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  ●京都教育センター通信 
復刊第57
 (2011.10.10発行) 
   若者の孤立と排除

    京都教育大学准教授・京都教育センター  関口久志


 私の専門はセクシュアリティです。人権として誰にも多様な性的幸福権が保障され、ここちよい人間関係を実現することを目標としています。さて若者の性でいうと、早期化や無防備化の防止が課題とされていましたが、近年この対極にあるような性的自立からの排除と逃避の増加が隠れた課題になって、私はそれを一つの重要な研究テーマにしています。

 そこで最近いちばん驚いたことを紹介しましょう。大学研究室を訪ねてきた見知らぬ男性から「関口先生ですね。結婚相手を紹介してもらえませんか」といきなり言われたのです。「大学では結婚紹介はしていませんが・・・」と答えると、その男性は私の論考記事が載った新聞を持ち出し、「これを読んで来たんですが・・・」と言いました。

 その記事に私は、最近の若者は未婚化の増加や恋愛難など人間的付き合いの先細り傾向にあり、その背景は経済的貧困と関係性の貧困がリンクして「経済力の格差」「自然な出会い(職場、地域、紹介)の格差」「積極的な出会い(婚活など)の格差」があり、それが結婚や恋愛をしたくてもできない原因となって孤立化していると書いていました。

 ワラにもすがる気持ちで来たであろう男性をむげに帰すわけにもいかず、話をきくと「40代で、非正規雇用、年収は言いたくないほど低い」と不安定で低収入であることがわかりました。男性は「結婚紹介などの活動はしている」というものの、各種条件をコンピュータ検索してマッチングするようなシステムでは真っ先に対象外になってしまいます。

 最近の商業化された結婚紹介は、市場原理万能の新自由主義そのものであり、人間を条件で競い合わせ、ふるいにかけることになり、条件の悪い人は排除され、あきらめざるをえない結果が多くなります。もちろんそれにかける経済的余裕や時間のない人は、出会いや結婚につながるその機会さえ保障されません。

 私は性的幸福が多様であってほしいと願い、結婚や恋愛を強制することは大問題と捉えていますが、このような社会状況の悪化で多様な選択肢からそれらを奪われ孤立することも大問題だと考えています。

 そこで若者の孤立化を防ぎ性的幸福権の保障をするために、私が今後学校教育でも必要と思う目標を3点あげておきます。

 @ 誰もが人としてその生命と生活を社会と他者から尊ばれ傷つけられない、また社会と他者を尊び傷つけず、危害をさけられる。
 A 誰もが社会から性的存在として包摂され排除されない。
 B 誰もが社会・学校において多様で幸せな性的自立のための教育・支援を受けられる。

 私はかって貧困問題で「首都圏青年ユニオン」を取材したことがあります。そこでは、従来の組合活動の枠を超え、みなで一緒に食事会をしたり、雑談や相談をしたりなんとなく集まれる場をつくっていました。その仲間が不当な会社と交渉・行動してくれることで、社会的に排除され孤立しメンタル的な問題も抱え込んだ個人が居場所を獲得して、人間らしさを回復していました。

 競争と排除から孤立しがちないまの子どもたちや若者にとって、このように人と人をつなぐという人間性の回復機能こそが学校や家庭、地域、職場に求められているのではないでしょうか。

 この目標の実現のためには、より人間らしい労働条件の改善と家庭・地域・学校での居場所と交流の確保、さらに関係性の改善にまで踏み込む科学的性教育の充実が必要とされます。

 競争と排除から孤立にではなく。


   
タカシの居場所を教室の中に

      京都市教組 教文部長     細田 俊史
   


◆トラブルの連続の4月

 タカシは、小学校1年の時から授業中の立ち歩き・教師への反抗・暴言・教室や学校からのエスケープ・トイレへの立てこもり・同級生への暴力と激しく荒れていた。昨年度の個人ファイルには、『愛着障害の疑いがある』と記されていた。

