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『心の教育』再考−−

「心のノート」は子どもを励ますノートになるのか

                                   立命館大学 春日井敏


はじめに−−「心のノート」を読んで

 『心のノート』中学校版(文部科学省、二〇〇三を開い てみる。「元気ですか あなたの心とからだ」 (一四〜一五 頁)という大きな活字が目に飛び込んできた。私にとって インパクトの大きかった「元気」という二文字は、このノ ートの中で最も大きな活字であった。子どもたちの写真も なぜか笑顔が多い。私の心は思わず叫んだ。「いつも元気で なかったらあかんのか」と。

 部分的には「自分をまるごと好きになる」「あなたらしさ があなたの個性」 (三〇〜三三頁)といった、自分の長所や 短所を相対化してとらえる視点もある。しかしその前後に は、「こんな自分はいませんか」として、「まわりの意見に 流される自分」「物事を深く考えない自分」(二二〜二五頁) や「心の姿勢について考える」(心はもっと前向きであるべ きなのに、知らず知らずに、心の姿勢が悪くなったなって しまったのだろうか) (三四〜三五頁)といった、ダメな自分探しがでてくる。ダメな自分を問い詰めて、あるべき姿 へ誘導していく方法で、現代の悩める子どもたちを本当に励ますことができるのであろうか。全体的には二十一世紀 版「期待される人間像」に向かって、「自分の心と向きあっ て書き込む」手法を導入しながら、心を動員していくトー ンを感じざるをえなかった。

 同時に、長年私自身が付きあってきた中学生たちの姿を浮かべながら、「不登枚などで心がSOSを出している生徒は、逆にしんどくなるだろうな」「いろんな家庭的な不安定」 さも抱えながら荒れている生徒は、はなっから受けつけな いだろうな」「男子生徒は書き込み欄に本音なんか書かない だろうな。でも逆にまじめな女子生徒は、自分を厳しく見 つめていってしんどくなるかもしれないな」「いや、もっと 賢い生徒は、先生に読まれることを意識して模範回答を書 き込んでいくだろうな」「そのとき、子どものプライバシー はどう扱われるのかな」といったことを思った。

 なぜ「心のノート」を読んで私の心はそう感じたのか、少 し解き明かしてみたい。

子どもの生きづらさと「心の教育」の経緯

 バブル経済の崩壊と不況が深刻化する一九九〇年代の半 ば、主として小学校の低・中学年では「学級崩壊」が問題 となり、中学校や小学校高学年では「新しい荒れ」が問題 となった。ベテラン教師のもとでも学級集団の機能麻痺、人間関係の解体がおこり、教師と子ども・子どもどうしの人 間関係の結び方や子どもの実態をふまえた学級づくりの課題などが論議された(湯浅・永井、二〇〇〇)。

 同時に、九七年の小学生連続殺傷事件(神戸)や九八年 の女教師刺殺事件(栃木)など、ひとの命まで奪ってしまう「子どもの攻撃性の変化」(村山、一九九九)が問題になり、突然「キレる良い子」をめぐって論議がなされた。

 政府・文部省は凶悪化する少年事件に対して「少年法の改正」と「心の教育」の推進を打ち出し、九五年からは「スクールカウンセラーの活用調査研究委託事業」がスタートした。

 またこの時期は、八九年改訂の学習指導要領のもとで、 「知識・理解」から「関心・意欲・態度」重視の「新しい学力観」が打ち出され、「ゆとりの中で生きる力」の育成が強 調された。しかし、偏差値重視の「一元的能力主義」から 生活全体を評価の対象とする「多元的能力主義」(竹内、一 九九三)への転換は、一方でより激しさを増す「受験競争」 に加えて、適応競争・「よい子競争」を強いる結果を招いていった。子どもたちは絶えず評価のまなざしを意識し、ス トレスをより高めていったのである。

 このような厳しい現実の延長線上に、今日の子どもたち が「荒れる」「キレる」「不登校」「自信喪失」「高いストレス・不安」といった形で生きづらさを募らせる要因がある。

心を育てることの意味−−「心の教育」再考

 このような状況のなかで、学校教育における「心の教育」 をどのように考えていけばよいのであろうか。私は前提と して、次の五点を踏まえる必要があると考えている。

@「心の教育」が論議されているが、これは「内心の自由」に関わるデリケートな問題であり、心のありようを第三者が教育の名のもとに介入すること自体、抑制的でなけ ればならない、

A個人の心のありようだけを独立して取り上げるのではなく、心と身体、人間関係・社会関係のありようのなかで「人間としての生き方」を考えあっていく必要がある。

B同時に、子どもの中に人間的な心情が育ちに くく、生きづらくなっているとすればその要因はどこにあるのか。教育行政や学校現場、企業やマスコミ、家庭・地域や社会・文化のあり方を含めて大人の側の真撃な見直し が必要である、

C子どもたちが「自己肯定感」をもちにく くなっているなかで教育に求められていることは、子ども の中のダメな自分に焦点をあてることではなく、発達、成 長していくプロセスとして子どもをありのままに受けとめ、 自分らしさの全面的展開を保障していくことである、

D文部科学省が推進している「心の教育」は、道徳教育の強化 として打ち出されてきた。たとえば『心のノート』中学校版を見ると、二三項目の道徳教育の徳目にそった内容で構 成されており、「道徳教育ノート」と呼んだ方がふさわしい。 この徳目の強化が、今日の子どもたちを励ますものになっ ていくのかそれ自体の検討が必要である。

