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●京都教育センター通信 
復刊第24号
 (2008.6.10発行)

 「忘れ物・落し物」考
                 京都橘大学教授  宮嶋 邦明




 子どもの忘れ物・落とし物に頭を痛める教師は多い。「明日、授業で使うから問題集を持ってくるように」と言っても、クラスの何人かは必ず忘れてくる。注意が高じると、授業の進度にも影響するし、お互いの精神衛生にも良くない。自衛策として、教師の方はあらかじめ該当箇所のコピーを用意し、生徒の方は「置き勉」(勉強道具を机の中に置きっぱなしにすること)をする。かくして問題の位相はズレテいき、「置き勉」はしないようになどと、さらに注意の量は増えていく。忘れ物・落し物に頭を悩ます教師は多い。

 以前の大学(京都府立大学)でのことであるが、「最近、忘れ物・落し物にケイタイが登場するようになった。学生課でしばらく保管することになるが、時折コール音が鳴って、仕方なく電話機を取ると、お互いに『どちら様でしょうか』などと、ちぐはぐな会話を交わし、苦笑することがある」、そんな話を担当の方から耳にした。忘れ物・落し物にケイタイが登場するというのは、いかにも今風だが、やはり、忘れ物・落し物は匿名性が保たれてこそ、その名にふさわしい。正体が半分透けて見えては、趣も半減するし、当のケイタイ自身も不本意であるにちがいない。

 今や、大半の学生がケイタイを持っている。以前、ゼミ合宿の相談の折、互いの連絡先にメモを、と言ったら、その場にいた七人のゼミ生全員がサッと電話機を取りだし、相手の番号を聞きながら、一斉にポンポンと押し始めた。その動作がまことにリズミカル、かつ統制がとれていて、妙な感動を覚えた。そして学生の一人は、「ケイタイは私にとってなくてはならないモノ、私の体の一部分です」と言った。

 「物忘れ」や「うっかりまちがい」はしばしば、不注意だ、偶然だなどとして見過ごされやすい。しかし、不注意で忘れたというのであれば、不注意のために忘れることの出来るモノは他にもたくさんある。にもかかわらず、他ならぬケイタイを忘れたというのは、当人自身も気づいていない「何か」秘められた理由がなければならぬ。かくして人間の心の深層に迫ったのはフロイトの卓見だが、さすれば、主を見失った電話機と所有者との間に、どんなベールが覆われていたのか、興味深いことではある。

 他方、大脳生理学の教えるところによれば、内面活動の活発な者(とき)ほど、つまり考え事が多い者(とき)ほど、肝心のことを忘れてしまうという。また、何か特別に大切なこと、重大なことが頭の一隅を占めれば、その他の刺激による神経活動の興奮は一瞬にして抑制されるという。つまり忘れてしまうのだ。そうだとすれば、「私の身体の一部だ」と言わせるほどの地位を築いたケイタイ以上に大切だったもの、それは一体、何だったのだろう、興味深いことではある。

 子どもの忘れ物・落し物を単に不注意だ、緊張感に欠けるなどとするのではなく、「なぜ忘れたのか」を考えることも時には必要なことかもしれない。





 授業中に理解させる
                京都市立塔南高校 数学科 中谷 隆


 昨年四月、四年間の専従生活を終えて現場に戻りました。「基礎学力が落ちてきてるよ」と四年間言われてきたものの、やはり実際に教壇に戻って、その違いに驚きました。昨年一年間の一年生の基礎講座(本校では数学は習熟度講座展開)での取り組みをまとめてみました。

痛恨の平均十六点からの再出発

 昨年度二回目のテスト(一年生は一部選択を含む共通問題で実施)の平均点です。今までのような授業展開では不認定続出が懸念されたため、@試験前の問題演習の時間を確保する、Aノート提出、B座席の変更の三点に取り組みました。

 @自宅での学習はどれほど呼びかけてもなかなか取り組めません。授業中に問題演習をさせることを重視し、できる限り反復させることにしました。Aとにかくノートを取らせる(それまではノートを取らない生徒が一定数いました)ため、「授業ノート(板書を写したもの)」を週1回提出させました。はじめは渋々ノートを取っていましたが、書くことによる記憶の定着が、授業に前向きな姿勢を作り出しました。B授業に乗り気にならないと、とにかくしゃべる。少人数講座であることを利用して、一列おきの座席でしゃべる子をバラバラに配置。さらに、授業中にいらん話をしているときは「ロスタイム」と称して時間を計り、その分授業を延長するという「荒技」も導入しました(最高で五分延長をしたこともあります。それでも授業中の雑談は〇にはなりませんでしたが)

 ノート提出、特に板書を写した授業ノートの提出について、当初私はかなり否定的に考えていました。授業中にノートを取ることは当然と思っていましたが、今の生徒にはなかなか通じないようです。学校全体を見渡しても、テスト終了ともなればそこら中でノート提出が行われています。何らかの「見返り」がないとノートを取らなくなったのかなと考えています。ただこの取り組みの中で、板書していない事項(私が強調したことなど)のメモを取っている生徒を発見し、講座全体に紹介するなど、フィードバックの効果もありました。

単純反復学習

 授業で基礎的な事項を理解し自宅で反復学習に取り組むという、自学自習の習慣がなかなかつきません。本校での調査でも一年生の半分、二年生の七割が自宅学習時間が一日三十分以下との結果が出ています。いきおい、反復学習を授業中や放課後の補習でこなすことになり、教員の負担が増していきます。