 2年生になったタカシは、私が担任して数日間だけはおとなしくしていたが、次第に本領を発揮しだした。立ち歩き、飛び出し、暴力・暴言となんでもありだった。ある日の5時間目、教室の後ろでふらふらしているタカシに他の子ども達も気を取られて、興味を持って眺めているようだったので「前を向きなさい」と叱った。そして、こう言った。「タカシが今、勉強しないでふらふら歩いてるのを、先生は認めないけど、今はゆるしてる。タカシも本当はやったらできるんやけど、急にはできないと思ってるからな」「でも、できる人は、ちゃんとやらなあかん。1年の時のままやったら、あかんねん」と。2年生の子にどれだけわかったかどうか不明だったが。そして、出て行こうとするタカシに「タカシ。出ていったらあかん」「この学校に、あかん子はいないんや。タカシもあかん子やない!」と呼びかけた。タカシはちょっと立ち止まったが、廊下に出ていった・・

 タカシがどんなに悪態をついて出ていった時、私が注意した後で戻ってきたら普通に変わりなくやさしく接してあげることを意識的に行った。給食の時に出た時は、もどって来たら「怒ってないから、ちゃんと食べや」とタカシが欲しがったおかずをあげたり、授業中に廊下に出ていったタカシをつかまえて、おんぶしたり抱っこしたりして連れ戻した。そんな時タカシは屈託のない笑顔を見せるのだった。

◆タカシの生い立ち

 家庭訪問をして母親から生い立ちを聞いた。タカシは乳幼児期から威圧的な親に委縮して生活してきていた。タカシが2歳の時に妹ができ母親にも父親にも十分な世話をしてもらえなかった。「がまんして生きて来たのだと思う」と母親はその頃をふりかえった。タカシは幼稚園の頃から手を出すようになったらしい。

 話をしている途中からタカシは宿題をやり始め、難しそうなところを教えると素直に聴き、音読も聴いて欲しがった。その姿から、タカシも勉強がわかるようになりたいのだという願いを知った。母との話の後、用意してきたワンピースのノートを出して、私と母親とタカシの3人で二つの約束を書き、学校でがんばったことをノートに書くので母親が毎日見てくれるよう頼んだ。二つの約束とは「人にぼうりょくをしない」「教室から出ていかない」だ。

◆おれはこんな人間になってしまったん や!!

 4月下旬、4時間目の授業の時にタカシは手を挙げたが当たらなくて「もう出るしな」と、まるで教室から出ることを取引材料にしているような言い方をした。「出たらあかん」と言っても、「いや」と言ってばかりで、そのうち「うざいねん」「死ね」と言いはじめた。私が近づくと逃げようとするので、「逃げるな。勝負するか」と迫り、何回か「逃げるな」と言っているうちに、タカシは教室内の段ボール箱に入り込み段ボールを蹴りまくった。そして、廊下に出て激しく泣いた。

 泣いていたタカシを教室に連れてきて、教室を出ていくことや人に暴力をふるうことについて指導している途中で、タカシは「俺は、こんな人間になってしまったんや!」と床にうずくまった。私は「変われるから。今、がんばろうとしているやん」と声をかけ、背中をさすったが、タカシは「変わらへん。無理」と言って泣きだした。私は言葉もなく背中をさすり続けた。

◆「お母さんに怒られる・・・」

 ある日、タカシは近くにあった工作を投げてA男の顔に当ててしまう。タカシは「お母さんに言うんやろ。怒られるから家に帰らへん」と泣いてあたりちらした。「怒られへんように言うから」と言う私に、「先生が帰ってから怒られる。頭をおされたりする。愛育園に行かなあかん」と母を恐れた。幼児の時に母親の病気を理由に養護施設に入所したことが、タカシの心に深く残っているのだと感じた。

 放課後にタカシと一緒に家に向かった。聞いた限りでは、母親はこの一年間はたたいてなかった。また、母親の説教は素直に聞き、怒られるのがとてもいやな様子だった。私とタカシと母の3人で『物を投げない』『いやなことがあっても我慢する』の2点を約束した。とても守れそうになかったが、約束しないわけにはいかなかった。いつか本当に相手に大けがをさせかねないと感じていたからだ。

