事務局   2014年度年報目次

第45回京都教育センター教育研究集会 第4分科会
保育・教育・地域を人間らしい発達の場に

                大平 勲(発達問題研究会)

 

再開2年目の分科会です。参加者は年並みの9人と多くありませんでしたが、感想文にも見られたように、各レポートが発達段階を踏まえて繋がった内容になりました。

 司会は運営委員の北村彰(午前)、谷進太郎(午後)が行いました。

 
T.【基調報告】(要旨)   浅井定雄(研究会代表代行)

はじめに

退職して幾年か経ち学校現場と離れてしまうと、なかなか子ども達の実態が見えにくくなってしまう日々を送っている。ただ、週一回ぐらいはかつて勤務した学校へ「学校ボランティア」として通っているので、まったく接していない訳ではないが、そんな中でも垣間見える学校・先生・子ども達の姿は、自身が現場にいた頃とはずいぶんと様相が違っている。管理強化と多忙の中で、先生方は目前の仕事に追われ、子ども達の発達課題に向き合いながら系統的な実践が展開されているのか、疑問に思うことが多い。

(1)発達の原点である子どもたちの「生活」は保障されているか

 「子どもの発達を保障する」学校や社会とは、どんなものなのかについて考えされられる。それは、結論的に言うと、子どもの諸権利が保障され、その結果としての発達が保障される学校や社会ではないかと考える。具体的には、子どもの「生存権・健康に生活する権利・自由権・平等権・学習権・知る権利・意見表明権・選択権・参加運営権」などを通して「発達権・幸福追求権」などが保障されるのではないかと考える。

京都市における児童虐待相談・通告の状況(平成25年度)
年度  21年度   22年度  23年度   24年度 25年度

京都市


 
相談・通告件数
 
  878 

 
1,057
 
  855 

 
1,157
 
1,382

 
認定件数(%)   611
(70%)
  742
(70%)
  591
(62%)
  726
(63%)
 960
(70%)
全国認定件数
 
44,211
 
56,384 59,919
 
66,701
 

年齢別の認定件数
(25年度) 0〜3 3〜6 小学生 中学生 高校生
身体的虐待 57 88 121 70 28 364
性的虐待
ネグレクト 101 51 84 43 12 291
心理的虐待 57 76 98 41 24 296
216 216 305 155 68 960

ところが、一番の土台となるべき「生存権・健康に生活する権利」などが脅かされてきている。社会では「虐待」「育児放棄、ネグレクト」などと報道されるが、背景に格差の拡大や貧困の広がりがきわめて深刻になってきていることがあることは明らかである。要保護・準要保護の児童・生徒数は、全国的には平成24年度で要保護15万2947人(1.54%)、準要保護139万9076人(14.10%)、合計155万2023人(15.64%)となっており、京都府では要保護5949人(3.08%)、準要保護3万3040人(17.08%)、合計3万8989人(20.16%)と全国平均を上回っている。
また、「子どもの虐待」に関しても、その多くは若い親の孤立した子育ての中で生じているものであるが、家庭だけではなく学校においても、体罰や心罰などによって、子ども達への「生存権・健康に生活する権利」について進んでいるのではないかと思われる。すでに十数年前に国連子どもの権利委員会は日本政府に対して「児童虐待の調査、加害者への制裁、被虐待児の早期発見と保護、社会復帰などの措置が不十分」(1998.6)と指摘し、適切な対策を取るよう勧告していたが、児童相談所の運営費を削減するなど一貫して消極的な姿勢に終始し、現在に至っても根本的な対策が講じられているとは言いがたい。

(2)学校は子どもの発達を保障しているか(学校現場は、今どうなっているのか)
==多忙と管理の中であえぐ教師と子ども==

1980年ごろから、京都市教育委員会は任命主任制、管理運営規則、服務規程などを次々と導入し、1985年頃から「日の丸」「君が代」の本格的な押しつけであった。京都市教委がやったことは「京都市立小学校、中学校及び幼稚園の管理運営に関する規則」(管理運営規則)の制定(1987)であり、この管理運営規則の最大の特徴は、校長の権限の強化にあった。職員会議は「校長の職務を助け、円滑な学校運営を図るため、必要と認めるときは、職員会議及び各種の委員会を置くことができる」「職員会議は、校長が招集し、主宰する」(第21条)と定められ、さらに1990年、「市立学校服務規程」があります。この最大の目的は、規程の第二条(服務の原則)に記された「上司の職務上の命令に忠実に従い」にあった。