 数学の場合モチベーションアップの最大の秘訣は「分かること」であり、「解けること」です。そのためにドリル学習並みの反復を行いますが、心の片隅で「単なるHOW TO伝授」になってはいないかとの不安が常にあることも事実です。

精神的なケアの必要性

 学習面以外で、昨年の一年生を見ていて思ったことが「精神的なもろさ」です。友人関係や家庭でのちょっとした出来事で、モチベーションが一気に下がります。生徒との個人的なコミュニケーションなどを取ってフォローを続けて、やっと意識が授業の方に向いてくる。対人関係に異常なまでに気をつかう彼らならではの「もろさ」ではないかと思いました。






三十五年間、最も課題を抱えた生徒を担任し続けて
              長岡京市立長岡第三中学校 藤木 祥史



今、三十五回目のクラス担任

 今年、三十五年目の教師生活、三十五回目のクラス担任をしています。学年主任や生指主任時代も、担任をはずれることはありませんでした。今では、主任は担任を持たない学校がほとんどなのでしょうが、当時の民主的職場のおかげでもあり、自分自身が強く望んだ結果でもあります。

 子どもは、子どもの世界で生きています。良くなるも、悪くなるも子どもの世界の影響ははかりしれません。子どもの世界をまるごと指導の対象としない限り、一人一人の子どもの指導も成り立たないと考えています。

大きな課題を抱えた生徒の指導から

 わたしのクラスには、いつも学年のなかで最も大きな課題を抱えた生徒がいます。

 私のクラスづくりは、その生徒への個人指導と集団指導が連動しながら進みます。課題を抱えた生徒は、当然ながらその言動から、クラスに負の影響を与えてしまいます。他の生徒たちに迷惑になることも多いものです。

 まさに一緒に成長するのか、ひとりを切り捨てるのか、担任は否応なく迫られます。今の学校状況の多くは、知らない間に、課題の大きい生徒を追い込み、排除するように機能しているようです。無自覚に学校全体の指導要請に流されると、担任が課題の大きい子どもを排除する役割を、担わされるようにもなリます。課題の大きい生徒の成長を追求する姿勢は、わたしの担任としての揺るぎない目標です。

個人指導と集団指導の統一を目指す

 クラス開きの前から、課題の大きい生徒へのアプローチと指導が始まります。生育史からくる彼の発達疎外をつかむ。彼のゆがめられた言動から、同学年の仲間との関係がどうなっているのかを知る。(縦糸と横糸で分析)

 分析に基づいて彼への配慮と援助を当初の指導では重視する。この指導の中でつかんだ彼の言動の背景・願い・否定的な言動の裏にある肯定面を出来るだけリアルにつかむ。初期の指導における彼への理解・共感はクラスのリーダーと共有する事が重要である。彼への共感と理解を示す者がわたしのクラスのリーダーであり、後のクラスの取り組みに欠かせない仲間になる。

彼の成長に共闘する取り組みを進める

 当初の援助と配慮を中心にした指導から、彼の耐えうる段階を想定しながら、彼に批判と援助による指導を展開するのが本格的なクラスの実践となる。それは行事の取り組みであったり、学習の取り組みになることもある。逃げ出そうとする彼を、援助を決意しながら批判するクラスの取り組みを組織する。この取り組みは、彼の成長に必要であると同時に、多くの生徒も抱える成長課題であるからこそ取り組むのである。

 紙面の都合で実践の骨格をお伝えするだけなりました。








新学習指導要領批判・連続学習会T 開催


鋒山氏講演 「批判から、のりこえる授業実践を!」

 連続学習会一回目は、5月25日(日)教文センターで開催され、センター関係者、現場教職員、学生など26人が参加しました。

◇ 鋒山泰弘氏(追手門学院大学)は、今回の改訂の特徴にふれて、「『習得』『活用』『探求』という定式化されたサイクルでの指導が強調される」「『到達目標』から『重点指導事項例』への変更」「授業内容の増加とともに授業方法の増加」「伝統的文化と道徳教育の推進」などその特徴と課題について語られました。

◇ また、実践報告では東辰也氏(京教組教文部長)が現行での「無理」を克服する「大幅な組替えや精選」による自主編成プランについて述べられ、「割合」「平均」「速度」具体的な実践を報告されました。

 平田庄三郎氏(同志社小理科専科講師)は「理科でつける学力」について、理科を何のために、何を学ぶのかを整理され、科学的自然観や基礎学力の習得内容、科学的認識に必要なことについて報告されました。

◇ 討論では、道徳の強化についての疑問や、現場での学習評価のおしつけ(観点別評価の累積)をはね返すことの困難さ、低学力の分析のこと、朝学習の強要などが語られ、「のりこえる実践」を指向するには学校(学年)づくりが不可欠であり、そこをクリアーすれば父母とともにつくる教育課程も見えてくることが明らかにされました。

 参加した立命館大学の学生(教師志望)は「先生の生の声を聞く機会がなく、生徒のために色々と考えて下さっていることがよく分かった。熱い思いを感じました」との感想を寄せています。

※ 次回(2回目)は9月13日(土)13:00〜教文101で「高校のGS改訂」での講演、小中の国語と社会での「のりこえる授業実践」報告を行います。


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