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  ●京都教育センター通信 
復刊第113号
 (2016.11.10発行) 
   
私の日刊学級通信とそれを支えてきたもの

深澤 司  (京都教育センター・・奈良革新懇事務局次長)

 

私にとって学級通信とは

 私は、教員に採用されてから定年退職まで日刊で学級通信を発行してきました。

 私にとって学級通信とは、①学級づくりをすすめ、教師・子ども・親の三者を結びつける機関紙 ②子どものことが見えているかどうかを確認する「ものさし」であり、子どもの見方を鍛える場 ③私の教育実践の構想を練る場であり、意味づけし、記録する場でした。また、「日常」の中に子どもと教育を対象化する営みを組み込み、父母との共同を視野に教育の営みを開く場-という私的な意義づけをその歩みの節々でしてきました。

なぜ、書き続けきたのか

 自作の詩『私はなぜ学級通信を書くのか』(1990年)の冒頭で私は次のように書いています。「それは第一に、自分を見失わないために/日常の中に埋没し/流されていく自分から/私を/人間を/とりもどすために」―このことに尽きるように思います。 

 悪慣れやあきらめを断ち切りたい、もう流されたくないという思いが私を「書く」ことに向かわせてきました。私にとって「書く」ことは管理主義からの呪縛を解く鍵であり、「教育実感」を確認し、感性を取り戻す教師自身の生活綴方でした。

静岡の教師への憧れ

 こうした私の「学級通信」観の形成に深い影響を与えたのは、静岡大学の学生時代に出会った静岡市教組や教育サークルに結集する教師たちの生きざまと彼らが発行する学級通信や一枚文集でした。

 「教育正常化」攻撃と組合分裂策動によって荒廃していく学校で、学級通信を大切にして父母との共同を豊かに展開していったことを知りました。そうした教師たちの中に、中学1年だった私に「こんな教師になりたい」という思いに火をつけてくれた恩師を見つけた時の喜びは格別でした。

 また、思想・信条による教員採用の差別に反対してたたかい、静岡の採用をかちとっていった青年教師たちが組合活動や教育サークルをいきいきと牽引していた姿に私は憧れました。彼ら青年教師が発行する学級通信や一枚文集に子どもの内面や教育の真実があることを直感しました。私は、こんな質の通信が書ける教師になりたいと強く思いました。

父母の励まし

 なぜ、私は学級通信を書き続けることができたのでしょうか。それは、父母の励ましがあったからです。

 管理職から「あなたの学級だけ紙を使う量が多い。学級通信の発行を控えてほしい。」と言われた時も、学級懇談会に集まったお母さんたちが驚き、怒りました。「私の連れあいは紙の関係の会社に勤めているから、先生、紙のことなんかで負けないで。」と、軽トラいっぱいに学校が使う一年分の上質紙を積んで学校に届けてくれたお母さんたち。この報告に、子どもたちも「やったぁ!」と大喜びをしたエピソードが懐かしいです。

 また、「習熟度別の授業はやめてほしい」「少人数学級にしてください」と、校長や教育委員会に申し入れをし、それを実現していったお母さんたちの行動力と、学級通信で日々の子どもや授業の様子を発信し続けてきたことは無関係ではなかったと思います。教育とは誰のものかということを教えてくれたお母さんたちでした。

  組合に守られ、支えられてきた
 京都の教育行政による教育介入と管理は熾烈。しかし、すべての現場教師が委縮したわけではありません。例えば私が日刊学級通信を発行し続けたいという思いを断つことはできませんでした。

 教育という営みの本質は、自由と創造性を求めます。教育の具体においては教師の裁量権は健在であり、裁量なくして実践は成立しません。そうしたことに気づかせてくれたのが教職員組合運動でした。私の日刊学級通信も、組合に守られ、支えられてきました。

*1955年静岡市生まれ。1979年から京都府南部の公立小学校教員。綴喜教組書記長・委員長、京教組教文部長も。退職後、奈良革新懇でニュースづくりに励む。
 
フリーダム・ライターズ・インスティテュ―トに参加して

西田 陽子(京都府立乙訓高等学校 教諭)
 
 

はじめに

 「フリーダム・ライターズ」という映画、もしくは「フリーダム・ライターズ・ダイアリー」という本をご存じでしょうか。舞台は1994年から1998年、カリフォルニア・ロングビーチにあるウィルソン高校です。赴任したばかりの若い国語教師エリン・グルーウェルが、教育不可能といわれた生徒たちを劇的に変えてゆき、その全員が進学していったという実話で、本はエリンと生徒たちの日記を書籍化したものです。当時のウィルソン高校は様々な人種の生徒が通い、人種間の抗争やいじめが横行。生徒たちの日常にはDVやドラッグ、不良グループ同士の抗争、銃撃による死、貧困があふれており、ドロップアウトしていく生徒もたくさんいました。エリンはそんな彼らに学ぶことの意味をつかませ、成熟した市民へと育てることに成功したのです。彼女はそののち大学で教鞭を執るようになり、フリーダムライターズ財団を立ち上げ、自分の教育理念や方法を広めています。

