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  ●京都教育センター通信 
復刊第79号
 (2013.10.10発行) 
   
それでも道州制導入にむけた策動はつづく

          京都自治体問題研究所・理事 内野 憲
 

 全国的にも注目された堺市長選挙。「大阪府と大阪市・堺市を再編する『大阪都構想』の実現」を掲げた「維新の会」の候補が敗北しました。「維新の会」は「(統治機構の作り直しの)最終形は道州制の導入」と公約していましたが、この結果を受けて、地方自治のあり方を変える動き、その特徴的な問題である道州制導入の策動はなくなるのであろうか。私は否であると思っています。何故なら、「維新の会」の勢いが弱まることはあっても、道州制は財界の長年の野望であり、21世紀戦略の軸とも言うべき課題であるからです。


■道州制とは、何がねらわれているのか

 財界・自民党が導入をめざす道州制は、「都道府県を廃止し全国を10程度の道州にする、市町村を人口30万人程度に合併・再編する」、「国の権限は国家に固有の役割(安全保障、外交、通商、司法などに限定)、国民生活に関する行政の責任は一義的に道州と基礎自治体が担うとするものです。そのねらいは、「究極の構造改革」と言われ、大規模な基盤整備事業や産業振興などを道州の規模の行政体にすることで行いやすくし、そこに財源を集中させる、市は限られた財源の中で福祉・教育の全面的責任を負うものです。社会保障や教育など、憲法にうたわれた国民の基本的権利を守る国の責任が投げ捨てられる、さらなる市町村合併が強行される、住民の声が届かない地方自治のシステムとなります。


■軽視せず、矛盾は拡大

 いま、安倍政権は、消費税増税、TPP参加、原発再稼働、社会保障の構造改革(8月21日に策定した「公的介護・医療・年金・保育の諸制度を大改悪していく手順を定めた「プログラム法案」の「骨子」を閣議決定)などを、国民の声を無視して強行しつつあります。憲法の改悪も策しています。これらの暴走が、財界から安倍政権に与えられた使命の忠実な実行であるだけに、財界の「21世紀戦略の軸」である「道州制の導入」が浮上することをしっかり見ておくことが重要です。

 自民党は「道州制基本法の早期制定後5年以内に道州制導入」とする「道州制推進基本法案(骨子)を3月に公表し、この秋の国会提出を企んでいます。公明党は「早期に道州制基本法(仮称)の制定、そのための道州制国民会議の設置」を打ち出しています。

 同時に矛盾が拡大していることも事実です。全国町村会は4月、「地域間格差を一層増大する道州制に反対」との「書簡」を全国会議員に配布しました。全国町議会議長会も4月、「町村の存在意義を否定する道州制導入に断固反対」との会長名の「緊急声明」を発表しました。全国市長会と全国知事会は、反対との立場は明確にしていませんが、「市町村合併を前提とするものであってはならない」(全国市長会)、「国と道州、市町村の役割の明記を」(全国知事会)など意見、注文が出されています。


■道州制反対の運動の強化を

 京都府は府内市町村の首長や議長との道州制問題での意見交換会を開催し、山田知事は「滋賀県との合併」を打ち出し、門川京都市長は「道州制を見据えながら、特別自治市制度の導入」の提唱しています。関西広域連合も「道州制についての研究会」を立ち上げています。

 
教育研究全国集会2013「音楽教育」分科会報告
きのうをあすに〜3年2組の子どもたちと〜

                      亀岡市立小学校分会 大西 新吾

 

1.はじめに

 全校児童800余名。全29クラスの市内一の大規模校。今年は3年生の担任になった。4クラス、132人。我がクラスは33人(男子17名女子16名)。この子たちが、1・2年の時の様子は、ほとんど知らない。去年は4年生の担任で毎日が大変だったし、他の学年の様子まではつかむ余裕はなかった。


2.1学期の子どもたち

 四月当初、出会った3年生はとても幼く見えた。ざわざわしていて落ち着かないことも多いけれど、子どもらしい元気さを待った子ども達。いろいろ聞いてくることも、「OOしてええやろ?」とか、変に敬語じゃないところが、かわいいというか、まだまだ低学年というか。

