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![]() ──生徒の学習権と教師の教育の自由の保障のために── 室井 修(京都教育センター・和歌山大学名誉教授) 今日、政府の教育政策や教育行政の展開の中で、教師の教育の自由の保障の在り方がつねに問われています。組合などではこのことを厳しく問題にしているにせよ、教員の中には、当局や校長が法令上の根拠を示して、しかるべき指示をしてきた場合、納得しているわけではないが、やむを得ずそれに従っている者も少なくないと思います。 例えば、学習指導要領、指導要録、内申書、通知票など教育内容や教育評価にかかわるものについては、教育行政と教師の権限関係が法制度上、どのようになっているのか、解釈の変遷、判例や学会等の動向に目を向けて、教育実践にも生かしていってほしいと思います。(最高裁旭川学力テスト判決‥一九七六・五・二一など)。 よく問題にされる学習指導要領は、学校教育法二十条、同法施行規則二十六条を根拠に文部科学大臣が定め、公示していますが、それゆえ、同要領を法規(命令)として各学校の教育課程の編成の際、教育委員会や校長はそのまま押しつけようとしたり、一般の教員の中にも法規なのだからやむを得ないという考えもみられます。 しかし、同要領は無原則にそのまま従ってよいというものではなく、人間の内面的価値形成にかかわる教育にあっては、その自主性の確保は不可欠で、それゆえ教育基本法第十条一項の定める教育に対する「不当な支配」の禁止に抵触するような同要領の運用は認められないのです。 いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為(文部科学大臣の公示による同要領〉にも、教育基本法第十条一項が適用されるのです(上記学テ判決)。最近では、文科省も「学校の自主性・自律性の確立と自らの判断による創意工夫」をこらした学校づくりの必要性を述べている(一九九八年中教審答申)のだから、文科省の真意はともかく、各学校における自主的な学校づくり、教育課程づくりは尊重されて当然なのです。 次に、小中高校の教師の「教育の自由」保障について、最高裁は国際的永準(ILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」)に近づいたと思われる「教育の自由」を一定の範囲で認め、「教師が公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されない」ことを言及しています。これは生徒の学習権保障にとって重要な視点です。日の丸・君が代の指導の強制は、この視点から見れば教師が公権力によって特定の意見のみを教授することになり、憲法上も許されません。このような判例を視野に入れて、教育実践を確かめることも大切ではないでしょうか。 以上取り上げた問題は、教師が日常の教育活動において当局や校長との関係で直面することが多いだけに、これらの問題に対して評価できる判例などを武器にした自主的な教育実践を進めていってほしいと思います。 ![]() ![]() −−おうちの人に丁寧に話すのも大切−− 宇治市立伊勢田小学校 東 辰也 日々の授業を大切に 学力問題に関心が高まり、学校現場では、一斉テストによる学力調査や、「○○タイム」などの補充学習が広がりました。しかし、果たしてそこには正確な学力課題の把握や正しい手だてが行われているのでしょうか。成果があがりやすいものを繰り返し練習することで「学力がついた」としているなら、少し短絡的ではないかと思います。 つぎはぎだらけの「指導要領」に基づいた教科書・指導書と無責任な市販テストに頼った工夫のない授業を淡々と進め、つまずく子を多く作りだす一方で、そのつけを、取り立てた指導や習熟度別指導で補おうというのなら本末転倒です。 「学力充実」には、教科の系統性に基づく教材分析を背景に、子どもの発達段階に応じた「楽しくわかりできる授業」の実践こそが求められていると思います。 一年算数で 一年生を担任しています。算数では「くり上がり、くり下がりの加減がわかり、できる」が大きな目標です。 一年生の子どもたちでも「6+7」なら6に順に1つずつ数えて「7、8、9、10、11、12、13」と答えを出すこともできます。しかし、できれば「6は5と1、7は5と2、5と5で10、1と2で3、答えは13」というとらえ方をさせたいものです。その方が一年生の子ども達にとって無理がないからです。