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  ●京都教育センター通信 
復刊第95号
 (2015.3.10発行) 
   
『慰安婦の真実を訪ねる韓国の旅』

          長尾 修(京都府立高等学校教職員組合書記長)

 
○第2次世界大戦終結から70年。歴史の真実に目をそむけず、事実を見つめようと、京都府高では12月22日から3日間、氷点下のソウルを訪問し ました。初体験の人から何度も訪韓している人まで老若男女15名です。

○今回の目的は元「慰安婦」のハルモニたちが共同生活をしている「ナヌムの家」を訪問し、思いを聞き取ることでした。

○バスの中で現地ガイドの金さんから、戦争に翻弄された朝鮮半島の歴史=日韓の関係史や朝鮮戦争後の半島情勢、ベトナム戦争での韓国軍の残虐な行為、軍事政権からの民主化と経済発展による生活の変化等の解説にとどまらず、徴兵制への思い、宗教に対する考えなども話してもらいました。

○初日は朝鮮総督府が置かれた景福宮、三・一独立記念運動の発祥地タプコル公園、立ち寄っただけになりましたが南山公園として整備されている朝鮮神宮跡や安重根義士記念館。最終日の「西大門刑務所歴史館」も含めてこれらの施設は近年改修され、屈辱的な日本の侵略や植民地の跡はできるだけなくそうとする変化が感じられました。

○ 二日目は「ナヌムの家」訪問と「戦争と女性の人権博物館」の見学。この二つの施設は「韓国通」の方もほとんど行く機会がないだけに強く印象に残りました。 ハルモニの体から発散される怒りや別れ際まで握った手を離さない熱い思いに、参加者は一様に激しく心を揺すぶられます。「ナヌムの家で、もっとも若い人でも88歳。広島、長崎の被爆者同様、日本政府は234名の証言者が死に絶えるのを待っているのか。ハルモニたちが一番怒っているのは、『慰安婦』を強制したことよりも事実を認めず謝ろうとしない今の日本に対してなのではないか」と。そして、工夫を凝らされた「博物館」の展示に「戦争で犠牲になるのはいつも子どもたちと女性」だということを実感したのでした。

○最終日の水曜集会は22年間、毎週続けられています。小学生を含め参加者は若者が多く、歌あり、踊りありの明るい集会です。府高参加者は全員が 手作りのパネルを持ち、代表が次のようにスピーチをしました。「日本国憲法を変えようとする動きが大きくなっています。でも私たちはあきらめずに闘い続けます。戦争がもたらした大きな過ちを認め、謝罪し、賠償責任を果たすことはもちろん、戦争のない平和な世界になるよう、韓国と日本ともに手を取り合って頑張りましょう」

○来年も多くの青年と訪問する予定です。

 
子どもの未来をみんなでひらく教育のつどい
第64次京都教育研究集会 全体会 2015.1.24

〜沖縄平和ツアー報告〜(前半)
2014年12月25日〜29日

                 京教組青年部
 
 

 京教組青年部は昨年12月25日〜29日まで、沖縄平和ツアーに17名(子供を含めて19名)で行ってきました。初めて出会った仲間もいる中で、現地の方の話や見学を通して、本土では知り得ることのできない多くの事を学びました。参加者で作成した報告です。

『対馬丸記念館』

 学童集団疎開の子どもたちを乗せた対馬丸は、1944年8月22日、米潜水艦の魚雷攻撃により、海に沈められてしまいました。乗船者1788名のうち、約8割の人々が、海底へと消えてしまったそうです。海に放り出されたときの気持ちを考えると胸が痛みます。犠牲者の遺影がずらりと展示されており、こみ上げてくるものがありました。さらに、対馬丸撃沈後、事実を語ってはいけないという箝口令が敷かれていたことにも、怒りを覚えました。記念館の裏には、慰霊碑『小桜の塔』があり、犠牲者の名前が刻まれています。結局、戦争により悲しく辛い思いをしたのは、罪のない子どもたち。そんな残酷な過去があったことを、対馬丸記念館で改めて考えさせられました。