 A男の家に謝りに行く時は、さすがにタカシは神妙な顔つきだった。その帰り道、母親は「私が病気になったら、愛育園に行かなあかんようになるしな。もうやめてや」とタカシに諭すように語りかけていた。連絡ノートによると、その日はさすがに懲りたのか母の手伝いを素直にしていたらしい。

◆教室に戻る時間が早くなってきた

  5月中旬 タカシは、その後も連日のように自分勝手な行動をくりかえした。私がノートを見るのを無視したと思ってノートをびりびりに破る。トイレにたてこもる。私の机の中のものを勝手に使う。移植ごてを勝手に取りうろつく。聴力テストでじゃまをする。運動会の練習でうろつくなどなど。

 ノートに赤ペンで○をしたいと言うのを断ると、キレて机を倒し廊下に飛び出した。追いかけてると1階トイレに立てこもる。しばらく廊下で待っていると窓から庭へ出た。私も庭に行くと木陰から話しかけて来た。「こっちにおいで。落ち着いて話をしよう」と声をかけると素直に出て来た。タカシの話を聞いた後「何かして」と言ってきた。「いいで!」と言うと、「肩車して」と言うので肩車をして教室に戻った。その後、タカシは教室のすみで寝ていた。この日、タカシが意外と早く気持ちを切り替えてくれたなと感じた。

 二日後、窓から身体を乗り出すので、「あぶない。やめろ!」と強く言うと、トイレへ逃げ込んだ。「こらー!逃げ込むな。出てこい」とドアをたたいたら、「出ていかへんし。どうせ、怒るんやろ!」と返してきた。「出てきたら、怒らへん。出てきて、給食食べよ、おいしいで」としばらく穏やかに話をしていると、戸を開けて出てきた。私が「開けてくれてありがとう。タカシになんぼ怒っても、タカシのこと嫌いになったりしてへんしな。先生はタカシのこと好きやねん」と言うと、タカシは「俺は、きらい・・」と言う、私は、「じゃ、好きになってもらうようにがんばるわ」と言って手を洗うように促すと、さっさと洗いに行って教室に戻り普通に給食を食べていた。

 どんなに叱った後でも、ことが終わったら普通に穏やかにやさしく応対し前のトラブルのことを引きずらないようにして接すること。これをくり返すことで、トラブルを起こしても教室に安心して戻ってこれるという思いをタカシが持つことができると考えていた。この日、もう一回何かで教室を飛び出したので職員室に連絡したが、数分後自分から教室前に戻ってきた。以前に比べ、確実に戻る時間が早くなっていた。

◆学習の中でのトラブルに変化

 6月も下旬になると、飛び出しが少なくなり学習に少しずつ参加しだしたタカシは、次は学習の中でトラブルを起こすようになった。(わかりたい。)という気持ちはあるが、話を集中して聴くことに身体が慣れていない上、内容の理解はできないことが多い。それがイライラさせる要因になり、「わからへん!」と怒りだしたり、音を立てて妨害したりした。席の傍で教えようとしたが、それは嫌がった。周りから、(できないんだ。)と見られることがいやだったのだろう。

 この間、タカシへの指導と同時並行して、学級会での話し合いを通したお楽しみ会を行ってきた。お楽しみ会は、班の出し物が中心である。夏休み前のお楽しみ会では、タカシは班のメンバーとクイズをして楽しめるようにもなった。

◆その後のタカシ

 夏休み明けに「ビー玉ころがし」をつくる学級内クラブを、タカシを含む数人で結成した。早速、次の日から活動を開始し、タカシはあれこれと指示を出して「巨大なビー玉ころがし」を作った。さらに友だちと共に「泥だんご作り」に熱中し始め、学級の中で友達との関わりが増えてくる。そして、関わりが増えると当然のようにトラブルも発生してきた。お楽しみ会の準備を班で中心になって友だちと協力したり、休み時間に教室でクラブの子とお化け屋敷ごっこをして遊ぶことにはまる。中間休みには、たたかいごっこをするようになり、ある時、「しない」と言っていたのに、やっていたのを知って激怒。「死ね」「殺すぞ」とアキラを責め立てたりもした。一方、学習に参加することも増え、できなくてもキレないようになってきた。それでも、トラブルは続いた。