そのために、「9まで数」や「9までの加減」から「5のかたまり」を意識させる授業を組みました。 まず、「9までの数」を具体物で教えます。そして、子どもたちの持っている「つみき」を使って、それぞれ「パッと見てわかりやすい並べ方をしてごらん。」と投げかけました。子どもたちはいろいろ考えます。「6」は「2、2、2」と並べたり、「3、3」と並べたり、「4、2」と並べたりしました。どれが正解ということはありません。横向きや縦向きなど、各自が「パッと見てわかる」という並べ方だったらいいのです。このことから「いくつか固めれば数がわかりやすい」ことをつかめればいいのです。 この後、「人類は5で固めると数がつかみやすいことを見つけた」というお話をしました。実際に各自が5個の「つみき」をアルミホイルでくるんで「5のかたまり」作りをしました。そして、「バラバラにおかれた8」に比べて「5と3で8」の方がとらえやすいことを実感させました。 父母にも知らせて 学級懇談で、市販ドリルを見たお母さんから「勉強は遅れていませんか」という質問を受けました。「心配ありません。一年間の目標はきちんと達成できるように計画的にしています。今は数の基礎の大切なときです。あわてずにやっています」と答え、担任の意図と学習のようすを具体的に話すとわかっていただけました。 今どんな授業・学習をしているのか、おうちの人に丁寧に話すのも大切だと思います。 なお、教具などは学年分用意し、学年みんなで実践しています。 ![]() ![]() 福知山市立大江中学校 大島 辰哉 未来を担う主権者を 学校教育が進学率や学力テストの点数を競い合い、急速に「学力」偏重の「歪んだ方向」につき進まされようとしている。 教育の目的は「人格形成」にあると思っている。 人格とは@社会性(人と人との関係をつくる力)A人間の尊厳(人を大事にできる力)B社会認識(人と社会との関わりを考えられる力)C「学力」が大きな要素と考えている。@ABを抜きにした学力では、「生きる力」に繋がらず、未来を担う主権者を育てることにはならない。信頼関係を基盤にした人格形成こそが「困難に満ちた」今の社会を生き抜く確かな力になると信じている。 修学旅行での平和学習 ここでは人格を培う取組の一つとして、修学旅行のことについて述べることにする。 大江中では3年前に「教育課程の見直し」の中、行き先を東京方面から長崎・熊本方面に変更した。内容的にも、人権・平和学習を大きな柱にしている。また、福知山市が島原市の姉妹都市ということもあり、台風23号の大洪水で甚大な被害を受けた町として災害についても学習を深めている。 事前学習として二年生の三学期より、生徒各自が身近な人から戦争体験の聞き取りを行った。協力してもらった方は、ほとんどが高齢で、中には封印していた戦争の記憶を、孫が真剣に聞いてきたことで絞り出すように語ってくれたお年寄りもあった。 聞き取った歴史の事実、感じたことを冊子にまとめ、終学活を利用して読み合わせ、みんなでそれを共有してきた。戦争や平和の問題が遠い世界のことではなく、身近で自分自身に繋がる大事なことだいう認識が広がった。 被爆者から学ぶこと 作家である大江健三郎さんが『原爆のことを学習することは大きな意味がある。そこには被害者ということだけではなく、加害の問題につきあたる』とおっしゃっている。その視点においても長崎で平和学習をする意義は大きい。長崎の地において被爆者の方の講話を聞いた。セレモニーで大江中平和宣言を行った。講話は「赤い背中」で知られる谷口稜曄さんにお願いした。「私の話を遺言として聞いて欲しい」という言葉が生徒の心に重く響いた。 話を聞いた生徒の一人は「私は歴史が苦手で『何で昔のことを知る必要があるのか』という事をいつも疑問に思っていました。でも谷口さんの話を聞いて、昔のことを勉強してもう一度歴史をくり返さないようにしていかなければいけないということが分かりました。 原爆によってたくさんの方が亡くなられ、今でも放射線で苦しんでおられる方がいるという事実を心に留め、どうすれば世界中の戦争をなくすことができるのかみんなが笑顔で過ごせる世界になるのか考えていきたい。そして世界中の一人一人が平和について考えられる世の中になることを願っています。」と感想を書いてくれた。 修学旅行の取組を通して子どもたちの認識は劇的に変わった。人と人との関わり、自分と社会との関わりを真剣に考える大きなきっかけとなったと思っている。(学年2クラスの学校での学年実践として書きました。) ![]()
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