『不屈館』

 沖縄の祖国復帰と平和な社会の実現をめざして、命がけで、不屈の精神で闘った瀬長亀次郎や沖縄の民衆の闘いを後世に伝えようと2013年に設立された資料館です。

 日本に復帰するまて?の27年間、米国施政下の沖縄て?「島く?るみ闘争」という人権や自決権要求の大きなうねりをつくり、異民族支配への抵抗・本土復帰を訴えた人物か?いました。その不屈の精神て?沖縄の尊厳を貫いた人が瀬長亀次郎て?す。また、1952(昭和27)年4月1日、「琉球政府」創立式典の会場に、郡民両政府職員、市町村長、一般住民なと?2000名か?集まり、全員か?起立して直立不動の姿勢をとっている中で、たった一人最後尾の席に、返事もせす?座り続けている議員か?いました。米軍に対する宣誓をただ一人拒否した人物、それが瀬長亀次郎です。様々な弾圧を受けながらも最後まで沖縄のために闘った瀬長亀次郎の生き方を私たちはしっかりと学ばなければならないと強く感じた建物でした。

『新都心・美浜アメリカンビレッジ』

 米軍牧港住宅地区の跡地を造成した「那覇新都心」は、1987年5月に、天久(あめく)基地が全面返還されて以降、運動公園や高校、博物館・美術館、大型ショッピングセンター、モノレールなどが建設され発展しています。実際に、新都心の返還前と返還後の雇用の状況を比べると、返還前は196人だったのが返還後は7168人と約36倍に増えています。

 北谷にある美浜アメリカンビレッジは、昭和56年に米軍から返還されたメイモスカラー射撃場の基地跡を開発したもので、跡地開発の成功モデルとして注目されています。沖縄における基地経済への依存度は、いまや4.9%で「沖縄の発展を阻んでいるのは基地そのもの」です。今回のツアーで出会ったみなさんが多く語られたように、今こそ米軍基地の返還をすすめる時なのだと強く感じました。

『嘉数高台公園』

 沖縄戦時の激戦地だった場所であり、戦闘で日本兵が使用した「トーチカ」や戦闘時に被害を受けた「弾痕の塀」などの戦跡が残っているところです。公園内には地球の形をした展望台があり、そこからは米軍の普天間基地が見えます。訪れた際には、20機ほどのオスプレイが見えましたが、米軍のクリスマス年末年始休暇ということもあって、その日は並んでいる状態でした。しかし、平日にはその辺り一帯の空の上で訓練を行っているのです。基地と住宅地は隣接しているといっていいほどの近距離であり、生活している場所の真上で米軍の飛行機が飛ぶのかと思うと身の毛もよだつ思いです。また、公園内には、「京都の塔」と「嘉数の塔」が並んで建っています。沖縄平和祈念公園には、それぞれの都道府県出身者の将兵のご冥福を祈るために建立された「なにわの塔」や「青森の塔」などがありますが、平和祈念公園から30km程離れた嘉数高台公園にある「京都の塔」には、京都府出身の将兵だけでなく、戦争に巻き込んだ沖縄住民のご冥福も祈る文言が記されています。ちなみに、「京都の塔」の建立当時に関わった知事が、蜷川虎三知事です。

『沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件』

 2004年8月13日金曜日14時15分頃、沖縄国際大学の学長室がある本館に米軍ヘリが墜落し、炎上しました。宜野湾市の消防も消火活動を行いましたが、米軍は墜落現場の周辺を強制的に封鎖し、日本側の現場検証も拒否しました。この背景には日米地位協定があります。このような日米地位協定をなくすことは、宜野湾市役所に掲げられている横断幕から見て取れるように、宜野湾市民の願いでもあります。毎年8月13日には、事件を風化させないために「普天間基地から沖縄を考える集い」や「普天間基地を使用する航空機の飛行中止を求める学内の集い」が行われています。当時の校舎は建て替えられましたが、キャンパス内には焼けた樹木と石碑を残し、今でも学生達に語り継がれています。

