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  ●京都教育センター通信 
復刊第93号
 (2015.1.10発行) 
   
大津事件・防止7法で「いじめ問題」は どう変わったのか?

                      倉本 頼一 (立命大・滋賀大非常勤講師)

 

<京都いじめ全国最多?>

 「大津いじめ・自殺事件」から3年、「いじめ防止対策推進法」から1年、「いじめ問題」はどう変わったのか?10月16日文科省は『問題行動調査』を発表しました。新聞は「いじめ把握18・5万件、」(朝日)「小学校いじめ最多、京都全国最多」(京都)等と報じました。なるほど「府県別件数表」の「千人当たりの人数」を見ると「京都 99・8」に対して「福岡2・6」「東京8・1」等京都が1番になっています。なんと「大阪5・2」と言うのです。このような調査は数字だけで「いじめが多い、少ない」と断定できない事が分かります。府教委は「『嫌な思いをしたもの』など幅広くとった」とコメントしています。


<校長報告、教委担任呼び出し指導>

 全国教研で「全国で起こっている」例としてあるいじめが報告ありました。小学3年学級で起こったいじめで親と話し合いをしていた。校長指示で文書報告したら直ぐに教育委員会に呼び出され、そこで両者の親との話し合いをさせられた。本来学校内で集団的援助を得ながら解決できることが、学校で充分取り組まず、教委持ち込む例が増えています。結局、教師は長期の研修に出されたと言うのです。


<調査の回数より、子どもの思いを把握>

 いじめ問題は子どもの人間関係のもつれ、集団、発達のトラブルから発生します。最近の学校現場ではアンケートや調査が増えていますが、もっといじめだけでなく日常生活の子どもの悩み、喜び、苦しみ、心配なごとを担任が把握することが何より大切な事です。本当に悩んでいる事を書くのは難しくても「友達の事で心配な事」は書きます。日常的な「生活ノート、日記、作文、意見、
思い」を書き話し合う機会を多く取るのが大切です。


<大津いじめ・自殺事件・自殺抗告大阪高裁棄却>

 11月29日 「いじめに関わったとして、暴行などの非行内容」で「保護観察処分とした大津地裁の決定を支持し抗告を棄却した」(毎日)と報道しました。まだ自分たちのいじめの事実を認めていないというのです。民事の賠償問題もあるからか分かりませんが、まだ本人たちの謝罪はないのです。この子どもの将来が心配です。


<きもい、ムカつく、死ね、ぶっ殺す、暴言の中で>

 今日のいじめは大津事件でもあった「いじめでないふざけ合い」「冗談だ」と言いながら相手の苦しむのを遊びするという日常、「きもい、死ね、殺す」などと言う暴言の中で起こっています。このようないじめ文化をどうとらえるか 問われています。


<法律や条例でいじめはなくならない 子どもの自治の力を>

 京都市は「いじめの防止等に関する条例を施行しました」「いかなる場合もいじめを禁止する」(市民しんぶん)と発表しています。残念ながら 法律や条令、命令ではいじめはなくなりません。集団的暴行や恐喝など明らかな犯罪は警察と連携しなくてはなりませんが、最終的には いじめは子ども自身が自分たちの問題として取り組む事が重要です。小中学校で自治活動の時間が減らさず、教師の指導と援助で子ども自身が取り組んでこそいじめを自分たちの集団と個人の発達と成長に転化できるのです。

 
 
−2014「子育てと教育を考える」親と先生、市民のつどい 11月24日
 福島で見て、聞いて、考えたことを自分のことばで伝えたい−

原発事故後の福島の現実

                   乙訓教職員組合青年部
 
 

はじめに

 昨年は、沖縄研修で見てきた沖縄の現実を報告しました。今年は、福島研修(12名が参加)で見て来た福島の現実を写真とリレートークで報告しました。


福島研修の日程

8月11日(月)

