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●京都教育センター通信 
復刊第34号
 (2009.6.10発行)

「子どもの貧困」を解決できる社会をいまこそ
      ――総評の仕事から皆さんとともに

              京都地方労働組合総評議会 事務局長 梶川 憲


 京教組書記長を終え、四月から専従で京都総評事務局長になりましたが、年度越しで関わった課題が四月二九日、フォーラム「子どもの貧困」の開催でした。

 ちょうど一年前、京都社保協の方から「貧困問題と子ども」について、子どもにかかわっている皆さんと取り組めないかと話があったとき、「待ってました」と話をしました。しかし、まだまだ貧困問題は、その実態も本質も不明確なままでした。特殊な経済状況の課題との受け止めも少なくありませんでした。とりあえず、子どもにかかわって相談活動や福祉分野、医療分野で活動する者が集まってみようと手探りで始めた懇談会は、現実問題として広がっている「貧困の中の子ども達」の姿を目の前に浮き彫りにしました。日本がすでに貧困大国になっていること、セーフティネットも十分でない下で、子ども達が、経済的にも、また、心の問題としても、展望を失っていく姿に、その深刻さを見ました。  〇八年夏の全国教研の折に、京都独自企画として、「シンポジウム貧困の中の子どもたち」に取り組みました。

 児童相談所やケースワーカー、生健会で生活保護を受けながら子育てをした父母の経験などを出し合い、広がる貧困のもとでの子どもの姿を浮き彫りにするという初期の目的は果たしたものの、何をするのか、どうすれば良いのか大きな宿題でした。  今回のフォーラムのテーマは、「子どもの貧困」です。貧困の中の子どもの実態をさぐる前回の目的から発展させ、以下のように、その解決策を論議することができました。

 子どもの貧困は、以下のような状況と本質を持っていると思います。@ワーキングプア、経済・雇用危機とつくられた貧困大国・日本のもとで、どこにでもある状況であること、A親の必死の努力と子どもの言い出せない思いのなかで見えにくくなっていること、B今日・明日の問題にとどまらず、子ども達に大人不信やあきらめがつきまとい、結果、その子どもが社会人になったときに、貧困を連鎖させる側になってしまうことです。

 しかし、同時に、貧困問題解決の共同のカギが子どもの貧困にあるという確信を持ち始めています。子どもの無保険問題も「子どもに罪はない」を合言葉に(私は親にも罪はない、政治に罪があると思いますが…)、改善に踏み出したことを見ても、子どもの問題は広い共同を生み出す可能性を持っています。

 今回のフォーラムでも、公的機関からもマスコミからも協力できないかとの申し出があります。そして、この問題の解決のためには、二つの課題があると考えます。第一に、「親の支援」「世帯への援助」という家庭支援策が現在行われている施策ですが、子どもを主体とする支援施策へ転換することです。「直接子どもに対して、どんな家庭・地域でも、等しく、無条件に、そして直接、福祉・教育・医療=育ちと学びといのちは、無料とする」ことが施策転換の勘所だと思います。第二に、経済的に貧困状態の下でも、人間に対する連帯感や信頼を手にした子どもたちは、決してあきらめず、貧困状態と向き合って頑張っていきます。それが子どもたちの可能性です。つまり、「自己責任」の束縛から解き放たれた「連帯・育ち合いの場」が子どもたちにも、親にも必要であることです。

 いま、経済・雇用危機で、子どもの貧困が社会問題化しました。子どもの貧困が社会転換のカギを握っているという意識で、チャンスをものにしていきたいと思います。フォーラム参加者の感想は言います。「私達にもできることがある。地域からこんなネットワークをつくりたい」。いま、深刻な情勢のもとで、新しい共同を子どもたちが苦しみの中から呼びかけてくれている、そんな思いで、子どもの貧困問題を社会問題として広く問い直すために、新しい共同へ、頑張っていきたいと思っています。





