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  ●京都教育センター通信 
復刊第94号
 (2015.2.10発行) 
   
グアム研修旅行の事前学習で何を学べるのか

          本山 雅章(京都市立高等学校教職員組合委員長)

 
 私の勤務する高校は、昨年4月から「進学型単位制」と称する教育課程を持つ普通科高校へと様変わりをした。以前の専門学科「国際コミュニケーション科」は「国際コミュニケーションコース」という普通科の1つのコースとなり、オーストラリア研修は従前どおり行われることになった。学校の模様替えにより、他のコース(これまでの普通科T類・U類)では国内の研修旅行から、4日間のグアム研修旅行を1年生の3月に実施する運びとなった。みんなが思ったことだろうが、グアムに行って何を研修するのか。「英語」を看板に掲げた本校にとっては、日本から一番近い英語圏の国ということで、アメリカ合衆国の未編入領土であるグアムは、確かに英語圏ではあるのだか。

 さて、事の成り行きはどうあれ、私が事前学習のレクチャーを担当することになり、昨年の夏休みからの悪戦苦闘が始まった。まずは本探し。本校の図書館には岩波ジュニア新書『歩いて見た太平洋戦争の島々』(安島太佳由著)があるのみで、東南アジア史のコーナーにはグアムに関する本は見当たらない。が、探してみると見つかるもので、数冊の書籍に出会い、また、インターネット上にも出会いがあった。

 NHKがネット上にアップしている「証言記録 兵士たちの戦争」のシリーズ、45分枠の番組だが、「さまよい続けた兵士たち〜グアム島 終わりなき戦場〜」は、グアムでの敗戦以降16年間ジャングルでの逃亡生活ののちに発見された元日本兵皆川文蔵さんを主題としている。ところどころ解説を加えていけば、生徒も食い入るように画面に集中し続ける。「観光客があふれる白砂のビーチに残る日本軍のトーチカ」「元日本兵が語る戦争の悲惨さ」、番組は元日本兵が投降する=捕虜になることをためらう要因となった「戦陣訓」、日本軍によるグアム島民に対する日本語教育や強制労働も取り上げている。当時14歳だった軍属の少年も日本兵とともにジャングルをさまよい続けた。

 グアム島はマゼランとの出会いによって世界史に組み入れられ、その後300年以上スペインの植民地として支配された。1898年にアメリカ領となって以来,1941年12月10日から44年8月まで日本軍に支配されて「大宮島」と呼ばれていた2年8か月を除いて、今でもアメリカの支配を受けている。植民地支配や軍隊の支配ってどんなこと? 日本の戦争は? 教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」の文字が少しずつ消えていくご時勢だが、『観光コースでないグアム・サイパン』(大野俊著 高文研)や『入門 グアム・チャモロの歴史と文化』『グアム・サイパン・マリアナを知るための54章』(ともに中山京子他著 明石書店)などは、高校生でも十分に読みこなすことができる書物。元従軍慰安婦の女性への取材記事もある、日本軍による住民虐殺の事実、グアムにおける米軍基地の問題も。ガイドブックにはないグアムの実情を学ぶことが可能である。

 今、日本の政治が蓋をしようとしている、「植民地支配の歴史」「戦争ということ」「米軍基地にかかわる諸問題」など、観光とショッピングの島グアムには、学ぶべき教材に満ち溢れていることを実感している。

 
教育研究全国集会in香川&第23回全国教育研究交流集会in奈良レポート
子どもを信頼した学校づくり〜石の上にも5年〜

                 三宅 匡(舞鶴市教職員組合書記長)
 
 
1.はじめに

 今、中学校現場は、ゼロトレランスによるルールや規範の徹底、そこからはみ出す生徒は排除する傾向が強まっている。

 生徒に寄り添いじっくりとかかわり信頼関係を構築しながら長い目で子どもの成長を見守っていく、そんな教育実践が本当にやりづらくなっている。学校の中で経験年数もある人間がそれなりの実践と子どもの視点で発言をしてきて、5年の間で少しずつであるが学校が変わってきた、そんな内容を報告する。

 私は新規採用で現任校に8年間勤務。西舞鶴の大規模校で6年勤務の後、組合専従を6年して西舞鶴のもう一つの大規模校に5年間勤務をした。再び現任校へ勤務となった。

 舞鶴市は京都府下でも、生徒指導の課題が大きい地域と言われていた。その中で、私たち舞教組の先輩方は、同和教育の実践を通して「どの子も切り捨てない」ことを教育実践の柱にして実践を積み上げてきた。一方で、規則やルールを通して、子ども集団を管理し、教師の手の上での自主活動を行わせることなどで非行や荒れを乗り切ろうとする実践もあった。

