トップ 事務局 京都教育センター通信


   
  ●京都教育センター通信 
復刊第71
 (2013.1.10発行) 
   
20ミリシーベルトは本当に安全か−−原発事故に寄せて

宗川吉汪(そうかわよしひろ)(京都工芸繊維大学名誉教授)


 一昨年3月の福島第一原発事故から2年経とうとしている。未だに16万人もの人たちが避難生活をしている。事故を起こした原発の安全性も確保されているとはいえない状態が続いている。そのような中で国や福島県は、原発事故被災地に対して、地上から高さ1mの年間放射線量の20ミリシーベルト(mSv)を目安に、20mSv未満を「避難指示解除準備区域」、20mSv〜50mSvを「居住地制限区域」、50mSv以上を「長期帰宅困難地域」にわけ、避難住民の早期の帰還を促そうとしている。しかしなぜ20mSvなのか。これで安全は確保できるのだろうか。

 文部科学省は福島原発事故を受けて、2011年11月に小・中・高校用の「放射線副読本」を作成し、全国の学校に配布した。京都教育センター編集の『原発・放射能をどう教えるか』は「副読本」が新たに「放射能安全神話」を作るものとして厳しく批判している。

 「副読本」出版の意図が放射線による人体への影響についての不安を取り除くためであることは明らかである。「副読本」は放射能の基礎、影響、利用、管理、測定などから構成されているが、ポイントは、放射線は、自然放射能、医療用など身近にあり、生活に役立っていて、10mSvのような低線量被ばくによる健康への心配はない、と強調していることである。

 小学用、中学用「副読本」で「一度に10mSv以下の放射線を人体が受けた場合、放射線だけを原因としてがんなどの病気になったという明確な証拠はありません」と書き、中学・高校用ではさらに踏み込んで「ICRP(国際放射線防護委員会)では、仮に蓄積で100mSvを1000人が受けたとすると、およそ5人ががんでなくなる可能性があると計算しています。現在の日本人は、およそ30%の人が生涯でがんによりなくなっていますから、100mSvを受けると300人がおよそ5人増えて305人ががんで亡くなると計算されます」と書いた。

 ここから20mSvの安全性が導かれてくる。上のICRPの計算によると、20mSvは100mSvの1/5なので、1000人が20mSv被ばくした場合、がんで死亡する確率は300人から301人に増えるだけである。これは事実上無視できるだろう、というわけである。

 このような見解に対して最近、松崎道幸氏(北海道深川市立病院内科医師)は日本科学者会議機関誌『日本の科学者』1月号で、10mSvでもがん死亡リスクが有意に増加する、と報告した。

 文科省は1990年から原発労働者の疫学調査を行っているが、その第W期報告書が2010年3月に公表された。20万人(男性、平均54歳、平均年間累積線量13.3mSv)が対象になっている。公表データから松崎氏は、13.3mSvの被ばくでがんによる死亡が4%有意に増加したと見るのが妥当であると結論した。

 この値は、20mSvでは6%の増加に相当するから、1000人が20mSvで被ばくすると、がん死の確率は300人から319人になり(19/300=0.06)、19人が放射線でがん死することになる。これは「副読本」の記述がいかに楽観的であるかを示している。

 アメリカのJ.W.ゴフマンは幼児の放射線に対する感受性は成人の4倍を超えるとしている。今すでに福島市でも郡山市でも年間累積線量がほぼ10mSvに達している。これは恐怖ではないか。「正しく知って、正しく怖がる」の標語がむなしく聞こえる。われわれは何をしたら良いのだろう。

