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第45回京都教育センター教育研究集会 第3分科会

PISA型等、混迷深まる学力問題
―今、どのような学力が必要か―

                学力・教育課程研究部会

 

T はじめに

 観点別評価、学力テスト、加えて経済格差の影響など、教育をめぐる状況が複雑になる中で、学力問題の混迷が深まっている。このような中で、改めて今どのような学力が必要かを明らかにするために、PISA型学力やそれを志向した学力テストの問題点等を明らかにし、実践報告も交えて議論をした。参加者は15人。


U 基調報告  PISA型等、混迷深まる学力問題―今、どのような学力が必要かー  鋒山 泰弘(追手門学院大学)

 近年全国学力テストの「活用」の問題への対策として、「言語力」や「PISA型の読解力」を育成する授業研究が行われている。また、早くも次期の学習指導要領改訂では、児童・生徒が身につけるべき資質・能力について、「受け身の知識量」から「知識を使って自ら何ができるか」という「主体性」「課題解決能力」を重視すると新聞報道がされている。

 しかし、活用される「知識」の検討を抜きに「主体性」や「問題解決能力」が強調されるとしたら問題がある。教科内容、教育内容の源泉としての知識の検討を踏まえた学力形成指導の課題について、これまでの民間教育研究の蓄積を基にして考えたい。

1 高校・大学接続の問題から

 大学入試が「知識偏重」から「多面的総合評価」という流れが強くなり、高校以下の教育がどのようになるかが一つの焦点である。この流れの成功例の一つに、京都工芸繊維大学の「ダビンチ入試」がある。この入試方法は、「高校の活動記録の提出」⇒大学教員の模擬講義を受けてのテスト⇒英文読解や理科と数学など各教科のテストによって合否を決めている。一方で、北陸地方のある国立大学工学部では、AOに入試で入った学生の4割が中退している。これは、数学や物理などの基礎学力が身についていないことも起因している。基礎学力の保障があった上での課題研究型の学力が身につくのである。

 中教審の大学入試を検討する部会では、「知識の多少」ではなく、「答えのない課題に対して他者と協働して解決策を探る力」を入試に求めている。しかし、知識の概念が多様にあり、その知識を使って判断することで知識の概念としての深まりが出てくるのであって、「知識」をどのように定義するかが大切である。

2 高偏差値大学生の高校以下の教育・授業への評価:知識を教えるか、発見させるか

 高偏差値大学で講義していて、高校以下の教育についての学生の評価はさまざまである。例えば、高校理科の授業での実験の少なさに対する要求や、理科の授業が入試問題を解くテクニックを教えるものに終始していたという批判がある一方、合格する目的では納得しているなど複雑である。また、高校地歴科における研究の体験と手法を学習したこと、中学校社会での討論授業、数学における基本理解のための発見学習の活用など、大学生は自分の体験を基にして、知識理解の必要性と多面的な方法による発展的な学力を身につけている。

 その一方で、大学での教科教育法での模擬授業を通して、「発見学習」だけが重視されることに対し、「実際の授業では、毎時間話し合いや実験を取り入れるのは不可能に近く、逆に知識の定着を妨げてしまう場合も少なくない」という疑問もある。また、国語におけるグループ学習と解釈の多様性へのむずかしさを感じている例もある。

3 小学校現場の授業研究の実態と課題

 学習指導要領では、研究や授業が子どもの課題に向かうのではなく、教育の成果をあげるための道具になる可能性が大きい。教える内容については、教科書・学習指導要領通りが当たり前になり、教科書にないものはダメ、という雰囲気が各学校や教員にある。小学校の教員の組織構成が50代と20代が大半で、ほとんどの教師が「教材」=「教具」「単元」=「教科内容」になってしまい、教材で教科内容を教えるという筋道が見えないようになっている。言語活動においても、子どもの事実に依拠していないなど問題がある。 (民研年報2013年第14号・石井崇史論文から)