 私の勤務している中学校は、どちらかというと後者の方の傾向が強い学校であった。この学校は、経済的に安定した教育熱心な家庭も多い一方で、低所得者層の集まる大・小の団地を6つも抱えており、生徒の実態は比較的落ち着いた層が数多くいるものの、課題生徒もいて、課題生徒と一般生徒との間に距離がある。 学校の雰囲気は落ち着いた生徒を管理的に押さえ込む傾向が強く、課題生徒は一般層から切り離して指導をしてきた。


2.現任校に異動して感じた違和感

桃色字は、なくなったもの。告F字は形を変えつつ残っているもの

@学校目標が、「挨拶」「時間」「美化」「モラル」 
Aカッターのボタンを一番上まで留める。 
B置き勉の禁止。 
C「自主勉強」なのにクラス競争で提出率で全校順位を決め、1位から3位までが表彰される。 
Dお昼休み終了直後に「10分間」学習(○○タイム) 
E下校違反で部活停止。 
F部活動動員型の「ボランティア」  
Gクラブ休止期間中でも朝練はOK。 
H入学式の後に、5時まで校内研修、テストで半日の日に校内研修が当たり前のように入る。 
I長期休業中に職員朝礼をする。 
J家庭訪問は夏休みにする。
K合唱コンクールが6月にあり、9月の体育祭以降は何も行事がない。
 
L全ての会議はクラブ終了後が当たり前。 
M頭髪や服装違反は、「式」とつくものには入れない。 
N「式」とつくものは、先生はほとんどスーツ。(家庭訪問、三者懇談会も) 
O「らぼ」「ライフスキル」など、生徒人間関係の方法を学ぶ。 
P3学期に中間テストがない。
  
Q職場体験活動に自衛隊がある。

3.教職員の状況

 管理職の、思うままの学校になってしまっている。管理職が高圧的で、人を見てものを言う。力で押さえ込まない若い教師にはきつく当たり、年配の者や組合員には優しい。見栄えや形が整ったことをやろうとする。決まりを守らせられる教師が幅をきかせていて、それが出来ない教師は「ダメ」「ぬるい」「甘い」と言った雰囲気があるようで、連帯感をあまり感じない。 生徒に対して、規則・ルールを徹底して有無を言わさず守らせようとして、「あかんもんはあかん」という紋切り型の言い方が多い。教職員の会話の内容も、「締める必要がある。」みたいな言葉が多い。また、点検活動をやりたがり、生徒に求めることのレベルが高すぎる(ベル着運動はチャイムの鳴る1分前には授業の準備をして座っておくこと、その後に立ち歩いたら×になるなど)。 職員会議は、ほとんどだれも発言しない。私が発言をしても、なんの反応もない。しかし、管理職に対しては、かなりの不満を持っていて、裏では文句を言うが、面と向かって言わないし、あきらめている。「親は敵だと思っている」「なんで、授業もまともに受けれんやつの勉強をみてやらんなんの」という発言。過去の舞鶴の中学校教育の到達点ってこの学校にはない、と感じた。

4.生徒の気になる状況

 このような状況は生徒にも反映していた。教師を見て、教師を値踏みしながら動く生徒が多く感じた。威圧されるか、罰やペナルティが与えられないと動かない。クラブ活動の顧問の前では、従順で素直で礼儀正しいが、クラスになると別人のようになる者もいる。自ら考えて動いていないせいか、精神的に成長していない生徒が多く、他人の気持ちやつらさが理解出来ない。大人や教師を根本的に信頼してないかもしれない。授業でも、「関心」「意欲」「態度」を異様に気にする生徒。一方で、授業中でも塾の宿題をしていたり本を読んでいたり、何度注意してもやめない生徒もいる。生徒と教師の信頼関係って何?と、考えさせられることが多くあり、こっちがめげることが多い。

5.5年間のうつりかわり

(※番号は「2.移動して感じた違和感」でなくなったもの)

1年目
  2年生の担任。前任校とのあまりの違いに戸惑い。特に管理のきつい学年で、1年生の時にはそれでやってきた。そういうメンバーがそろっていた。あまりに自分のやり方に合わず夏休み明け2ヶ月間の休養をもらった。戻れた理由。生徒と保護者から「早く戻ってきて」というメールがあったから。 A「カッターのボタンを上まで留める」はなし崩しに消えた。