   第43回京都教育センター研究集会記念講演
『子ども理解を軸にした学校改革』
〜大津のいじめ自殺事件から考える〜

          福井雅英(北海道教育大教職大学院教授)
  【紙面の都合で講演の冒頭部分だけを紹介します。】

 ご紹介頂いた福井です。昨日北海道から帰ってきましたが今年は初雪が遅くて、降ったと思ったらそのまま根雪になり除雪が追いつかなくて、歩道から車道が見えない異常な状態です。京都教育センターは懐かしいところで、研究集会にもお邪魔しましたが、それより前には京教組にも大変お世話になっていました。滋賀で小学校と中学校の教師をしていましたが、その間に大変荒れた中学校に30歳から52歳まで在籍しました。その中の4年間、全教を立ち上げた後全教滋賀教組の専従書記長として、京教組や大教組にすがりながら歩き出したことがありました。ですから京都の組合のみなさんには大変お世話になったので、言われたことは何でも聞かないといけないという事情があります。滋賀の八幡中学校が荒れていると言えば、京都の培良中学校も荒れているよと大平さんが言われていたのを懐かしく思い出しています。

  今日は「子ども理解を軸にした学校改革」ということで話します。いまいじめの問題と自殺の問題が非常に大きな社会的関心事になっていますが、議論の方向が教師個人のセンスを磨くところへ収斂する傾向があります。教育委員会は研修をやりますと言うしかない。私は、直面する学校改革の課題としてどのように考えるのか、どうしたら多少ともそれを克服できるのか、いじめ問題などをきっかっけとして教育実践の質を変えるようなとりくみがどうしたら出来るのかいう角度からお話しをしたいと思います。

 私は中学校の教師でしたから、こういう報道や事件があると、ある特定のこどものことが何人も浮かぶのです。あいつの場合はこうやったなあとか…。本当は今の現職の先生もそうだと思うのですが、それを率直に同僚と話し合うような時間や場がないのじゃないかと心配しています。大津の事件が7月からズーッと全国的に報道されるようになってしばらくは、「滋賀の中学校教師をしていました」とはちょっと名乗りにくい、「何してたんや」という声がとんで来そうな雰囲気でした。それはあのような悲惨な事件はくり返したくないという社会的な思いがあったと思いますし、そういうものがマスコミの報道などで非常に増幅されたということもあると思います。私は、執筆を依頼された雑誌『教育』9月号に他のことを書くつもりでいましたが、これは他のことではいけないのではないかと思って、大急ぎで書いた大津の事件に関わる文章(今日も資料で配られていますが)を書きました。

 それに対して当該の中学校の関係者から痛烈な批判を受けました。「あなたの文章は報道記事をつなぎ合わせただけであって真実じゃないことをいっぱい書いている」と言う批判でした。「内部の事情もよくわかっているが、子どもに聞いても先生ともよく話しているがいじめなんか絶対になかった。あったとは絶対言ってない。報道は全部デマだ」というような立場からの批判でした。それではなぜマスコミの報道と学級に関わる内部の状況を知る人が全く違うように感じるのか。そのこと自体が不思議で検討しなければと思いました。

 7月頃の仲良し集団が9月に入って急激にいじめが進行したこととか、数人のグループが学級の中で孤立していって、外からは見えなくなっていたのではないのかとも考えました。報道も変化して、最初は教育長と学校長の対応のまずさや隠蔽してるんじゃないかということが報道され関心を呼んだと思います。

 途中からずっと見ていきますと、アンケートや子どもの様子から見ていじめがなかったとは言えないと思いました。いじめが自殺の問題にかなり影響していたんじゃないかと感じたのですが、本当に教師が誰も気付かなかったのかというとそうじゃないのではないかというのが中学教師の経験からの感覚です。しばらくして、気付いていた教師がいたとかの報道もあり、あるいは少なくとも2回は子どもからの声もあって気付くチャンスがあった、また養護教諭はもっと早くから不穏な感じを掴んでいて担任に知らせていたことなども報道が出てきました。そしてそういうことがどうして共有されなかったのかという、新たな問題が浮上したと思いました。私はそこも充分議論しないとこうしたことを防ぐことが難しいし、教師が個別な気づきで感性をとぎすましても、それが生きないような学校の力学があるんじゃないかということを強く感じました。

