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  ●京都教育センター通信 
復刊第97号
 (2015.5.10発行) 
   
教育現場に自由と平和的なたたかいを

        今滝 憲雄( 武庫川女子大学・大阪教育大学・大阪大学非常勤講師)

 
はじめに

 今年は戦後70年という節目の年です。1969年生まれの自身にとって、あの15年(アジア太平洋)戦争は歴史学習の対象ではありましたが、当然身近な事柄ではありませんでした。ところが、そんな僕を引きつけた一本の論文があります。故・加藤周一さんの「戦争と知識人」(『日本人とは何か』講談社学術文庫)です。

 この書で加藤さんは、戦時中の知識人の精神構造を分析し、なし崩し的に時局に順応していった彼らを批判しています。日本の知識人にとって、思想が生み出す価値は実生活を超越するものではなく、危機に直面した際、容易に捨て去り得るものに過ぎなかったのだ、と。

 思想と実生活との乖離、その矛盾を自覚することなく戦争協力へと突き進んでいったかつての知識人たち。その反省すべき事実を現代日本に生きる知識人としての教師たちに、重ねて読み取ることができるのではないかと感じています。
沖縄戦の教訓と平和的なたたかい

 ところで今、日本の進路を考える上で最も重視すべき場所に、沖縄があげられるのではないかと考えています。15年戦争の最終局面で本土決戦の捨て石にされ、想像を絶する被害を被った沖縄。いまだ軍事植民地的な処遇を強いられている沖縄。そこに更に世界最新鋭の米軍基地がつくられようとしています。 周知のように、かつて日本軍のいた島だけで起こった「集団自決(強制死)」。その語るに困難な経験を経て、県民に共有されてきた沖縄戦の最大の教訓は「軍隊は住民を守らない」ということと言われています。人権を奪い死を強制する暴力機構。軍隊の本質をあらわにした沖縄戦の日本軍。犠牲となった人々の声なき声。反省と二度と過ちを繰り返さない国際公約として生み出された平和憲法。それが今また、なし崩し的な改悪の危機に直面しています。そのような中で、あらためて子どもたちの命と平和な未来を保障する、たたかいの砦としての教職員の課題が浮き彫りになっているように感じています。

平和的生存権を保障する教育

 平和的なたたかいによって対峙すべきは国家権力に限りません。既に佐貫浩さん(法政大学)が指摘しているように、現代日本の国民主権を無力化し、人権や労働権の切り下げを主導しているのは、いわゆるグローバル資本です。その規制破壊によるむきだしの競争原理が、社会から公共空間を次々と奪い、生存権すら脅かされる人々が生み出されています。彼らの横暴はとどまるところを知らず、効率性になじまず、数値化でははかれない価値が創造される場所を容赦なく壊し続けています。

 その象徴的な場の一つが学校ではないでしょうか。安心・安全・自由の学び舎、未来世代の希望を育むべき居場所が、資本と国家の競争と強制の論理に侵されつつある今、教育者の公共的指命を再認識すべき時期にきているのではないでしょうか。新たな民主的社会を形成する歴史の主人公を育む発達専門職としての自覚。教育に課せられている重大な責務に思いをはせざるを得ません。

子どもの現実からスタートする教育に立ち返る

 子ども不在の教育改革に抗して、子どもの現実を出発点とする教育改革を。困難を背負いながらも、今を懸命に生きようとする子どもたちの声を聴き、存在を丸ごと受けとめながら、日々創意に満ちた実践に取り組んでいる教職員たちの努力。時に見失いがちな子ども理解の視点を再確認し、どこまでも教育の条理に則ってあるべき方向性を見定め、必死に前に進んでいくプロセス。

 子どもたちの表出・表現を規定している要因を見極め、無限の成長・発達の可能性を信じて、あきらめることなく教育的働きかけを繰り返す日常の営み。子どもたちの笑顔は、まさに親密な関係を育み、彼らの願いを心に響かせて伴走する大人たちの存在にかかっているでしょう。教室から学校から平和的なたたかいののろしを上げ、戦後70周年にふさわしい教育研究運動の先頭に立って共に歩んでいきましょう。

