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●京都教育センター通信 
復刊第36号
 (2009.9.10発行)

総選挙と教育問題

              市川 哲(地方教育行政研究会代表)



総選挙マニフェストと教育費

 これが読まれている時、すでに総選挙の結果が出ている。自公政権の退場は国民世論であったので、「政権交代」が起きているであろう。

 小泉「構造改革」で激化した格差と貧困の中、選挙では国民生活を支える政策が問われた。家計に大きな負担を強いる教育費も争点となった。マニフェストで、自民党は“低所得者の授業料無償化、就学援助制度の創設、新たな給付型奨学金の創設”を、民主党は高等学校の希望者全入・無償化、高等教育の無償化の漸進的導入、奨学金制度などの抜本的拡充≠掲げた。

 教育には、人びとの能力を発達させる機能と、社会にあるさまざまな職業や社会的な地位、階層に人びとを配分する機能がある。「良い学校」に進学し、「良い職業」に就き、「良い生活」を得るチャンスが、偏在し、豊かな階層の子弟に多く与えられ、その結果、階層が固定化する傾向が強まっている。このような中、ようやく家計における教育費の軽減や教育の無償化が取り上げられるようになった。


家計と教育機会

 「平成二〇年国民生活基礎調査の概況」(厚生労働省)は、全世帯を二〇%ずつ五分割して年間の所得分布を見ている。中央値(真ん中の世帯)は四四八万円、最も下位二〇%の世帯の平均年収は二一〇万円、二〇〜四〇%の世帯は三六一万円である。「国の教育ローン」を〇七年二月に利用した世帯に対するアンケート(日本政策金融公庫が同年七月に実施)は、高校入学から大学卒業までに入学費用と在学費用を合わせて一人当たり一〇四五万円かかること、学校費用(授業料、通学費、教科書・教材費)と家庭教育費(塾、参考書費、習い事)を合算した在学費用は世帯年収の三三・六%であり、特に税込年収が二〇〇万円から四〇〇万円の世帯の場合、在学費用が年収の五四・三%であることを示している。

 一方、〇六年末に東京大学が在籍者の四分の一を抽出して行った学生生活実態調査によれば、家庭の主たる家計支持者は「父」が九〇・三%、職業は「管理的職業」が四二・六%、その年収は九五〇万円以上が五二・三%である(なお、年収四五〇万円以下の家庭は一一・六%)。出身高校は中高一貫型私立校が五一・四%と圧倒しており、公立は三四・五%である。

 これらの数値から、わが国の全世帯の半数を占める年収四五〇万円未満の世帯は、家計の五割以上を教育費に充てているが、東京大学の合格者に占める割合は一割に過ぎないと理解しても、あながち間違いではないであろう。

 なお「社会的階層と移動調査」(日本社会学会)は、企業・官公庁の課長級以上の管理職や専門職などの「ホワイトカラー上層」に、それ以外の自営業や「ブルーカラー層」などの父親をもつ子どもがなる傾向が一九八五年は拡大していたのに対し、一九九五年には戦前のように「ホワイトカラー上層」は親子の間で継承される傾向が強まったことを指摘する。「ホワイトカラー上層」に就くためには一定の教育を受けることや資格等が必要なことを考えると、経済的に豊かな階層の子弟が「良い教育」を受け、豊かな階層になっていく割合が大きくなり、階層移動の閉鎖性が強まったといえる。


中等教育・高等教育の無償化を留保する日本

 一九六六年に採択された国連の「国際人権規約」を日本は一九七九年に批准している。同規約を批准した国々の中で、漸進的な中等教育・高等教育の無償化(A規約第一三条)を留保する国が三国あった。そのうちルワンダが〇八年一二月に撤回し、残るはマダガスカルと日本だけである。ルワンダのGNI(国民総所得)は一人あたり四一〇ドル、マダガスカルも同額なのに対し、日本は三八、二一〇ドルである(〇八年。なお、日本は世界三〇位、マダガスカル、ルワンダは一九〇位)。豊かな国の政府が無償化を留保する根拠は財政的なものであるはずはなく、政策的なものであったと考えられる。こうした国の姿勢や経緯をふまえれば、総選挙後の政権枠組みがどうであれ、マニフェストの「有言実行」を求めていく運動が是非とも必要である。 くわえて、「義務教育は、これを無償とする」との日本国憲法(第二六条)をもちながら、公立小学校で平均五六、六五五円、同中学校で一三三、一八三円の学用品や修学旅行費、教科外活動費等の多額の「学校教育費」を各家庭が負担していることをふまえるならば(文科省「子どもの学習費調査」〇五年)、授業料の無償化を求めるだけでは済まない。マニフェストの実行は当然だが、さらに教育費の公費負担の拡大を実現しなければ教育の機会均等は現実化されないと考えられる。





