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  ●京都教育センター通信 
復刊第80号
 (2013.11.10発行) 
   
学校は、教育の場。子どもを健やかに育てるところ

          京都教育センター  中西 潔
 

 「学校は、教育の場。子どもを健やかに育てるところ」。これは、自明の理であり、誰も否定することのない原則のように思われる。ところが今日、本当にそうなのか、そうなっているのか、疑問に思うことがたくさんあると感じる。
 中学校教員として32年間生活してきた中で、「茶髪」「ピアス」「異装」などで登校してくる中学生にどう接して指導するのか悩むことも多かった。家庭での虐待やネグレクト、貧困や家庭不和の中で「荒れた」生活を送っている子どもたち。高学力でありながら加熱した受験競争の中で、さまざまなストレスをいっぱいため込んで登校してくる中学生。思春期の課題と相まって自分でも自分をコントロール出来ない状態に陥っている子どもたちをたくさん見てきた。この子どもたちとどう信頼関係を築いていったらいいか教職員集団で試行錯誤を繰り返しながら、子どもたちが自分自信を見つめ直し、自らの生き方を考えさせ成長していく手助けをするのが教員の仕事だと思って苦悩しながら教育にとりくんできた。なかなか上手くいかないことも多かったが、卒業後に結婚して幸せにしているとの連絡が教え子から来ると、「教師というのは本当にいい仕事だ」としみじみ感じる。

 しかし、先日、次のような学校での指導があると聞いた。校門で門扉を閉めて、「茶髪」「異装」などで登校してくる生徒には、「校則通りにして来なさい。ちゃんとして来れば入れます」と指導され、校内に入れないことが常態化しているとのことである。確かにこうすれば、学校内は「平穏」なのかも知れない。だが、校内に入れなかった子どもたちはどうするのだろう。「たまり場」にたむろして、喫煙や薬物常習への危険はないのか、遊び半分で無免許運転をし
て取り返しのつかない大きな事故を起こすような危険性はないのか。本人や家庭の責任、自覚はもちろん大切だが、「貧困」や「虐待」、「受験体制」など、子どもにはどうすることも出来ないこともある。「荒れる」子どもは、ある意味「犠牲者」でもある。「ゼロトレランス」(寛容ゼロ)が声高に叫ばれる中で、教員も苦悩しながらこのような指導に追い込まれているのかも知れない。また、「荒れる生徒の排除」を要望する保護者もいるだろう。その意味では、教員も保護者もまた、教育政策の「犠牲者」なのかも知れない。また、こんなことも聞いた。若い担任の教師が、廊下ですれちがった際、課題を抱える生徒に「元気か?」と声をかけたのに対して、「おう!元気や!」と答えたとのこと。よくある会話である。しかし、教師は、この言葉遣いが悪い、「はい。元気です」と言い直せと迫ったので口論に発展し、「生徒指導室」で何人かの教師の指導を受けることになったという。きっとこの生徒には、日常的に態度の悪いところがあって、このような事態になったと容易に察しがつくが、このような対応で子どもとの信頼関係を築くことが出来るのだろうか。このことがきっかけで、この生徒は学校を退学し他校に転学したという。ここでも、「問題児」を排除しようとしているのではないかと勘ぐりたくなる。また、「暴力事象」が増加しているとして「学警連携」が強められ、生徒指導主任会議に警察の担当者が終日参加しているところもあると聞く。これが事実なら、子どもを育てるというより取り締まりの対象にしていることになろう。

 このような中で、今一度、近代教育の先人の説いた「自分を真に愛してくれる大人に子どもは惚れる。愛された子どもは自己愛が育まれるが、それはやがて他者愛に変わる。逆に、愛されずに育った子どもは、自尊心こそ生まれるが、その自尊心はときとして他者を排除するようになる」という言葉を噛み締めたい。




 
教育研究全国集会2013「技術・職業教育」分科会報告
今までとは違う『農業科学基礎』の授業とHP指導

                 京都・北桑田高等学校美山分校 渋谷 清孝

 

はじめに

 過疎地の農業高校に特別に支援を必要とする生徒の入学が増えていると思われる。生徒数の減により、定員内であれば入学試験の点数にかかわらず、落とされる生徒は少ない。

 そういう訳で受け入れた生徒に「わかる授業」をしようと思えば、ユニバーサルデザインに基づく授業を展開しなければならなくなっている。やはりその先駆けは定時制農業教育であるかもしれない。今後広範に農業関連学科に入学する支援を要する生徒の割合は高まるであろう。まだまだ、生徒のとらえ方の変更、授業でもかなりの工夫が必要である。