 1学期の一番最初に歌った歌は「きょうがきた」(谷川俊太郎:詩 林光:作曲)歌詞カードを黒板に貼って、歌って教えた。前奏のきっぱりと明るい感じが、新しい学年の始まりに合うだろうと思ってやってみた。子どもたちは、思った以上に明るい声で歌い返してくれた。「知ってる!」いう子もいてびっくり。保育園のときに習ったという。こういう出会いはうれしい。うんとほめてくりかえし歌うと、声の厚みが増していくのがわかる。
  きょうがきた
きょうがきた きょうがきた とってもだいじなきょうがきた きのうはしらないことだって
きょうはきっとよくわかる かぜのこ たけのこ ちきゅうのこ ねをはれ むねはれ めをみはれ

あすよこい あすよこい だあれもしらないあすよこい きょうはけんかをしてたって あすはきっとなかなおり かぜのこ たけのこ うちゅうのこ すくすくまっすぐのびてゆけ

 教科書の歌も含めて、いろいろ歌を教えたが、「きのうをあすに」(谷川俊太郎:詩 林光:作曲)という歌は、特に気に入ったみたいでよく歌ってくれた。東京の中学校の校歌だが、詩人と作曲家の子どもたちへの心からのメッセージが感じられてすてきだと思う。

  きのうをあすに
昨日を明日に結ぶ今日 子どもと大人のあいだを生きる 知りたいことがいっぱいだ
学ぶことは問いかけること
すこやかに しなやかに 心と体
大島西中の私たち
ふるさとの流れ小名木川 歴史をつらぬき世界につづく 楽しいこともいっぱいだ
生きることは答えること
おおらかに こまやかに 心と体
大島西中の私たち
 
3.「森は生きている」の取組と子どもたち

 夏休み明け、学年で学習発表会の相談をする。発表の時間は、各学年10分間。これまでに「たぬきの糸車」や「スイミー」などを音楽劇のような感じでやってきていて、3年でもそういう流れで、合奏も入れてやろうということで、オペラ「森は生きている」(林光作曲)を、歌とセリフと合奏で構成して発表することにした。「森は生きている!」と一人の子が言ったあとに、全員で「森は生きている!」と答えて、開幕の合唱を歌い、群読のようにすすめてやっていくが、娘が森ヘマツユキソウを取りに行く場面は、劇の方がわかりやすいというので、1組の先生がセリフを考えてくれて劇にする。この先生、自分が幼稚園の時に「森は生きている」の劇をしたことがあるとのこと。「十二月の歌」のところでは「火の精役を募って、踊りをしたらおもしろい」など、いろいろアイデアを出してくれる。

 3年生が「森は生きている」をやるというのが、職員室でも話題になり、教務主任の先生が、「わたしも前に学年でやったことがある。その時の台本も衣装もある。」といって、12の月の精や女王の衣装を持ってきてくれた。サテンの生地で作られていて、とてもきれいだし、なによりそれを見て子どもたちが俄然やる気になった。また、「わたしも『森は生きている』をやったことがある。『も〜えろ〜よたきび、し〜まいまでもえろ』(フィナーレの部分)は、中学校からスポットライトを借りてきて、ソロの子にあてて…」と話してくださる先生もおられた。

 全体練習を進めていくのは、4組の先生。全体で集まると、それだけでうれしいのか、よくしゃべってなかなか集中できにくいが、きつく注意したり、なだめたり、すかしたり、あの手この手で練習を進めていってくれる。歌についてのアドバイスも的確で、音程のあやしいところや、リズムがたしかに少しずれているところなど、ポイントをしぼって教えてくれるので、子どもたちがだれることなく練習にむかうことができた。マツユキソウが咲くところは、お花紙で作ったマツユキソウを一人一人がポケットのなかに隠していて、四月の精が杖をふるのに合わせてみんなでさーっと出すようにした。

 終わってから、教室で「どうだった?」と聞くと、Kくんは、「リコーダーの音が、(出さなくてもいいところで)ピツと出てしまったから、95点」と言ったけれど、他の子は、「120点!130点!」と満足そう。たしかに、よく声も出ていたし、がんばったと思う。

 うれしかったのは、四月の精役のM君が急病で休んだ時に、Tくんが、「ぼくやる!」と立候補して、見事にやりとげてくれたこと。ふだんの授業の時のようすから、大丈夫かな?と内心思っていたのだが、本番の会場での声は堂々としていて、とても立派だった。

 「学習発表会」の取り組みから、目には直接見えないが、子どもたちはいろんなことを体験して学ぶことができたと思う。次の日から、ぱっと変わるというようなものではないと思うが、ひとまわり大きくなったというか、達成感を感じることができたと思う。


