トップ 資料室 教育の原点

教育運動に関して五点の教訓
                 野 中一 也
 一連の京都の教育運動に関する対談・座談会を読んでみて、汲めどもつきせぬ数多くの教訓があることがわかった。それを五点にわたって指摘してみたい。
 
 第一は、どんなにきびしい反動攻撃にさらされても、平和と民主主義を求めてたたかい、民主的な展望をもってきたということである。石田稔先生は、戦前の治安維持法のもとでも、新興教育や教科研の運動から学び、二十坪の教室をこえて映画教育にとりくみ、子どもたちのすこやかな成長にとりくんでいる。そして、石田先生を支えてくれた民主的な校長がいたのである。石田先生は敗戦とともに教職員組合運動にはいり、その後、管理職になっている。今日、京都府教委よりの理不尽な攻撃がかけられているが、石田先生の生き方は私たちに大きな励ましを与えてくれる。
 
 第二に、京教組がたたかいのなかで、統一の輪を大きくひろげ、民主的な思想を骨肉化してきたことである。組合の結成、レッド・パージ、組合の分裂と統一、旭丘闘争、勤評といった京教組のたたかいの歴史は、とくに石田(稔)・糸井・木下の各先生との対談のなかで多く語られている。レッド・バージを受けた先生方を京教組がかかえて人権を守ったこと、京教組に分裂攻撃がかけられ、一九五〇(昭和二五)年に分裂したが、組合員の要求に根ざしてたたかったことで、わずか三年で、分裂した組合の名称で、実質的に第一組合に吸収して統一したこと、その時に組合として政党支持の自由を獲得したことなどが学ばれる。また、糸井先生がエピソードとして、勤評闘争で逮捕された、のちに京教組の委員長になった木下先生が五条署の留置場で、警官がお手あげの家出少女を警官に頼まれて「教育」をされた話を紹介している。実にほほえましいロマンチックな獄中闘争記である。教師はどんなところでも組織者として民主教育の輪をひろげるたたかいを展開する重要性を教えてくれているようである。
 
 第三に、京教組は広く学者・研究者と手をむすんで府民に責任をもつとりくみをしてきたことである。細野先生との対談にそのことが如実に示されている。一九六〇(昭和三五)年に細野先生(現・橘女子大学学長)が代表となり、「京都教育センター」が設立された。教育学関係の研究者がいないで発足したことは、ある意味で“弱点”といわれているが、それをカバーできるような力量が京都にはあったということであり、また教育学関係以外の研究者が“教育”で結集できるすばらしい先進性を示しているともいえるだろう(今日は教育学関係者も多く結集している)。
 
 細野先生は一九六一年に、民主教育の三つの柱として、全面発達・集団主義・科学的認識を提起し、京都のみならず全国的な運動にも大きな影響をあたえた。今日の日教組の現状、国民教育研究所の機能「停止」の現状をみるとき、京都教育センターの役割は京都のレベルをこえて大きいといえよう。
 
 第四に、子どもから学び、父母とともに教育をつくりだしてきた京都のすぐれた教師の姿があることである。太田先生は、戦時中に疎開した貧しい子どもたちとともに生きた。石田(真)・上村・佐藤の高校校長先生は、高校三原則を創りあげてきたと誇りをもって語っている。とりわけ、田辺高校に高校三原則を適用させたことは光っている。京都の教師は教育のことで「教育研究集会」を日教組の全国教育研究集会より三年も前に宮津市で開催しているのである。子どもから学び、子どものすこやかな成長をねがう教師たちは、父母とともに学びあっているのである。それが旭丘中学の実践にも生かされたことであろう。民主教育の理論は確信をもって深められ、府下各地の実践のなかで花をひらかせていったといえるであろう。同和教育方針、学力方針、非行克服の原則などとなって発表され、父母にも大きく支持されてきたのである。
 
 第五に、京都府民は下からの手づくりで民主府政をつくり、「革新の灯台」といわれる力量をもってきたことである。その中身は寿岳先生との対談に豊富に語られている。京都府民は自分たちの手で暮らしを守り、自分たちの手で厚みのある行事をつくり、そのことを通して住民の連帯を形成してきた。行政はそれにお手伝いをするという立場をとってきた。寿岳先生は水道を引いた住民にたいして、蜷川知事は「あなたたちが引いたんです」といわれたことを紹介している。与謝の海養護学校を設立してほしいと陳情にいったお母さん方に、「学校を建てるのは知事ではありません、あなたがたが建てるのです」といわれた蜷川知事のことばを思いおこしてくれる。
 
 京都民主府政は、まさに府民の広い意味での「学校」といえる。「峠のむこうに春がある」とうたったのは蜷川知事であった。もう一度この句が生かされる“春”をめざして、広範な府民とともに前進していくことが私たちに課せられた大きな課題といえるであろう。
 
(大阪電気通信大学教授・京都教育センター)
トップ 資料室 教育の原点