事務局   2014年度年報目次

パネルトーク

「すべての子どもたちに夢と希望を」

〈お話される方〉
・大江 智子さん (弁護士)
  「少年事件に関わっての子どもの現状を通して」
・水沼 耕平さん (中学校教員)
  「子どもの願いを大切にした学級づくり・学校づくり」
・梅原 美野さん (山科醍醐こどものひろば)
  「学校や地域と連携した子どもの育ちを応援する取り組み」
コーディネーター 西條 昭男 (京都教育センター)

※教育センター事務局の責任で編集しました。
 

〈西條〉

 子どもたちは本来、人間として成長発達する権利を持っています。しかし今、子ども達を取り巻く環境はますます厳しくなっています。安倍政権の内閣の教育政策、あるいは管理と競争の教育、子どもの貧困、これらが子どもたちの人間的な成長をゆがめ、学ぶ権利さえ奪っているという状況にあります。そんな中で、学校や地域で子どもたちに寄り添ったりしながら、子どもたちの自立と人間性の開発を図る、そういうとりくみが私たちの周りに存在しています。三人のパネらーにそれらの取り組みを紹介していただき、今後の課題と展望を探っていきたいと考えています。では最初に大江さんからよろしくお願いします。

〈大江〉

 少年事件には、付添人という立場で関わってきました。付添人としての仕事は、身体拘束をされている少年の話を聞いて、反省させたり,励ましたりしながら刑事事件として必要な弁護活動をすることです。中でも家庭環境を整え、社会に復帰する環境を整えることが重要な仕事です。2人の少年の話をします。

 1人目は、愛情を感じることなく育った少女の話です。やった犯罪は公然わいせつです。違法なアダルトビデオに出たために、警察に逮捕されました。少女は、アダルトビデオに出演した理由について、最初はお金がほしかったから、と言っていたんです。何回も話をしている中で、親の愛情を感じることなく育ったために公然わいせつ罪に出たということがわかりました。

 この子は今大学1年生ですが、高校生の時に、母親に、お願いだから家を出て行ってくれと言われたそうです。近くの賃貸マンションを与えられて、一人暮らしをさせられたと。当然寂しいですし、彼氏を頼って、彼氏のところに入り浸るようになりました。

 お母さんに愛情をかけてもらえず、自分のことを見てもらえなかったから、どうやったら人に評価されるのだろうかということがすごく気になる性格になっていました。そのために彼氏との関係でも、彼に嫌われたらどうしよう、彼が離れたらどうしようということが気になって気になって仕方がない、彼氏依存症でした。

 アダルトビデオに出ることで、みんなにかわいいと言ってもらい、ビデオに撮ってもらって流してもらえる、自分が出ている映像が世に流れている、そのことによって自分が評価されていると思うようです。

 この少女は、おばあさんのところに引き取っていただきました。最近どう?と電話をすると、精神安定剤を1日10錠飲んでますとか、昨日は全然寝られなくて、1日何十回も吐いてますとか、言うんですね。ああ、心配してほしいんだな、と思いました。誰かに心配してほしい、目をかけてほしい、というメッセージを発信しているのだなと感じました。

 支えてくれたのは大学の先生でした。身体拘束されている間大学に出られなくて、単位が取れるかどうかギリギリだったんですが、学校の諸先生方に上手く説明してくださって単位ももらえました。彼氏さんにも会わせていただき、これからも一緒に生きていきたいと思っていると彼は言ってくれたので、これからも愛情をかけてやって下さいと頼んで送り出しました。彼女は、今はモデルをめざしてがんばっています。

 少年事件には、短絡的には一つ目の原因というものがあるんですけれど、探っていくと、二つ目の原因には必ず家族の問題が関わっていると感じます。

 もう1つのケースは、「家庭の外で生きる子ども」です。この少年は窃盗をしました。空き巣です。ある日たまたま入った家で、金塊を見つけてしまう。その金塊をお金に換える。それを1ヶ月ぐらいで使い切ってしまった頃に、警察に見つかって逮捕されました。彼は空き巣グループに所属していました。

 この子のお母さんに連絡すると「うちの子は2ヶ月ぐらい帰って来なかったので全然知りませんでした、空き巣グループに入っていたのですか」という状態でした。離婚してお母さんが子どもを引き取ったけれども、その頃から時々夜にふらーっと出て行くようになった、家に帰ってくる回数が少なくなり、最後には2ヶ月ぐらい家に帰ってきていなかったそうです。彼はその間どこにいたのかと言うと、他の友達の家を歩き回ったり、インターネットカフェで夜を過ごしたりとかして過ごしていたんですね。その中で空き巣グループとのつながりが強くなっていって、空き巣を繰り返していたのです。