4.ヘルプの先生たちと

 毎日の授業は、なかなか大変だ。よくしゃべる子、しょっちゅう後ろを向く子、注意してもなかなかなおらない子。なおらないから、また注意をする。そういうやりとりをしているうちに時間がたって、やるべきことがスムースにいかなくて…ということが続いた。こんな時には、教師は一人でがんばらないで、助けを呼ぶのにかぎる。予鈴がなったら教室に入り、本鈴とともに朝読書を始めることや、朝の会の健康観察の時に、全員が言い終わるまでは静かにすること…。「当たり前のことを当たり前にする」「わがままや自分勝手なことは許されない」など、僕も言うし、ヘルプで来てくれている先生もいう。以前だったら、自分以外の人が教室にいるなんて、ずっと見られているわけで耐えられなかったが、今は考え方が変わって、自分一人ではどうにもむずかしい、それならヘルプを求めるのは当然。子どもたちの学習権を保障しようというふうに。ありがたいのは、子どもたちに悪気がないことで、こちらも「しない」のではなくて「できない、ではどうするか」という視点で実態をとらえられること。

 体育の時など、教師2人がかりで、やっとポートボールのゲームができて、できたらおもしろいことがわかって、じゃあ、やるためにはどうすればいいか…というふうにわかってくると、速く着替えて、みんなで準備体操をやったらできるし、だらだらせずにやれば時間が長くとれて、ゲームも沢山できるというふうに、当たり前のことが少しずつできるようになってきた。

 音楽の時間も、教室とちがって、広い音楽室というだけで、遊んだり、動き回ったりしていたのが、ヘルプに入ってもらうだけで、集中の仕方が違って、今までスムースにいかなかったことがなくなって、いろいろ出来るようになる。ありがたいのは、ヘルプに来ている先生たちが僕と同じ気持ちで、子どもたちに関わってくれること、また、しかってくれること。2学期最後の音楽の時間、「Kくんが立って歌っているやん!」「歌声はさすが!学年で1番!」とほめてくれたN先生。「いろいろあるけど、先生の願いはとどいていて、子どもたちは成長しているよ」といってくれたのはうれしいこと。

 終業式の日は、話を聞いて、片づけをして、通知票をもらって…と当たり前のことが当たり前に出来た。下校のとき、子どもたちは、ハイタッチをして帰っていった。通知票を渡している時に、2学期のふりかえり・3学期がんばることを書かせた。それを読むと、あんなにしかったり、おこったりしたのに、「2学期楽しかった」という子の多いこと。また、「2学期は、しせいがわるかったから3学期はもっとがんばりたいです」(Kくん)「2学期は字はきたなくて、たいどもとても悪かったので、3学期は字はきれいで、たいどもよくできるようにがんばります」(Koくん)とも書いてあって、展望がみられるのも事実。この気持ちはありがたい。こういう感覚をわすれずに、過ごせるようにしたいと思う。否定的な面やよくない行動に対しては真剣に立ち向かいながら、そのことも含めて「子どもって変わるんや」「人間て変われるんや」というふうに丸ごととらえる感覚もわすれずに過ごせるようにしたいと思う。

・「きょうがきた」(林光・歌の本W「ことによせる歌」所収:一ツ橋書房刊)
・「森は生きている」(林光オペラ「森は生きている」所収:一ツ橋書房刊)
・「きのうをあすに」(つめ草のうた15所収:京都音楽教育の会)
   
 
京都教育センター 公開研究会のご案内
どなたでも参加できます。(参加費無料

「発達障害」と子ども達−集団としてどうかかわるのか

日時 (2013年)10月26日(土)13:30〜16:30
会場 京都教育文化センター101号室
◇講演:「発達障害のある子どもの内面をさぐる−通常学級の集団作りとの関連で」
 講師 別府 智さん(岐阜大学教育学部教授)
◇実践報告:「うろうろ、???の中で悪戦苦闘の1年間」
 報告 青笹 哲夫さん(京都市内・小学校)


 
第44回京都教育センター 研究集会
(第一次要項

テーマ(案)「子どもが育つ地域。がっこうへの探求」

日時 (2013年)12月21日(土)13:00〜17:00 全体会 教文センター 302号
           12月22日(日)10:00〜16:00 分科会 教文センター 全館
全体会
◇記念講演:「構造改革が地域に何をもたらしたか−住民・子どもが主人公の地域・学校のあり方を考える」(仮題)
 講師 岡田 知弘さん(京都大学公共政策大学院・京都大学院経済学科研究科教授)
◇パネルトーク 「地域と学校で育つ子どもたち」
分科会 センター研究会による9分科会

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