第三回学力テスト国語問題と学習指導要領

    京都教育センター教科教育研究会・国語部会・浅尾紘也



学力テスト国語問題内容の批判検討を

 これまで二年間実施されてきた「全国一斉学力テスト」は、「『学力』とは何か」という基本的な問題が検証されることなく、その「結果」が無条件に子どもたちの「学力」であるということを前提として、現場教師への攻撃と「結果」の「公開」を強要する動きだけが進み、「塾」や「ドリル」「プリント」などを売り、儲けようとする『教育産業』ばかりが大きく膨らむという状況となっている。 それは、テストの「内容」がほとんど検討されることなく恣意的な論議が意図的に進められていることによることがもっとも大きな問題であることを、私たちは何度も指摘してきた。だからこそ、三年目・三回目となる今回の国語問題についても、早急に批判的検討を進めていくことが課題となるのではないだろうか。今後、そのとりくみが進められていくことを期待したい。ここではその第一歩として、そのためのいくつかの視点、問題をあげたい。それが、私たちの国語教育実践の基本姿勢がどうあるべきなのかということを明らかにしていくことであると考える。


学力テスト国語問題の分析の視点

 このような国語問題をどのように分析していくのか、その視点をどう設定することが必要なのだろうか。これをしっかりと考えることがまず大切である。  この「全国一斉学力テスト」を的確に分析していくためには、これが三年目の実施であることをふまえて、これまでの視点となることを整理していくことが必要だろう。

 京都教育センター国語部会では、これまで、この「全国一斉学力テスト」国語問題がどのようにとらえられねばならないのか、提起し続けている。それは、以下の点である。

 二〇〇七年度は、「知識」と「活用」というテスト構成が提示されたことについて、国語教育の構造をおさえた観点から、その内容が「知識」とされた国語教育としての「基礎・基本」がたいへん貧しい内容であること、そしてさらに「活用」という観点が、現行学習指導要領・国語科の「活動主義」「言語技術教育」が、日常の生活場面に歪曲されたものであることに批判の観点がおかれなければならないことを指摘してきた。

 さらに二〇〇八年度は、「知識」と「活用」がその区別がなくなるようなA問題のB問題化、つまりほとんどすべての問題が、「活用」の名の下に「言語処理」ばかりをめざすものとなったこと、そしてそれは改訂学習指導要領・国語科の内容と強く連結し、その「愛国心注入教科」と「PISA型学力」の絶対化、すなわち「国語の学力」の矮小化がはっきりと具体化されたことを指摘せざるを得ないものであった。  二〇〇九年度は、それをおさえて、何を視点としてもたねばならないのであろうか。それは、次のようなものではないだろうか。


@「知識」と提示されたものは、まったく貧しいものであることの再確認

 〇七年テストは、「漢字」、「文法」として「接続語」と「指示語」、「文構成」が示されたが、これは学習指導要領・国語科の「言語事項」に示されたものに限定されている。したがって、問題となるのは、それ以外の「表記・文字」「文法(品詞・構文)」「語い」の問題がないことである。つまり、学習指導要領・国語科の「言語教育」の極めて貧しい内容は何も問題にされずに、その「結果」がよしとされたことを問題にしなければならないのである。

 〇八年テストは、それが「漢字」のみとなり、〇七年テストでの指摘が重要なものであったことを立証したものとなった。

 さらに〇九年テストは、「漢字」以外に「ローマ字」が入ったが、極めて簡単な問題である。それは、〇七年テストでの指摘を覆すものではない。


A 国語教育の「基礎・基本」が、「言語処理能力」に矮小化されていくことへの批判

 @で指摘したことは、そのまま国語教育における「基礎・基本」の崩壊につながる。国語教育の基礎・基本となるのは、言語の体系や系統、法則について学び、それを「ことばの力」の土台としていくことしかない。それが、「葉書の表書き」や「報告文の構成」「メモの取り方」などという、「技能・技術」としても瑣末な「言語処理」に矮小化されては、『基礎・基本の崩壊』と指摘せざるを得ない。

