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  ●京都教育センター通信 
復刊第124号
 (2018.4.10発行) 
 
「フェイク」を見破り、憲法を教育に生かしましょう!

     
野中 一也(京都教育センター顧問)

 

1 「フェイク」の登場

  「アメリカ・ファースト」で登場したトランプ大統領は、自分の意に反するものに対して「フェイク」と名指して排除しています。今や身近な人まで排除の対象になっているようで恐怖を感じています。しかし、その背後で強権的政治主導を熱烈に歓迎・支持している集団があります。「フェイク」で世論誘導する独裁者を待望しているように思え、一層現実をしっかりと考察しなければならないと思います。

 トランプ大統領と従属的な蜜月旅行をしている日本の安倍政権も「フェイク」を露呈してきました。典型的には「森友学園」問題をめぐっての財務省公文書改ざん問題として露呈してきました。日本の民主主義の根底を揺るがす深刻な問題です。しかし、安倍首相の言う新しい日本がこのような「フェイク」を深い所に内包しているのだという現実を図らずも露呈してくれていることは大変教訓的だと思います。


2 「フェイク」とは?

 英和辞典を見ると、「フェイク」は、ごまかし、いんちき、いかさまなもの、ねつ造、虚報などと出てきます。権力者がこんな嫌な言葉を投げつけているのです。ここで思い出すのが戦前の日本です。国民学校一年生の私は、「フェイク」の教育を受けました。教育勅語で「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」との文言で天皇陛下万歳といって命を捨てるように教えられました。敗戦濃厚になっても「日本軍の大勝利」と大本営の発表を聞かされていました。731部隊も南京事件の悲惨な事実も隠されていました。

 戦後の学習で初めて日本軍の非人間的な大虐殺を知りました。独裁権力は都合の悪い部分を覆い隠し、ウソを「正義」の装いをもって宣伝するものであることを事実で証明しました。今そのことを想起して考えることが極めて重要であると思います。


3 今こそ日本国憲法の精神を生かそう

 日本国憲法は人を殺しめる戦争をしないと世界に高らかに宣言しました。戦後文部省は新憲法を『新しい憲法のはなし』という著作として発表しました。私は教科書を「黒塗り」にする作業を教師の指導でやりました。今まで「正しい」と教えられた教科書を同じ先生の指導で書道の筆で黒く塗ったのです。複雑な心境になったことを鮮明に覚えています。戦前の教育は、「フェイク」で偽善者づくりが大手を振っていたのです。


 4月から新学期が始まります。新学習指導要領が小学校で移行実施に入ります。「道徳」が教科になり、評価が入ります。安倍政権が進めてきた「愛国心」が教育目標に入っています。フェイクにつながる危険性のある教材が多く見られます。

 真理真実に基づきながら憲法の精神が生かされる教育実践が求められます。そしてそれが実現するような条件整備が求められます。一層の努力をしていきましょう。

 
 

みんなで21世紀の未来をひらく教育のつどい 教育研究集会2017
  生活科・総合学習分科会


低学年教育について~保幼小の連携と生活科教育~

       谷  哲弥(乙訓退職教職員 大谷大学教育学部講師)


 

1.はじめに

 生活科新設は、科学教育研究協議会大会に集う小学校教員に、低学年理科を自分たちの実践で守ろうという思いと、これまでの実践を広めて、子ども達に自然を豊かにとらえさせよう・五感を使って自然に働きかける実践を深めようという熱意を沸き上がらせた。『ひまわりさんに家を…』という記事が新聞に掲載されたが、道徳と見なされる内容は影を潜めた。児童が教室に身近な自然を持ち込み、自然の様子を語ることで、他の児童の自然に対する興味を高めて、ともに自然みつけを始めるという風景が見られるようになる。また、地域共同の『お祭り』としての形態で季節に応じた実践的取組も展開された。京都では地域農家との連携で、生産の場を子ども達がたずね、見聞きしたことを発表したり、地場の素材を使って調理を体験したり、栽培を体験する実践が試みられた。

 これらは、自分の身の回り・地域へのまなざしというテーマを反映した内容で、学校毎に地域教材を掘り起こし教育課程を作成する取組であった。この地道な取組には、さまざまな困難があり、結果、実践例を示す教科書が必要であるという意見が見られるようになり、児童に教科書が配られることとなった。その中で、各教科書には、執筆者や編集者の熱い思いが吹き込まれ、独創的なストーリーを持った教科書が多く誕生した。この教科書によって、生活科の学習とはどのようなものかと具体的なイメージができたが一方で、教員による「地域との連携」「地域教材の発掘」という営みが小さくなってしまった。それから、約30年。研究指定校を除く全国の小学校では、教科書や同僚の実践を手がかりに、ある年の実践を繰り返すというパターンが多くなっていった。