 7月に警察が捜査に入った次の日の7月12日、ほとんどの新聞が取り上げて関心は更に広がりました。滋賀の中学校で教師をやってきて、大学の授業で生徒指導を担当しているとなるとこれはもう逃げられない。この件に関連することは何でも引き受けるという腹を決めました。自分はいじめ問題を専門的に研究したわけでもないのですが、出来ることをやる腹を決めるといっぱい講演などの依頼が入ってきていろいろ批判にも晒されているところです。

 9月に札幌に帰ったら、5日に札幌で中1生が自殺する事件が起こりました。衝撃でした。札幌では3年続いて中学生の自殺が起きていて昨年も市教委から調査を頼まれて、教職大学院にいるので断れず引き受けました。昨年は、教育委員会の部長が調査委員長になって、精神科医と弁護士と私が参加して調査しました。その調査はこの人に聞きたいとかこういう事をやりたいと言うことがほとんど出来ませんでした。今年の事件について、再度同じメンバーで昨年のことをふまえてやって欲しいとお願いされました。委員長は外部の人が良いと教育委員会が言ったので、私は弁護士がよいと言ったのですが、こちらに委員長が回ってきました。

 3ヶ月の間に9回の調査委員会をやりました。札幌の場合は、子どもが飛び降りたときに身につけていたメモがあって、「自分にはもう無理だ、死んだらどうなるのか知りたい。いじめられていて死にたい」とあり、その後に家族への感謝などが書かれていました。そこが調査の出発点だったわけです。何が無理だったのか、「いじめられていて死にたい」とあったので当然いじめがあったんだということを前提に調べました。文科省の定義は「一定の人間関係にある者」の間で起こると書いていて、誰かいじめの行為者がいていじめが起こるのだという想定です。誰がどんないじめをしたのかということは遺族が一番気にしますし、それを出発点にして調査をしました。アンケートを読んだり学校に出向いて授業観察をしたり、担任や教科担当の先生の話を聞きましたが、直接これがいじめだと思い当たる情報は一切ありませんでした。

 委員会は夜の6時頃から9時半頃までやるのですが、毎回終わるとマスコミが待機していて「ぶら下がり」と言われる取材をするわけです。毎回、同じようなことを説明していると新聞記者は大体理解してくれますが、難しいのはテレビです。節目の時だけやってきてカメラをまわしながら「いじめは確認できたのですか、出来ないのですか」「直接生徒に聞いてないのはどういうことですか」など同じ事を聞いてきます。

 私は調査委員長として必要であればリスクを冒しても直接生徒に聞くことはためらわないと思いましたが、アンケートや聞き取りを総合してまだ子どもたちが何かを隠しているとか他に何かあるとは判断できないので聞く必要はないと思いました。というのは子どもの動揺が激しくて、保健室が溢れて泣き叫ぶような子が出てきている中で、84人の子どもに先生が手分けして聞いたり更には警察が入りましたので警察が聞き取りをやり、その動揺が大きかった。警察に聞かれることは先生に本当のことを言ったのに僕らを信用してないのだとか、先生が警察から信用されてないんだとか、記者に喋ってしまったことを悔いるとか、べらべらと取材に応じている友達にも批判の目を向けることがありました。そうした生徒をケアするためにスクールカウンセラーなども大変だったことも分かっていました。もし我々が聞くとなると数人の抽出ではなく、もう一回84人全員に聞かないといけないわけで、そうした事情を細かく説明できないので、マスコミなどからは批判が出てくるわけです。

 誰がいじめたのかと言うことからスタートしたが、そういう事実がないとしたら、A君が「いじめられていて死にたい」と書いたのは何を意味しているのか。私は調査の対象と範囲を少し広く考えて「誰が」ではなく「何が」と考えられないかと思い、彼の小学校時代から書き残した物を見たり、当時の担任からの話を聞いて、どういうように彼の苦悩の内容を掴むかということを検討していきました。一般的にいうと、部活と勉強の両立とか、入ってすぐのテストの成績へのとまどいとか、生活委員として「ベル席点検」の仕事を意欲的に真面目にやるとかがあるわけです。5年生頃までは前に出て何かをするというタイプではないのだけれど、6年生に大きく変わって担任の援助を得て、委員会活動や学習発表会の大役にとり組んで、大きな達成感を得ていました。「やればできるのだということがわかりました」と書いています。(中略)彼は、前向きに頑張って責任ある仕事を自ら求めて引き受けるところに自分の存在感を見つけていたんじゃないのか。それで自分を肯定していくことに少し「前のめり」になったのではないかと言う感じを抱きました。「誰が」というより「何が」、あるいは複合した状況があったのではと思って残された資料を読みました。現場教師は特定の「何か」が分かっていればそれに手を打つわけですが、わからないのにどう防ぐのかとなってくると相当大きい状況認識とか、子どもの一般的な負担感などを深く掴んでおく必要があるのです。

