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  ●京都教育センター通信 
復刊第88号
 (2014.7.10発行) 
   
第二の誕生と自己形成―社会とつながって自分を生きる

                      立命館大学  春日井敏之

 

第一の誕生から第二の誕生へ −社会とつながって自分を生きる

 すべての子どもは、かけがえのないいのちと幸せになる権利をもってこの世に誕生します。しかし、自分の意思で時代や場所や順番を選択して生まれてきたわけではありません。その意味で「第一の誕生」は受け身であり、与えられたいのちは、家族や周囲の援助がなければ危うい存在です。家族や周囲は、子どもにとって良かれと思い、様々なレールを敷きながら子どもを育てています。その正当性の根拠は、「子どものいのちと権利・利益を守る」ことにあり、その限りで「守りの枠」としての意味をもちます。子どものいのちと権利・利益を侵害するようなかかわり方は、家庭においては虐待問題であり、学校においては管理主義教育・体罰問題となります。

 また、家族や周囲の人々の「お世話」になりながら育ってくるなかで、子ども・青年たちの心には、「できることで、誰かを助けたい」「誰かのために役に立ちたい」といった人間としての素朴な願いが、育っていくのではないでしょうか。こうした人間的な願いがうまく育たず機能していないとすれば、そこにどんな課題が潜んでいるのでしょうか。この点が、困難を抱えている子ども・青年への理解を深め、取り組み方針を立てていく際に、大切な切り口となります。

 また、教育や子育てという営みを通して、子どもとかかわっている教師や保護者は、放電ばかりではなく、そこから充電もさせてもらっています。「いのちの働き」は、自己の成長や回復といった機能だけではなく、周囲の人々のいのちと響きあって、他者の成長や回復を支える働きをもっています。ここに、人がつながって生きるということ、すなわち、「助けることで助けられている」双方向の人間関係の原点があります。

 思春期・青年期は、受け身で誕生したいのちが、これまでの家族や他者とのかかわりを土台にして、主体的に社会とつながって自分を生きようとするからこそ、「第二の誕生」と呼ばれます。この時期は、次の三つの課題に向き合っていくことになるのです。一つには、「働くこと(職業選択)」、二つには、「愛すること(性と生)」、三つには、「社会参加すること(仕事以外など)」です。このとき、自分の人生の主人公になるための自己決定を応援してくれる他者の存在がポイントとなります。


孤立ではなく「つながって生きる力」を

 文部科学省は、現行学習指導要領(小・中学校2008年改訂)総則のなかで、「学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、児童(生徒)に生きる力をはぐくむことを目指し」として、知・徳・体のバランスのとれた力としての「生きる力」を強調しています。一方では、先行き不透明で変化の激しい時代に適応していくために、企業、学校、社会では、効率性を追求し、生き残りをかけた比較と競争に拍車がかけられてきました。ここで求められる「生きる力」は、競争を勝ち抜くための力です。教員や保護者も、比較と競争から決して無縁ではなく、子どものために良かれと思いながら、自らも結果にこだわり、子どもたちを追い立て、追い詰め、その結果「孤立して生きる力」を求めているようなところはないでしょうか。そのとき、「自立」という言葉は、人に頼らない、弱音を吐かないといった文脈で使われ、孤立して生きるためのエンジンに使われているようにも思います。

 もう一方では、先行き不透明で変化の激しい時代だからこそ、子どもたちは夢や希望が持ちにくかったり、荒れたり落ち込んだりすることも多いのです。ここで、私たちが大切にしたい「生きる力」は、お互いの弱みや強み、存在を認め合いながら、「つながって生きる力」ではないでしょうか。これは、子どもとの関係だけではなく、保護者、教員との関係でも大切にしたいことです。

 では、子どもたちはどんなときに、つながって生きていると実感することができるのでしょうか。そのためには、次の三つの人間関係が大切ではないかと考えています。一つには、誰かを助けてつながって生きるということです。二つには、誰かに助けてもらってつながって生きるということです。三つには、誰かと一緒に楽しいこと、やりたいことを目一杯してつながって生きるということです。気がついたら、そこにはがんばっている自分がいて、一緒にがんばった誰かが自然と友達になっているのです。

 
 
第63次京都教育研究集会レポート

子供に寄り添う指導を目指して

                      坂本 次郎  (京都市内中学校)
 
 