○飯舘村 渡邉勝義さんに案内をしていただく(渡邉さんは県労連の役員。飯舘村に住んでいたが、現在は避難中。)
・除染作業の様子、山積みにされた仮置き場…
○原町高校大貫昭子先生(福島県高教組女性部長)の話(震災当時は小高工業高校に勤めておられた。学校ごと生徒とともに被災した。)
・小高工業高校の生徒たちの様子
○「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の
原告団長 中島孝さんの話(中島さんはスーパーを経営している。福島原発訴訟原告団及び弁護団は、平成25年3月11日、800人の原告とともに立ち上がり、国及び東京電力を相手方として訴えている。)

8月12日(火)

○浪江町帰還困難区域に入る
志賀勝明さんと大貫先生に案内をしていただく(志賀さんは請戸の漁師。福島第一原発の立案の頃から原発に反対していた。)
・請戸海岸(荒れ果てた田畑、流されてきて放置されたままの車や船、壊れたままの家屋…)
・請戸小学校 (卒業式を目前に被災。体育館の床は抜け落ち、そのままの状態で休校。)
・希望の牧場 吉澤正巳さんの話
(自身の被ばくを顧みず、警戒区域内に取り残された被ばく牛の保護や飼育を続けている。)
・小高区 (高校生の通学に使われていた自転車、配達されるはずだった3月12日の新聞、ゴーストタウンとなってしまった駅前商店街…)
○原町区内の原町高校、小高商業高校(プレハブ校舎)
○相馬市の中学校の遠藤慎一先生の話
・南相馬市の小中学校を中心とした原発事故の当時の被害状況と子どもたちの様子

8月13日(水)

○相馬の若い漁師さんたち(4名)の話
・海上での大津波の体験、地震直後の陸の様子
・漁師としての思い、原発事故後の漁の実態
○大野台仮設住宅 飯舘村から避難してきた自治会長の佐藤さんの話
・仮設住宅の生活の様子
・お年寄りは帰りたいと思っているが、若い人は帰らないと言う
・帰りたくても帰れない現実
○野馬土の農民連の取り組み
・農作物の放射能の測定


報告内容の紹介
 「福島の現状から目をそらさないで」  田中 さつき


1.福島で見た風景

 今回の福島研修に参加していなかったら、福島の現状をほとんど知ることができなかったと思う。いかに福島に関する報道が少ないか、報道されていてもいい面しか映っていない。「がんばろう、東北」とか「復興に向けて」など、確かに前向きになることは必要だし、大切なことだと思うが、福島はそうではなかった。大地震・大津波という自然災害で、多くの方が亡くなり、家を失い、東北の人々は深い傷を負うこととなった。失った命は取り戻せないが、瓦礫を取り除いたり、街や家を建て直したりすることはできる。岩手・宮城では街の再建に向けて頑張っている人々の様子が力強く報道されている。しかし、福島の原発周辺の地域はまるで時が止まっているかのようだった。私たちは帰還困難地区となり立ち入りを制限された浪江地区に入ることができた。入るには申請が必要で、滞在時間も制限されているようだ。草原の中に車や船が放置されている。草原ではない。かつては田畑であったのだ。津波で流されてきた瓦礫の処理もできないまま、放射能の影響により放置されているのだ。家屋の門にもバリケートがされ、庭は荒れ、空き家になっている。もちろん帰りたくても帰れなくなった家。時が止まっているように見えて、確実に月日は経っている。3年半も放置すると、田畑の境界もわからなくなるほど土地は荒れ放題になり、原野と化す。家屋には獣が入り込んだりして傷んでしまう。もう、とても住めない状態だ。請戸小学校の体育館の床は抜け落ち、大きく窪んでいた。卒業式を目前に「祝 卒業式」と横幕が掲げられたまま休校となった。泥の跡から、津波がほぼ2階まで上がったことがわかった。