 
2015/1/25 京都「教育のつどい」算数数学分科会
算数・数学の学習について思うこと、伝えたいこと

                 東 辰也(宇治久世 木幡小分会)
※本レポートは以前書いたさまざまなレポートをもとに2014年8月校内研修用に作成した文書を再編集したものです。
 
 

1.何のために学ぶのか

 「算数・数学を何のために学ぶのか」と聞かれたら、なんと答えればいいのでしょうか。「生きていくため、日常生活に必要だから」でしょうか。別に「分数」がわからなくても生きていけますし生活していけるでしょう。では、「将来のため」でしょうか。「高校や大学の入学試験のため」かもしれませんが、純粋な質問に真正面から答えたことにはなりません。

 答えの一つ目は、民主主義国家の有権者、社会人として必要な教養を身につけることです。

 二つ目は、算数・数学の文化の継承です。人類が獲得してきた文化を次代に伝えることは重要です。そうして人類が進化、進歩、発展してきたのです。わたしたちもその役目を担うのです。

 三つ目は、算数・数学の学習から、「ものの見方、考え方」を学ぶことです。

 四つ目には、学ぶ、その行為、そのものから得るものがあるということです。算数・数学の学びを通して学び方を学ぶ、自ら学ぶ力、みんなで学ぶ力などを身につけることは重要だと思います。

 それぞれの単元の学習の中に、常に、「何のためにこれを学習しているの?」に答えられる学習過程を組み込んでいくことが求められています。

2.算数の学習で大切にしたいこと

 「こんなこともわからないの」「どうしてできないの」と嘆くことはないでしょうか。私たちにも同じように「わからない・できない」難しい数学の問題に出会うことがあります。わからない子はそのときの気持ちと同じではないでしょうか。わかる人には「なぜわからないの」と言われるかもしれません。「わからない・できない」には必ず理由があります。単に努力不足ということだけではありません。

 「わからないなら、せめて計算だけでも」と考えがちですが、それは責任放棄かもしれません。「努力が足りない」と思うこともありますが、理解力が不足している「わからない子」ほど、学習の負担は大きいはずです。

 「なぜできないか」「なぜわからないか」探ることが原点にあります。子どものつまずきから学ぶことです。そのことは、「子どもはとこでつまずくか(銀林浩1975国土社)」や、「教師のための数学入門(1960遠山啓)」などで学ぶことができます。

 また、発達と認識の問題も重要です。子どもの発達段階や認識に即した適切な学習になっているのか、どんな学び方がいいのか、子どもが意欲的に学ぶにはどうすればいいか、そんなことも問い直してみる必要があります。意欲や関心は、評価をすることで、自己責任的にがんばらせるものではなく、学習の中から生まれてくるものではないでしょうか。むしろ、その評価は指導者側にされるべきだと思います。

3.「つまずき」や「おくれ」の「回復」と「バイパス(迂回)」

 かつて、「到達度評価」の研究の中で、次のような学習過程が提案されていました。

@単元に関わる診断評価 ・‥ 実態の把握
A到達目標の設定 … 診断評価をもとにして基
本的指導事項、体験的指導事項、発展の内容の整理
B課題の「回復」を組み込んだ学習
C適切なところで「形成評価」と「回復を組み込んだ学習」
D総括評価(到達点)… 最終評価である「総括
評価」の中に、「形成評価」を入れるのは誤り

 子どもの「つまずき」は子どもの理解や認識を把握する大切な資料です。その裏に隠されている問題点を探る必要があります。「つまずき」から学習の「おくれ」を作り出さないために、その授業の中で、または、次の授業で、または算数教育全体で、克服するために、どんな手立てが必要かを考えます。同時に「つまずき」は「授業改善」の大切な指標となります。

 学習の「おくれ」があったとき、速やかに「回復」の手立てをとる必要があります。単元の初めなどで「診断」をして、その授業の導入に組み込んだり、途中でその「理解」や「技能」が必要になったときに、授業に組み込んだりすることを考えます。

