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戦後京都教育運動史の時期区分
(本書の構成)
 本書では、戦後京都の教育運動のあゆみを以下にみられますように、五つの時期に区分して叙述しています。
 そこで、はじめに、そのように区分んた理由と各時期の特徴を簡単に説明して、本文の理解に役だてたいと思います。なお、戦前の京都の教育史についての、特徴的なことがらが次章に素描されています。戦後の把握に資して下さい。
 
 
第一期(一九四五〜五〇年・昭和二〇〜二五年)
 教員組合の結成から「レッド・パージ」まで(本書第二章)。
 
第二期(五一〜五五年・昭和二六〜三〇年)
 京教組の組織分裂から組合統一、さらにたたかう体制づくりへ、そして「偏向教育」攻撃に抗する旭丘闘争まで(本書第三章)。
 
第三期(五六モ六〇年・昭和三一〜三五年)
 勤評闘争を中心とする「国民教育」創造のたたかい、教育三法のたたかいより安保闘争まで(本書第四章)。
 
第四期(六一〜六五年・昭和三六〜四〇年)
 「国民教育」創造の運動の原則確立、国民教育運動の展開(本書第五章)。
 
第五期(六六〜七三年・昭和四一〜四八年)
 日教組統一闘争一〇・二一の展開から現在まで(本書第六章)。
 
 
 これは京都の教育運動における時期区分ですが、日本の戦後教育史・教育運動史の時期区分と対応させて、それぞれの時期の特徴をみておきたいと思います。筆者もその編集作業に参加し、「教育−−教育政策・教育運動−−」の項の作成を分担執筆した立命館大学人文科学研究所『総合戦後史年表−〔一九四五〜一九七一〕−』(初版六六年、改訂版七一年一一月)は、戦後教育・教育運動史をつぎの五つの時期に区分して、かつ、それぞれの時期をつぎのように特徴づけています。
 
第一期(四五〜四九年)
 天皇制軍国主義教育の崩壊と平和と人権の教育の展開
第二期(五〇〜五四年)
 新教育(平和と人権の教育)非難(逆コース)と教育の官僚統制の強化
第三期(五五〜五九年)
 教育内容の国家統制と勤評反対闘争
第四期(六〇〜六四年)
 新安保体制下の「人づくり政策」と国民教育運動の定着
第五期(六五〜七一年)
 中教審路線の進行と国民教育運動との対決(教育の反動化と多様化)
 
 
 そこでは戦後史二十数年をおよそ五年ごとに五つに時期区分されていますが、世界政治、国内政治・経済、科学技術、思想のそれぞれの展開を検討しても、おおよそ五年きざみの時期ごとに、それぞれに特徴づけをおこなうことができますし、教育の分野では、右のごとく表現されているわけです(詳細は同『総合戦後史年表』参照)。
 
 本書での時期区分は、この『総合戦後史年表』の時期区分にのっとり、京都の運動史をふまえてつくられたものです。
 
第一期の特徴
 戦後の教育史は戦前の極端に中央集権化された天皇制国家主義・軍国主義の画一的教育に対する反省と批判から出発し、民主主義教育をうちたてようとしたものであり、憲法と教育基本法にもとづく、新しい教育として展開されました。戦後教育史の第一期です。京都でも、市内、府下に新しく教員組合が結成され、それが京都府教組から京教組へと整備されていき、戦後荒廃のなかで教育復興、新教育推進、教師の生活擁護のたたかいが急速に進められるのです。
 
第二期の特徴
 戦後教育史の第二期は、朝鮮戦争前後からの教育反動化のあらわれをその指標とすることができます。一定の民主化を指向した初期占領政策が転換され、アメリカのアジア支配政策として、日本を極東の兵器工場とし、のちの安保体制への基礎がためがおこなわれる時期です。教育の面では、五〇年ごろから修身科復活、君が代・日の丸復活がいわれだし、根づき出した新教育=民主主義教育に対して「偏向教育」と攻撃し、あるいは教員の政治活動禁止など教員への統制をつよめ、五三年のかの有名な「池田・ロバートソン会談」によって、教育軍国主義化の方向を露骨にあらわにしていきました。
 占領政策の転換、公然たる反共政策により、京都では教員に対し一九四九年にいわゆるレッドパージ(京教組が見舞われた第一の大きな危機)がおこなわれましたが、先述のように、この時期までを第一期にふくませています。さらに、教育反動化の開始の第二期の一九五〇年五月、レッドパージに皮接して京教組の分裂(第二の危機)がおこり、五三年二月の統一回復に至るまで三ケ年に近い期間教育闘争はにがい体験をせざるをえなかったのです。しかし、この間、京教組は民主主義教育の原則を追及する運動をおしすすめ、五四年の 「偏向教育」 攻撃に対して旭丘闘争(第三の危機)として、民主主義教育とその運動の原点を明らかにする広汎な運動を展開しました。
 旭丘闘争が組合統一の翌年であり、これをへて京都の教育運動は質的な発展をそののち実現することになったのです。
 
