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●京都教育センター通信 
復刊第51号
 (2011.2.10発行)

「もうひとつの教育」を可能にする力

           築山 崇(京都教育センター研究委員長)



 昨年末の教育センター第41回研究集会における野中・堀尾対談企画では、新たな教育実践・教育理論の展望を、「もうひとつの教育」という言葉で表現した。「もうひとつの世界は可能だ」とは、反グローバル化の抵抗運動、「世界社会フォーラム」のスローガンである。「世界社会フォーラム」は、2001年1月にブラジルのポルトアグレで第1回が開かれ、すでに10年を経て、新自由主義的グローバル化のプロセスについて深く学ぶ教育空間、活動家がネットワークをつくり、共同の計画を発展させていく政治空間として、広がりを見せている。日本でも、経済評論家の内橋克人氏が、「もうひとつの日本は可能だ」と2003年に出版された同名の著書で主張している。私自身も、いま、教育をはじめ、様々な問題解決、要求実現に向けた運動に今一番必要なのは、魅力ある対案、オルタナティブの提起であると強く感じている。それは、多くの人が現在進みつつある諸改革に対して危惧を抱きつつも、それに代わる明確な対案を持ちきれずにいるのではないかと思うからである。

 グローバル化への対抗を考えるとき、その対極としてのローカルな価値の世界に目を向けることは有効であろう。ローカルな価値の世界とは、ひとまず、身近な地域社会における人々の暮らしがもつ様々な価値の世界と読み替えることができる。その点では、日本の教育運動は、「地域に根ざす教育」という経験を持っている。子ども・青年・成人の発達・人格形成にとって地域の自然・文化がもつ意味、「地域の教育力」への注目と、それらが損なわれることに対抗する取り組みが様々に重ねられてきた歴史がある。しかし、今日「地域」がもつ意味は、これまでとはかなり異なってきている。

 平成の合併によって広域化した自治体のもとで、住民の暮らしに対する公的支援が後退し、それに反比例して住民の自立自助、あるいは地域活動が奨励される状況があり、官民の協働の意義も強調されている。そのような行政による上からの組織化のプロセスと、住民が市町村行政に積極的に参加・参画していくこと、NPOなど様々な市民団体の活動とそのネットワークが暮らしを支える現実的な力となっていくという対抗的なプロセスとが、交差するところに今日の「地域」は置かれている。この対抗的なプロセスの基軸となるのが、住民の自治であり、その自治の力を育てる学習である。

 このような今日の「地域」がおかれている関係構造を踏まえたうえで、ローカルな価値の世界としての「地域」の力を大きくしていくことが、「もうひとつの教育」「もうひとつの地域」を実現するための遠回りでも確かな方向性であると思う。

 私は、この20年ほどの研究活動の過程で、京都府内はもとより、公民館活動の豊富な経験を持つ長野県はじめ、全国各地の都市における福祉・地場産業・教育など地域づくりの場に足を運び、住民の声を聞いてきた。そこから見えてきたのは、都市化、商品化の大波に洗われつつも脈々と生き続ける地縁を拠り所にした絆がもつ力と、子育てや介護、健康づくり、環境保全などの様々なテーマにかかわる学びによって開かれる可能性であった。

 最近マスコミを賑わしている「孤族」「無縁社会」などのキーワードは、家族や地域の崩壊を過激にアピールし対策を迫っているが、大事なことは、身近な地域社会における住民の対話と交流のなかで、事実を正確にとらえ可能性を現実に変える、協同の学びと行動を一歩ずつ進めていくことだと思う。自治の砦としての「地域」を再創造し、国家に対抗する現代の市民社会、もうひとつの日本・世界を築くという壮大な営みの端緒もそこにある。





「地域を教材化する授業と獲得する学力」
--「41回教育センター研究集会」第3分科会報告より--

      早川 幸生(立命館大学・前向島小学校)



1.はじめに

 地域を教材化する場合、学年や教科の他の先生にも呼びかけて、学校の教育課程に組み込むことがポイントで私は赴任した学校ではいつもそのようにしてきました。地域の教材化は、子どもたちの生活の場である地域を知る必要があること、教師が連れて歩くこと、子ども自身が調べて歩くことが重要です。はじめは、「いいところ見つけ」から始めて自信をつけさせます。地域の行事に参加して感謝する手紙を書いたり、学校のとりくみに招待状を出したりすることで表現力も豊かに広がります。住んでいる地域にとどまらず、京都全体を見直す視点も広がり、教材化して授業にすることで地域を深く知ることができます。


2.地域の教材化にあたって

・地域を教材化することの意義は、地域の暮らしや歴史や自然を子どもたちが見つめることによって

@ 自分が生活している場所を知ることができる。(くり返し・いつでも・何度でも・誰とでも)

A 子どもたちが地域に直接会えるチャンスになる。(物や人、専門家に直接会える)

B 父母や地域の人と感動や価値観・課題を共有できる。(教材の共有と作り上げの協力・共同)

C 地域の良さや課題を実感できる。(見学や体験、調べ学習や制作活動で自信を) ・いつでも、どこからでもできる地域学習:「地域にありませんか、こんな切り口」

 〈例〉川・池・沼・用水・掘・やま・地名・町名・農作物・みやげ物・名物・伝統産業・道・街道     神社・寺・地蔵・森・林・遺跡・石碑・道標・墓・顕彰碑・慰霊碑・名所図絵など


3.総合的な学習の時間や新学習指導要領との関連

 「開かれた学校づくり」を基本にして、地域との連携を深め、みんなで教育課程づくりをすすめようという姿勢が大切です。教科学習と人間形成・集団づくりは教育活動の両輪で、一部の人のプロジェクトではなく全教職員と共に批判・検討できる保護者集団もつくることが大切です。

