでしょう。そんな子どもたちも、 本当は夕陽に向かって走っていけるような自分 を、どこかで準備しているものです。きれいな言葉や、みえすいた特設道徳(ごまかし)では、決して見せ ることはありません。
 「俺のおじいちゃんも中国人や。おかんはハーフやけど、気にしてへん。A子も気にすんな」。 授業中も集中力がなく、言い訳ばかりするB男 が、A子の発表を開いた後の感想文にボソッと書いてきました。B男のそんな事情は、担任も含めて誰も知りませんでした。

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