第三期の特徴
 第三期は五六〜六〇年です。が、この時期の特徴は教育の体制、内容の全面にわたって国家統制がつよめられ、軍国主義の方向が強化されてきたことです。
 五六年の教育委員公選制をなくす任命制教委法を強行可決したことは、戦後教育行政の原則であった教育の民衆統制、教育の地方分権、教育行政の一般行政よりの独立など国民の教育権を否定し、政府・文部省の下に教育を統制する有力な手だてを確立することになりました。そして五七、八年の校長・教頭の管理職化、五八年の勤評によって、文部省→教育委員会→校長→教師という縦の教育支配体制をつくりあげようとしました。教育内容の国家統制は主として教科書統制を通してすすめられましたが、教科書調査官の設置とともに、とりわけ五八年の『小・中学校学習指導要領』の改訂が大きな変り目をつくりました。この時、文部省は学習指導要領を「告示」として官報にのせ、法的拘束力をもつものとし、教育内容の国定化をはかり、以後その国定教育内容を教科書を通して子どもに浸透させるしくみをつくりました。
 以上のようなこの期を『総合年表』では「教育内容の国家統制と勤評反対闘争」と特徴づけていますが、京都の運動史では、とくに、勤評反対闘争(第四の危機)を中心にすえてまとめられています。今日「勤評」を実施していない日本中で唯一の府県である状況をつくり出した過程と、この勤評反対闘争が旭丘闘争の方向のうえに、地域の父母・労働者・農民と結びついた国民教育創造の運動を発展させる画期をつくり国民的な安保闘争へすすんでいく時期といえます。
 
第四期の特徴
 戦後教育史の第四の時期は六〇年代前半です。安保闘争後、高度経済成長政策のための「人づくり政策」=人的能力開発政策をめざして、多様化を軸とする差別と選別の教育政策が強力に進められます。
 戦後の六三制単線型学校体系に対して高専校がつくられ、教育国家統制と選別をめざす全国一斉学力テストや能研テストがおこなわれるという教育の国家統制が子どもに及ぶ情勢がすすみました。これに対し学テ反対闘争とすべての子どもに後期中等教育を保障することをめざした高校全入運動が展開され、それらを軸に人づくり政策に対決する国民教育連動が前進しますが、京都においても、学テ・高校全入を中軸とする国民教育運動、地域教育運動が大きく発展しました。
 
第五期の特徴
 第五期は六〇年代後半から七〇年代の現在までを一括してくくって時期区分していますが、この期の特徴はつぎのところにあります。
 一九六五年の「期待される人間像」の中間草案発表から、一九六七〜六九年の小中高学習指導要領の改訂、そして、一九七一年の中央教育審議会の学校教育制度改革に関する最終答申に至る、いわゆる「中教審路線」の進行は、教育における差別と選別を一層おしすすめる多様化と新しい国家主義・天皇主義の教育を国家権力をもって押しつける事態がすすみ、研究指定校、官製研修会の強要となり、それだけ民主主義教育との矛盾と対決を深め、国民教育運動の発展をうながさざるをえなかったのです。
 七〇年代にはいって憲法と教育基本法にのっとる平和と民主主義をめざす教育運動が、困難な条件にかかわらず前進している証拠は数多くあります。六〇年代未から顕著になった中央、地方の政治における革新勢力の前進は、教育と政治の正しい関連のもとに、民主教育の前進を示す一つの表象であるといえましょう。
 京都における六〇年代後半からの第五の時期は京教組が日教組統一闘争に全力をあげてとりくみ、中教審路線に対決して民主教育の体制、内容にわたる原則的なねばり強い運動を展開するなかで、民主府故における教育行政の民主化を一層すすめえた時期です。
 賃闘を軸にする教師の生活と権利を守るたたかいを全国闘争として強力にすすめてきたこと、自主編成運動をつよめ、すべての子どもに豊かな学力を保障するための実践や研究がすすめられたこと、障害児教育の飛躍的前進など多くの面で、この時期に京都の教育がすすみ、民主的教育行政の発展も著しいものがあるといえましょう。
 今日、京都の教育運動の到達点は京教組の七二年の定期大会で提起された「革新自治体のもとでの民主教育と京教組運動のあらたな前進のために」という文書がもっともよく示しています。
 そしてこれまで築きあげてきた民主府政、民主教育体制という条件を最大限に生かして、民主教育の新たな発展をきりひらくということ、これが現在の特徴的課題といえましょう。
 
 
 以上、戦後教育史の時期区分と京都の教育運動史の時期区分を関連させて、それぞれの時期の特徴を素描しました。評価・教訓等は、それぞれの章で明らかにされます。
 
 
(注)
 戦後京都教育運動の展開について、筆者が京教組教研集会において、報告したつぎの二つの文章がありますが、本書とともに参考にしていただきたいと思います。「京都のたたかいと教育運動」(一九六二年一一月第一二次教研一一月集会での報告)および「京都における戦後教育運動の教訓−−六〇年代の教育闘争」(七一年六月第二一次教研六月集会での報告)−−いずれも『教育運動』臨時号(七一年一一月発行)に所収。
                                (奥田修三)
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