はじめに

 異動して来て3年間持ち上がった学年での実践。学年主任で担任なし。学年は6クラス(+育成級1)。3つの小学校から上がってくる。

 新しく学年を作る先生方に自分のやり方をわかってもらうために、3年間の指導方針を提案した。課題のある子との信頼関係をいかに成立させるか、そのために決して「排除しないJ指導を追求する。これがベ−スである。

 小学校時の状況(2校で6年時1クラス、3年時1クラスが指導困難に)からある程度の学年生徒の崩れが予想された。

 そこで、*日常生活の安定*学級づくりを軸にした方針を立て入学を迎えた。

 そして勇気づけと「認められ」体験の蓄積をめざし、集団から認められた体験を豊富に、できたこと、やったことを細かく評価し、「学校に輝く『星』」を、生徒全員の活動から、全教師で発見し続ける。ことを特に重視した。

 春休み中に、学年の使用する校舎、教室の状況を「自分が新入生の保護者なら」という目で確認した。初回の職員会議で、学校の教育目標として「あいさつ、掃除、時間」の重視が学校長から提案されたことをうけて、新入生の教室環境を向上させるために、教室の掃除ロッカーも新調してもらった。

 入学式までに学年団でお互いの教室の掃除を手伝った。その上で各担任独自の装飾をした。教室の座席表は、大型テレビにBGM付きで動く表示をした。校門横の掲示板、階段の踊り場には、「ご入学おめでとうございます。教職員一同」の横幕を貼った。

 入学式前日指導で初めて子どもたちを見た。式の進行についての説明レジュメを作って配り、それに基づいて練習をすすめた。指示は的確に手短に、評価をこまめに挟んだ。彼らはこちらの指示に素早く反応し、行動が早い。体育館でも非常に静かである。その整然とした動きに感心した。そのまま彼らに「今日の動きは素晴らしい。明日の式も一生の思い出に残る式にしよう。」と感想を述べた。


1:「楽しい」を全面に

 式翌日の1時間目。学活もせぬタイミングでさっそく学年集会である。

 学年集会は、特に、「学年集会は楽しい」という体感をたくさんさせようと考えた。第1回はレク大会を教師主導で行い、大盛り上がりであった。その後も学活を学年で行うという感覚で年度当初4、5月に5回持った。子どもたちは「やった!学年集会や!」というほどであった。そこで学年としての行動練習と学年で集まって集団を意識することを定着させた。学期末の集会では、評議員に学期のまとめを発表させた。もちろん、略案ではあるが、要項案を学年には提案した。

 生徒からは中学校の教師に対しての基本的な信頼感は感じられた。頭から不信を前面に出すようなレベルからのスタートがなく、その点で非常に楽にスタートできた。学年全体を俯瞰すると非常に前向きに頑張った。


2:学校をきれいに

 5月、植村花菜の「トイレの神様」を使って学年道徳の授業をした。タイミング良く(?)、前日の日曜参観で、保護者のサンダルが、1年生のトイレの大便器に突っ込まれているという事件が起きていた。まず、その事件の経過と私の考えを話した。そのあとDVDを全員で視聴し、歌詞を読みあわせ、濱口国雄の「便所掃除」という詩もあわせて読んだ。

 6月、その流れを生かし、修学旅行中の3年、チャレンジ体験中の2年がともに不在で、学校内に1年生だけという2日間を生かし、校内一斉美化活動「学校ビフォー・アフター」を実施した。道徳の時間、クラスごとに校内地図を持って、校内を散歩し、自分が「ここの神様がキレイにしてほしいと待っている!」という場所を探し、そこをキレイにする、という取り組みである。自分たちの学校をきれいにするために手間をかける。手間をかけた学校には愛着がわく。学校中のさまざまな場所を子どもたちが探し、担当を決めた。事前に掃除箇所をビデオで撮影し、いよいよ作業開始。午前中の4時間を使って、ペンキ塗りから掃き掃除からグラウンドの防球ネットから、大体的に学校をキレイにした。トイレを掃除したグループは、便器を直接タワシでこする子まででるほど、徹底的にキレイにしてくれた。

 昼ご飯は体育館に集まって、遠足気分でわいわい食べた。教師からのサプライズで、フルーツポンチとかき氷を作って、デザートにした。子ども達も大喜びだった。その成果をビデオに収め、BGMもいれ『劇的!学校ビフォー・アフター』として若手が編集してくれた。後日のまとめの学年集会を開き、みんなで鑑賞した。自分たちの活動の結果をドキュメンタリーふうの映像でまとめてもらって、生徒達は満足そうに見入っていた。


:不登校生徒がいない?!

