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125号
【特集「学校のあり方を問う」/親と教師が語る*子どもたちと学校の現在・未来】

学校は加速度的に悪くなっている。

小学校教諭

森下健吾

――学校で子どもたちは、どのようにすごしているのでしょうか。

超過密スケジュール

 いま、ずいぶんひどい状況のなかに子どもたちも教師もおかれているのではないかと思います。それは月ごとに年ごとに悪くなっているのではなくて日々悪くなっている。そういうなかで教育実践をしなければならないということで、四苦八苦しています。 今年から学校現場は2002年からの新学習指導要領移行期に入りました。移行期というのは教育課程が複雑です。何を削るか、何を残しておくか、どの学年に何を習うかということを考えながら、授業を進めなければならないうえに、「総合的な学習時間」を年間35時間やりなさいと言われているわけです。現在の学習指導要領も、隔週土曜日が休みということで作られておりませんから、すでに過密になっています。それが移行期と「総合的な学習の時間」でさらに過密になっている。来年は、「総合的な学習時間」を70時間やりなさいと言っているので、どうしていくのだと現場は困惑しています。
 子どもの学力そっちのけで、そういう数字だけが一人歩きしています。教師が落ち着いてそれを検討するというような時間も場も与えられていないのが、いまの状況です。検討なしに、なし崩し的に進んでいるような状況です。
 だからそういう意味で、あと10年先に振り返ったときに、子どもたちの学力の低下はこの年から始まったのではないか、と言われることになりはしないかと心配もしています。

学力のM字型

――土曜休みによって、子どもたちが失ったものは大きいと思います。

 当初、土曜日は休みになるということで、地域の受け皿がどうのという議論があったのですけれど、その後、そういう話を聞かない。はっきり言って子どもは野放しです。現在、子どもたちは何ら社会的な受け皿もなく、体制もとられないままに今日まできているのではないでしょうか。
 クラスで調べても、習い事や塾通いがたいへん多くて、さらに子どもたちの生活を忙しくさせています。もっと学校の時間が多くあれば、学校でのゆとりのある授業やゆとりのある生活をさせて、そのなかで子どもたちに体験や経験をさせてやれるのではないかと、最近はそんなことを思ったりします。
 さらに深刻なのは、そういうなかで子どもたちが学習意欲をどんどんなくしていっていることです。最近、学力のM字型とよく言われます。勉強をやる子は塾などに行って、私学の受験に向けてがむしゃらにやる。しかしできない子は授業中に寝ています。とくに高学年などでは机に伏せてしまっている子もいます。これでは当然、学力がつきません。ですから、昔みたいによくできる子とできない子の層が薄く、中間層に厚い山型分布ではなく、Mの形のようにできる子とできない子とに分かれて、中間が少なくなっています。

子どもの身体の変調

――学力だけでない、もっとヒトとして本質的なものに変化が起きているようにも思えますが。

 子どもの身体の変調は、ここ数年、顕著なものがあります。偏食やストレスなどからくると思われる変調や著しい運動能力の低下を感じます。高学年では、体育の到達目標をこなしていくことは並大抵ではありません。鉄棒や組体操になりますと、相当に苦労します。体育には、子どもたちが体力や運動能力をどれだけ積みあげているか、そういう前提が、ほかの勉強と同じように必要ですが、その前提が薄くなっているようです。
 体育の時間で、まったく身体を動かさないような子どももいます。6年生ではバスケットをやるのですが、バスケットボールの試合をすると、試合に参加しない子どもたちがいる。それは荒れて、ボイコットするというのではありません。試合に参加しない子どもたちは、身体を動かすこと自体嫌うのです。このことは、いままで私が経験したことがなかったことです。
 当然、身体を動かす遊びはもう皆無に近いといってもいいでしょう。テレビゲームなどで、かなり刺激的な、殺人場面があるとか、残酷な暴力シーンがあるものもけっこうやっています。そういうものが蓄積されていったら、人格形成の上でやはりおかしくならないはずがないと私は思います。

子どもたちの自治能力はなくなった?

――身体を動かさなければ友だち感覚も従来とはちがうものになっていませんか。

 子ども同士が遊ぶという場面が少なくなってきていますから、子ども同士の人間関係ができるわけがありません。いまの子どもたちは、やはりたいへんに友だち関係でストレスを感じています。これは大人が考えている以上に大きいストレスのようです。とくに女の子に多いのですが、「○○さんとうまくいかない」というのは、子どもにとって相当深刻な問題になっています。
 子どもたちは、たいへん疲れて学校から帰っています。家に帰って何をするかと言いますと、ある女の子はすぐに寝るのです。そのお母さんが言うには、夕食だと言って起こしてもなかなか起きない。「すぐにそこでケンカです」とおっしゃる。それはある特定の子どもだけではなく、多くの子どもたちが疲れて帰ってきている、ということなのです。「学校で疲れるようなことがあるのかな」「放課後、疲れるようなことをしているのかな」と考えても僕らの感覚では、そんなことが想像できるような場面がないので、精神的に疲れているとしか言いようがないのです。
 このように子ども同士のつながりが薄くなっていますと、まず、教師と子どもの関係では一対一対応が絶対に必要で、また、集団で何かを解決しようというのは無理になります。子ども同士の自治能力を信頼するとか、引き出すとかよく言われますが、もちろん、私たちもその方向を捨ててはいないのですけれども、それはかなりたいへんな作業です。児童会活動といった子どもたちの自治活動も大きく後退しています。

――それでも学校に可能性を見出すとしたら……。

 僕の学校は6年生は3クラスあり、4年生のときに1クラスが学級崩壊を起こしています。その崩壊した学年を、5、6年生と担任しています。その子どもたちが、「あのときが一番充実してた」と言うのです。あのときとは学級崩壊のときです。子どもの感覚ですから、僕もどういう言葉で表現したらいいか、適確な表現がみつからないのですけれども、スリルがあったというのか、ワクワクするような気持ちになったというのか、学級崩壊したときのほうが、学校へ来ている自分の存在感があったと言いたかったのか、それは複数の子どもが言ってます。
 私は、子どもたちのこの言葉の意味を考え、子どもたちのそういう思いをどうとらえていくのか、試行錯誤の段階だなと思っています。
 ほかにも、たとえば親子の関係で子どもたちがストレスを溜めていたり、中学受験でストレスを溜めていたり、そういうストレスを発散する術がわからなくて、そのことでますますストレスを溜めていたり……。子どもたちについて、どうしても悲観的な話ばかりになります。
 しかし、なんとか展望をもちたい。現場の教師として展望をもって、親と一緒に子どもの教育にあたりたいと思います。なかなか展望が出てきませんが、展望を見出すには、現状をもっと把握しなければなりません。そこから分析して、これからのことを考えていきたいと思っています。

(もりしたけんご[仮名]/取材・構成 矢田智子)
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