『普天間第二小学校』

 「命の尊さを学ぶ学び舎」の普天間第二小学校、「命を奪うもの」の普天間基地。一見、私たちが普段通っている学校と何ら変わることのない小学校ですが、少し目を凝らして見るとその違いに気づくことができます。一つ目は航空機識別装置の騒音測定器、二つ目は、赤色灯でどちらも小学校の屋上に設置されています。この二つの機器の設置の原因は、10mほど歩けばすぐにわかります。普天間基地がそこにあるのです。今回は、普天間小学校の真上を米軍機が飛ぶ姿を見ることはできませんでしたが、ここでは軍用機が毎日のように真上を飛び交っていること、そして、その騒音への悩みは日常的なものとなっていることを考えると何とも言えない気持ちになります。学校の騒音対策としては、教室等の窓を二重窓にしていることなどです。しかし,本来、自分たちの学校で見てみると、その姿は非日常的なものであり、あってはならないことです。そして、何よりも恐ろしいと思ったことは、普天間第二小学校の子どもたちが、この日常生活をどのように感じているかです。このあってはならない光景は、子どもたちにとってはあって当たり前のものになっていないだろうか、その『ありき存在』に『慣れ』が生じていないかを考えると不安になりました。

『砂辺馬場公園』

 砂辺は米軍基地で働く人たちが多く住んでいる地域です。お洒落なアパートが建ち並び、停車している車のナンバーは、普通なら平仮名で書かれているところが「Y」と表記されており、歩いている人もアメリカ人だらけです。公園には、バスケットコートがあり、スケボーができる場所まであります。まるで、沖縄ではなく外国に来たような風景です。蒼い海、白い砂浜が見える抜群の展望、最高の立地に建ち並ぶマンションや住居の家賃は、なんと約20万〜30万円だそうです。そして、その家賃の大半を日本が「思いやり予算」として支払っているそうです。Yナンバーの自動車の重量税だけでなく、高額な家賃まで支払いをしているのが日本です。生活保護を必要としている人がたくさんいる中にも関わらず…、日本の貧困層に対する手当てよりも、アメリカ重視という姿勢がここからも伺えます。とてもきれいな砂浜、美しい海でしたが、心は晴れ晴れとしませんでした。

『嘉手納基地』

 以前は、道の駅「かでな」の前にある「安保が見える丘」からしか基地内が見えなかったのですが、道の駅の屋上から見渡せるようになりました。その道の駅には基地理解教育のために米兵が日本に貢献している内容が書かれた「大きな輪」というパンフレットが置いてあることもありました。嘉手納飛行場の公共料金は1日あたり電気代が約1000万円、水道代が380万円です。年間にすると電気代が約36億円、水道代が約13億円です。基地内の兵舎はガラガラの状態で、砂辺馬場公園近くの住宅に住んでいる米兵がほとんどです。基地内には綺麗なグランドや野球場、テニスコートなどの娯楽・商業施設も整っています。これらの費用を日本が払っていると考えると無駄以外の何でもありません。それに加えて、嘉手納基地も普天間基地のように米軍機が毎日のように爆音を鳴らし続けているのです。ちなみに、道の駅「かでな」には嘉手納基地の歴史や問題を映像で見る資料館があります。それだけ、嘉手納町の人達も苦しい思いをしているということです。

『うるま市立宮森小学校米軍機墜落事故』

 1959年6月30日に起こった、映画「ひまわり」でも上映された宮森小学校米軍機墜落事故について、事故当時5年生で現在「NPO法人石川・宮森630会」で活動されている久高さんから話を聞かせていただきました。事故の実相は、私たちが思っていた以上に悲惨で、55年経った今でも事故を思い出して悲しんでおられる遺族の方々や、また、いつ起こるか分からない事故に怯える沖縄県民の現状がありました。現在、児童会主催の「追悼集会」や、劇団「ひまわりキッズ」のとりくみ等を通して、子どもたちが米軍機墜落事故のことを知り、また、平和と命の尊さを学び、事故を多くの人に伝えていくことに力を注いでおられます。この事故のことを風化させてはいけない、二度と同じような事故がおきてはいけないと心に強く思いました。

(次号に続く)


   
 