 「おくれ」から「つまずき」を作り出さないためには、時には「バイパス」も必要です。例えば「計算力」が不十分だったとき、計算ができるようになるまで新たな単元の学習に入れない、ということであれば、「おくれ」がより広がっていきます。計算力の「回復」へは別の手立てを用意しながら、別の目標の学習では「電卓」を使うなどの工夫も必要です。その単元目標に迫るために、すでに必要とされる「学力」を補う工夫を組み込んだ授業が求められます。

 学習集団の学力状況を把握したときに、どこに焦点を当てた学習を計画するか、その検討は重要です。一部の「わかる子、できる子」を中心にすれば、「わからない子、できない子」が大量に生まれます。どの子もわかることを基本にして、発展や体験事項と区別すべきで、総括テストや学習評価は、基礎基本を到達目標として作成されるべきでしょう。

4.生活と学習、みんなで学ぶことの意味

 生活集団としての子どもの関係が学習に影響します。学習集団の中での学びがさまざまな認識を育て、生活にも影響します。
「生活集団と学習集団は一体と考えるべきもので、子どもにとって同じ集団での生活と学習が大切です。生活集団としての学級も少人数にし、生活指導と学習指導を同時に図ることが有益です。教育の目的である「人格の完成」は生活指導と学習指導を統―的に図ることで実現されることは教育の常識です。」(学び合いの学習をめざし「少人数学級」を推進した元犬山市教育長の言葉)

5.授業の中で何を学ぶか。

グループ学習やペア学習の意味

 子ども達は、授業の中で、教師の意図とは別にその背景にある思想を学びとります。(「ヒドゥン・カリキュラム」―隠れたカリキュラム、Hidden Curriculum ―)子ども達が、授業の中でどんなメッセージを受け取るのかを重視しましょう。

 助け合い、共同の精神がなく、競争的関係、自己責任、できなくても知らん顔の仲間の中で共同学習は成立しません。本来、学力は共同のものです。その人が生まれつきもっているとされる能力でさえ、たんに自分の努力のみで身につけたものではありません。好ましい環境やさまざまな援助の中で身についたものです。人類が弱肉強食でなく、共同生活を営む限り、協力共同は避けられません。日々の授業を通して学ばせたいことです。

 「わからない、できない子」がいれば、なぜわからないのか、できないのか、その原因を追及し、どうすればわかるようになるのか、集団で知恵を絞って考える。知恵を絞って伝えたことでわからない子がわかったことを、共に喜べたとき、単なる優越感でなく、共に学ぶ喜び、そして、自分の力をどのように生かすことができるのかを、子ども達は学び取ります。

6.繰り返し練習について (略)

7.式と単位(助数詞)について(略)

8.理解の習熟を「かけわり図」のすすめ(略)

9.教科書について


(1)教科書の「半具体物」「図」の扱い(略)

(2)教科書、作成から採択までと問題点


 教育課程は「基準として文部科学大臣が別に公示する小学校学習指導要領によるものとする」(学校教育法施行規則)ことになっています。そして、教科書使用について学校教育法で「小学校においては、文部科学大臣の検定を経た教科用図書又は文部科学省が著作の名義を有する教育用図書を使用しなければならない」と定められています。

 文部科学省は、教科ごとに「小学校指導要領解説」(以前は「指導書」と名付けられていた)を作成して、より具体的な学習内容に踏み込んでいます。教科書会社は、おもにこの「解説」をもとにして教科書を作成します。

 しかし、教育課程で定められた基準はあくまでも「学習指導要領」です。教科書を主たる教材としながら学習指導要領の範囲で児童の実態に即した創意工夫した授業が求められます。教育課程は地域や児童の実態に合わせて「各学校で編成する」と定められています。教科書を補ったり、創意工夫をした学習を計画したりすることは制限されていません。そういう現場の実践が教科書を改善させています。したがって児童を目の前にした現場の実践の中で検証される教育研究は重要です。

 理科や社会の教科書では、以前、教科書に載っていなくて自主教材として準備していたような内容が取り上げられていることがよくあります。算数の教科書も同様で、いわゆる「民間研(サークル)」で広く実践されてきたようなことが取り上げられてきています。(タイルや面積図の使用など)ある意味、教科書や教科書指導書をしっかり読むことも大切です。