 入学時より、なによりうれしかったのは、小学校時から恒常的な不登校生徒がいないことだった。年度末、欠席が一定数あり、進級認定にかかった生徒は4名。恒常的な不登校生徒は0!これはなによりもうれしいことだった。このあと、2年生の後半から欠席が続いてしまう生徒がでるが、彼も担任の若手I先生が、登校を無理強いせずに家庭訪問を繰り返し、本人の感触を確かめながら、別室登校、放課後登校を積み重ね、丁寧で共感的な関わりと友人の援助も作りだして、3年生の夏以降は、教室に戻り、自分の進路希望を見事実現し卒業した。A子も生活が不規則で大きく逸脱していったが、登校したときには教室ででも個別対応ででも、どちらでも関わる体制を学年で作れ、丁寧に指導を続けた。


5:学校の星

 以前の教研で、小学校の先生が、ドラゴンボールを子どもたちと作る世界の重要なアイテムとして活用している実践を知った。それを何とか取り入れられないか、考えていた。学年の若い先生にそのアイディアを話すと、みんな「いいですね」と好反応だった。

 まずは、いいことができたり、前進点があったら学年通億で評価し「星」型に切った黄色い画用紙にその中身を書いて、学年の一番目立つ階段踊り場に貼っていくことにした。取り組みをしたあとの総括では、必ず「学年で輝いていた人」を書く欄を設けた。それをもとに1年間で42個の「星」が輝いた。


6:2年生に

 4月当初のスタートもスムーズで、チャレンジ体験に違和感なく入ることが出来た。新たに担任団に加わった若手青年の学級も、違和感なくスタートできた。クラス分けも効果的で、昨年多発した女子同士のトラブルも、クラスが分かれることで激減した。
 年間を通して、教師反抗と名付ける事象はほとんどなかったのではないかと思える程、不要な摩擦は少なく、指導のやりやすいいい関係が作れていた。

 トイレへの傘などの投げ込み、落書き事件、男女交際のありかたなどの指導には必要に応じて学年集会を開き、学年全体に同時に指導を入れる形を取った。これは様々な内容に応用できた。

 また男女交際と子どもの様子の変化の関連が心配される面があった。そのため年度末に学年道徳の形で「愛と性」についての性教育授業を体育科のK先生から1時間してもらった。

 12月の懇談期間、教室に向かったO先生が、陸上部のF君がトイレ掃除をしているのに出くわした。「何してるの」と聞くと、「暇だから」と彼は答えた。O先生はそのことを学期最終の学年集会のときに「感心したこと」というテーマで子供たちに紹介した。「ひまだから、掃除をする、しかもトイレの。これには先生は感心しました。」これも学年通信に載せた。

 暮れの27日、整備委員長のN君をはじめ、私が昼休みに校内のごみを拾って回っているのを手伝ってくれるM君、副会長のナホさんとつれのSさん、同じ部活女子3人組の7名が参加した。教師も5名が手伝ってくださった。午前中2時間ばっちり塗ってきれいにした後、あらかじめ用意しておいたたこ焼きパーティーを調理室で行った。子供たちはおどろき、喜んだ。みんな食べるより、作るほうが楽しそうで、かわるがわる互いの焼き方に注文をつけながら、楽しそうに焼いたり食べたりした。先生方も楽しそうに手伝って下さった。


7:3年生

 4月当初のスタートもスムーズで、修学旅行に向けて、違和感なくスタートできた。ただ、その中で、新しいクラスに居場所を見つけられず戸惑う女子が数名いて、そのケアに時間を割いた。