 全体的に圧迫感の強い時代状況の中でちょっとしたことで相当な打撃になることがあり得るんじゃないか。それを掴む教師の認識は心理主義的な子どもの理解ではとうてい無理だろう。心理的な圧迫感や負担感の背後にある社会的な根拠をどれぐらい掴めるのかということも問われるのではないか。しかし、同時にそれは相当に難しいことではないかとも思いました。遺族の家にも何度も伺って、その子の遺影に向き合って「たまらないなあ」という気持ちになりました。あどけないすてきな笑顔の遺影があり、母親や祖父母から泣きながら胸の内を聞き、私が感じたのは報告書を出すにあたっては「誰に」出すのかといえば、この子に出すのだろうと強く感じました。この子に読まれたとして恥ずかしくない報告書にしなければと思いました。マスコミに報告するためではなく、その子に報告し「残された大人たちが自分の事を分かろうといろいろと努力してくれたのだ」と思ってもらえるような、そして遺族にも納得してもらえるような報告書にしようと教委の課長さんや校長とも話しました。

〈紙面の都合で以下略〉
【全文は「教育センター年報2012年版」(3月初旬刊)に掲載します。希望される方はセンターまで】
   
 

今の学校と教育のあり方を深く考えさせられた

第43回教育センター研究集会に二日間で220人が参加

 

○第43回センター研は今年も年末迫る12月の22・23日に教育文化センターにて行われました。研究者、現職教職員、退職者、父母・市民、大学生など一日目の全体会には85人、二日目の分科会には135人が参加しました。全体会では野中代表、河口委員長のあいさつの後、福井雅英氏(北海道教育大教授)が大津のいじめ自殺事件や札幌の自殺事件への関わりを通して「子ども理解を軸にした学校改革」と題して講演されました。福井氏は、子どもの問題行動をその背景と子どもの本音から教師が如何に読み解くのかを、荒れた中学校での自らの経験を通して実践的に語られました。(講演冒頭要旨は2・3面に掲載)

 全体会後半のパネルトークでは、4年目の若い公立中学校での学年ぐるみの平和学習の実践、私立高校での生徒の苦悩に接近する見通しのある実践、母親の立場から見た学校への期待と疑問が具体的に語られました。フロアーからの発言では、大阪の単位制高校での若い教師集団の実践や、教師をめざす大学生サークルの報告などがあり、経験的な視野で見てしまいがちなベテラン教師のスタンスに新鮮な発想を語られました。

○二日目は7つの分科会で17本の実践報告があり、豊かな報告と実践を深める討論が行われ、1月末に行われる「京都の教育のつどい」に繋いでいくことが期待されます。参加者は「地方教育行政」(12)、「生活指導」(16)、「学力」(12)、「地域と子ども」(24)、カウンセリング(13)、「高校」(15)、障害児(43)、計135人の参加数はこの10年では最多になりました。

  《感想文から》  ―全体会−

・北海道のいじめ事件の委員会の代表としての考えが具体的に聞けて良かった。荒れた中学校での経験からの教訓が生かされていることに納得した。(研究者)

・いじめ自殺事件などでの教師の対応の不十分さがニュースで流され、私自身も学校や教師に対する批判や不信がありましたが、福井先生の話をお聞きして教師間での情報の共有や協力体制の確立が大事である事がよく分かりました。(教師をめざす大学生)