2年目
  進路主任として、持ち上がったが3年学年付きに。教師生活で初めて担任を外れる。担任が5人中4人の大幅入れ替えとなり、管理の中心メンバーが抜けて少しやりやすくなった。この年から、3年、2年、1年の課題生徒がつながり始め、学校がしんどくなる兆しが見えていた。   J夏休み中の家庭訪問は、春に戻された。

3年目
 校長、生徒指導加配がかわり、「生徒に寄り添う」「特別支援の観点」「学力でつながろう」という方針で動き出すが、これまで現任校を創ってきたという自負を持つ教職員との軋轢が起こった。教職員が 高圧的に出なくなったために、課題生徒の増長がみられ、学校が大荒れになった。私は担任を希望し3年生に残って3年生の担任になる。 この年のこの荒れた学校の現状が転機となった。「学習でつながる」という実践をする事が重視され始めた。高圧的に出ていた先生方も、押さえがきかないため、押さえつけでは「おさまらない」事に気がつき始めた。C自主勉強なのに提出率を競い順位で表彰する事はなくなった。Dお昼休みの「○○タイム」はなくなり、テスト前の終わりのホームルーム10分延長に変わるH校内研修が大幅に削減され、テスト中などはやっても1時間程度。夏季休業中も2回程度短時間になった。

4年目
 担任希望なのに「若い者に担任を経験させる」という理由から、1年生の学年付きにされて、管理職と大もめにもめた。職員会議でも激怒したが、方針は覆らず1年生の付きでスタートした。ところが、1学期終了時に、病気休養者がでて、2学期より担任となる。 O「らぼ」「ライフスキル」といったことがほとんどやられなくなる。

5年目
  2年生の担任として持ち上がる。I長期休業中職員朝礼がなくなり、必要なときだけにかわる。 K合唱コンクールが11月上旬に変わる。 P3学期に中間テストを実施した。

6年目
  3年生の担任として持ち上がる。 学期末に、45分授業や下校時間を早めて、採点や成績付けの時間への配慮がされるようになった。体育祭が大きく変わり、クラス作りのための「大縄跳び」が実施されるようになった。(これも、かつて主張していたことが実現した)

6.職場の中で気をつけてきたこと

 この職場を変えてこうなどと考えられず、転勤の希望ばかりを出していた。組合員も少数で、無理だと考えていた。しかし、自分自身の居心地の悪さを変えていきたい、そのことが、子どもたちのためになると思い始めた。

 そこで、「職員会議が学習の場である」という先輩の教えから、職員会議で「おかしい」と思うこと、「それをする意味は何なのか」と言うことを、発言するようにしてきた。たとえ、意見が通らなくても、何も言わなければ「沈黙は承認」となる。自分の意見表明をすることは、職員会議で言えなくても、「おかしい」と感じている人を励ます事になる。

 発言内容は、生徒つぶやき(例えば、3学期にも中間テストをしてほしい。定期テスト後のクラブ時間を短くしてほしい。何で、ボランティアにいかんなんの)とか、教師の不満(○付けをする時間を保障してほしい、職場の研修をテストの日はやめて、休業中の職員朝礼はいらない、家庭訪問は春に・・・)を発言する。全体で考える問題(講師が途中でやめてしまう残念な事が起こった)について、誰も何も言わないので職員会議で問題提起をした。

 職場では、担当者任せの雰囲気があり、PTAの取組みも責任者のみが切り盛りしていたり、体育祭で3年生の先生だけがバタバタしていたりする状況で、自分から入っていった。若い教員をけしかけて、職員のレクリエーションを企画した。

 分会として職員アンケートを取り校長交渉をしたり、分会掲示板の設置、配布物を全員配布、賃金の署名は職場で回す、などをして組合の風をふかす努力をした。現在の管理職には、組合の情報提供し要求もぶつけ、時には怒鳴りあいもした。学校に埋没すると、それが当たり前になってしまうので、組合の会議や研究会には出て、最新の教育情勢を学ぶように努力した。

 教育実践では、生徒と保護者とつながるよう、家庭での勉強と学級通信を通して、信頼を得るように努力した。生徒と保護者の信頼が得られれば、大きな力になる。保護者の中に、教え子がたくさんいるのも強みになっている。