1 学校の教育目標の変化と支援を要する生徒の増加

 2006年美山町を含む4町(園部、八木、日吉)が合併し京都府南丹市が発足した。そのことで、JR園部から南丹市美山町までの市営のバスが運行されるようになり、JR山陰線沿いの地域から通学できる条件ができてきた。一方、旧美山町の出生数が減少し、そもそも地元の中学生が激減している。小学校の統廃合問題も浮上している。また、教育ニーズの多様化と学歴志向が高まり、美山分校は地元(旧美山町、旧京北町)からの入学生か激減し、地元出身者は(2012年度51名中11名)少なくなっている。美山分校は過疎化をくい止めるために住民運動で昼間定時制職業高校(家政科と農業科)として統合新設され、「地域の後継者を育成する」という目標をかかげてきた。しかし、その「地域」があまりにも広域になっている。生徒の質が変わり、旧美山町地域のことを何も知らないで入学してきている。


2 入学生の状況

 2012年度の入学生は家政科4人、農業科12人であった。中学校時代不登校の生徒が○○人もいる。ほとんどの生徒が「学校が楽しい」「入学してよかった」と言って、生徒の出席状況は劇的に改善されている。

 中学時代は一斉授業に参加していないか、不登校であった生徒が多い。「とにかく学校へ行ってくれるのでありかたい」「家の中が明るくなった」と、保護者も喜んでいる。しかし、読み書きが特別苦手な生徒がかなりいる。以前は、地域に綴り方教育の伝統もあり、少人数教育で読み書きが重視されたので、成績不振の生徒でもある程度文字は読めた。しかし、あらゆる文書にふりがなをふらなければならない。

 学習以前の問題として、HRでも一斉に話すだけでは内容が伝わらない。「○○君は明日英語の補習がありますよ」と伝えなければ、自分のこととして話が聞けない。美山分校では集団の一員としてどれだけ自立への発達が保障できるのか、従来の枠の考え方では対応できない。その生徒のオリジナルな日程表を作っても、常にいつ何かあるのか問うてくる。授業中、立ち歩く生徒もいる。しかし、数学、英語などさぼらず補習によく参加する。わかりたいという要求も強い。


3 「農業科学基礎」の授業

 1年生の農業科学基礎(2単位)の1学期の主なテーマは枝豆の栽培と高キビの栽培と加工である。実習のときは集合時に作業内容や流れを伝え、圃場に連れて行って、作業は実際に手本を見せてから始める。指示は一時に一事と言われているが、現実の作業はそうはいかない。大豆を播種するには黒のポリマルチのその位置に事前に印をつけ、カッターでそこに穴をあけさせる。 しかし、まず、作業を始めると印と関係なしに穴をあける。缶コーヒーの大きさと指示するが、大きな穴をあける。種の2倍の深さといっても深い穴をあけてしまう。

 一方、ある程度育った枝豆を抜いて、その場で根を水で洗い、即座に豆科特有の「根(こん)粒(りゅう)」を見せると、どの生徒も興味を示しのぞき込む。教室に入ってプリントにスケッチをさせ、板書して根粒と書かせる。しかし、半数以上がテストになると根粒と書けない。さらにその役割について書ける者は数入しかいない。

 教科書により説明を加えたプリントの(   )抜きに言葉を記入させる。ふりがながふってあるのにゆっくり読んでも、ついてこれない生徒がいるので。支援の先生(非常勤)にフォローをしてもらっている。そしてそれをファイルに閉じさせ、回収して、点検して次回返却する。

 大豆の早生(わせ)、中生(なかて)、晩生(おくて)など農業に関わる言葉を板書し、読みを何度も唱和させ、覚えさせる。読み違いの多い事例も紹介する。予告もしてテストに読みを書かせるが正答率が低い。それにともない「日長性(にっちょうせい)」についても教える。その時に手応えもあり、理解したかに見えるが、やはり正答率は極めて低い。また、テストの設問そのものが読めていない生徒もいる。

 座学では本時の目標、流れの提示をより鮮明にし、教室の前面の黒板の掲示物の撤去等、集中させるため手だてを尽くしている。

 キビ餅づくりでは高キビを栽培し、それを収穫して、古い農具(足踏み脱穀機、唐箕)を使うなど粉にまでして、キビ餅という商品にして11月に開催される文化祭で販売している。これは生徒の実態に合い、意欲的に取り組むことができる。栽培から加工・販売までの一貫した工程を体験し、手足の調和的な動きの訓練にもなり、地域の食文化、特産品づくりのことまで発展できる教材である。写真 略<足踏み脱穀にかける><唐箕にかける>