【参加者の感想・意見】

・知識は、学習に必要なのは当たり前で“考える”ためにももちろん獲得していかなくてはならない知識を「知識偏重」といって攻撃するのは、何のためか。

・「知識」ということばは、往々にして断片的知識(九々を言えるとか歴史の年号を覚えているなど)のことを指して批判すべきで、必要なのは総合的知識、知識を総合的に捉え広げることだろうと思います。

・知識とは使うためのものであり、物事の本質を見抜く力につながる学び方が必要。その場合「考える」とはどういうことであるかを経験させる授業が必要である。まちがいを経ながらもものごとの本質把握につながること、「そうか、わかった」と感じる過程が大切。

・実際の授業では、子どもたちのまちがいに対しても、なぜその間違いが起きるか、あるいはその間違いの中に正しさにつながる考え方が含まれていないかなど、ていねいに受け止めてさらに考え、学ぶ意欲につながる対応ができる力量が求められる。教科書通り教えるというだけでは、子どもの生きた学習にならないし、教える教師の力量を高める道筋も見えてこない。

・中1の孫が「歴史が嫌い」というので教科書を見ました。こんな教科書で(こんな教科書しか教えない授業で)「歴史が好き」になる筈がないと思いました。少し歴史の話をしたら孫が「おもしろ〜い!」と目を輝かせていました。


V 実践報告(3つ)

1 「子どもたちと創る算数の授業の姿をさぐる―学力テスト体制・教科書・指導書に縛られた授業を見つめ直し―」
                下田正義(近畿地区数学教育協議会)
2 「PISA型等、混迷深まる学力問題―今、どのような学力が必要か」
                得丸浩一(京都市立小学校)
3 「中高教育から見た小学校英語の成果とその工夫」
                中西美佐(私学中学校・高等学校)  

1 【報告1】「子どもたちと創る算数の授業の姿をさぐる―学力テスト体制・教科書・指導書に縛られた授業を見つめ直し―」          下田正義(近畿地区数学教育協議会)

 京都府下の算数の教科書はすべて啓林館、学力診断テストや全国学力テスト等がもたらしている弊害を考えてみたい。さらに、基礎・基本と活用という設定の問題点、基礎・基本の学習を豊かに学び合うことが、豊かな学力を保障することになることを、低学年の教材を例に、提案する。

(1)教科書採択に現場の声が届かない

 京都府下の算数の教科書は、全ての採択区で啓林館に決まった。以前は、東京書籍、学校図書を採択していた地区もあった。現場の先生が来年度から使う教科書について、内容を見たり意見を言ったりする機会は保障されていない。そのため、府下の官制研究会や研修会では、啓林館の教科書に沿った内容にならざるを得なくなっている。教材の理解に問題が出て来ている。
 来年度は、中学校の採択になり、歴史教科書をめぐる課題もあり、現場の教師が子どものために適切な教科書を選べる条件作りが求められる。

(2)子どもたちの学力の実態と教育内容

 京都府の学力診断テスト4年・6年や全国学力テスト(今年度から中1)、標準テスト等を分析するとしているが、実態はテストの点数をあげるための「過去問をやらせる」「繰り返し練習」「補充学習」を取り組んでいることがほとんどである。子どもたちの学習の定着度を診断することは必要であるが、その場合は子どもたちの前年度の学習上のつまずきを調べ、指導方法の課題としてとらえなければならない。

(3)基礎・基本と活用

 学習指導要領では、算数的活動が盛り込まれ、活用力をつけることが強調されてきた。学習したことが生きて働くことは大切であるが、「基礎・基本は繰り返して、練習して定着・習熟させる」「学習の最後に活用を扱う」という学習指導要領の形態はしっくりこない。

 例えば、1年生にとって「くり上げ・くり下がりの計算」は発展的教材(活用教材)であるが、2年生以降の子どもにとっては「基礎・基本」になる。このように考える必要があるのではないか。基礎基本の事項は、「覚えた」のではなく、「分かった」が大切である。