2.住んではいけない土地

 私たちを案内してくださった福島の高校教師である大貫先生はこう言っておられた。「人間らしい生活って何だろう。自分たちが築いてきた町や家を奪われて、狭い箱(仮設住宅)に入れられる。帰りたい、帰りたいと言いながら孤独に亡くなっていくお年寄りは後を絶たない。学校もバラバラになり、外で自由にのびのびと遊べない子どもたち。地域とのつながりがなくなり、肩身の狭い不自由な生活を余儀なくされている。自分たちの育った、愛する町や家を捨てていかなければならない境遇をどう思うか。苦労して建てた家、頑張って商売していた店、確かにここに人は住んでいたはずなのに、今は誰もいない。今では住んではいけない町。日本で人が住めない土地があるのです。」今、安倍政権は原発を再稼働しようとしている。そのためには福島は一日も早く復興していなければならない。つまり、復興しているように見せなければならない。まだまだ線量は高いのに、国道6号線の規制を解除するとまで言っている。福島の原発事故を終結したことにし、人々の暮らしを、命をないがしろにしているとしか思えない。

3.福島でたたかっている人々

 福島では多くの人がたたかっていることがわかった。元々は魚屋さんである中島さん。原発訴訟原告団長として国と東京電力を相手取り、「生業を返せ!地域を返せ!」と責任を追及し、原状回復を訴えている。「精神的慰謝料もらったって、仕事がなけりゃ心が腐っていくんだ。漁師は、金はもらっても漁ができないからパチンコするしかできないんだ。」という言葉に胸が痛くなった。地元の若い漁師さん4人からも話を聞くことができた。「父親の背中を見て育った。おやじみたいになりたいと思っていた。早く一人前の漁師になりたいと思っていた。俺はどれだけ漁れたとか仲間と競争するのが楽しかった。今では試験操業でしか漁ができない。自分の子どもに父さんはどんな仕事をしているのか訊かれたら説明に悩む…」と言っておられた。仕事を奪われるということは生きがいをも奪われることなのだと思った。そして浪江の漁師の志賀さん。志賀さんは40年前に福島第一原発の建設案が出されていた頃からたたかっている人だ。当時、原発の社会的認識は弱く、立地町村は原発交付金が入るということから、ほとんどの住民が賛成していたという。しかし志賀さんは、安斎育郎氏の話を聞いて、一度原発に頼るとずっと原発に頼らないといけなくなるということから、地元でたった一人で、原発に反対していたそうだ。当時の漁業組合から「お前は、どこまでも反対するなら青年部を辞めてもらう。沖で何があってもお前だけは助けね。」とまで言われたそうだ。「誰からも話しかけてもらえなかったのはつらかったなぁ。」と言っておられたが、若くしてそこまで原発のことを見据え、反対し続けてきたなんて、私だったら耐えられないと思った。それから、「希望の牧場」の吉沢さん。帰還困難地区となった牧場に留まり、今でも牛を生かし続けている。「放射能に汚染されたこの牛たちはもう家畜ではなくなった。ペットでもない。殺処分せよと言われている牛を生かし続けることは反政府活動。国は命を見捨てた。何十年も酪農をやっているが牛に白い斑点模様が出ている。放射能の影響を示すためにも生かし続ける必要がある。」酪農家として、汚染された牧草を与え続けることは想像以上につらいものがあると思う。線量の高い浪江地区で、自らの命の危険もあるのに、吉沢さんは牛たちと生活を続けているのだ。小雨が降っていたが、遠くで牧草を食んでいる牛が数頭見えた。北海道で酪農を営んでいる母の実家の景色と重なった。吉沢さんが活動している小屋の中には、やせ細って何頭も重なり合って餓死した牛たちや、奇妙な白い斑点がでた牛の写真がたくさん掲示してあった。胸が苦しくなって、涙が止まらなくなった。

