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  ●京都教育センター通信 
復刊第104号
 (2016.1.10発行) 
   
第46回京都教育センター研究集会

戦後70年、戦争と平和を考える意義深い集会に

 
【全体会特集①】

 「戦後七〇年、戦争と平和を考える~戦争をくぐった生き証人から学ぶ~」を集会テーマに、第四六回京都教育センター研究集会の全体会が十二月十九日に教文センターを会場に開催され、六一人が参加しました。(二日目の分科会には百七人が参加)。
戦争法案をめぐる国会内外のたたかいと戦後七〇年という歴史的な節目の年にふさわしい記念講演と「戦争をくぐった生き証人から学ぶ」という企画は、それぞれに深い内容でした。

三人のあいさつ

 京都教育センター代表の高垣忠一郎さん、事務局長で京都市長選挙への立候補を表明して大奮闘している本田久美子さん、京教組の河口隆洋執行委員長があいさつ。それぞれに今日の情勢を反映した、鋭い問題提起を含んだ味わい深いあいさつでした。

テーマ設定にふれて

続いて、今回の研究集会の基調報告をセンター運営委員会を代表して事務局の深澤が行いました。集会テーマと記念講演のテーマ設定にふれ、「戦争する国づくりに許さない思想と行動を深めてきた二〇一五年にふさわしく、学校そして、教師の戦争責任を問うことに向き合い、深く考える研究集会としよう」と呼びかけました。

運営委員会の総力で基調報告を作成

 時間の関係から十五分予定していた基調報告を十分に短縮。しかしこの基調報告は、センターの運営委員会が四回の検討・論議を経て完成したA4版15ページの本格的なものです。今日の分科会論議も含めてぜひ積極的な活用をお願いします。 

先生のお話を聞きたくて

 例年のセンター研究集会でしたら冬休みに入ってからの開催でしたが、今回の日程は冬休み直前。現職教職員の参加が厳しいことが予想されました。実際、さまざまな困難があったのですが、「安井先生のお話を聞きたくて来ました。」と、元井手小学校の同僚が誘い合って来たり、「組合でお世話になった黒田先生の元気な声を聞きたくて…」と来られた人もいました。

 
 
【全体会特集②】

教育の戦争責任の追及が 子どもと教育実践の発見へ

佐藤広美さんの講演 戦争責任をどうとらえろか-学校・教師の戦争責任を問う-


 今回の記念講演は、佐藤広美さん(東京家政学院、教育科学研究会副委員長)を講師に「戦争責任をどうとらえるのか~学校・教師の戦争責任を問う~」というテーマを設定。戦後七〇年、戦争法をめぐる激動の情勢にふさわしく、現在をどう生きるかを問う学習となりました。

 たっぷり80分講演された佐藤広美さん。戦前の国定教科書の資料も使いながら、教育における戦争責任をどうとらえるかについてお話されました。その後の質疑も予定時間をオーバーして活発に行われました。

自らの生き方を問う

 佐藤広美さんは、大月書店から出版した大著『総力戦体制と教育科学』(一九九七年)に代表されるように、教育学者・教師の戦争責任を考え続けてきた研究者です。

 なぜこの問いなのかと自問し、自分の「生き方」を考えたいからなのだろうが、まだはっきりした答えは出せないでいる、と自己紹介で正直に綴っています。

 講演の冒頭で、「現実の分析も大事だが、これからをどう生きていくのかが問われている」と話され、教育学研究者としての真摯な姿勢に魅かれました。

戦前の国定教科書の記述

 今回の講演に向けてA4版三ページの丁寧なレジュメ、A3版十一枚の資料などを準備していただきました。  

 戦前の国定教科書のなかの植民地の記述を資料で確かめながら、教育の植民地支配責任を具体的に考えることができたように思います。地理の教科書づくりでは「丸暗記はダメだ」、「語り」を重視せよとの方針や現在の育鵬社教科書との類似なども確かめることができました。

決定的な弱点としての「国家の認識」

 佐藤広美さんは、雪崩を打った戦前の教育者・教育学者の転向現象などを分析して、そこには「国家の認識」(権力の科学的認識)に決定的な理論的思想的弱点があったと結論づけています。

 この指摘は、現代においてもとても重要ではないでしょうか。

教育の戦争責任の追求が子どもの発見へ

 また、教育の戦争責任の追求が、自ずと子どもの発見、教育実践の固有の価値の発見へとつながっていることを佐藤広美さんは主張されています。このことも、教育の戦争責任の追求の意義にかかわってとても大切です。

興味がそそられた「戦後」の教育学者の教育の戦争責任の追求

 時間の関係から、勝田守一・宗像誠也・五十嵐顕がどのように教育の戦争責任を考えてきたかについてはかけ足での紹介に終わったのは残念でしたが、例えば勝田守一によるシェリングの「悪の哲学」へのこだわりや、五十嵐顕の「ユーモアとモラルと戦争責任」に興味を持った人も多かったのではないでしょうか。佐藤広美さんのいっそうの研究の進展が期待されます。

 
【全体会特集③】

「戦争とは」 再びくり返していけない体験 当たり前の暮らしを奪った戦争

戦後七〇年、今なお問い続ける お二人の真摯な生き方に感銘


戦争をくぐり、教師として戦後を生きた証人の語り①

学徒動員による被爆体験から―自分にとっての戦争とは-

安井 亨(とおる) さん

 安井さんは、こう語り始めました。

 「戦争をくぐってきたわけですが、一人ひとりのくぐり方はちがいます。」

 一九四三年、京都師範学校に入学。翌年に「学徒動員令」が発せられ、名古屋の軍需工場を経て終戦直前の七月十一日に舞鶴海軍工廠へ。

この手で親友を荼毘に付した痛切な被爆体験

 そして、舞鶴空襲=七月二九日を迎えます。午前八時四〇分ごろ、警戒警報発令直後の空襲により床に叩きつけられ、顔面に受けたガラス片による傷は軽傷。しかし、一発の原爆模擬爆弾は親友九名の生命を奪い、一九名が重軽傷を負いました。被爆五日目、親友のH君の遺体が見つかり、この手で荼毘に付しました。涙もなく、三時間余りかたずをのんで。

