トップ ひろば ひろば132号
補助教材の取扱い上の問題点
--「心のノート」の扱いを通して--

               近畿大学  室井 修



 今年の春、文部科学省(以下、文科省)は、「道徳教育の充実に資する補助教材『心のノート』について(依頼)。平成一四年四月二二日、各都道府県教育委員会教育長宛文科省初等中等局長)」として、「心のノート」を全国すべての 小中学生を対象に無償配布した。

 配布当初は、このノートを「各学校において有効かつ適切に活用されることを期待します」と述べて、その使用を義務づけるようなことを避けていたのが、その後、同省は 「『心のノート』の配布状況について」各都道府県教育委員会に対して照会・点検をおこなっているという状況のもとで、そもそも補助教材とはなにか、教育行政上、教育法制上の原則からみて、心のノートの補助教材としての取り扱 いについてどのような問題があるかを検討しようと思う。

補助教材の意義

 補助教材の使用については、学校教育法の「教科用図書以外の図書、その他の教材で有益適切なものは、これを使用することができる」(二一条二項)という規定を根拠にし ている。教科用図書(教科書)以外の図書、その他の教材=補助教材(副読本、学習帳、図表など)の使用が認められるのは、述べるまでもなく、学習活動の多様化に対応して児童生徒各人の学習権を保障するため、きめこまかなゆき とどいた学習指導をおこない、十分な教育効果をあげるのには教師(集団)の創意工夫をこらした「有益適切」な教材の使用が不可欠であるからである。

 それゆえ、そのような創意工夫をもたらしうる教師(集団)にとって教師の教育専門的自律性が十分保障されなけ ればならない。いいかえれば教育活動を有効にすすめるための教材が教師(集団)の自主性において選択・使用でき るものでなくてはならない。

 事実、さきの学校教育法二一条二項の趣旨が補助教材使用の自由にあり、何が有益適切であるかの判断は教師にゆだねられているとの原則が確認されている。(学校教育法案 提出理由の説明のさいの高橋誠一郎文部大臣=「有益適切 な補助教材の使用が自由になった」、元文部省初中局長・内藤誉三郎「学校教育法解説(一九四七年)−「教育本来の性質から云えば……何が有益適切であるかの判断は教員に委ねられている訳であるが、誰が見ても内容が偏っている もの……余り高価なもの等は適切でないといってよかろう)。

 補助教材使用の自由という原則の確認の立場は、むろん、教師による補助教材使用の自由放(ヽ)任(ヽ)を意味するものではな く、教師の教育専門的力量に信頼を置いた自由、教育の自主性・自律性を認めたうえでの自由を意味するものであっ たのである。

「心のノート」の取り扱い上の問題

今回の「心のノート」の発行・配布・調査等、その取り扱いに関する教育行政上、教育法上の問題がどこにあるかについて述べてみたい。

(1)補助教材使用の自由の原則を逸脱していないか

 「心のノート」を補助教材と位置づけ、その全国配布にあ たっても、行政上、なんの法的拘束力も有しない「依頼」の文書形式をとりながら、また同ノート編集協力者を含む文科省自らも「積極的な活用を期待」するも押しっけになら ないようにという“姿勢”をとっていたのにも拘わらず、今年、七月一二日、文科省初等中等局教育課長名で、都道府県教委などに同ノートの配布状況(「全(ヽ)て(ヽ)の学級の全(ヽ)て(ヽ)の児童生徒に配布されている」かどうか−傍点・引用者)につ いて、「照会」・点検していることは、学校現場において一部であれ、すでに校長がその意を汲んで同ノートの使用を 教員に命じている現実が認められていることを考えると、事実上、教育行政における非権力的な指導助言権の行使を越 えて、教師の補助教材使用の自由に規制を加えるものとして、教育の自主性尊重の原則(教育の不当な支配の禁止)を 定める教育基本法一〇条に抵触しかねないと言われなければならない。

(2)一定の教育価値を方向づける同ノート発行・全国一律配布は、憲法・教育基本法の原理に反していないか

 まず第一に、公権力を有する文科省が特定の人間観・価値観の立場に立って道徳教育の教材として同ノートを発行・全国一律配布する権限が戦後教育行政の原理からみて許さ れないことを確認する必要がある。ノートの内容は、入り口では「生き物を大切にしよう」と述べながら出口は“愛国心”であったり、響きのよい言葉を並べてある方向にマ インドコントロールするなどと、同ノートに対するすでに多くの批判が見られるように、心の問題に国が関与するこ とは、戦前わが国における教育政策・行政に対する厳しい批判・反省から、文科省の権限行使については原則上、「行政上及び運営上の監督をおこなわないものとする」(旧文部省設置法六条二項)というように権力的な権限行使は規制 されていたはずである。

 たしかに「別段の定がある場合を除いて」という例外を 認めて、五〇年代以降、たびたびの法「改正」を経て文科省の行政支配を強める政策がとられてきたにせよ、指導助言権を主内容とする教育行政の原理・原則の前提は現行法制上、堅持されなければならない。最近の文部省設置法の全面改正で、今回の同ノート発行の法的根拠をとくに文科省設置法四条(所掌事務)一一号(教科用図書その他教授 上用いられる図書の発行……に関すること)があげられているが、これについてもその発行の前提が少なくとも上位法である憲法・教育基本法の原則に則る限り、文科省の今回のような一定の価値内容を含んだ同ノートの発行・使用 状況の点検、一部校長を通しての強制使用の現実などは、違法性をまぬがれないと言わなければならない。

 たとえば、『教育基本法の解説』(文部省教育法令研究会、 一九四七年)によると、教育基本法一〇条二項の教育行政 の任務と限界を説明する中で、戦前教育行政の教育への権力的介入を反省して教育行政は「教育内容に介入すべきも のではなく、教育の外にあって、教育を守り育てるための 諸条件を整えること」と述べている。

 また、最高裁学力テスト判決(一九七六年)においても、本来、人間の内面的価値の形成にかかわる「教育内容に対 する国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが 要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の 独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下において は、子どもが自由かつ独立の人格として妨げるような国家的介入、たとえば、誤った知識や一方的な観念を子どもに 植えつけるような内容の教育を施すことを強制することは 憲法二六条(国民の教育を受ける権利……引用者)、一三条 (個人の尊重等……引用者)の規定上からも許されない」と言及している。

 以上からもわかるように、同ノートの配布・活用については、文科省の各都道府県教育委員会宛の文書の形式もなんら法的拘束力を有しない「依頼」という方法をとりつつ も、同教育委員会を通して、市区町村教育委員会に対し学 校や家庭への「指導」の徹底を図ろうとすることは、右に みた従来の行政当局の説明や教育判例とも矛盾しないとは 言えない問題を含んでいるのではなかろうか。

 教育内容や教育方法等に関する教育の専門的事項については、教育行政は「学校の主体性を尊重する観点から」、すべての学校が必ず従わなければならない指示・命令ではな く、学校の主体的判断に委ねる指導・助言により運用すべ きであるとの近年の中教審答申「今後の地方教育行政の在 り方」(一九九八年)にも注目してほしいものである。その他、すでにあげた憲法・教育基本法の規定以外に憲法一九 条(思想・良心の自由)、二三条(学問の自由)、教育基本 法の規定からの詳細な検討が必要であるが、別の機会にゆ ずることにしたい。



(注・文章中の(,ヽ)は、ひろば132号では引用者による「傍点」となっています。・・・・教育センター事務局)

トップ ひろば ひろば132号