教員免許更新講習に参加して
   「これで不合格なら、たまったものではない」

    府立朱雀高校定時制  久田 晴生



履修認定試験に異議あり

 私は八月、某大学で教員免許更新講習に四日間参加した。その際、大きな問題と感じたことを報告させていただきたい。それは四日目のことである。講習の内容は最先端の研究を紹介するもので、全部で六コマ用意されていた。いずれも興味深いものであり、新たな視点を提供してくれるものであった。その内容について疑義を挟むものではない。問題と感じたのは最後に行われた「履修認定試験」(以下「試験」とする)についてである。

 その「試験」は、各講義一時間につき五問、全部で三十問、各設問とも五つ(または三つ)の選択肢から一つ正解を選ぶというものであった。設問内容は講義で触れられたことであるが、いずれも知識を記憶しているかどうかを問う問題であった。そしてその多くが私自身この講義で初めて知ったことで、例えば、いくつかのアルファベットからなる略称を問う ものなどは、聞いただけではとても記憶できるものではなかった。

 私自身それまで同校で三回講習を受け、「試験」はいずれも、講義の内容を授業に生かすにはどうしたらいいかなど、日常の学校教育との関連を論述するものであった。他大学でのことや昨年の試行のことを職場で交流しても同様であった。だから今回もてっきりそのような「試験」だと考えていた。そこにこの問題が配られたのである。呆然となった。それは私だけではなかったことが教室の雰囲気や事後の会話で伺えた。


講習で学ぶべきことは知識の暗記か

 要項には「択一式または論述式の筆記試験を行います。授業内容の理解度に基づき採点し、一〇〇点満点の六〇点以上を合格として履修認定します」とある。これによれば、上記の設問は何ら問題ない。だが、現場の教員からしたら「この問題はないだろう」というのが率直な意見である。

 第一に、この講習で最も学ぶべきことはこれらの知識を暗記することだったのか、という問題である。前述のように、私が最も学んだのはこれらの研究が新たな視点を切り開いてくれたことであった。講師の先生方も、おそらくそのことを最も伝えたかったのではないか。しかし今回の「試験」はそれを問うものではなかったし、受講者は学んだことを表現することもできなかった。

 二つ目は、これらの知識が現場教員として記憶しなければならない事項なのか、という問題である。確かに研究者にとってはその必要性があるかもしれない。しかし現場の教員にとっては初めて聞く知識であり、この知識をどのようにしたら授業に生かせるのかイメージできなかったし、ましてや、記憶しておかねばならないとは到底思えなかった。

 三つ目は、もしどうしても知識を問う問題を出すというのなら、そのことを予告すべきである、ということである。前述のように、このような「試験」が出されるとは想像もしていなかった。だからこそ呆然となったのである。ついで言うと、講義で使われたパワーポイントは画面も配布された資料も文字が小さく、読めないものもあり、知識として記憶する 前提が保障されているとは言い難かった。

 四つ目は、知識を問う問題を出すというのなら、その学習時間を保障すべきである、ということである。六時間もの講義があって、その復習の時間もないまま新しい知識の記憶を問われて、「六〇%以上の正解」は酷である。ましてや記憶力急降下世代である。大学の先生からしたら「これなら六〇点は行けるだろう」と予想されたかもしれないが、実態は違うのである。

 そして最後に、この「試験」で「六十点未満で不合格」ではたまったものではない、ということである。すべての受講者が六時間真剣に受講し、勿論遅刻も早退も欠席もしていない。私が出席した四日間いずれもそうだった。みみっちい話だが、講習費六千円、講習と往復にかかった十時間と交通費、さらに申込みにかかった費用と時間、それらはいったい何のためだったのか。「また来年受けなあかん」となったら、落ち込みは激しい。


大学と現場の意思疎通を

 私は講習終了後ただちに手を上げ、以上のことを発言させてもらった。担当者の方から、それを誠実に受け止め前向きの回答をいただいたことは幸いであった。

 大学の先生方に非があると言っているわけではない。そもそも免許更新制度自体に問題がある。大学としても講習をやむを得ず引き受けたという面もあるだろう。そんな中で精一杯やっていただいていることも伝わってきた。大学としても試行錯誤しているというのが実情なのだと思う。ならば、私と同じ様な問題に直面した人や疑義を感じた人はきっと少なくないと思う。

 だとすると、大学と現場の意思疎通を早急に図る必要があろう。特に、それぞれの代表が該当した者全員に問題点などを聞き出し、双方が同じテーブルについて真剣に検討・改善することが絶対に必要だと思う。

 最後に、皮肉に聞こえたら恐縮だが、今回のことを通して、「では私自身、生徒にとって意味のある授業やテストをこれまでやってきたのだろうか」と考えてしまった。教える−学ぶという営みを、もっと真摯に考える必要があると改めて思った。







子どもを大切にするあたりまえの社会と教育を!