 教師との指導を巡っての摩擦は、丁寧な対話を積み重ね、即効薬のような効き目はないものの、信頼関係を損なうような強引な指導をせずに解決できた。

 集団に認められる経験づくりは、合唱コンクール、学年劇などの行事を中心に進められ、目立つ生徒だけでなく、得意を持った生徒にスポットライトを当てた。

 学年劇。長崎・沖縄への修学旅行と平和学習の成果を重ねた内容のものを本校では数年来積み重ねてきている。私は学年の生徒の特徴と、シリアスなテーマの両立を実現できるシナリオを探した。そしてようやく『夏休み』というシナリオを発見し、学年に提案した。学年の先生方に役割分担し、ダンスの得意なB子達は、劇中でダンスを、シリアスな演技はダブル・トリプルでキャストをつのってまじめな子、やんちゃな子どちらも出られるようにした。裏方にも立候補をつのり、Kも参加した。劇は大盛り上がりで、爆笑あり、しんみりしたシーンありでなんとか無事終了した。

 秋以降は進路実現へ向けての取り組みを開始した。11月に進路指導と兼ねた学年集会を持ち、特に女子のスカート丈をとりあげた。どこへ出しても恥ずかしいくらい短かった女子のスカート丈。以後、率先して丈を長くした部活生徒、あるいはB子たちの姿が女子の安心感を生み、一気に「普通」の女子生徒のスカートが長くなった。これは驚きだった。

 放課後の継続的な学習援助・自主学習、1月以降、徹底した面接練習、入試対策の別室での個別指導など、さまざまな場面で子供たちのニーズに応える丁寧な指導を積み重ねた。


8:進路実現へ

 卒業式は、練習通り立ち居振る舞いをきちんとやりきることができ、引き締まった式を作れた。なんといっても、欠席する生徒がなく、なんと全員出席の式を実現することができた。そのことが、なにより学年教師一同の喜びであった。

 そして、進学を希望するすべての生徒の合格を実現した。

 指導の総括を行った。その中の一部で締めくくる。


 「私たちは子どもたちと学校生活を共に作るなかで、「尊敬・責任・社会性・生活力」を教えることをどれだけ意識し、実践し、達成してきただろうか。

 まず「尊敬」。私たちが課題の大きい子どもたちを決して切らず、支えていくためには、彼らに対しての人間としての基本的な「敬意」は不可欠であった。なぜなら、さまざまな形で問題を顕在化させる彼らには、敬意を持ち続けることは難しい。しかし、彼らに敬意をもって接し、指導に当たれば、それは必ずお互いの信頼感につながる。敬意の表し方は、教師それぞれである。しかし、その基本は相手の話をどれだけ丁寧に聴いているか、であったと考える。私たちは、大切な場面で子どもたちの思いや願いや考えを、誠実に聞く姿勢を持ち続けることができていたから、彼らと最後に温かい関係の中で、感謝をもって卒業させられたのだと思う。そして彼らにとって必要なことを、手間をかけて彼らに提供し続けたこと、その手間や労力を彼らは見逃すことなく私たちの努力として認め、その努力に感謝の念をいだいたのである。一人でできなければチームとして、それぞれの特性を生かした指導をできたことが、この卒業につながったのだと考える。

 「いろいろたくさん迷惑をかけたと思います。でもいつでも優しく接してくれた先生…ありがとうございました。」(女子生徒の色紙)

 「生徒のことを考えてくれる」「やさしい」先生へのメッセージにはそういった言葉も多く見られた。これらは私たちが彼らを大切にしてきたことが伝わっている証拠であると思う。」 ( 完 )

 
   
  連続学習会「安倍政権の教育改革のゆくえ」(第3回) 
  日時 2014年7月26日(土) 11:00〜12:30
会場 京都教育センター室(京都府教育会館別館2階)
講演 「大学制度改革で 小・中・高校の教育はどうなるか」
講師 高橋 明裕 さん(京都教育センター研究委員長)


  京都教育センター「家庭教育・民主カウンセリング研究会」公開研究会
ー民主カウンセリング・ワークショップ 生き生きした暖かい人間関係をつくるためにー
  
  日時 2014年7月26日(土) 10:00〜16:00
会場 京都府教育会館別館1階奥 2号室
内容 エンカウンター・グループ
人間中心の出会い、ふれあいのグループ経験によって、人間関係・受容的態度・共感的理解など 集中的体験学習を行います。
代表 勝見 哲万
 

  連続学習会「安倍政権の教育改革のゆくえ」(第4回) 
  日時 2014年8月23日(土) 11:00〜12:30
会場 京都教育センター室(京都府教育会館別館2階)
講演 「道徳の教科化の動きと文科省副読本『私たちの道徳』分析」
報告 大平 勲さん、西條 昭男さん、倉本 頼一さん
 
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