 この夏、そのエリンが主催するセミナーに参加するという幸運を得ました。ロングビーチで開催されるセミナーには、1回あたり25人のメンバーが参加します。主にアメリカから、そして今回はイスラエル・パレスチナ両国から10名程度、デンマークからジャーナリストが1人。日本人はわたし1人でした。校種は中学校から高校、大学まで様々で、教科は社会や英語、美術や体育の先生もいました。それ以外に一緒に過ごすメンバーはまずエリンの元生徒たちで、彼らはオリジナル・フリーダム・ライターズと呼ばれています。さらにセミナーへの参加経験を持つメンバ15人が参加者の面倒を見てくれます。セミナーの日程は5日間で、エリンの教育方法をそのまま体験することが中心でした。セミナーで実際に学んだ内容や参加して感じたことをかいつまんで紹介します。

エリン・グルーウェルの教育方法とは

 彼女の指導案は『The Freedom Writers Diary Teacher's Guide』という書籍にまとめられており、インターネットで購入することができます。参加する前に少し予習をしていったのですが、セミナーの内容もこの指導案に沿って実施されました。授業のステップは大まかに言って3段階あり、

① Engage=生徒を授業に引きつける段階
② enlighten=生徒に様々な力をつける段階
③ empower=社会の一員として生徒を「市民」へと育てる段階です。

 授業は徹底してアナログで、紙、マーカー、クレヨン、ハサミとのりが基本。タイマーとしてipadが使われてはいましたが、PCとは無縁の授業です。授業の始まりには音楽が流れ、みんなでリズムに乗って踊ることが常でした。またフィールドワークやプロジェクトに取り組み、学校から外に出て行くことも大切な要素です。今回はMuseum of Tolerance(寛容の博物館)を訪問して展示を見たあと、ホロコースト生存者の講演を聞くというフィールドワークがありました。

 エリンが教育の中心に据えていることをわたしなりにまとめると、生徒に合った教材の選定、生徒のありのままを表出させる自己表現活動、そして平和人権学習の視点です。今回のセミナー中、彼女はよく "Be silly!" という言葉を口にしました。格好をつけなくても、ありのままの自分で大丈夫だというメッセージだと思います。彼女は教室を「ありのままの自分でいても大丈夫な、安全で安心な場所」にして、その中で成長することの楽しさや喜びを教えます。その基本がしっかりしているため、どんな生徒(たとえば学習障害やセクシャル・マイノリティ、過酷な経験を持つ生徒など)にとっても、教室は居心地がよく、互いを認められる場所になるのです。今回のセミナー中にも、DV被害を受けていたことや、自分がゲイであることを公言する参加者が出てきましたし、みんなその事実をすんなりと受け入れていました。そういうベースの上に、語彙力をつけたり、文章の読み方を学んだり、読み取った文章についての意見を交換したりといった学習活動が展開されていきます。互いの存在を認め合うというベースがあると、学習している内容が「抽象的な、机の上の絵空事」ではなく、自分の人生におおいに関係のある、意味のある営みであるという実感が持てるように思います。それが学ぶ意欲につながって、自ら学ぶ人、他の誰かに教える人が育つのだと実感しました。

 エリンは情熱的で感情豊かで、カリスマ的な魅力のある人です。その一方で生徒一人一人をよく観察ししっかりと把握していて、その人の抱える痛みやつらさを共有する姿勢を持ってもいます。4日目にグループで一日活動する日がありました。どのような視点でそのグループ分けをしたのか、エリンの意図が見えてきたときに本当に驚きました。彼女はそれまでの参加者の発言内容などを頭に入れた上で、同じような痛みを持つ人同士でグループを作っていたからです。一人一人を細やかに、暖かく観察する力に圧倒されました。

様々な人々と過ごした5日間を通して

 ずっと英語のみでコミュニケーションした5日間、英語で考えたり話したり理解したりすることは、母国語での思考や理解には遠く及ばないということも実感しました。英語で話している間は思考も英語で行うことになりますが、そうすると思考レベルは普段よりも数段劣る。また理解の度合いや、理解できたことの定着度も母国語よりは数段劣ります。自分の英語力の至らなさもあるでしょうが、どれだけ英語をがんばったとしても、やはり母国語のレベルに追いつくはずはありません。グローバル社会だから英語でコミュニケーション、と呪文のように唱えられる昨今、小学校にも英語が教科として入ってきますが、その方針は間違っていると思います。しっかりと母国語の力をつけた上で、抽象的な思考ができるようになってから文法を通して体系的に学ぶ方が、外国語を学ぶにはよほどいいと思います。

 もうひとつ感じたことがあります。異文化理解や他民族との共生について、頭では理解しているつもりですが、いざ一緒に時間や空間を共にするとなると大きな摩擦が生じるということ。最終日の午後、セミナー終了後の時間をイスラエル・パレスチナの人々と一緒に過ごしました。それが自分に予想以上のストレスになったのです。何よりも時間に対する感覚が違いすぎました。我々は普段自分の時間を10分15分という細かい時間に分けて管理し、スケジュールを考えますが、彼らの時間の流れ方はあまりにゆっくりで、1時間のずれを気にしない。しかも周囲に対する配慮が当たり前の日本人にとっては、彼らの行動は自己中心的に見えてしまう。難民の受け入れ問題を他人事のように見ている私たちにとって、実際に違う文化や習慣を持つ人たちを受け入れることは、ヨーロッパの人々以上にハードルが高いだろうと思います。「寛容の博物館」では「なぜ普通の人々が戦争を肯定してしまったのか」が大きなテーマになっていました。私たちが戦争を肯定することなく、紛争を避け続けることは本当に難しい。それだけに心して取り組まなければならない課題であると実感しました。


   
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