京都教育センター 2014年度活動の報告
安倍「教育改革」を明らかにし、発信しました

1.第45回京都教育センター研究集会

 12月20日・21日、教育文化センターで開催。集会テーマとして「憲法が生きる教育・地域の創造」を掲げ、全体会では石川康宏氏の講演、パネルトークは弁護士・青年教職員・地域のNPO職員が、今の子どもたちの状況とその中でも成長する子どもの姿を語った。2日目は9つの分科会を行い、参加者は1日目81人、2日目139人。
2.公開研究会の開催 各研究会が企画開催した研究会は11回開催された。

センターとしては、「安倍政権の教育改革のゆくえ」連続学習会を重点的にとりくんだ。

第1回「安倍教育改革(全体像)」野中一也さん 5/24
第2回「教育委員会制度改悪の問題点と今後の私たちの取り組み」三上昭彦さん 6/21
第3回「大学制度改革で小・中・高校の教育はどうなるか」高橋明裕さん 7/26
第4回「道徳の教科化の動きと文科省副読本『私たちの道徳』分析」大平勲、西條昭男、倉本頼一 8/23
第5回「教科書問題と戦争する人づくり」高嶋伸欣さん 10/25
第6回「『6・3・3・4制』改革で学校をどう変えようとしているのか」川地亜弥子さん11/8

3.教育研究集会・民教委、民研などへの参加

・ 第64次京都教育研究集会(「教育のつどい2014」)(1/24〜25:教文センター他)には共同研究者として二日間でのべ49人が参加した。8月の「全国教育のつどい(香川)」に11人が参加した。

4.「地方教育行政法の改悪に反対するアピール」のとりくみ

 首長と国の教育行政への政治支配を強める動きに対して「アピール」を発表し、243名の賛同を得た。これを京都府教育委員会小田垣教育長に手渡し、市町村の教育委員会教育長・教育委員長、京都選出国会議員に郵送した。

5.季刊誌「ひろば・京都の教育」の発刊

・178号(5/15) @「道徳」の教科化で子どもたちはどうなるかA授業の中で育つ
・179号 (8/7) @「憲法」と教育 A不登校・引きこもりを考える
・180号(11/13) @子どもの貧困  A教職員の専門性をいかした教育
・181号(2/18)  @憲法を生かした教育・地域の創造 A子どもの権利条約をいかして

6.「センター通信」の発行 〈2014年度執筆者一覧〉

84号 坪井 修/府金隆清@(綴喜)
85号 野中一也/府金隆清A(綴喜)
86号 高垣忠一郎/下田正義(乙訓)
87号 地方教育行政法の改悪反対アピール
88号 春日井敏之/坂本次郎(京都市)
89号 松岡 寛/楠本裕也(乙訓)
90号 浅井定雄/大味祥恵(京都市)
91号 西條昭男/与謝教組事務職員部
92号 鋒山泰弘/市川章人
93号 倉本頼一/乙訓教職員組合青年部
94号 本山雅章/三宅匡(舞鶴)

7.出版活動

 「子どもたちに豊かな人間性を 文科省『私たちの道徳』批判と私たちの実践」、子どもの発達と地域研究会が「地域で生き生き!耀く子どもたち」を刊行した。「原発・放射線をどう教えるか」(教育センター編集・京教組発行)、「風雨強けれど光り輝く」、早川幸生著「京都歴史たまてばこ」の普及に努める。

8.研究活動

 「地方教育行政」「生活指導」「学力・教育課程」「発達問題」「子どもの発達と地域」「家庭教育・民主カウンセリング」「高校問題」「教科教育・国語」「障害児教育」の9つの研究会が、それぞれ独自に研究活動を展開している。研究会員、募集中。

9.事務局・運営委員会体制

代表:高垣忠一郎、
顧問:野中一也、
研究委員長:高橋明裕、
「ひろば」編集長:西條昭男、
事務局長:本田久美子
運営委員(上記含め): 築山 崇、 川地亜弥子、 倉本頼一、 下田正義、 原田 久、 倉原悠一   中西 潔、 大平 勲、 松岡 寛、 得丸浩一、 佐古田博



 
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