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第45回京都教育センター教育研究集会 第5分科会
子どもにとってはすべてが育ちの場

                姫野美佐子(子どもの発達と地域研究会)

 

T.基調報告

 昨日のセンター研究集会全体会のパネルトーク。そこに出ておられた現役の中学の先生のお話が、私にとって大変印象的でした。その若い先生は、「自分自身、管理と競争の教育の中で育ってきて、勉強ができない子の気持ちを分かりかけるのに7年かかった」とおっしゃっていました。また「ものすごく仕事の量が多いのに、まわりの若い先生はスーパーマンのように早く仕事を片付けている。自分は不器用で、昨日も11時に学校の鍵をしめて帰った」とか「今の若い先生は、生徒指導という点でもすべてマニュアルがあって、必死でそれをこなしている状態」「だから、本当は教師というのは、福祉の視点も必要なのに、若い教師はベテランの先生から経験を聞くチャンスもない」などと発言されていました。現在の青年教師から直接リアルなお話をきき、昨晩から「今後どんなことを考えていったらいいのかな」と考え続けています。この先生がいろいろな人の刺激を受けて変わっていくように、人はいつだってまわりとの関係で良くなり、また悪くなったりもします。どんな人に出会うのか、そして出会ったときの自分の受け止め方って大きなあと改めて思います。午前の「京都子ども勉強会」のレポートですが、若者らしい瑞々しい感性で書かれた素敵なレポートです。午後からは、この研究会として発行した冊子を囲んで、みんなでいろいろ話をしたいと思います。


U.レポート

京都子ども勉強会より

1.「勉強会とのつながり」Uさん

 中学校にあがるときに2泊3日の春合宿に参加しました。勉強内容は英語で、新品の辞書を持って先生が作ったプリントを3日間頑張って、最後のまとめテストで最高点が取れました。入学後3人で原谷勉強会の新クラスが始まりました。自分はソフトテニス部で一人は野球部、後の3人はバレー部でした。中学生は部活での仲間意識がすごく強いと思いますが、勉強会のメンバーの仲間意識もかなりあり、いろんな話ができました。

 中3になると夏休みと冬休みにセミナーがありました。バスで1時間以上かけて九条大宮の塔南塾まで通うのは大変でしたが、友達も一緒だったので楽しかったです。家で勉強することが苦手だった僕にとっては居心地のよい場所でした。

 高校に入ってからも勉強会を続けたいと思い、同じ高校に入学した3人で高校クラスが始まりました。高校クラスでは、講師と年齢が近いこともあり、よく漫画の話などで盛り上がっていました。盛り上がりすぎて勉強をあまりしなかったこともありましたが、楽しかったです。集団での勉強の楽しさは、勉強会時代を通して感じました。

 大学も決まり、卒業後の春休みに澤田先生から呼び出され、行ってみると自分が講師になっていました。会議などをすることで自分が少し大人になったような気がしましたが、上手くいかないこともあり、生徒との関係づくりには結構苦労しました。自分より年下の子どもと自分主導で関係をつくっていく経験がなく、部活の先輩後輩とは違う、講師と生徒というただの友達ではいけない関係を作るのが難しく、仲が悪いわけではないんですが、特に生徒と1対1のクラスでは楽しい雰囲気をつくれなくて辞めてしまう子もいました。それでも経験をつむことで何とかクラスを回せるようになりました。

 講師になってから勉強会のサポートクラスのことを知りました。最初はよく分からずサポート企画のチームに入り、自分より年上で高校に通っていたり、中学校に通うのが難しい子と一緒に遊ぶ場という認識で月に1度のサポート企画に参加していました。参加してみると、会議で話を聞くその人たちの印象と違い、企画の場では明るく楽しそうにしている人たちを目にして、こういうラクでいられる場はすごく大事だと思いました。