 この2つの例からも、少年事件に家庭の問題はすごく大きいと思います。居場所がないために家庭の外に居場所を求めたりとか、家庭の中に居場所がないから他に評価してくれる人を求めたり、ということで犯罪をおかしてしまうのです。これは成年の犯罪とは全然違うなと思いました。

 世間では、少年事件が凶悪になってきているから少年法を改正しないといけない、という話もありますが、付添人をやっていて、少年の可塑性には本当に驚きます。事件を起こしてしまった少年も、後の反省にはすさまじいものがあるんです。2つ目に紹介した少年。この子は最後、少年院に行っちゃうわけですが、少年院の中でお母さんと、少し距離を置きながら面会をすることで、少しずつ家族と話をすることができるようになって、1年間で少年院を退院して、実家に戻ることができました。運よく仕事も見つかって、今は実家から仕事に通っています。かつては空き巣をしていた子が、まじめに仕事をして、家から通えるというところまで変わるんです。

 成長期に頼れる大人が側にいるだけで、少年事件は減らしていけるだろうなと感じています。その大人は、必ずしも親とは限りません。最初のアダルトビデオに出た女性の場合では、大学の教員が助けてくれましたし、おばあちゃんが助けてくれました。親だけじゃなくて、その少年に関わるすべての大人が、少年がどうやって社会に出て行けばいいかと考えていくことで、少年事件はもっともっと改善していけるなと考えています。

〈水沼〉

 京都府内の中学で英語を教えています。教師になって7年目です。教師になって2年目から、生活指導のサークルに所属しています。このサークルが大切にしていることは、最も課題の大きな生徒を排除しないということです。易しいことではないんですけれど、何とか課題の大きい子も一緒にクラスを作っていけたらと思って勉強しています。

 思春期の壁にぶち当たった時に、家庭のしんどい子は揺れはじめますし、非行に走るなど問題を抱えます。この時、小学校の時に一緒に遊んだ仲間が多ければ多いほど、「あいつあんなふうになってるけど、ほんまはエエやつなんやで」という見方ができるんですけど、そういう見方が子どもらの間で共有されずに中学校に上がってきているのが、今の子どもたちです。

 私のクラスにタカシという生徒がいます。小柄な子で、すぐに人の嫌がることを言うし、授業中立ち歩くし、私語もするという子です。あと、カズという勉強ができなくて進路で困っている子どもがいます。一緒に勉強しようと、カズの家に行かせてもらって、タカシ・カズ、あと生徒会の本部役員で向かいに住んでいるイワオの3人と私で、勉強会をしています。1時間半ほど週に1回。そこそこ今はがんばれるようになりました。「カズの足がくさい」とか言ってお互いの足の臭いを嗅ぎ合ったりとか、本当に色んな寄り道をしながらですがー。タカシは、すぐに「死ね」「消えろ」「ウザい」と言う子です。この前、長文を読んでて、「You are right.」という文が出てきたんです。これを訳させたら、「あなたは右」と訳しちゃうんです。「いやいや、『right』は『正しい』っていう意味やろ」と言うと、「ライト死ね!何でいろんな意味あんねん」。「いやいや2つ意味があるやろ、そんなことでいちいち『死ね』言うてもしゃあないやろ」。クラスでは「死ね」「ウザい」「おっさん」と言っている子どもも、「ツッパリ学習会」ではかわいらしい姿を見せて勉強しています。

 この子たちは、1・2年の時すごく大変でした。問題行動が噴出して、例えば学年でサッカーをしたら、タカシなんかはよそのコートへ行ったり、もう1人すごく暴力的に突出した子がいて、その子がゴールを倒したり、授業中に紙飛行機が飛んだりとかー。タカシは、2年生の半ばに問題行動に走っていくんです。

 タカシが小学5年の時に家庭でかなり大変なことがあった、ということがそれらの問題行動への指導を通してわかってきました。そういう生活の中で、タカシが学校の中でハイテンションになったり、教師に対して挑発的な行動をとったりするのだと分かってきました。イワオというリーダーの子には、タカシはこういう苦しみを抱えながら学校生活を送っているんだと話しました。

 3年生になって、この子たちもだいぶ関係ができて落ち着いてきました。修学旅行は沖縄に行ったんですけど、その宿舎レクの中で、生徒会の子と一緒に、マサオ君やタカシ君が活躍できるようなクイズやジェスチャーゲームなどの楽しい時間を過ごすことができて、集団の彼らに対する見方もだいぶ変わってきたなと思います。この子たちは、体育祭でも文化祭でも学年や学校全体を引っ張るぐらいの力でリードしてくれました。今は進路に向けて一緒に入り込んで応援しています。

 こういう実践は、7年目にして少し道が開けてきたかなと思っていますが、年配の教師から教わった部分がかなりあります。たとえば、1年目、子どもが携帯を持ってきたら、保護者に連絡して取上げなさい、ということで、かなり生徒とバチバチやったこともありますし、保護者との関係もかなり悪くなった経験もあるんです。現場に出てくる方針は、基本的にマニュアル化されたものです。そこに若いスーパーマンの教師たちは乗っかってやっている現状があります。