(4)教科書の問題

@2年生の「たし算とひき算」の計算の仕方が教科書によって違っていて、啓林館のみの計算方法がつかってあるなど、多くの課題がある。

A1年の数と計算の扱いでは「覚える」のでなく「納得、わかる」を大切にすべきで、「十の合成・分解は卵パック型(数図)の方法が分かりやすい。

Bかけ算においても、導入とかけ算の定義で啓林館と他社の違いがある

【参加者の感想・意見】

・考える、納得する算数の学習をした生徒ののびを感じました。

・タイルを使いなれない教師がタイルを使うことは困難です。それでもタイルをシューマとして小中高一貫して思考の道具なるよう力をつけていくことが大切だと思います。教科書にタイルらしきものが使われている5‐2進らしきものがはいっていることにおどろきました。

・教科書のつくり方も、目先のことしか考えてないということなので、基本を1つ1つ理解して先に進むことが最終的には一番強いな、と思います。

・とても面白く素晴らしい報告だったと思います。かなり昔、日本航空(JAL)で初めて結婚後もスチュワーデスをした女性の本を読んだことがありました。結婚=退職の会社のルールを乗りこえたことも素晴らしいですが、彼女はその後小学生の子どもを連れてロンドンに行きました(夫の転勤の為)。その小学校で算数の成績が100点なのに、評価が中だったことに対して学校に苦情を言ったある日本人の母親にロンドンの小学校の先生は「お宅の子どもの計算力はすばらしい。しかしどうしてそうなるのかの説明は、他の子どもと比べて特に優れているとは言えない」と答えたそうです。本当かどうか分かりませんが著者は「フランスの算数のテストは全て計算ではなく説明文で求められる」と書いていました。
 「分かる」ことが豊かな学力を培うのだろうと思います。「出来る」はその先にあるのでしょう。そうでなければ知識も豊かに広がりません。こうした下田先生の実践のような授業を妨げようとする詰め込み教育や点数主義教育を推し進めようとする教育政策に、教育運動をしている先生達は束になって立ち向かってほしいと思いました。

2 【報告2】「PISA型等、混迷深まる学力問題―今、どのような学力が必要か」  得丸浩一(京都市立小学校)

 生活綴り方教育は、「消極的な教育」であると言った実践家がいる。「学力」においてもこの言葉は当てはまる。全国一斉学力テストなどの「積極的」な学力対策を概観するとき「積極的」なことが良いとは思えず、「消極的」であることは「積極的」に劣るわけではない。国語教育において培うべき学力を「文学教育=形象としてのことばの力」「言語教育=論理としてのことばの力」「作文教育=生活としてのことばの力」の「三分野」として提起した京都の「三分野説」は、今改めて注目され議論されるべきである。

(1)学習指導要領の国語の内容は、変化してきた。

 それは、@PISAと学力テストの内容に引きずられている、Aガラクタ教材が主流になり、1時間物の教材が連続している、B文学教材の時間が少なくなっていることである。

(2)授業実践の内容

 子どもの作文と文学教材などの「読み」と「各場面の子どもの感想」は、学級通信「まだ見ぬ山」に毎号掲載して、保護者に届けている。

@文学教育について・・・大造じいさんとガン(五年)の授業

 「大造じいさんとガン」の5年の授業実践では、ビデオカメラを持ちながら授業を録画した。
教師側の読みと離れても、子どもの好きなように読ませた。初発の感想を書かせ、心に残った場面を確かめ、一場面ごとに「書き込み」をさせて、一場面ごとに読みを交流し、場面の感想を書かせた。クラスに最後まで「書き込み」のできなかった児童が2人あったが、それでも「一度は自分の考え、思いを発言しよう」と呼びかける中で、「ここだけでいいから」と占めs他2か所で「満を持した」発言をしてくれた。

A作文教育について・・・生活としての言葉の力

 生活としての言葉の力とは、子どものくらし・生活・思いに焦点が当てた文章を書くことである。子どもに文章を書かせ、それを学級通信「まだ見ぬ山」に掲載する。例えば、身長に関する悩みのことを知って、他の子どもたちはそうやったんかと共感する。いろいろなことを乗せているが、消極的な方法化もしれないが学力の土台になるものが育ってくれたらいいなと続けている。