7. おわりに

 5年前に来たときとは明らかに職場の雰囲気が変わってきた。職員会議での発言に対して、「立場上(講師)言えないので、先生が発言してくれるので助かっています。」「先生が発言するから、早く切り上げられようになった」「こんな事提案したら、三宅先生に怒られるで」(運営委員の一人)等の反応が返って来るようになった。

 職員会議で発言すると、校長や加配が「三宅先生の言うように・・」と発言を深めるようになった。分会の署名や東日本大震災のカンパも回したらしてもらえるようになった。

 査定評価や賃金が話題になるようになり、「知らせてくれてありがとうございます」「先生が代表で頑張ってくれているおかげです。」等、5年前転勤した時とは比べものにならないほどの変化である。

 そんな中で、隣で1年間過ごした教員が転勤して組合加入をして、その後、職場の中でも組合員が増えた。

 職場の中では、考え方が一致している訳ではないし、決まりにうるさい先生もおり、前から比べたら「ぬるくなった」と思っている先生もいる。しかし、決まりについては曖昧なグレーゾーンが許されるようになってきた。

 先日、他学年の先生からも、職員会議で意見がだされ、提案が覆るということが起こった。これも大きな変化である。また、総括会議の中で、議論をしていくうちに、「数年前のような悲惨な大荒れの状況にならないための教訓としては、どういう総括をしたのか?」と校長に振ると「それは顆課題生徒を見捨てないということだと思う。」という発言をした。今、求められている教育の原点があるような気がした。

   
 

子どもの未来をみんなでひらく教育のつどい
        第64次京都教育研究集会 全体会に200人

出口治男さんの講演に共感!「憲法の力」と「教育の力」

  京都教育研究集会は、1月24日(土)に教文センターで全体会と2つのフォーラムが、25日(日)に分科会が教文センターとかもがわで開催されました。全体会には200名が参加しました。

 全体会は、宇治久世教組のうたごえサークル「グッディ」のさわやかな歌声で始まりました。

 その後、京教組青年部が「沖縄平和ツアーで学んだこと」を発表しました。12月に青年部が企画した沖縄ツアーで学んできたことを歌と感想発表での報告でした。

 記念講演は、弁護士出口治男さんが「『憲法の力』と『教育の力』」と題して語られました。憲法26条では「教育を受ける権利」は、子どもの成長発達、人格の完成実現のために必要な学習をする権利であること、教育基本法が改正されても、「学テ裁判」の最高裁判決が「教育は何よりもまず、子どもの成長発達、人格の完成実現のために必要な学習を権利に対応するものであり、教育を施す者の支配的機能ではないとする」と規定していることを紹介しました。また国連「子どもの権利条約」が国連憲章の「平和、尊厳、寛容、自由、平等、連帯の精神によって」子どもが育てられなければならないと定めていることを強調されました。最後に福沢諭吉が、明治初期の京都で町衆の力で「番組小学校」が作られたと記していること、山本有三が戯曲「米百俵」で、教育の力こそが平和な人間の営み、国の運営の基礎となすことを、主人公小林虎三郎に語らせていることを紹介し、恒久平和と国民主権主義を国づくりの中心に据え、その担い手となる国民を教育によって養成することの大切さを語られました。

〈感想〉
○今日の話を聞いて、地域社会で子どもを育てていかないといけないなと感じました。
○「教育は国民主権、基本的人権、平和主義の実現を目的とする」という当たり前のことがごまかされようとしているのに、日々の忙しさにかまけているうちに、気づかずに過ごしてしまっていないか、と思い知らされました。

 全体会の後おこなわれた2つのフォーラムには、あわせて70人の人が参加し、積極的な意見交流がおこなわれました。「京都の教育の現状と課題」では始めに、京都教育センターの大平勲さんから「日本の教育の現状と課題」を問題提起し、リード発言として小中一貫校と学校統廃合問題と、高校入試制度問題についてのリード発言の後、会場から小規模校のよさや地域に学校がある意味を地域で議論していくことの大切さなど活発な意見交流が行われました。「地域での子どもの育ちを支えるとりくみ」では、学校と連携した子どもの貧困対策のとりくみ、中学校給食実現のためのとりくみ、学童保育でのとりくみなど交流しました。

 2日目の分科会は、午前・午後延べ325人の参加で100本近くのレポートが報告され、活発な意見交換がされました。教育センターから、1日目は20人、2日目の分科会には27人が共同研究者、世話人として参加しました。

 
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