4 生徒の授業の感想(ママ・一部割愛)

○初めて農業学習をしてとまどいもあったけど、やってみると役に立つ事がいっぱいでとても勉強になりました。将来自分の家をつぐので言い学習だと思います。
○僕も将来おじいちゃんの後をついで農業をやっていくことです。農業はずーとそとですけどでもちょっとは暑いかもしれませんけど、頑張っておいしい野菜を育てていろいろな料理をしてみたいです。
○むずかしかったけどちょっとはできた。あとはないようがむずかしかったです。のうぎょうでいちばんしんどかったことはくさぬきでした。たのしかったのはしゅうかくとかうえたりしたことがいちばんたのしかったです。
○わからないことがいっぱいあったけどいまはいろいろなことがわかったしどうしたらいいやさいがとれるのかわかってとてもたのしいのうぎょうになりました。
○のうぎょうはたのしいです。これからつづけていきたいです。のうぎょうのじゅぎょうはえだまめのタネをうえるのがたのしかった。しゅうかくがたのしみです。
○授業でやってるときとテストのときは全然ちがった。でるなって思った問題がでなかったし、すごく勤しかった。きごうけいがあまりなかったし自分がテスト勉強していないところばかりでだからさいあくやった。楽しかったことはみんなでいろいろな物を作れてー日いちにちどれぐらいそだっていくのか見れることです。


5 全員が意見発表に取り組む

 美山分校では農業科の生徒1〜3年生全員に日頃の授業、農業体験、仕事(昼間定時制として約50%の生徒が就労)、農業関連行事などについて学び考えたことを意見発表として、地域のホールで発表させている。役場や農協、農家などに審査員を依頼する。事前のテーマを決める面談、原稿の作成、原稿の手直し、ワープロ打ち、発表要旨の作成、発表練習を農業科の教員で分担し指導する。これは生徒にとってもっとも大変なことであるが、教員にとっても困難を極める。

 人前で発表するということは完成度を高めなければならない。文章になっていない、何が書いてあるかわからないという生徒もいて、一人ずつ面談をして、「色々と書いてあるがどういうことか」「その時どう思った?」「これからどうしたい」と問いかけ改訂させていく。 自分がやったことを忘れていることも結構ある。しかし、「あのときがんばっていたな」などと生徒とじっくり会話ができ、生徒理解が進む。1年生は保健室に何人もが入り浸り、原稿の書き直しをしているが、そこで支援の先生や養護教諭に世話になっている。私は時々のぞきに行き助言したり、呼び出して別室で指導したりしている。自分の考えをまとめて、みんなの前で発表する力は社会で必要な力でもある。体験を確かな記憶にし、より深い認識にして、さらに表現力を培っていくには、意見発表はすべての生徒に有効である。


6 すべての生徒に農業教育を

 栽培の経験がない生徒がほとんどなので、逆にそのことは大切である。漢字が読めないと認識が深まっていかない。読み書きの力を獲得させるための校内研修をしているが、そう簡単にはどうにもならない。これが普通科であればどうだろう。具体物を通していないので学習内容のより深い理解と認識はより困難だろう。さらに栽培の苦労と喜びはない。枝豆の収穫したての試食のおいしさは味わえない。生徒の中には2日も放置した者もいるが、「本日中に茄でなさい。遅くなるとおいしくなくなるよ」と指示どおりした者も多数いる。自分で茄でて母親に食べさせた者もいる。おいしかったと家族に評価をしてもらうなかで、自己肯定感をもち、学習のモチベイションを高めるであろう。


7 発達障害を持っているということ

 発達障害をもっているゆえに理解できなかったり、表現がうまくできなかったりすることが原因でおきる、友達関係のトラブルが多々ある。身体の成長と心の成長のアンバランスから来る、今まで経験したことのない様々な問題もおきる。一定の懲戒を含む指導はするが、それだけで、生徒は変わっていけるのか心配である。新たなプログラムが必要である。

 しかし一方で、理屈で納得したら、改善されることもある。1年生のクラスでガムを窓から捨てる行為が甚だしくなったが、それがいかに多くの人を困らせるかということを説明し、HR担任と養護の先生とで、アスファルトの上のガムをはがすということを宣言し、窓に張り紙をしたら、ぴたっと止んだ。叱るより、いかに理解させるか、「心」に訴えるかである。『障害は支援を必要とする個性である』と教えられたことがリアルに響く。