 12月には、休み時間の度に、「サッカーする人!」と大きい声で声をかけて誘うようになる。給食のプリンジャンケンに参加できなくても、悔しがることもせず見ていた。自制心が育ってきているのだと感じた出来事だった。

 気がつくと、「先生、○○して〜。」と授業中に言って来ることがとても多くなってきた。1月も、休み時間になると大声で声かけして外に出ていく姿がよく見られるようになる。一方、ぬり絵に集中して、注意してもなかなかやめないのは相変わらずである。

 3月にこんな作文を書いた。「ぼくは、2年生になってともだちがいっぱいできました。だからきもちいいです。四月、二年になったとき、ぼくはともだちがいっぱいできるかなとしんぱいしていました。(略)ほかにも、がっこうでちゅうかんやすみ、ひるやすみにおにごっこをしているときにもできました。たのしかったです」荒れていたタカシも、友だちが欲しかったのだ。

  ※この実践は今夏の全生研大会に報告。

   
 

「人間としての発達を保障する」ために

    3回シリーズで議論を深めた『子どもの発達と地域研究会』

 
 『子どもの発達と地域研究会』はこの間、代表の棚橋啓一さんや事務局の姫野さんを中心にすぐれた実践や運動を羅列的に学ぶに止まらず、理論化していくことを意識した学習会を3回にわたって取り組んできました。1〜2回目は宇多野にあるNPO「ひこばえ」を会場にして、主に「ひこばえ」の実践を軸に交流し、3回目は9月25日に教育センター室でまとめとなる学習会を開催しました。

 センター関係者の他に「やまびこ座」「子ども勉強会」「山科醍醐こどものひろば」「少年少女センター」、舞鶴からの退職教師など幅広い参加層でした。

《棚橋さんが提起されたことの概要》は
  日本の子どもや親のイライラはどこから来るのか→発達に必要な柔軟性の欠如が根底にある
  硬直化、封じ込めの社会的な力→レールに乗れば安心、乗せるシステム→一元的硬直化
  人間としての発達を保障するために→集団の質(主体性と共同)の発達が一人一人を伸ばす
○ 
発達の階層(質的発展)→発達は全てが次の段階に移行するのでなく、基礎になる力の充実を

今後、少年少女センター全国集会(11/5〜6:京都)や年末のセンター研で深めます。
 
 

民主府政「落城」後、30余年の「京都の教育」を検証
★京都教育センター編『風雨強けれど 光り輝く 検証!京都の民主教育1978〜2010』

 「風雨強けれど 光り輝く」は、民主府政「落城」の1978年以来30余年間の京都の教育の変遷をまとめたもの。厳しい攻撃が相次いでいたが、「やられっぱなしではない!」この間のたたかいをまとめました。8人の編集委員〔野中一也・大平勲・小野英喜・中西潔・磯崎三郎・高橋明裕・松尾隆司・西條昭男〕が昨年の9月以来合宿を含め14回の編集会議を重ねて刊行しました。この間のたたかいの中にみなさん方の足跡が反映されています。是非、手にとってお読み下さい。


季刊『ひろば』の人気連載から37編を厳選・加筆
★早川幸生著『京都歴史たまてばこ』

 「京都歴史たまてばこ」は早川幸生さんがこの間『ひろば』に連載された中から37編を加筆編纂されたものを集めたものです。調べ歩いた京都の風物詩に引き込まれること請け合いです。

*2011年1月から、京教組各支部書記局で求めることができます。
*また、申し込み用紙(PDF版)にご記入いただいて、ファックスでお申し込みいただくこともできます。

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