 友人の被爆体験の手記も紹介しながら、安井さんは痛切な体験を語りました。

「ちいちゃんのかげおくり」の実践を語る

 戦後、小学校教員として教壇へ。民間教育研究運動に参加し、「文芸研」や「はぐるま研」の実践家に。安井さんが語る「ちいちゃんのかげおくり」は、ご自身の痛切な被爆体験が重なるものでした。


戦争をくぐり、教師として戦後を生きた証人の語り②

「昭和」を生きて

黒田 壽子(ひさこ) さん


 大正十五年、三重県の鈴鹿に生まれた黒田さんは女ばかりの六人姉妹。貧乏な暮らしながら女学校へ進学しました。

 奉安殿の死守を使命と考える軍国少女でした。

戦争によって変化した学校や暮らし

 開戦後一年、女学生時代の授業や暮らしの様子も大きく変化していきました。答案のどこかに「鬼畜米英・・・」と書かなければ合格しなかったテスト。修学旅行も様がわりして戦勝祈念お伊勢さん修学旅行に。靴下の配給は、一年間で六足のみ・・・。

 女専時代はあちこちへ学徒動員で明け暮れました。

生き地獄を体験した神戸大空襲

 そして、一九四五年三月十七日、神戸の姉宅で大空襲に遭遇。十八歳の時でした。火の海から生還することはできましたが、そこは生き地獄の様相でした。

 その後は配給もなくなり、食料がたいへんでした。しかし、敗戦後はもっとみじめな生活でした。

戦争を欲するように仕向ける教育のこわさ

 教育やマスコミのこわさを黒田さんは語ります。戦争を欲するように、当然のように仕向けてくる、と。

 
 
【全体会特集④ 感想文より】


「戦争」が身近に感じられる今-自分自身の「責任」と戦争責任を問う思想を深め、行動をつなげよう-

佐藤先生の話をきいて  大西 真樹(退職教員)

 非常に刺激的な講演だった。しかし、浅学の身では当然のことながら消化には時間を要する。講演の中で印象に残ったことの一つは、戦争責任を問うことは、断罪することではなく、子ども把握と教育実践論を深めていくことにつながるということである。今、「戦争」が身近に感じられるようになって、自分自身の「責任」と戦争責任を問う思想を深め、行動をつなげていくことは喫緊の課題だと痛感した。


人間の「悪」から「希望」へ   野中一也(京都教育センター)

 佐藤講演から多くを学ぶことができました。人間は間違いをおかし、失敗するものだと思います。日本の戦争責任を、シェリングがいう「人間の本質的な自由は悪にいたる」という思想に学んで、「悪」から「希望」につながる回路を探求したいと思いました。私は国民学校の一年生です。「悪」の歴史を痛切に自省させられました。


過去の経験を今生かすには・・・   M・J(市高)

 過去の戦争責任を問うという事と、今、私たちが直面している課題をどうつなげて考えればよいでしょう…。職員会議が形式化し、トップダウンで物事が決められ、個々の教職員が自ら意思表明すらしにくい状況の中で、子どもたちとどう対するか…。戦争をくぐりぬけて生きぬかれたお二人の話の中に子どもの姿を想像しました。佐藤さんの話にも「子どもの発見」が大切だと語られていました。また、人間の悪から希望を生み出すには、人間の言葉をユーモアをまじえながら語ることが、今、本当に大切だと思いました。


教育の戦争責任の重大さ  北村彰(生指研・発達研)

 戦争は一部の指導者にとっては野心から生まれるかも知れないが、一般国民にとっては正義と正義のぶつかり合いになる場合が多い。それゆえ、銃をとり人を殺すことができるようになる。その野心を正義に変える(換える)手段として教育はとても有効な方法であると思う。佐藤先生に紹介していただいた戦前の教育の戦争責任や戦後の教育の戦争責任のとらえ方は、教育の本質そのものを私たちに問うています。教育の戦争責任を戦後の平和主義との関連でとらえ、深めることこそ教育者に求められているのではないか。
《佐藤広美氏》講演
・戦前戦中の教材はありがたかった。安倍首相とブレーンが何をイメージしているか、読みとれそうな気がします。
・戦争へ動員の哲学、教育学を学ぶことは、今すでに始まっている思想誘導やマスメディア等の誤り、批判をする上で大切だと強く思った。
《安井亨氏》
・大変印象に残りました。TV、ラジオ、映画ではない、生身の体験者の話は心に残ります。桃山高に先輩の記録として残せないものか、そういうシステムができないかと思う。
《黒田寿子氏》
・「戦争はパッと来るものではない。気がついたら戦争になっている」…ひしひしとそう思います。戦争は人の人生を根本から変える(ほとんどは不幸に)。黒田さんの話の続編を聞きたいです。

《証人から学ぶ》
・お二人の実際にあった当時のお話に心をうたれました。いろいろと考えさせられた。


❖事務局だより❖

◆佐藤広美さんは、「国家に屈服した罪の自覚という戦争体験の思想化」が教育の本質にかかわって重要だと主張される。この言葉の持つ意味をこれからも深く考え続けていきたいと思いました。
◆今号は研究集会「速報」をもとに、特別号として編集しました。2016年も教育センターをよろしくお願いいたします。

 
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