 低学年児童の状況については、様々な状況が語られている。入学した児童の生活環境は、就学前と比べれば、様々な激変が児童に覆い被さる。例えば、チャイムが鳴ると、45分間の授業中は椅子にすわっていなければならないなど、否応なく対応しなければならない制約をうけることになる。

 そこで、生活科が「スタートプログラム」という役割を持たせられてきている。その内容に、学級指導や生活指導の中で行うものでは?と思われる内容が見られることが多い。このプログラムの内容を検討するとともに、就学前の教育を受けてきた児童をどのように小学校に迎え入れるのか実践的な検討が必要でないだろうか。


2 保育所との連携生活科実践の概要

 A小学校の実践報告を聞く機会を得た。隣接する公立保育所のこども達が、生活科の時間に同校を訪れ交流した実践である。10月頃の単元「秋見つけ」で、ドングリなどを使った工作を行い、年長の子ども達と1年生が交流し、その実践上の課題を探った。

 低学年経験を持つ教員にとっては、遊びを通して子ども達が交流するイメージは持ちやすい。また1年生が、年長の子ども達に教えたり、話しかけたりなど、会話が進んでいるのではと想像できる。これ自体、子ども達に小集団の中での関わりあいが多くなるという価値が見られるとの私見を持った。

 しかしながら、いくら隣接しているとはいえ、
①小学校と保育所、それぞれに設定された生活時間のずれ、
②担任同士の連絡相談の時間や場、効果的な設定の仕方、
③工作の材料調達と児童のグループ作りの準備など、いくつかの課題が予測できる。
 例えば、小学校での児童の過ごし方と、保育所での子ども達の過ごし方を比較した時、やはり小学校の生活の早さは、無視できないものだと思われる。

 具体的な授業の様子を参観できなかったので、予想することでしか語れないが、上記のような課題や現状をどのように解決し、双方の子ども達がゆとりを持って交流し、また、子ども達の語りを担任がゆとりもって、受け止めることができるような交流学習体験を望みたい。


3 1年生の子ども達とどう向き合うか

 自らの低学年経験をふり返り、小学校に入学してきた子どもたちとの向き合い方をふり返ってみたい。

 A小学校

 小規模の学校で初めての1年生担任。学校生活について丁寧に伝えていく仕事が必要である。就学前の出来事を浅い理解のまま、日常の教育活動を進めてきた。その中で、子ども達がどのように物事を考え、行動するかに注意を払ってきた。また、絵本の読み聞かせを続けることが子ども達と担任の共通体験として持てる快感を知ることができた。A小学校で低学年を2回担任し、地域にある竹(竹林)を教材にした実践をまとめることができた。児童数が25名ということは、ゆとりのある教育活動が成立するために大切な環境条件だと実感した。

B小学校

 大規模校で1年→2年→1年の順に低学年を担任した。前任校よりも児童数が多く、担任からの指導が通りにくい思いをした。この学校では、朝の学習時間に、中庭を歩く=散歩(週に1度、10分程度)を取り入れたり、児童による「自然のおたより」を積極的に取り組んだりした。読み聞かせによる楽しい時間の共有も行った。それにより、児童との関係を築いていった。2度目の1年担任で、生活科の学習にドングリ笛や草木染めを取り入れた。たくさんのドングリを使って笛を作る活動に子ども達ははまっていった。同じ学年の教員とも連携して、ドングリ笛を広めることができた。本校には樹木が多く、セミの羽化をじっくり観察し、学級園ではタンポポの根を掘り出すことができた。

C小学校

 小規模校で2年生を担任した。前学年で、学級に困難があり、いろいろな課題を持ちながら進めた低学年であった。生活科ではこれまで基本にしてきた「読み聞かせ」「自然のおたより」に「蚕の飼育」「アゲハの飼育」を加えて、実体験を多く取り入れた学級づくりにも取り組んだ。落ち着かない児童であっても、ひとりひとりの気持ちに寄り添うことで、子ども達の優しさをみつけることができた。子ども達の持つ自己主張をどのように受け止めるのか、考えることとなった。また、飼育の場面で、蚕やアゲハチョウに対する「温かいまなざし」が見られたことに低学年の実践として、重要な意昧があると感じられた。