4.私たちにできること

 私たちにできることは何だろうと思った。福島の人たちは口をそろえて「福島の現状を知ってほしい。福島を忘れないでほしい。福島のことを伝えてほしい。」と言っておられた。自然災害と原発による被害は全く大きく異なる。福島で学んだことはとてもA4用紙1枚では収まらない。紙面だけではなく声に出して一人でも多くの人に伝えよう。福島だけの問題にせず、これは日本の問題であることと捉えよう。決して遠くで起こっていることと思わないでほしい。もし、ある日突然、自分たちが住んでいる土地や家を奪われたら…退去を命じられ帰れないと告げられたら…隣近所はもちろん、親せきや家族がバラバラになったら…別れの言葉も告げられず見知らぬ土地に追い出されたら…仕事を奪われたら…それとも命と引き換えに故郷に帰るか…どれだけ想像できるだろうか。国も東電も、福島の現状から目をそらさないでほしいと思う。

※参加者全員のレポートと写真がほしい方は、乙訓教職員組合まで連絡ください。

Eメール:otukyouso@aqua.ocn.ne.jp

 
   
 

第45回京都教育センター研究集会に延べ230名が参加
石川講演・パネルトークに参加者共感!

 第45回京都教育センター研究集会は、12月20・21日開催されました。年末、学期末の多忙な中を、現職、退職者、研究者、父母など82人、分科会に140名が集いました。高垣忠一郎センター代表、河口京教組委員長の挨拶の後、石川康宏さんの講演がありました。

 石川さんは「憲法が生きる国・教育のあり方ー安倍政権の歴史観・教育観とはー」と題して、総選挙の結果を踏まえて、憲法違反で閣議決定した集団的自衛権行使に反対するこれまでにない若者の動きや、自民党がめざす近未来の日本社会は、天皇を頂点とした国づくりを進めており、それは2012年の自民党「日本国憲法改正草案」の中身で明らかであり、そのために教育を利用していることを語られました。後半のパネルトークは「すべての子どもに夢と希望を」をテーマに、弁護士の大江智子さんは、少年事件に関わっての子どもの現状を通して、大人の関わり方がかわれば子どもが変わっていく子どもの可塑性のすごさを語られ、新採7年目の青年教職員は、職場の多忙化の中で、教育のなかで大切な「福祉」というものをそぎ落としているのではないか、山科醍醐こどものひろばの梅原美野さんからは、子どもの貧困対策事業のとりくみの紹介がありました。フロアーとの交流の中で、さまざまな問題を抱えた子ども達の活動の場が学校や地域に必要であるなどの発言がありました。2日目は9つの分科会がおこなわれ、20本のレポート報告がありました。どの分科会も活発な意見交換がなされました。

《感想文から》

○ 石川先生のお話を聞いて、安倍首相以下、自民党がやろうとしていることの恐ろしさを感じました。情報分析が多面的で的確だったので、この現状をなんとかできる風穴はあるのだなと思い力づけられた気がします。(学生)

○ 「なんでこうなるの!?」と長く疑問だったことが、今すぐ始まったことではなくて歴史の中で続いてきた「今」の姿なのだとよくわかった。ということは「今」のがんばりや知恵の出し方で未来が変えられることだと思えた。最後に話して下さった科学的に学ぶ、本当に大事だなと思う。(教職員)

○ 若い3人の立場の違う場所での活躍の様子と実践よかった。現代の子どもの非行、低学力、不登校問題の中の学力問題を、家庭のしんどさと、それをもたらす社会背景がよく出ていた。(研究者)

○ いろんな方の意見を聞いて自分の教育に対する考え方が少しずつ変わってきているように思います。日本の社会全体の問題なので、多くの人が教育に興味を持つようになればいいなと思います。(地域)

○ 6・3制でない5・4制、4・3・2制の根拠について様々な理論が成り立っていないのではないではという疑問を持ちます。今日挙げられた課題が、子どもの実態からスタートしていないのがそもそもの問題なのではないでしょうか。(地方教育行政・教員)

○ 保育から小・中・障害児教育まで広範囲にその時期の課題が話し合われ、最終就活の自己責任へとつながる世の流れに少しでも抗することが必要かなと勉強しました。(発達・教員)

 
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