 勉強が苦手、友達と上手くいかない、親に思っていることが言えない、いろんな不満を言える相手がいないなど、どの子にも抱えている問題がありました。相談相手になってあげられる子もいれば、何もしてあげられなかった子もいます。解決策を出せなくても、話すことで随分楽になったと言ってくれたときに、話を聞くことは、特になかなかそれが表に出せない子にとってすごく大事なことだし、その子を理解するために必要なことだと思いました。クラスのこと以外でも原谷勉強会の教室移転を任される。青年・父母の対話集会で自分のことを語る、などやったことのない初めてのことを多く経験することで出来ることが少しずつ増えて行きました。4年前に勉強会の事務局体制が変わり、自分も事務局としてやってきました。これまでの勉強会をどんな風にやってきたのかを考えながら自分の役割を探しましたが、何をすればいいのか分からないまま今になりました。それでも年齢、経験が近い自分たちで組織を回してきたので、至らないところは多々ありますが、結構すごいことをしてきたと感じています。

 自分は今、教師になるための勉強中です。勉強会に関わってきて、勉強が苦手な子も手助けがしたいと思うようになりました。学校の先生では一人一人の子どもを丁寧に見るのは難しいと思いますが、いつか自分が思う教師になれたらいいと思います。


2.「勉強会講師として」〜ある少年と出会って〜              岩田記侑

 大学一回生の春休み、澤田先生(前子ども勉強会代表)から「最近どうしてるんや」と連絡がありました。「のりにぴったりの子がおるんやけど、勉強教えへんか?」と講師を誘われ「えっ!!俺が教えんの?」となりましたが「せっかく誘ってくれたんやし、まあやってみよっかな」ということで講師になりました。

 当時中学2年生になる少し手前だったS君に、初めての授業の日「俺は先生じゃないから、先生と呼ばないでほしい。敬語も禁止」「気になることは何でもきいて。楽しくやろう」と言いました。それは教えることができなかったときの為の逃げ口実だったのかもしれません。でも、これがそのときの私の正直な「教えること」でした。日数を重ねるにつれ、他愛もない会話や家族の話ができるようになり、打ち解けてきました。しかしまだまだ解らないことの方が多く、何回注意しても聞かない。人の話を真面目に聞かない。時間を守らないなど私の思い通りに行かないときは大人気ない言動をとってしまうこともあり、S君には「勉強とか大人とか必要ない!」と言われたこともあります。さすがに辛くて、澤田先生に相談しました。そこですごく印象に残っているのは「子どもは大人よりも大人を観察している」「勉強しているときの子どもの顔は見えているか」「勉強を教えるだけが授業じゃない子もいる」という視点。それまでは「とりあえず教えな」「この子のお母さんに怒られる」となっていた私。その言葉はとても新鮮で、私がその子と同年齢のころの澤田先生との授業風景を思い返すタイミングになりました。

 当時、勉強に対するモチベーションが全く無かった私。人間関係もそれほど良好ではありませんでした。しかし、澤田先生の私に対しての姿勢は違いました。授業中いつも寝転がっている私を怒ることなく2時間見ていてくれた。休憩時間には将棋を一緒にやってくれた。他にもたくさん「〜してくれた」があります。そんな居心地の良い大人と一緒にいると、知らず知らずのうちに「あれだけ底にいた自分をここまで引き上げてくれた。この人の言うことなら信じてみよう」という気持ちが自然と生まれていました。過去を振り返ることでそれに気づき、今改めてS君により添い深く知る必要があると感じ、もう一度初めからやり直そうと決意しました。

 まず手始めに、S君の好きなもの、興味があるものは何かを確認。ウルトラマン。カメンライダー。ポケモン。そしてお母さん。S君の部屋にはたくさんの特撮ヒーローグッズがありました。いつも私に満面の笑みで説明してくれましたが、授業の時間になると「勉強」に対しての苦手のせいか、ころっと表情を変えます。そこでS君の「宝物」の力を借りることに。 テキストの問題をパソコンに打ち込み、邪魔にならない所に宝物の画像を挿入。すると食いつく食いつく。今まで2時間かかっても数問解くのがやっとだったことが嘘のように、手が動いていました。でも少しずつS君が「俺、のり君に騙されてないか」と思い始める。「やはり一過性のものなのか」と思いつつ過ごす。しかしある日の授業の冒頭で「初めて満足のいく点数とれた」と報告してくれました。そのときのS君の嬉しそうな顔。「俺、やればできるわ。ありがとう」と言ってもらえたこと。今でも覚えています。私自身、S君との出会いがあり、自分の過去とも向き合い「教える立場」として必要なものを多く学ぶ機会を、S君との時間を共有する中で少しずつ見えてきました。

