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生きにくい社会の中で、
子どもの孤独な心の叫びが聞こえる


 2003年3月8日(土)
      砂川小学校  浅井 定雄


 先日(3月5日)も三重県津市の山林の車の中で,インターネットで知り合った二十代前半の若い男女3人が共謀自殺を遂げるという事件がありました。ついひと月前(2月11日)には埼玉県入間市で同様に,アパートでこれも「ネット募集をした」20代の若い男女3人がアパートで自殺をしたという事件があったばかりです。これは大変現代的な様相を呈している事件でもあると思います。若者の自殺というのは「生きたい」ということの裏返しだと言われますけれども,この両方の事件共,インターネットの「心中サイト」で知り合って,自殺を相談をして,用意周到ののち3人で実行したという風に報道されているのです。両方の事件とも男女3人が出会ったのはホームページの自殺掲示板でした。しかし,これらは氷山の一角にしか過ぎません。ある新聞の記事にこう書いてありました。「(事件後)一週間たって,ネット上で「自殺」をキーワードに検索すると30万件以上の項目がでます。「自殺サークル」というだけで1万8000件,「自殺仲間募集」だと300件もパソコンの画面に出ている」と。そして,今の日本の青年の死因の第一位が自殺になっているということです。やはり若者にそういう「無気力感・閉塞感」というものが広がっていて,孤独になっている。そういう状況といったものは、いったい何なのかと思います。この問題を,すそ野の広い問題として,同じ思いに多くの若者たちがさらされているし,追い込まれているという状況をとらえなければいけないと思います。未来ある青年たちが、死にたいと思って生きている。死にたいというのは人生に絶望しているわけですから、この絶望している状況が広汎に広がっているし,未来ある青年が生きていけないところまで追い込まれているという状況があるのです。

 しかし,青年は気持ちとしては,「生きたい」「友達とつながりたい」と心の中では願っていると思います。それは,死ぬ間際であっても,今回の心中事件のように「一人で死ぬのはさみしい」と言って仲間を募集していることにも知ることができます。友達とつながりたい,そういう思いを持ちながら,最終的には,生きていくということを絶望すると言うところまで行かざるを得ないような所におかれているのです。

 
 私たち京都教育センターの発達問題研究会では,今回,「子どものコミュニケーション能力」に焦点を当てて小・中学生に対して京都府下的な調査を実施しました。これは,今日の「いじめ」「学級崩壊」「不登校」「引きこもり」「自殺」「少年事件」などの様々な問題を解く「一つの鍵」がそこにあると考えたわけです。子どものコミュニケーション能力の未熟さ,貧困さが,対人関係においても様々な問題を引き起こし,人間的な発達疎外や「生きることへの絶望」を生み出していくような問題へとつながっているのではないかと考えています。いわば,複雑なプロセスを通りながら「原因(要因)と結果」がそこに見られるのではないかと思うのです。

 今回の調査を詳しく見ますと,その中には,孤独の中にあえぐ子どもたちの叫び声が聞こえるようです。たとえば,小学校の段階から「友達が一人もいない」子どもたちの存在,さらに悩みがあっても4人に1人子どもは「誰にも相談しない」で心の中に抱え込んでしまいます。こう答えた子どもたちの心の中には,思いには,いったいどんなものがあるのでしょうか。また,友達との楽しいはずの学校生活も,もめ事があれば「やり返す」「2倍返し」「悪口を言う」などが多く,反対に「離れる」といった友達との関係を断ち切るような行動も多く見られます。新自由主義や弱肉強食のサバイバル主義が社会に蔓延する中で,今の実際の子どもたちの世界も,「連帯」「友情」「自治」を生み出すにはほど遠い状態になっているのです。しかも,そこに私たち大人は有効な働き手として機能してはいません。問題の解決を求める子どもの声は,「先生や親に相談する」のが,小学校3年生では43%あったのに対して中学校3年生では,わずか7%に過ぎなく,学年を追うことに急激な低下傾向を示して,私たち大人には子どもの声が届いていません。

 しかし,そんな中でも,子どもたちは友達を求めます。それは「豊かな人間性は,豊かな社会関係,人間関係からしか生まれない」ことの現れで,子どもたちの人間としての発達への自然な欲求であるからです。しかし,ここに「コミュニケーション能力」が大きく関わってきます。

 「コミュニケーション能力」を「言語を通じて理解し合う相互行為を可能にする普遍的な能力」(森岡清美・塩原勉・本間康平編『新社会学辞典』有斐閣1993 p.477)として捉え,「言語表現力」「理解力(相手の言葉や表情や態度から相手の気持ちや考えていることを読みとる力)」「共感力」「他者と交わる力(社会的スキル)」などをその因子として考えてみると,そうした力の衰えは,今日,強く指摘されている所です。しかし,そのことが,対人関係,たとえば「対話−非対話」「同調−非同調」「協力−非協力」「順調−トラブル」「グループの傾向,開放性−閉鎖性」「リーダー性の有−無」など様々な面に大きな影響を及ぼしています。こういう面が今回の調査の中でも一定程度明らかにされたのではないでしょうか。

 また,小此木敬吾が「山嵐ジレンマ」というのを言っているように,さまざまな理由から一人一人が「トゲ(無意識的な攻撃性)」を持っていて,気持ちとしては友達と親密になりたい,けれども実際に接するとなってきたら,自分は意識していないけれども,攻撃性を持っていて相手を傷つけてしまう,自分が傷つけられてしまう。だからそこでトラブルが起きてしまう,相手とうまく関係を築けない,というような状況が生まれています。

 だから,「距離」を保たざるを得ない。だけど教室は一種の過密状態になっていて,その中で子どもたちがどういう方法を現実の選択肢としてとるのかと言うと,一つは「相手を消す」。つまり,自分を主張して自分勝手に振る舞って,他人のことを配慮せず,自分の居場所を確保しようとします。そして,人からの注意が「自分の結界を侵すものだ」という感じで排斥しようとする傾向が生まれます。もう一つは,逆に「自分を消してしまう」。つまり,自分が自己主張すれば人とぶつかるわけだから,いわば付和雷同的に友達に「同調」する。そして同調して,自分というものを消してしまって,その中にいるというふうな形が生まれます。いわば「透明な存在」というわけです。しかし,現実問題としては,実際には「消える」わけにはいかないから,そこで,相手を消すこともできないし,自分を消すこともできないので,常に周りの状況にピリピリと神経をとがらして,気を遣って,そういう点では,教室は,非常に「ストレス」の場になってきているのです。

 
 子どもたちの「いじめ事件」や「不登校」の問題は,そんな子ども社会の中から生まれていると言えます。そして「生きにくさ」を生みだし「引きこもり」「自殺」へとつながっていくのではないでしょうか。子どもたちが,「友達との関係を絶縁し,孤立を深め,生きにくさを感じる」という方向ではなく,「友達と関係を切り結び,連帯と友情を取り戻し,生きていることのすばらしさを味わえる」という方向に,私たち大人働きかけていくことができるように,今回の調査の成果を生かすことができたらうれしく思います。

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