 1985年からその後の30年の経過が示すように、京都市教委は、 すべてのことをトップダウンの問答無用で従わせる強権的な姿勢で教育行政をすすめており 「校長中心の学校運営」 「教員階層性」により、管理職が絶えず市教委の指示を仰ぎ、 教職員が自由にものが言えず、子どもや地域の実態に合わせた創意あふれる創造的な教育実践が展開できない状況が職場で生まれている。学校現場では、 子どもを軸にした論議が後退し、 押しつけの研究指定や研修が増え、 長時間過密労働が常態化している。

(3)子どもの発達保障の課題を探る (「子どもの権利」を見る視点)

 こうした状況の中で、「子どもの発達保障の課題」を探るとき、今改めて「子どもの権利」としての発達保障を見ていくことが大切なのではないかと考える。
 第一は歴史的な人権の発展の歴史から学ぶという点である。
 かつて京都教育センターの一員であ
った故加藤西郷先生(龍谷大学教授)は次のような内容を提起されていた。

(参考資料)
(1)人権をどう学ぶか
=歴史に学ぶ姿勢と暮らしの現実に学ぶ姿勢の確立=
1)人権の歩みに学び=歴史の普遍性
 ・人権主体の拡充=誰の人権か(成人白人男子から子どもの権利・先住民の権利へ)
 ・人権内容の深化=国民の権利から人間の権利へ
第1世代の人権=国家に対する権利
 (フランス人権宣言などに表明されている)
 ・市民的および政治的権利         (自由権)
第2世代の人権=国家に請求する権利
 (ワイマール憲法などで表明されている)
 ・経済的、社会的および文化的権利     (社会権)
 ・国民の権利 日本国憲法の権利条項  (市民として)
第3世代の人権=国家を越えて
 ・健康でバランスのとれた環境への権利
 ・平和への権利
 ・発展への権利
 ・人類の共同財産を所有する権利      (連帯の権利)
            日本国憲法前文の平和的生存権の主張(地球市民として)
2)暮らしの現実に学ぶ=具体的な問題の所在
 (問題の所在)
  公権力と個人の間の権利関係
  ・人権の最大の侵害者は国家権力であった・・・世界の歴史
  ・明治憲法下の日本臣民・・・敗戦の事実・・・日本の歴史
  ・最近の異常なナショナリズムの潮流・・・・・精神的自由の侵害の問題
  ・なぜ憲法99条の規定があるのか
  国民的相互間の人権問題
  ・私的な国民相互の問題
        *(加藤西郷「参考資料」生活指導研究会、2000.7.23)
 

とりわけ、「第二世代の人権」「第三世代の人権」という捉え方は、当時の私自身にとってはきわめて新鮮で、印象深かった。こういう視点から「子どもの人権」「発達の権利」というものを見ていかなければならないと言うことを教えられたものである。

 第二は「子どもの権利条約」からの視点で、今まで、子どもの権利を構成するものとして、「保護」(protection)される権利、「教育」(eduacation)への権利、「進路選択」(orientation)への権利の3つが主に主張されてきたが、「子どもの権利条約」の中では、それに加えて、子どもの「意見表明権」や、社会や学校の決定に「参加」する権利とその保障の重要性が強調されていた。この国連「子どもの権利委員会」の日本政府の勧告の中では、

(1)「委員会は、児童が、高度に競争的な教育制度のストレスにさらされていること及びその結果として余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされていることについて懸念する。」と指摘している点。

(2)「委員会は、さらに、登校拒否の事例がかなりの数にのばることを懸念する」と警告し、過度のストレスや登校拒否を防止するなどの改善措置を求めている点。

(3)「委員会は、印刷・電子・視聴覚メディアの毒な影響、特に暴力及びポルノグラフィーから児童を保護するため導入された措置が不十分であることを懸念する」と指摘し、「法的なものを含めすべての必要な措置をとるよう」勧告している点。

(4)「学校における暴力、特に体罰が広く行われていること及び生徒の間のいじめの事例が多数存在することを懸念する」と指摘し、その是正の措置を具体的に提起している点。

などが重要な点である。
 第三は、日本や京都の民主教育が培ってきた子どもの権利保障の視点に今改めて注目する必要があるという点である。京都では、1954年4月に「旭丘中学校事件」というのがあったが、「偏向教育」という攻撃とはうらはらに、追求されたのは次のような教育であった。