 生徒時代、澤田先生に対して持っていた「信頼してもいい大人」という感覚。講師になってから学んだ「子ども主体の視野の向け方・持ち方」これらは京都こども勉強会という生徒と講師が刺激し合い作り上げる「学びの場」だからこそ、学ぶことができたと思っています。普通ではできないような体験。保護者でも学校の先生でもない。立場としては中途半端かもしれませんが、S君のような生きにくさを持っている子に出会う度に「何とかしてやりたい」と思い、気づけば7年目になっています。


3.京都子ども勉強会との出会い                      岩根衆

 僕が勉強会講師になった理由はほかの人たちとは少々異なります。勉強会で講師をする人は、たいがいが小中学校時代に勉強会の生徒だったか、教員を目指していて実戦経験のために講師になった人なのですが、僕の場合は、講師になるまで勉強会がどんな場所かすら知りませんでした。大学生になって『なんでもいいからアルバイトをしよう』と思っていたとき、世話焼きの母が、ある方にアルバイトの口がないか聞いてくれたのがきっかけでした。子どもとの接点もほとんど無かったものですから、当初は「子どもが好き」とか「教育に携わりたい」などという思いはほとんどなく、「バイトだから」という動機で講師をしていました。並行してやっていたコンビニのバイトが忙しくなってからは「なぜこんなに拘束時間が長くていろんなことをしなくてはいけないのに、こんなに収入が低いのだろう」「コンビニバイトで十分収入があるし、頃合いでやめよう」と考えていました。「教育関係者」としてはとても不謹慎な姿勢で講師を続けていたのですが、その姿勢を変える転機がありました。

 勉強会では日々の授業の他に様々な取り組みを行っているのですが、その中に8月の2泊3日のキャンプがあります。数か月前から講師全体で準備をし、当日も中々に目白押しの取りくみを講師で分担しながら行っていました。

 ある年のキャンプ終わりのこと。キャンプの行程も無事に終了し、総括の会議も終え、参加講師で打ち上げをしていたときのこと。その時もいつも通り他愛もない話で盛り上げっていたのですが、ある講師から「キャンプでの子どもたちの様子とか、なんでもっと話さないのか?」と言われまして。それもそうだと、改めてキャンプのときの子どもたちの様子を思い出してみました。すると、いろんな子ども達の活き活きした姿が浮かんできまして「ああ、子どもって可愛いんだなぁ」と、当たり前のことにその時気づきました。また姿勢が変わった理由として、一緒に勉強会をやっていた澤田先生の考え方の影響も大きいと思います。他の多くの大人が『自分の損得』を含めて子どもと接している中で『子どもの利益』を中心に物事を考えている姿に接し、いろいろな生徒への対応を見たり話をしたりする中で、そういう物の考え方に「その通りだな」といつの間にか思うようになっていました。

  子どもは「誠意を示せばどんな人にでも素直に愛情を返してくれる」存在だと思います。そんな子ども達が自然体でいる姿を見るのが、僕はたまらなく好きです。こちらから何かを要求するのではなく、力を添える、というイメージで日々子ども達と接しています。
 僕は「講師に向いていない、やるべきではない」という思いがずっとありました。出来ていないこと、無責任に思える部分が沢山あるからです。その部分は今でもあまり変われていないのですが、ただ、最近は向き不向きだけの問題ではないのかな、と思ったりしています。これからも、自分が必要とされる限りは続けていきたいと思います。


V.討論

1. レポートへの質問

Q:「父母の参加」が勉強会の規定にあるが、総会には子どもも参加して意見を言える?