 教科書会社はさまざまな工夫をしながら教科書を作っています。それぞれに違いがあり、特徴があります。したがって、どの教科書を「採択」するかは重要です。以前は、採択に当たって、現場教職員の声がかなり反映されていましたが、今は、政治的な部分や、不透明な部分があるなど、採択方法にもさまざまな問題点が指摘されているのが実態です。

(3)「教科書」をどう使うか

 教科書は「主たる教材」(発行法第2条)として、「学校教育法第34条」第1項でその使用が義務づけられています。ただし、同法第2項では「前項の教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる。」とあることから、「有益適切」な教材を準備して使用することが否定されているわけではありません。

 教科書の教え方が子どもの実態に合っていな時や、より「有益適切」な教材を準備することができれば、「教科書どおり」でない方がいい場合もあることでしょう。しかし、日々忙しい中、教師がすべての教材を自主的に準備することは難しいのが実態です。うまく使えるなら教科書をそのまま使えばいいと思います。「教科書を教えるのでなく、教科書で教える」というのはよく言われてきた言葉です。

10.学力テストについて(略)

※紙面の都合で,割愛した部分があります。

   
 

戦後70年の節目の年、「戦争する国づくり」、憲法改悪を許さず
子どもたちが人間らしく生きていける学校と教育を


―2015年度の京都教育センターの活動方向―

1.(1)基本方向

 ・戦後70年の節目の年、「戦争する国づくり」、憲法改悪を許さず、憲法の理念を学校・教育・社会に生かす取り組みを推進する。

 ・新自由主義と統制的教育に抗して、子どもたちが人間らしく生きていける学校と教育はどうあるべきか探究する。

(2)活動の重点

 ・安倍内閣の教育再生に抗し本来の教育のあり方を探求し、広める。―道徳教育教科化、学制、教科書問題など

 ・地域での子育て運動とともに地域における学校のあり方を父母・教職員とともに考え、共同を広げる。

 ・少年事件、いじめ・体罰、発達障害など子どもの発達に関わって子どもの人格形成上の課題を探求する。
          −ゼロトレランス、子どもの権利条約―

 ・学習指導要領、学力テスト体制を検証し、自主的な実践をつくる。−学校のあり方、教師のあり方を問う

 ・高校制度改定に伴う課題・問題点を明らかにし、高校教育について探求する。

 ・東日本大震災、原発問題と子どもの育ちと教育のありようを検証する。

 ・京都市の教育の実態を明らかにする。

2.センター体制
・顧問:野中一也
・代表:高垣忠一郎 
・研究委員長:高橋明裕
・事務局長:本田久美子
・事務局 下田正義
・運営委員(上記含めて16人)大平勲、川地亜弥子、倉本頼一、西條昭男、築山崇、富山仁貴、中西潔、原田久、松岡寛、得丸浩一、西田陽子
・「ひろば」編集委員:西條(編集長)、大平、倉本、川地、本田、下田  
・HP管理 浅井
◎ 各研究会事務局 
・地方(我妻) 
・生指(横内) 
・学力(市川) 
・発達(大平) 
・地域(姫野) 
・高校(原田) 
・カウンセリング(原木) 
・国語(西條) 
・障害児(西城)

3.とりくみ

 ・第46回教育研究集会 2015年12月19日(土)、20日(日)教文センター

 ・公開学習会「子どもが人間らしく育っているのかー地域・学校・生活の中での人格形成を」
  6/27(土)13:30〜 教文センター101

 ・「センター通信」の発行:毎月10日 教育実践の紹介

 ・季刊誌「ひろば」の発行:5月、8月、11月、2月 定期読者募集中

 
  〈京教組・京都教育センター地方行政研合同学習会〉

日時 2015年6月7日(日)13:30〜16:30
会場 京都社会福祉会館3階
講演:「安倍政権の教育政策で学校と教育はどうなるのか」
講師  中田 康彦氏(一橋大学教授)
 
〈教育センター学習会〉

日時 2015年6月27日(土)13:30〜16:30
会場 京都教育文化センター101号室
講演:「子どもが人間らしく育っているのか−地域・学校・生活の中での人格形成を−」
講師 山本健慈氏(前和歌山大学学長)


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