【参加者の感想・意見】

・小学校の教師である妻も、国語が大きく変わったことをいう。とくに方法論が変わり、作文とかを読む時間は本当にない。同じようなパターンの「手紙」を書かせて、これでいいのかと思う。指導主事がタブレットを使えといい、タブレットに書かせようとしているが、あくまで道具であって、得丸先生の実践のように、子どもが自分で表現することが大切。

・同じことでも、子どもが自分の言葉で表現しているのが大変良く、それがあって書く力につながる。自分も、悩んでいる子に一回書いてみてごらんと指導してきた。

・すぐキレる子もいるが、その子が自分の頭で考えてみるという内面の活動が必要で、それをどう育てるかが課題。今の国語教育では、論理的、説明的文章を書くようにいうが、形が決まっていて、これが子どもの内面を育てているか疑問。子どもが一番集中したのが、作文を読む時間。本当に真剣に聞き、読み合って知り、共感することで次につながると思う。

・報告後の質問にもありましたが、得丸先生の実践が学年全体や学校全体に広がるような状況がつくられることを切に期待します。実践の広がりがないと、その学校の子ども 全体の学力形成が不十分なものになるのではないかと危惧します。

・自分の気持ちを言える、書ける、考えるという表現能力(言語教育)の育成は、時間をかけてしっかりやるべきだと思いました。

・生活綴り方の教育は大切。生活が語れないというのは思いもつづれないだろうし、自分を見つめることができないのではないか。

・自分の思いだけ綴る段階から、友達のこと、暮らし、社会にまで目が行くことが大切。雑談やコミュニケーションができるだけに終わらず、自分の世界の真実を見抜く力が必要である。認識に生活、現実、社会の3つがそろわないといけない。

・小学校でつけるべき「自立対象の力」「自立の体験を記憶し語る力」が追求できる実践がたくさんあればと思います。

・医者の前で自分の症状をきちんといえない、患者会でも決めたことをメモもしていない人がいる。自分の体を対象化できるかどうか、実利的かもしれないが、小学校段階から自分や友達のこと、生活のこと綴るのは積極的な力をつけるものだと思う。

・教職課程の大学生に、テーマを決めて短時間で文章を書かせる指導するが、大きく2つに分かれる。短くてもテーマに沿って論理的に書ける学生と基礎学力に欠け漢字の間違いもあり、まったく書けない学生とがある。小学校からの取り組みの大切さを感じる。

・国際的なPISAテスト批判がでてきた今、改めて子どもの現実と、PISA型学力の関係について整理した議論が必要だと感じます。

3 【報告3】「中高教育から見た小学校英語の成果とその工夫」       中西 美佐(私学中学校・高等学校)

 文部科学省は、2011年度から公立小学校5,6年生において必須となっていた「外国語活動」を正式に教科に格上げし、小学校3年生から英語教育を開始する方針を固めた。現場の教師は、これに対し、実際に小学校3年生から英語教育をするにあたって、どのような工夫をし、どのようなことに気をつけて取り組んでいくことが、中・高段階でさらにその力を伸長させ、世界の中で戦えるグローバル人材を育成することができるのか。歌やゲームなどを通じて英語に親しむ内容にとどまらない授業内容や工夫について、小・中・高一貫教育の中で、実際に小学校教育を行い、中・高段階まで指導してき経験から得たものと英語教育の考えを報告する。

(1)本校の小・中・高一貫英語教育のシステム

 立命館小学校では、1年生から英語を学習している。低学年では週に2時間、高学年では週に3時間、日本人とネイティブ教員のティームティーチングで、All in Englishですすめている。多量の音声インプットと、習ったことを実際に使う必然性を大切にし、多くの発表の機会を作っている。読みの指導を始める3,4年生では、半学級編成にして、モジュールタイムを使ったり、APU国際大学の学生との交流をしたりしている。小学校での教育実践で大切にしていることは、英語は楽しい、面白いと思えるようにして、英語に対する抵抗のないようにしている。そのために、多量の音声インプット、All in Englishでの授業、音読練習をたくさん取り入れて、認知発達段階に合わせて文法用語を使ったり、明示的な文法説明をしないようにした。