「心の教育」から「人間としての生き方を考えあう教育」へ

 このような前提に立ちながら、学校教育における「心の教育」について、どのように考えていけばよいのであろう か。私は「心の教育」という言い方ではなく、「人間としての生き方を考えあう教育」と呼びたい。

 第一に「人間としての生き方を考えあう教育」は、子ど も理解から始まると老えている。教育という営みは、目標・ 計画・実践・評価・再構成といったサイクルをもつが、こ の営みの前提となるポイントは子ども理解である。

 子ども理解という観点から大切にすべきことは、次の三点である。

@子どもの言動の意味を丁寧に探ることで、その心を理解しょうと努力を払う、

Aその際、子どもの心と「行動に大きく影響を及ぼしている心身の発達と家庭・学校・ 社会等での関係性を見直す視点から子ども理解を深めてい く、

B心身の発達の視点から子ども理解を深めようとするときに、教師以外のカウンセラーや医師等の専門家との協同が意味をもってくる。

 第二に「人間としての生き方を考えあう教育」は、具体 的な人間関係の深まりのなかで可能になると考えている。徳目や行動指針として、「強い意志」「礼儀の意義」「友情の尊 さ」「生命の尊さ」「教師や学校の人々に敬愛の念」(文部省、 一九九八)等を強調するだけでは、説教にはなっても心は 育たないと考えている。

 具体的な人間関係の深まりという観点から教師が大切に したいことは、次の四点である。  

@子どもの話を丁寧に聴くことから、教師と子どもとの信頼関係の形成にエネルギーを注ぐ、

A学習・行事・学級活動等の場面で、子ども集団による協同の取り組みを工夫 し相互交流と理解をはかる、

B授業・総合学習等を通して、 学校内外の多様な人々との出会いのなかから生活に根ざし た生き方に学ぶ取り組みを組織していく、

C「生い立ちの記」や「親子交流作文」「道路交流作文」等(春日井、一九 九九、二〇〇二)、親が子どもの誕生や自分の生き方を語っ たり、仲間どうしで生き方を考えあう取り組みを工夫していく。

 第三に「人間としての生き方を考えあう教育」は、人間 への信頼感を育むことであると考えている。その中身は、次 の三点である。

@自分を理解しようとしてくれて、心の中 に支えとして存在する「共存的他者」と出会うなかで、人 間に対する信頼感は形成されていく、

A「共存的他者」と の出会いを通して、自分自身への信頼感である「自己肯定 感」が形成されていく、

Bその際に、互いの肯定的な心や 言動だけでなく、否定的な心や言動も含めて受けとめ向き あっていける相互関係の形成が大切である。

 第四に「人間としての生き方を考えあう教育」は、葛藤する心を育み自立を支援することであると考えている。お互いの肯定的側面と否定的側面を受けとめ、相手や自分と 向きあっていく作業は、心に葛藤を生じさせ新しい自分を 生み出す営みでもある。

 竹内(一九八七)は特に思春期に注目し、これを「子ど もの自分くずしと自分づくり」「思春期統合」と呼んだ。共存的他者の支えのなかで、時には孤独に耐え葛藤する心と 向きあうなかから新しい自分を生み出していくことができ るからである。

 他方では人間の心が、自然や文化とのふれあいのなかで 癒され育まれることも重要な点である。しかし1人は人間関係・社会関係のなかで人間として成長していく。とりわ け少年期・思春期をくぐり青年期に向かおうとする子ども にとって、人間への信頼感を育み、葛藤する心と向き合う 主体形成を支援していく点に、「人間としての生き方を考え 合う教育」の果たす役割があると考えている。

 このように考えたときに、学校現場の教師だけがすべて を担うことには限界がある。教師や親自身が「ねばならない」の呪縛を解きながら、「成長過程にある子どものかけが えのない姿」とゆっくり向きあっていくスタンスが求めら れている。

 多様な発達段階や生活状況にある子どもと向きあい対応 しようとしたとき、教師という専門性と心理・医療・福祉・ 司法等の専門性を生かすスタッフ、及び地域・父母が機能 的な協同チームを組んで取り組むことの重要性も高まって いる。

◎参考文献

・春日井敏之(一九九九)「親から見たいまどきの中学生−戸惑いの中から見えてくる未来」高垣忠一郎・壬生博幸編「親たちの「思春期」攻防戦』大月書店
・春日井敏之(二〇〇二) 『希望としての教育−親・子ども・教師の出会い直し』三学出版
・文部科学省編(一九九八) r中学校学習指導要領」 (平成一〇年一二月)大蔵省印刷局
・文部科学省編(二〇〇二) 「心のノート 中学校」暁教育図書
・村山士郎(一九九九) 『子どもの攻撃性にひそむメッセージ」柏書房
・竹内常一(一九八七) 『子どもの自分くずしと自分づくり』東京大学出版会
・竹内常一(一九九三) 『日本の学校のゆくえ−偏差値教育はどうなるか』太郎次郎社
・湯浅恭正・永井芳和編(二〇〇〇)「学校崩壊−かわる教師かえる教室第U巻小学校低学年』フォーラム・A
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