 ただ、生活指導上の同様の過ちを繰り返すことが多い。学校を続けたいが、生活が乱れて、学校に来られなくて退学していった生徒も出てきた。


8 HR担任として保護者との対応や専門機関との連携

 オール1に近い生徒もいる。保護者面談にはまずその現実を受け入れてもらうところから始め、養護教諭と連携をして相談機関を紹介したり、中学時代の支援が継続されるように援助する。特に成績不振者の保護者には、今後発達検査等受けていくことの了解をとった。

 専門機関(精神科、児童相談所、支援センター)との連携をする必要がある。診断テストの結果から、やはり通常の学習が困難であることがわかってきている。 しかし、その現実を受け入れられない保護者もいるが、進路を考えると療育手帳の取得が必要である。


9 おわりに

 授業内容もさることながら、やはり生徒の実態にあった教授法を学び、研究していかなければならない。その点がおろそかでなかったか。小中の教員の評価の高い授業は、十分に準備されている。専門家のアドバイスは支援を要する少人数の生徒だけの場合は有効であるが、一斉授業にはなじまない場合がある。

 さらにむずかしいのは、支援を要しない生徒との混在と評価の問題である。評価基準は生徒によって違ってよいのか。その生徒なりにがんばっていたら認定するのか。単位制と評価は日本の後期中等教育の学力水準を保ってきた。

 もう一つは教員体制の問題である。実習や実技を中心に支援の先生が非常勤で(週27時間1人、2013年度から週27時間1人、20時間1人)入って、支援を必要とする生徒に必要なときに入れるようになってきた。さらに普通科目も含めて、すべての授業に複数の教員が配置される必要がある。

 京都府では産業教育(職業教育)と定時制教育の方向について二つの答申が出ている。おそらく適正配置という名の下に農業高校の整理統廃合と合理化が行われるのであろう。そのときに「すべての国民に農業教育を」「農の教育力」という観点があれば、実際の再編の方向は違ってしかるべきだと思う。


   
 

京都教育センター 公開研究会「発達障害」と子どもたち
ー集団としてどう関わるのかー



 10月26日行われた教育センター公開研究会は54名が参加し、別府哲先生の「発達障害のある子どもの内面を探る−通常学級の集団づくりとの関連でー」の講演と、青笹哲夫さんの「うろうろ、???の中で悪戦苦闘の1年間」の実践報告後、意見交流が行われました。(別府講演の詳細は次号)

【感想】

○別府先生のお話の冒頭に高機能自閉症とアスペルガー症候群の違いを教えていただき、今までごちゃごちゃだった知識がすっと入ってきました。社会性を教えるにあたってもルール化した狭い部分を教えるよりも周囲に助けを求められる力が発達障害児にとってより良い教育なんだと気が付かせてもらいました。(大学生)
○青笹先生の取り組みの中でひろしの変化には、日記や作文を読み合いが大きな意味を持っていると別府先生がおっしゃったことに共感しました。(研究者)
○別府先生の話はとっても分かりやすかったです。特に共感的自己肯定感を育むためにこそ、大人、指導者自身の自己肯定感が大切で、子どものいくつもの顔をみつけることができるという視点に、改めてその重要さに気付かせられました。(退職教職員) 
 
京都教育センター 公開研究会のご案内
どなたでも参加できます。(参加費無料)

生活指導研究会
11月24日(日) 14:00〜17:00  京都教育センター室
テーマ 「子どもと教師がいきいきと輝く生活指導実践の探求
―子どもの課題に寄り添い、変革の道筋を共有する可能性をもとめてー」
報告:
@ 「教育実習を経験して見えてきたこと」(大学生)
A 「人にやさしく、自分にきびしく」中山智子先生(府内小学校)
B 「虐待に苦しむ生徒、つっぱる子どもたちに挑む」恩庄澄先生(府内中学校)



学力・教育課程研究会第2回公開研究会
11月24日(日) 13:30〜16:30  教文センター301号室
テーマ 「学力形成の新たな課題にも目を」
実践報告: 
@ 「高校における学力保障の新たな課題とその対策」中井秀樹先生(朱雀高校)
A 「職業人を育てる教育現場での課題」小野英喜先生(立命館大学)
報告・提起: 
「大人の学力問題から学校の授業の課題を探る」鋒山泰弘先生(追手門学院大学)



第3回京教組・京都教育センター地方行政研合同学習会
11月24日(日) 13:30〜16:45 教文センター地階会議室
講演: 「高校教育の展望を探るー適格者主義をのりこえるためにー」
             佐古田 博氏(京都府立高教組委員長)
報告:
@ 「『特色づくり』に励む高校の現状」・・・府高南部ブロック
A 「安倍教育改革の高校教育政策を検証する」・・・行政研事務局


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