・この間、いじめ問題などでのマスコミ報道や学校関係者の対応でモヤモヤした思いでした。が、福井先生の話を聞いて、何をどう整理するのかかなりスッキリして本当に良かったです。行政研修などにこうした視点が反映されるよう私たちも声を上げたい。(市内教師)

・パネルトークで若い先生の奮闘や、私学での公立とは違った苦労話、父母と学校との思いの乖離などが語られ、考えさせられることが多かった。(高校教師)

《感想文から》  ―分科会−

・骨のある報告と議論で背筋の伸びる思いで、原発の現状をふまえ今後何をなすべきかも話され希望と勇気を頂きました。(学力:市内中学教師)

・現場の困難さを乗りこえての実践報告に共感し、講師の時に感じていたことと見事に合致する思いだった。(生徒指導:教師をめざす学生)

・経験豊かな先生方の前での報告は緊張しましたが、自分が大切にしていることが間違っていないと実感できました。(生徒指導:乙訓青年教師)

・私は京都で育ち、3年間京都での教師を経て、大阪の教師になって11年目です。京都の教育にかける熱さが懐かしく、この学びと交流は大切な宝物です。参加して本当に良かった。(地域:大阪私学教師)

・秋桜高校の報告を聞いて、「こんな高校があるんだ」と驚いたが、生徒の感想を読んで楽しさがよく分かった。地蔵盆の報告で地域の力は子どもの育ちにとってすごいと感じた。(地域:「子ども勉強会」スタッフ)

・三木先生の講演は、教育の大切さを楽しく語って頂き元気をもらいました。職場の世論をどう方向付けるのかについてもイメージできました。「まさ子の部屋」コーナーでは若い世代と経験世代が一緒になって実践を重ねることの課題や光が見えました。若い先生から大切なキーワードをもらいました。(障害児:支援学校)

・普通科の特色とは、大学進学コースや専門学科ではなく、地域に根ざす事ではないか。コースに分けない特色、進路希望に応じた選択制と学力保障こそ追求すべきだと感じた。(高校問題:研究者)
 
 
 
子どもたちに確かな判断力をつけるために

★原発・放射線をどう教えるか

B5版 102ページ

第一章 原発・放射線の授業テキスト&解説・資料
第二章 文部科学省作成の「放射線副読本」と教科書の問題点
第三章 授業実践の例


発行 京都教職員組合
編集 京都教育センター
2012年6月発行 500円(送料別)
申し込みは、京都教育センター事務局まで 
 

民主府政「落城」後、30余年の「京都の教育」を検証
★京都教育センター編『風雨強けれど 光り輝く 検証!京都の民主教育1978〜2010』

 「風雨強けれど 光り輝く」は、民主府政「落城」の1978年以来30余年間の京都の教育の変遷をまとめたもの。厳しい攻撃が相次いでいたが、「やられっぱなしではない!」この間のたたかいをまとめました。8人の編集委員〔野中一也・大平勲・小野英喜・中西潔・磯崎三郎・高橋明裕・松尾隆司・西條昭男〕が昨年の9月以来合宿を含め14回の編集会議を重ねて刊行しました。この間のたたかいの中にみなさん方の足跡が反映されています。是非、手にとってお読み下さい。


季刊『ひろば』の人気連載から37編を厳選・加筆
★早川幸生著『京都歴史たまてばこ』

 「京都歴史たまてばこ」は早川幸生さんがこの間『ひろば』に連載された中から37編を加筆編纂されたものを集めたものです。調べ歩いた京都の風物詩に引き込まれること請け合いです。

*2011年1月から、京教組各支部書記局で求めることができます。
*また、申し込み用紙(PDF版)にご記入いただいて、ファックスでお申し込みいただくこともできます。

京都教育センターホームページにアクセスを

  http://www.kyoto-kyoiku.com  検索「京都教育センター」

 京都教育センター事務局や公開研究会の活動をはじめ、センター通信、季刊「ひろば・京都の教育」、教育センター年報、研究集会、教育基本法に関する様々な資料など、多彩な情報を提供しています。

トップ 事務局 京都教育センター通信