 中学校では、コースごとの3種類の授業形態と内容の英語教育を進めている。

@EPA・・・3単位のティームティーチングで、小学校の内容を発展させるAll in Englishの授業である。さらに、4技能を総合的、統合的に見つけさせる。リーディングを基礎に、リスニング、ライティング、スピーキング活動をたくさん入れるようにしている。その他には、習った語彙や文章構造を用いて、英作文、Quick responseができるように取り組みをしている。

AESP・・・2単位のティームティーチングで、調査したこと、表現発表したい内容を英語で伝える練習を多く設定する。英語のプレゼンテーションスキル、英語スピーチの構成、グループプレゼンから個人プレゼンまで、暗唱、スキット、ICTによるExtensive Reading活動、音読練習、シャドウイング、内容理解チェックリストなどである。

BECC・・・2単位で、日本人一人による授業で、文法を理解させ、演習をして定着、学習した文法を使ってコミュニケーションを図る。正しいスペルを使い、文を書けるようにする。TT授業は、7単位中5単位で、EPA,ESP,ECCの授業形態の有機的な連携を図るほかに、プレゼンテーションコンテストや国際交流行事、海外研修など授業と行事の有機的な連携を図っている。中学校では、小学校の実践を重ねたうえで、4技能を総合的に扱う授業と、新しい単元に入るときは、生徒の興味関心を喚起させるものであること、題材がauthenticであるかどうかに気をつけている。

 高校では、All in English、4技能を総合的に指導し、より高度な内容のインプットからアウトプットへ、より多くの語彙指導とそのサイクル、リテリング、サマリ、プレゼンテーション、ディスカッション、ディベート、アカディミックライテング、模擬国連、Japan Super Science FairやRits Super Global Forumなどに取り組んでいる。高校での週当たりの授業時間数は、1年生は週6単位、2年生は7単位、3年生は6〜8単位である。

(2)小学校から高校までを見据えた指導の工夫

 この課題では、多量のインプット、発達段階に応じた文法指導、タスクベースでmeaningfulな内容、一定のタスクに基づいて自分の言いたいことを表現する機会を与えることである。そのためには、発信型の授業やproject学習などを行っている。小学校段階から、英語で話すことに物おじしない姿勢を作るために継続的な発表活動を行い、本物に触れさせ、モチベーションを高める仕掛けを準備している。

【参加者の感想・意見】

・子どもの教育に責任を持って取り組んでおられる成果は大きいと思います。いろいろな取り組みをされている熱意と愛情を感じました。

・小中高の一貫教育の本来の目的が追求される態勢の中でそれを生かした英語教育の一貫カリキュラム実践参考になりました。

・小中一貫によって、小学校の教育が生きるのは、その小学校の様子が中学・高校でつかんでいることがカギかな、と感じました。

・これだけの取り組みができるためには、英語科の十分な協力体制とともに研究活動があるのではないかと思います。しかし、教員の労働条件が守られているのかも気になりました。教師は無限の時間と体力があるわけではないので、そのあたりを管理職や学校体制がどうなっているのか気がかりです。この二点は、公立高校でも大きな問題になっているだけに、教室内の実践と共に教育条件の確立が望まれる。

・技能面での授業成果は見えたところもありましたが、人間形成・人間発達という面での教材はよく分からなかった。中学高学年から、キング牧師のI Have A Dreamやマハトマ・ガンジーの息子に(獄中から)宛てた手紙などを読んで感動することも出来ると思いますが。

・小学校の段階から英語をやることが、母語の形成にとってどうなのか。大言語の形成は大切だと思う。

・英語の単位を多くして、削られた斧は何かが気になる。理科の基礎概念を知らない子どもがいるなど、教育課程延滞のあり方も含めて検討すべき課題がある。

・個人的には、英語ができなくてもノーベル賞をとった益川先生の「仲間」のつもりで「小学校から英語」なんかせずにすんだことをラッキーだと思っています。
 
 「京都教育センター年報(27号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(27号)」冊子をごらんください。

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              2015年3月発行
京都教育センター