 〇七年テストで懸念をもち、〇八年テストで明らかになったものは、〇九年テストでさらにはっきりしたものとなったと言っていい。


B「活用」とは、場面設定を卑近な生活次元に下ろし、その言語処理に狭めたものであることへの批判

 この傾向について、一部は「実用化」という評価をしたが、これらが本当に「実用」としての内容なり方法をおさえていると言えるだろうか。

 どこかの会議で、「プレゼンテーションができない」「報告・連絡・相談などの力が不足」などという、国語教育がまるで経済活動を進める機械の歯車としての人材育成をめざし、その能力をつけるためのものであるかのような発言があり、それらの具体化を国語教育の本質をおさえずにしたとしか考えられないものになっていることは、この三回のテスト問題内容が示している。その視点からみれば、それへの批判はもっとも重要であると考えられる。


C国語教育の解体は確実に進んでいることに危機感をもつべき

 それは、当然、これまで私たちが積み上げてきた「言語の学習」「説明文教育」「文学教育」「作文教育」という国語教育の構造と内容をおさえての、子どもたちに「ことばの力」をつけ、人間的成長=人格形成をめざす国語教育の否定であるととらえるべきではないか。

 これは、教育基本法改悪論議の基本的な問題であった、教育が「人格形成」ではなく「人材育成」を目標としたものに堕落させられることの具体化として、教育全体の本質的な問題としてとらえる必要がある。


D「PISA型学力」としても破綻したものであることへの批判

 〇八年テストでは、国語問題の内容と構成が、改訂学習指導要領・国語科で示されたものと相まって、その「絶対化」と「偏重」が示されたが、〇九年テストでは、それすらが形骸化・形式化し、PISA調査が明らかにした日本の子どもたちの「主体的に理解」することと「主体的に表現」することをまったくスポイルし、その形式だけを無理矢理問題形式にあてはめようとしたものであることが明白となった。

 これには、さすがに「形式化が過ぎ、これで国語の学力が測れるのか」という批判が、識者と言われる人達からも出始めている。


Eこれらの問題点が学習指導要領・国語科でさらに具体化されることへの問題意識を

 これまで、国語部会では、この学力テスト国語問題が、改訂学習指導要領・国語科の内容を具体的に提示したものだと提起してきた。それは、〇九年問題でより明確なものとなっている。学力テスト国語問題を検討することは、学習指導要領・国語科を検討することでもある。


さらに深い分析と批判を

 このように学力テスト国語問題を分析検討していく視点をもち、それをさらに深めていくことが緊急の課題となる。これを、実践的視点からどのようにすすめていくのかが問われている。







【報告】5/31 学力研「公開研究会」
新学習指導要領}連続学習会W


高校での学力保障をどう見直すのか


 5月31日の午後、教文202号室で26人が参加して開催されました。学力研の市川章人氏の司会、小野英喜氏の挨拶ではじまり、鋒山泰弘氏(追手門学院大)が『高校の学習指導要領改訂と学力保障』と題して講演。「今回の改訂は教科に及ぶ道徳化など多くの問題点を含むが、高校現場が抱える多様な学力実態に適応する学力保障と教育課程づくりを可能にする面があり、現場での実態をふまえた研修が急がれる」と指摘。実践報告として@「中学校での基礎学力保障:西原弘明氏(洛北中)」A「定時制の教育と学力保障:谷口藤雄氏(三和分校)」B「義務教育までの基礎学力保障の取組:平野健三氏(朱雀高)」があり、大学進学実績のみを追い回す結果の反面に基礎学力保障が切実な現状にあることが告発され各々の苦労を伴う豊かな実践がリアルに語られ参加者の共感を呼びました。



6〜7月の公開研究会のご案内  お気軽にご参加を!(無料)


T. ◇「学級編制・定数配置を考える」

〜どうする?京都式少人数、真の30人学級実現へ〜

  6月20日(土)13:30〜16:00 教文205

講演 山崎洋介氏(なら子育て・教育ネットワーク) 

主催:地方教育行政研究会・京教組




U. ◇ 「民主カウンセリング・ワークショップ」

〜温かい人間関係をつくるために〜


    7月19日(日)10:00〜16:00 教文204


  グループ・エンカウンター方式


   主催:家庭教育・民主カウンセリング研究会




[定期刊行物]

・季刊誌「ひろば」158号〜161号の4回発行   

・「センター通信」毎月発行 ※ 京教組の取り組みに共同します

・ 民主教育推進委員会への参加:5/9 9/12 11/1

 ・京都教研への共同:11/14〜15



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