 ことの発端となった「旭丘中学での偏向教育」とはどのようなものだったのだろう。事件の一応の終息をみてから三か月後の五四年九月、東大、東京教育大、京大などの研究者九人による共同調査が行われ、『公教育における教育価値の問題−旭丘中学校の場合に則して−』という報告書が刊行された。その詳細を記すことはできないが、旭丘中学での教育の原則は
「第一に、お金がかからないことです。第二に、教職員が明るく民主的であること。第三に、生徒の気持ちになって考えるということです」と要約されている。調査団の団長だった勝田守一氏(東大教授・故人)は「あれほどマスコミや文教当局がにおわせようとした『偏向教育』などではなく、戦後の民主教育のすばらしい結実であったことに驚嘆しました」 と感想を述べている。当時、西陣は不況の真っ只中にあり、西陣の中心地にある嘉楽中学校の授業出席率は七九%で、一度も学校へ来たことがない生徒もいた、という状況だった(五二年時)。旭丘中学も三分の一が西陣の子弟だった。そのなかで寄付をもらわない、生徒会費、図書費なども催促せず、免除の枠を広げるなどの措置で「お金がかからない」ことを追求.また、教職員間では老若での上下関係をつくらず遠慮なく相談し、協力しあう関係をつくつていたという。生徒の自主性の尊重という点では、生徒会役員選挙をホームルームでの投票ではなく、投票場、投票箱をつくつた国政選挙なみの投票とし、棄権も認めるというやり方を、生徒の自主的判断で実現。投票率九三%で実施したなどの事例が特筆されている。付け加えれば、「偏向教育」の具体例として挙げられていた「教師が子どもらからカンパを取った」というのは、実は修学施行に行く費用がないという生徒のために、教員が自腹をきって用立てた。後でその事実を知った生徒たちが自主的にカンパを募ったという、まったくの美談に属することがらだった。教職員と父母が一体となって、一人ひとりの子どもたちの人権を尊重し、自分で考えて行動する人間づくりをするという、教育基本法の理念の実践がここにあったのだ。そこに文部省・京都市教委が攻撃を加えた、というのが旭丘中学事件の本質といえよう。
(今井和郎:「ねっとわーく京都」2000年6月号より)
 
 
「子どもの権利条約」の中でその重要性が強調された、子どもの「意見表明権」や、「社会や学校の決定に「参加」する権利とその保障」が、何十年も前に、この京都で追求されていたことには、ただただ驚くばかりである。

(4)子どもの発達を保障する学校づくり

 今日の社会や子ども達の実態を考えるとき、「学校はそもそも何をするところなのか」という「学校像」そのものを問題にしなければならない。今、学校現場では、どのような「学校像」が存在しているのであろうか。複雑な様相の中に、次のような「学校像」が、混在し競い合っているのではないかと思う。

(1)受験体制に象徴される「競争主義・能力主義」の学校像

(2)統廃合問題など新自由主義的発想から来る学校の「スリム化」への指向

(3)「道徳」教育の押しつけに見られる「国家統制」「軍国主義」的な学校像

(4)教育運動が指向する「学力保障・人格形成」的な学校像

 むろん、私は(4)の立場を指向する者であるが、今日的な状況に照らして、次のような「学校づくり」「教師のあり方」の視点が大切ではないかと考える。

(子ども達の「願い」を読み取る学校・教師)

 子ども達の、自分の気分や思いにこだわる一見「わがまま」とも映る状況は、「幼さ」「荒れ」として多くの教師が感じている。しかし、そこには「幼さ」「荒れ」だけでなく、「押しつけ」「決めつけ」に反発し、納得を得たいという子ども達の思いを読みとることもできるし、また、様々な事象の背景には、子ども達が、家庭の経済状況・父母の多忙・早期教育・学力競争(受験圧力)など、社会の矛盾を背負いながら必死に生きている姿を読みとることもできる。さまざまな社会の矛盾・家庭の困難を背負って学校へ来ている子ども達が見せるさまざまな表現から、、子ども達の本当の願いを読みとり、「わかりたい、できるようになりたい、たくさん友だちを作りたい」という「子どもの願い」が真に実現する学級を、子ども参加で、子どもと共に作り上げていく営み、教職員集団と父母がそれを支えていく営みこそが、今、求められているのではないか。私たちの実践を進める上では、そうした「子どもの実態をリアルにとらえる」ことがまず大切であると言える。

(「子どもの権利条約を生かした、子どものための学校」づくりの模索)