 また、パイロット校(先進校)のとりくみを「まねる」ところを見極める目と力を教師に育てることが求められ、目の前の子どもの実態を大切に、それまでのとりくみとの関連や教育環境・教育条件などを考慮してすすめていくこと。あわてず、緩やかな移行を心がけ、「10年経ったらまた…」。(とりくみの実践や成果を大切に「校内研究」「地域学習」を継続する)


4.学校に「郷土資料室」を

 @「校区地図」:都市計画(1/2500)、新聞社住宅地図、自前で制作するのも値打ち

 A「郷土資料室」:子どもたちが体験、触れるHANDS ONに(何を…石臼、洗濯板、七輪、滑車)

 B「地域の副読本」:授業で使える「○○子ども風土記」「地域年史」(PTA、同窓会などの協力)

 C「人材・知恵袋・ブレインリスト・ネットワーク」:古老、農協、地域の先輩職員、考古資料館等


〈分科会での討論から〉

・ 地域を教材化するとで社会科が自分のものになる。教材づくりは教師の考えで決まるが、学級通信などで父母に知らせることが大切。

・ 地域学習によって、子どもが大人 の存在を信頼し、ここで暮らそう とする子どもが出てくる。

・ 強力なリーダーシップの取れる人 がいないと校内での教師の意思統 一が難しいのでは。    など


(詳細は、京都教育センター通信51号をごらんください。)
父 細野武男を語る!
--「センター50周年祝賀会でのご挨拶から--

      細野 雄三さん(京都産業大学理学部教授)



 細野です。最初に挨拶と言うことで恐縮しています。

 私は「父の思い出を話せ」ということですが、皆さんたぶん父の姿を、飲んでにこやかに笑っている姿を思い浮かべられると思いますが、私にとっての父親というのは非常に面白い人でありました。教育センターは1960年当時、3つの視点ということで、科学的認識、全面発達、集団主義、これを提起したことはみなさん良くご存じのことです。このことは、私は子どもの頃、よく父親に連れられて丹後とか、組合の学習会とかいっしょについていってよく耳にしたことです。晩年、父親も私に向かって真面目な顔で、「自分は教育運動に関しては重要な仕事をした」と言っていました。本人は教育センターの仕事に関しては、誇りを持っていたんではないかなと思います。従って、いつも大学の教員の肩書きと、必ず「京都教育センター代表」というその二つの肩書きは離さなかったといいますか、非常に大切にしていました。

 私自身、なぜ父がそういうふうな平和と民主主義を一貫して追及してきた姿勢がどこでできたのか、いろいろ気になりまして調べていますと母の日記が出てきまして、そこに書いてあることで、父の姿がよく浮き出ていると思いますので母の日記を読ませていただきます。

 昭和14年父は、東洋経済新報社に勤めており、そこで知り合って結婚するわけですが、最初に母の日記に「会社で、某なにがしなる男、いきなり私の所へ来て、『君、勉強しているそうじゃないですか。一つ啓蒙して下さい』」と言ったそうです。それで、その言葉があって「額の広い、ちょっと目立つ人が、まっすぐ見た時、ちょっと違う印象を与える人」そういうふうに日記には書いてあって、つき合いが始まる。こういう時代の中で、知り合って結婚するんですけれども、その頃を回想して「当時、二人だけのささやかな生活の中で、まず私が最初に経験したのは、月に一回ぐらい居住区の警察署から、うらぶれた、目だけすごく鋭い私服が、なんとない態度で 『お宅の主人はどうしているか』」と、毎月聞きに来たということです。うちの母親は、恐怖心を抱いたらしいですけれども、笑って「怖れることはない、大丈夫だ」というふうに父は答えています。

 こうした経験が、戦後やはり平和と民主主義が大切だということのバックボーンになり教育センターの皆さんと飲みながら、いろいろと輪を広げていったと思います。教育センターへ行くと、会議の後、楽しく飲んだという話は、家へ帰ってきて人物評を交えて話をしました。だから私は会ったこともない人も、よくそういう話で存知あげています。

 これで終わりますが、父は教育センターを通じて充実 した人生を送ることができたと思います。今、私も大学の教員ですから、現在、新自由主義の影響で、大学もかなり大変になっています。やはり、企業の要求する人間を養成しろという圧力が、かなり全面に出てきていると思います。従って、こういう中で教育センターの活動がますます重要になっていくと思います。

 これからさらに教育センターの発展を祈って、私の挨拶に代えたいと思います。






民主府政「落城」後、30余年の「京都の教育」を検証
★京都教育センター編『風雨強けれど 光り輝く 検証!京都の民主教育1978〜2010』

 「風雨強けれど 光り輝く」は、民主府政「落城」の1978年以来30余年間の京都の教育の変遷をまとめたもの。厳しい攻撃が相次いでいたが、「やられっぱなしではない!」この間のたたかいをまとめました。8人の編集委員〔野中一也・大平勲・小野英喜・中西潔・磯崎三郎・高橋明裕・松尾隆司・西條昭男〕が昨年の9月以来合宿を含め14回の編集会議を重ねて刊行しました。この間のたたかいの中にみなさん方の足跡が反映されています。是非、手にとってお読み下さい。



季刊『ひろば』の人気連載から37編を厳選・加筆
★早川幸生著『京都歴史たまてばこ


 「京都歴史たまてばこ」は早川幸生さんがこの間『ひろば』に連載された中から37編を加筆編纂されたものを集めたものです。調べ歩いた京都の風物詩に引き込まれること請け合いです。


*2011年1月から、京教組各支部書記局で求めることができます。
*また、申し込み用紙(PDF版)にご記入いただいて、ファックスでお申し込みいただくこともできます。


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