「教育研究全国集会2009」(8/21〜23:東京)に参加して



 熱い政治戦のさなか、炎天下の東京で開催された全国教研には京都から24人のレポーターを含めて  70人が参加しました。教育センターからは共同研究者(山崎、浅尾、植田、高垣、春日井、細見、工藤)の他に野中一也、中須賀ツギ子、倉本頼一、大平勲の各氏が参加。  開会集会は2300人の規模で昨夏の京都ほどの熱気はなかったものの、新自由主義教育の先進地・東京の実態とたたかいから学ぶ真剣さがみなぎっていました。『バッテリー』などの文学作品で知られる作家、あさのあつこさんと三上満さん、青年教員、高校生との トークでは、子ども・青年に正面から向き合い彼らと共に成長 する大人の姿がリアルに語られ会場の共感を呼びました。  合唱構成「いま東京から未来への発信」では石原知事による 発達と人格を覆す「教育改革」が吹き荒れるもとで、父母と教 職員ら手をつないで「どの子も大切にする学校と教育」が、七 尾養護学校事件や私学助成、30人学級実現の運動などを通し て語られ、頭を上げた希望に満ちたメッセージを発信しました。


倉本 頼一さんの感想から

  夜のフォーラム「子どもの生きづらさ・思いがみえますか」には150名の参加があり、埼玉の母親が校内で手錠をかけられ逮捕された息子の経過を語り、管理教育のもとでの教師の苦悩や非行少年への援助に関わった保護観察官の報告。私は、「子どもの暴力事件は最多、孤独を感じる15歳は世界一、子どもの数減少にもかかわらず不登校は最高。これらの背景には自分の思いや生きづらさを言葉で表現する力の弱さがある」と会場から発言しました。翌日からの分科会は「生活指導・自治活動」に参加。「『反貧困』の生活指導に向けて実践課題を明らかにしよう」と題して山本敏郎氏(日本福祉大)の基調報告があり、多くは教訓的でしたが、私には若干の疑問もあり次のように発言しました。「基調のテーマで、今日の子どもの状況と生活指導の実践課題をひとつに絞り込むのは無理があるのではないか。子どもたちの困難さや『荒れ』は貧困問題もあるが、進学競争などのそうではないケースの課題も絡んで複雑に関係しているのではないか」。レポートは豊かな内容でしたが、小6本,中3本、高13、障1で高校からの報告の多さが特徴でした。内容は「学級・学年づくりとして14本」「行事・文化活動・学校づくりとして9本」で小中高混合の3分散会で濃い論議が展開されました。


大平 勲さんの感想から

 全国教研は多分21回目の参加だが、東京開催では初参加の70年1月の1万人全体会の興奮を鮮明に覚えている。今回は任務をもった参加ではなく、新自由主義教育破綻の「出口」を見極める機会としたかった。夜のフォーラム「かえよう東京の『教育改革』を」では今年度からの「主任制度」で職場の半数近くが任命され、残りの一般教員をほぼマンツーマンで「指導」「管理」する、しかも給与に格差には唖然!しかし、七尾養護金崎元校長や品川、足立、西東京での父母と共同した反撃には感動的教訓を見た。学校選択や学力テスト、学校統廃合などの「矢継ぎ早の改革」には矛盾も顕在化し、「やめてくれ」の声で見直しでも「先進」をゆく。世取山洋介氏の「新自由主義教育の弱点は教育的論点がゼロ。子どもが抱えている困難から逃げず、心を売らなければ最後に浮上する」とのコメントが重く届いた。分科会は遠方の国立市であった「学校づくり」に参加したが、全国の頑張る多数の実践家と再会できて感激。父母と教職員との共同こそが唯一最大の「展望ある土俵」であることが、新婦人神奈川や滋賀、和歌山などの報告から確信を深めたが、父母住民と教職員の「溝」は埋まってもまだまだ「距離」があることも痛感。あと5回ぐらいは全国教研に参加したい気持ちになった。



☆秋のセンター公開研究会のご案内☆  どなたでも参加費不要


【1】● 戦後50年代の教育運動・教組運動を検証する
  9月13日(日)13:00〜  教文301
  「戦後の京都と沖縄における教育状況と教職員組合運動」
  生駒佳也氏・櫻澤 誠氏(歴史学WG)


【2】● 子どもの発達と科学的認識―人の発達と進化
  9月26日(土)14:00〜教文203
  [発達研]  「発達・進化からみた野外活動の意義」
  好廣眞一氏(龍谷大学)

【3】● 地域で育つ子どもたちと青年
  10月12日(祝月)13:00〜教文202
  [子どもの発達と地域研]


【4】● 今日の生活指導を考える(仮称)
   11月29日(日)13:00〜 教文202
   [生活指導研]



[定期刊行物]

・季刊誌「ひろば」158号〜161号の4回発行   

・「センター通信」毎月発行 ※ 京教組の取り組みに共同します

・ 民主教育推進委員会への参加:5/9 9/12 11/1

 ・京都教研への共同:11/14〜15



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