D小学校

 すこし規模が小さい学校に異動し、1年→3年→1年→2年という順に低学年を担任した。学校の周囲には、竹やぶや里山の落葉樹が多く、春や冬には季節の野鳥がさえずる環境にある。教頭先生と、保幼小連携に関して意見を交換した際に、「学校では1年生でも、就学前にいろいろな体験を積んできているのだから、そこから出発するというスタンスが必要ではないか」という問題意識を共有し、1年生に次のような働きかけを行った。それは、入学までに教えられてきた事・任されてきた事・褒められてきた行動・ルールとして覚えている事を学級指導の際に、じっくりと聞き取り、その内容を児童とともに確かめてルール化していくことである。


4 保幼小の連携をどう進めるのか

 2017年度科教協低学年分科会は、レポート5本を中心に実践が語られた。しかし2日目の交流会の中で「保育という視点」「保育者ほどのような姿勢で子ども達に接して、科学的な体験を導いているのか」という意見が交わされ、生活科の実践的視野を0才から低学年までとすることの意味を深く考えることができた。私案としては、今後「低学年教育をどのようにすすめるのか・つくりだすのか」という議論を行う時に、次の点を加味して行う。つまり、子ども達の発達段階を土台とした保育実践での子ども達への働きかけと、低学年理科を指向してきた「科教協に集う生活科教育実践」に見られる児童への働きかけとの比較検討することに取り組んでみてはどうかということである。このためには、来年度の全国大会にむけて、保育実践から何を学ぶのかという意見交流・学習会を早急に進める必要を感じている。


5 まとめにかえて

 低学年の実践レポートが少なくなる現状に対して、これまであまり議論されて来なかったが、改めて、低学年の児童の実態を明らかにして、発達の特性を生かす事や、それまでの保育実践・幼稚園教育の成果と課題を共有する事から初めてみてはどうかと考える。特に、保育者の視点は、就学前の児童をつかむ貴重な視点であるし、これまで民間教育研究団体では発達段階を大事にしてきたことに立ち戻って組めるひとつの大切な環境条件だと実感した。


(紙面の都合で、割愛した部分があります。詳しい報告が欲しい方は、京都教育センターまで連絡ください。後日お届けします)

 
   
 
学習会や集会、研究会などのお知らせ
 

 

4・29「昭和の日」を問う京都集会―日本の戦争・戦後責任を考えるー
天皇の代替わりにあたり、あらためて主権在民を考える


◆日時  2018年 4月29日(日)  午後2時~5時

◆会場 京都教育文化センター302号 参加費800円

◆内容 講演 民主主義と天皇制、そしてオリンピック
    講師 鵜飼 哲さん(一橋大学教授)

◆共催:「天皇制を問う」講座実行委員会(第39回「紀元節(建国記念の日)」を考える2・11京都集会)
     第51回「建国記念の日」不承認2・11京都府民のつどい 実行委員会


 
 

「人間を考える」つどい―野中一也氏の生き方から学ぶー

◆日時  5月12日(土) 午後2時~午後5時

◆会場   京都市職員会館かもがわ2階大会議室

◆内容 講演「振り返って、いま教育にとって大切なもの」
   講師 野中 一也氏(大阪電通大学名誉教授・京都教育センター顧問)   

※教育センターに関わって50年、組合活動、高校校長、大学での教鞭活動を通して,今を生きる教育に関わっている方々と一緒に考えたいことを大いに語る

◆野中一也さんから学んだこと  春 好憲さん 
                     渡部 太郎さん
◆主催 京都教育センター

 
 

2018年度 改訂学習指導要領を問う! 第1弾
どうなる?子どもの学び・教育

~改訂高等学校学習指導要領と中学校「道徳」教科書問題~


◆日時   5月27日(日)  13:30~16:30

◆会場   京都教育文化センター301号

◆講演 「中学校道徳教科書の検定とその問題点」
  講師  石山 久男氏(子どもと教科書全国ネット常任委員)   
     ※学校現場からの報告

◆資料代:500円(学生無料)
※保育コーナーもあります。お子様連れでも どうぞ。

◆主催:京都教科書問題連絡会・京都教育センター・京都教職員組合・新婦人の会京都府本部・京都退職教職員の会

 
 

京都教育センター学校・教師論学習会
テーマ:「今を生きる教師像を考えるー困難な状況の中でー 」


◆日時 6月9(土) 13:30~16:30

◆会場  京都市職員会館かもがわ2階大会議室  

◆内容 
  青年教職員大いに語る(青年教職員トーク)
  講演 「子どもと共に生きるー教師として大切にしたいことー」
  講師 春日井敏之氏(立命館大学教授)


 
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