A:今まで総会でしたことはないが、「対話集会」という父母も講師も子どもも対等に話す集会をやっている。

Q:4年前、若者だけで事務局をやっていくと決めた時、不安ではなかったか?

A:もちろん不安だった。4年たって、やっと自分たちの『主体性』が出てきたというのが正直なところ。澤田先生の作ってくれたところで、修正する部分も出てきた。

Q:「父母の参加」はどこも苦労しているところ。どのように参加してもらっているか。

A:なかなか、勉強会でも主体的には関わってくれない。しかし「勉強」という部分は親のニーズでもあるので、比較的接点を持ちやすいと思う。

2.「京都発 地域でいきいき!輝く子どもたち」冊子本についての討論

・この本を読んでいて「そうやな〜そうやな〜」と思うところ沢山あった。子育ては一朝一夕ではないので、子どもの成長と共に親も育っている。子どもと共に地域に関わる中でそこの文化も育つ。「私たちの活動って、大事なことしてるんや〜がんばろう」と思えた。

・全国の少年少女センターの集会で17冊売れた。「これを父母さんに読んでもらいたい。ぶれることなく、活動を進めてもらえるのでは」と言われた。いろんな集団への関わり方が示されている。

・今、一般の塾でも個別指導が広がっている。背景は?親がばらばらにされている。希薄さがある。その中で、子どもたちの社会性が育っていない幼さがある。いろいろな子どもの状況を出し合いたい。

・上の子が重度の自閉があってしゃべれない。集団に入るのが難しい特性があるが、最近の養護学校でも個別対応がとても多いなあと感じていた。教室も4つにパーテーションで区切られていたり。「ここは何?教室じゃなくて要塞みたい…」と思った。刺激に弱い子を、逆に大事にしすぎているのでは。息子は昨日もソフトバレーの障害者のサークルに行っていた。パスなどもできないし、他の人がきゃーきゃー言う声も苦手だったが、最近は(声も)受け入れられるようになった。集団の中にいることは大事だと思う。

・子どもが大きくなるほど親の関心は「勉強ができるかどうか」「スポーツは?」に向かっていく。新婦人で、お母さんたちにいろいろお誘いをするが「親の教養として」誰かの話をききにいくことはあっても、子どもにいろいろな体験をさせるところまではいかない。だから少年団って、本当にすごいなあと思う。

・みんなで話し合って「いいところ」を取り「悪いところ」をやめる。。。こんなことを話し合うのは、相当高度なこと。最近、障害の「がい」は「害」であっていいのだろうかという話が身近であった。

・この本を読んで、他の団体が「京都子ども勉強会」と共通している部分も多いなあと思った。特に、組織を継続していくのは難しいところ。同じような考えを持っている人がいると分かって励みになった。

・今日、非常に印象的な言葉が「主体性」僕自身は主体性が爆発している子どもで、母はいつも父母会で謝るはめになっていた。そんな自分でも居心地の良い場所が「京都子ども勉強会」だった。

・ここで一つ提案。みなさんのお話をきいていて「つながり」がカギになっている。「つながり」というのは人間関係の「柔軟さ」の次にくる「連結」です。困っている場面で、自分としては次に何をすればいいか出し合ってみては。

・今、学習を受け持っている子どもたちが、集団では学習できなくて、仕方なく個別指導にしてみたら、真面目に勉強し始めた。1対1で私との関係もできてきたので今後の見通しとしては「学習面で自信ができる」ようになれば….。社会の中では、いろいろなことが個人の責任にされている。しかし少なくとも父母会などをすれば、親の「つぶやき」から見えてくるものがある。その願いを、集団の中でどれだけ解決(あるいはその糸口)を示せるかが大事だと思う。

・親同士のつながりの良さは、障害児を育てているからこその喜び、他の人には言えないけどという悩みを出し合うことで、私自身もそこを支えにがんばってこれた。しかし最近は制度も充実してきていることもあり、障害児のお母さんたちも「必要な情報はネットで」となり、あまり顔をつきあわす会には出てこない。悲しいがそうなってきている。