 第一に、子ども達はゆっくり成長するし、「寄り道」もする。そうした「試行錯誤」や「失敗」が許されるような「ゆとり」と「幅」のある教育課程を学校に作り上げる必要がある。子どもたちがどのような目標を持って、どのように生きていったらよいかをしっかり考え、友だちといっしょにくつろいだ環境で日々を過ごせるためには、学校そのものを「子どもを中心に、子どもに合わせて」変えていくことが大切である。「学校のきまり」や、教育課程、授業や休憩の時間の取り方を含めて、全校で見直しや改善を行い、学校生活がもっと楽しくなり、「ゆとりと自由さ」を持てるように取り組んでいくことが大切になっている。

 第二には、子どもを一人の人格主体として、尊重して接し、子どもの権利条約に保障された「意見表明権」が生きる学校づくりを進めていく重要性である。学校に、子どもが「本当のこと」を言える自由を広げる中から、子どもの声を聞き取るシステムと、それを学校運営に生かしていく取り組みを進めて、子ども自身が主体的に学校参加出来るようにする必要がある。


(「発達保障の土台の上にこそ、子どもたちの人間としての発達がある」)

 そのような学校での発達保障の上に、子ども達の人間としての発達があると考える。それは、一つには、学校教育全体が子どもの人権、参加や意見表明を保障するにふさわしい内容で運営される学校であり、もう一つは、子どもが権利行使主体としての能力を獲得できるように育てていく学校であると言える。この「権利行使主体としての能力の獲得」の中には、@自己を表現する能力、A市民的自由に関する権利が行使できる能力、B自らの権利への理解、という内容が含まれていると言える。

 第三に、「父母の参加と共同の子育て」を実現する重要性である。今の学校の「学校教育に父母の協力を得る」というスタンスから、「学校(教師)と父母・地域との共同の子育て」というスタンスへと、根本的に転換する必要があると言える。

 

U.【報告】
【報告1】「保育の現状と保幼一元化問題」       武尾正信(宇治くりくま保育園 園長)

V.豊かな乳幼児期の育ちをどう保障するのか?

○公立や認可保育園の増設
 ・保育水準が守られ、いつでも預けられる保育所。

○保育(保育指針では「養護」と「教育」を一体化)と学校「教育」を実践の中で研究を続けること。早期教育をどう考えるのか?

○新制度のもとで乳幼児期を過ごす子どもたちが、学童期→少年期→思春期→青年期と成長する中で、社会に対する信頼性が低い子どもたちが増えてくる?

○乳幼児期につけておきたい力は?

・保育現場から――遊びや生活を充実する中で
  物事に対する好奇心 絵本や人の話に入っていける集中力
  物事に対する意欲 仲間との結びつき、助け合える力

○保護者の経済状況や労働状況に関わらず、豊かな乳幼児期を、どの子にも(平等性)保障することの大事さ。――福祉としての保育

 
 

【報告2】「子どもを信頼した学校づくり〜石の上にも5年〜」   三宅 匡(舞鶴市立青葉中学校分会)

(略:詳しくは「京都教育センター年報」第27号(2014年度)63ページ〜65ページを参照ください)

 

【報告3】「高校における特別支援教育と就労サポート――高校からあとの「進路」と「生活」をどう保障するのか」     谷口藤雄(府立高校特別支援・進路支援教員)

1 はじめに

・子どもの権利条約を見る−4つの柱−「生きる権利」「守られる権利」「育つ権利」「参加する権利」
・改めて憲法に立ち返る−13条−障害があってもなくても、一人の個人として尊重されているか
             14条−法の下の平等       25条−健康で文化的な生活
             26条−教育を受ける権利     27条−働く権利

2 はじめに−京都府立高等学校特別支援・進路支援教員の役割とは

・高校のことがわかる   ・障害児教育や支援学校のことがわかる・関係機関との連携が出来る
・進路支援−就労先の開拓、進路相談会議の設定、大学等との連携、障害者手帳の取得支援
・学校定着と中退学の防止−進級・卒業、「評価・評定」、「合理的配慮」の具体化
・口丹圏域、中丹圏域、丹後圏域内の関係機関との連絡・調整、各障害者自立支援協議会への参加
・ない仕組みはつくる

3 選択と決断

小学校 中学校 高校 高校後(進路=働くこと)
 通常学級 希望等  通常学級 学力等 通常学級 就職(一般就労と福祉就労)
通級・支援学級 通級・支援学級   進学(訓練・資格取得、知識習得等で就職)
特別支援学校  特別支援学校 特別支援学校 ※卒業後3〜5年は支援の継続を
キャリア教育(自分の将来を設計designする力を習得)
 