・私たちの若いころと、いろいろなことに対してのとらえ方もジェネレーションギャップってあるかも。

・私も30代のお母さんとはジェネレーションギャップを感じることが多いが、やはり長い目でお互いにという視点でつきあっていくしかないし、そうしていきたい。

書記の方からまとめ

棚橋先生より


・地域の諸活動は社会の矛盾と直結している。要求を確立することが主体性の確立につながる。子どもをどう育てたいのか、それを突き詰めることで、人とのぶつかりあいも厭わない主体性が生まれる。塾、少年団etcとしての要求を決定し、集団としての主体性を確立することが大切。


W 感想文より

・午後の討論では「つながり」について、それぞれの立場から話がきけて良かったです。社会的背景と関連してつくられたジェネレーションギャップはあるけれど、お互い子どもたちのために長い目で協力できること、一緒に育つことを地道にやっていくしかないという言葉を心にとめてやっていきたいと思います。

・棚橋先生のお話、いつもながら納得のいくもので元気づけられました。私はいつも行動が先で理論が後からついてくるタイプで、これからも学んでいきたいと思います。

・勉強会のレポートがいきいきと話され、子ども・講師青年の成長を語られ学べました。棚橋先生の問題提起「父母同士、私たちとの関係でつなぎはどうだろう?」と提起があった。それを難しくさせている社会的矛盾が大きくなっていることが発言の中で分かった。「主体性」「要求」の関係も、また個人だけでなく集団としての「主体性」「と「要求」はどうなのかと問われた。一から考えること、基本のところから考えることの大切さを改めて考えさせられた。

・各地域で様々な活動をされている皆さんのお話をきくことができて、私自身の親としての関わりを考えさせられ、また励みになりました。まわりの方とつながっていくことは難しい世の中になってきましたが、それでも子どもを想う気持ちは同じなので、共感しあったり、一緒に活動する中からつながりを広げられたらいいな〜と感じました。教育や、地域での取り組みが子どもたちの育ちを支えていると改めて実感しました。今後の活動の参考になり大変勉強になりました。

・子どもを育てるということは、親一人でできることではなく、人間の社会を作る構成の中で、すべての人が担う大切なことだと思います。生み、いつくしんで育てる親と、支える家族はもとより、生計を支える、学ぶ、働く、人間らしい発達成長、個としての尊厳など地域の役割が大切なのは、誰もが認識しているけれど、誰がするの?どうするの?コミュニケーションというけれど楽しいことや人と一緒に何かをすることというのは摩擦を生むことで、その摩擦を楽しみ経験が力になるような、それが成長・発見というのかと思いますが、地域の成長と発達の機会を主体的に作ることがカギかな?

・今日は、内容の濃い話ができて大変有意義でした。現代の社会の在り方があらゆるところで弊害をもたらしていることが分かった気がします。これからも、子どもの成長、発達について学んでいきたいと思います。

・こういうところに来たことがなくてどんな話をしているのか、どういう雰囲気なのか難しい話ではないかと心配でしたが、そんなに難しい話ではなくわきあいあいとした雰囲気で話していたので、かんどうしました。

・午前中の勉強会の報告では、自分を振り返ってレポートするいい機会になりました。自分の思いを全て言葉にはできていませんが、自分の考えが整理できたように思います。いろんな方のそれぞれの立場からの意見がありましたが、こういう場に出て発言する人は、どの方も子どもに対する思いをもっておられるので自分の教育に対する考え方が少しずつ変わってきていると思います。

・勉強会に関わり13年。講師として7年目、事務局員として4年。気が付けば長い時間が流れ、様々な取り組みを通して成長してきました。本日は、そんな一部をレポートとして発表させていただきました。まだまだ言いたいこと、伝えたいこと、教えてほしいこと、知りたいこと、山ほどあります。短い時間でしたが自分を考えることで、それまで関わってきた背景を見直すことができました。まだ26歳です。あと60年ぐらいは「子どもと共に」しっかりと成長して、少しでも成熟した人間になれればと思います。

(参加者15名)
 
 「京都教育センター年報(27号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(27号)」冊子をごらんください。

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              2015年3月発行
京都教育センター