・(自分の将来を設計する力習得)
・自分探しの時期で進路先延ばし
 ※必要に応じて、障害受容や障害者手帳取得の支援等

(1)キャリア教育とは何か−職業訓練や自己改革に矮小化されていないか、職場への適応教育か
  ・作業学習、インターンシップはキャリア教育たり得るか

(2)社会に出るに当たって必要な力とは何か
  ・企業が求める力は、作業能力だけか、むしろチームで作業する力や人間的な力ではないのか

(3)働くとは?−「一般就労」が「一般的」なのかどうか。福祉就労は就職ではないのか
  ・共同作業(ティーム)が基本

4 進路決定と支援

(1)進路をめぐる動き
・かつて民主教育の一環として取り組まれた同和教育では、「進路は、教育の総和」と位置づけ
  ・いまは、偏差値の高い大学にどれだけ入れるか、の競争が日々繰り返されている
  ・本当の意味での「キャリア教育」が、取り組まれているか?

(2)高校は、最後の学びの場−進路とは働くこと
@社会の基本的な働くための条件は、「高校卒業」、高校を卒業でないと、就労や生活で大きな困難が
  ・中卒や高校中退では、正社員ではなかなかなれない→貧困の繰り返し
A就労にはいくつかの種類がある
高校でも、支援学校のような「定期的な進路相談会」が必要(現在は、なし)
   ・一般就労−高校卒業してすぐ働く
        −大学や専門学校等で、資格や技術・技能、知識、訓練を受けた後、就労
        −障害者手帳を利用して、障害者枠で働く(契約社員が多い、正規社員化が課題)
   ・福祉的就労−就労移行、就労継続事業所A、B −働く場の確保

(3)高校卒業後の支援−上級学校との連携、就労先との連携、成人期の支援先とつなぐ
  @高校は、少なくとも3年ぐらいは、支援の必要な生徒の追跡指導が必要ではないか−だれが
  A支援の必要な生徒の成人期を見通した支援のために、支援機関とのつなぎをつくる

4 「サプリメント」教育−学力至上主義教育−いまの教育で、みんなと協力したり、生きるための力がつくか

(1)新自由主義教育に対抗する取り組み−協同の教育を     学力  発想力
  「自己責任」「受益者負担」「自助努力」を打ち破る、特に自己責任の呪縛から逃れる術を

(2)つながる・むすびつく−関係性の回復
  @高校間の連携
  A中学校と高校の連携(大学等との連携)
  B高校と地域の社会資源との結びつき
   ・今ある資源を知り、活用する
   ・ない資源や制度は作る(ための働きを始める)
  C保・幼・小・中・高の連携をどうつくるか−総力を挙げて見守り育て支援する体制づくり

5 教職員の役割

(1)教えること=学ぶこと
   教師の資質は、偏見や先入観を持たず、常に幅広く学び続ける力が必要。最近の若い先生は?

(2)児童・生徒のモデルになる−人生の模範となるモデルに出会う機会がない児童・生徒達
   本来は、親や先生がモデルとならないといけないが。

6 教育運動の製菓と教訓に学ぶ−先人の取り組みに学ぶ必要が−いま学ばないと消えてしまう−団塊の世代

(1)京都の障害児教育運動に学ぶ
  @発達には筋道がある、発達には個人差がある。発達の主体は、子ども。
  A学校づくりは、地域づくり
  B学校に子どもを合わせるのではなく、子どもに学校を合わせる

(2)正しい同和教育運動の歴史と教訓に学ぶ
  @ 子どもを正しくとらえる−学校で見せる姿だけではなく、地域や家庭での姿もとらえる。対症療法は×
  A 保・幼・小・中・高・地域との連携で子どもを守り、育てる
  B 子どもに展望と自信を

7 就労に向けた具体的な支援−障害や特別な教育的ニーズのある生徒の就労は非常に困難、レアケースが中心

 支援してきた生徒・いま支援している生徒のニーズ
@LD,ADHD,自閉症スペクトラム(ASD;高機能自閉症、アスペルガー症候群) A非行少年
B被虐待児 C病気療養児 D外国人子弟の教育 E不登校・登校拒否  F学力不振 G盲・聾・肢体不自由・知的障害、精神障害(統合失調症・うつ)などの障害者 H貧困や家庭崩壊、一人親家庭などの生徒
Iその他(難病・高次脳機能障害など)
 
具体例(略)
 「京都教育センター年報(27号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(27号)」冊子をごらんください。

事務局   2014年度年報目次


              2015年3月発行
京都教育センター