 2つ目は、私たちの世代は90年代に中学校生活を送っています。すでに自治を知りません。私は和歌山の出身ですけれど、高校入試は単独選抜でしたから、勉強できない奴はそいつが悪いという価値観が当然でした。そこを何とか助けてあげようよという価値観を教師自身が相当自覚しないとだめだと思うんです。

 サークルのある先生は、缶コーヒーとあんパンをポケットに入れていて、ツッパリに会いに行ってたという話をしてくれました。僕らは「えぇ?そんなことしていいの?コーヒーあげていいの?」っていう感覚なんですけど。また、4年前に一緒に働かせてもらった年配の先生が、毎日夕方5時におにぎりをくれるんですよ。ありがとうございますともらっていたんですけど、そのラップされたおにぎりは、お弁当を忘れた子どもがクラスにいると、そっとあげられるおにぎりだと後で知りました。そういう人間らしいって言うか、お母さんみたいな、思いやりの部分に触れたときに、いかに自分の中にそういう部分が欠けているか、欠落しているか、というのを感じました。
こういう部分をそぎ落としたり無視したりしながら、ハードな仕事をこなすことで精一杯というのが今の青年教師の現状だと思います。

〈梅原〉

 「山科醍醐こどものひろば」の中で、社会福祉士、ソーシャルワーカーとして、職員をしています。子どもの貧困対策事業という、貧困課題を抱える子どもたちのサポートをしています。

 一人親だったり、ネグレクト、虐待、生活保護家庭で夜一人ですごしていたりとか、落ち着いて勉強する環境がないという子どもたちを中心に関わらせてもらっています。出会った子どもたちに共通するのは、社会体験が不足しているということと、親も含めて家族丸ごと孤立しているということ、将来にすごくあきらめを持っていること、異性に対してものすごく依存的になってしまうことです。子どもたちは、夢や希望をなくしているなと思います。でも活動に関わることによって、たくさんの変化も見てきました。

 そこで出会った子どもたちの話です。さゆちゃんという女の子は、今通信制高校の1年生。4人兄妹です。一人親家庭です。中学生のころは先生をめっちゃ殴ってました。夜遊びして夜ほとんど帰らなくて、昼夜逆転して学校もほとんど行かずに、不登校と言う状況になっていました。私が出会ったころは中3でした。持病があったせいで小学校もたまに休んだりしていたせいで、漢字も「ほっかいどう」と言われて、すぐ書けなかったのです。ものすごく学力も遅れていました。

 受験ということで、母親に無理やり連れてこられて来ました。勉強したくないし高校も行きたくない、高校行きたくないけど、ママが無理やり行けって言うし来た、と言っていました。お家ではいつもご飯を一人で食べていました。やたらとコンビニのメニューに詳しいなと思ったら、コンビニで買ったご飯をいつも食べてるんですね。だから濃い味付けに慣れてしまっているので、私がご飯を作っても最初、「何?このスポンジみたいなやつ」。高野豆腐をスポンジって言われました。「何?この葉っぱ」、ほうれん草のおひたし。

 保育園の送り迎えも全部さゆちゃんがやっています。学校帰ってすぐ、7時ごろに下の姉妹を迎えに行ってました。お母さんが精神的にしんどい面があるので、お母さんがしんどい時は、さゆちゃんがほとんど家事をします。発散をする場所が学校しかなかったんですね。だから先生に手を出してしまうんです。ストレス発散のために、発散できる大人が先生しかいなかった、ということでした。

 最初は「おまえらみたいな大人なんか、誰も信用せえへんしな」と言って全然勉強もしません。こちらも「全然勉強しいひんでもエエし、とりあえず一緒にたこ焼きつくろうや」と、そういうところから始めました。その中で、家で自分がお母さんの役割をしている、学校はほんまは行きたい、何で行けへんかと言うと、文化祭とか体育祭とかでみんな一致団結してる、そこへ休んでいた自分が入れてとは言えない、ずっとツッパってるからー。少しずつ悩みやしんどさを話してくれるようになりました。

 そういうことが増えることによって、夜遊びも少しずつ減って、高校も行こうかな、うちにもいける高校あるんかなあ、とポロっとこぼさはってー。先生のところに行って受験の情報もらっておいで、と私が言ったら、すんなりもらいに行きました。そこで先生が、よう来たな、がんばって来たな、と言ってくれはって、そこで先生と和解。先生も本当はすごく自分のことを考えてくれてはったんやなと実感しはって、大人との関係も修復しました。

 そのさゆちゃんが、活動を卒業する時に、こういう手紙をくれました。

 「今まで、親にも先生にも信じてもらえない感覚があった。ここで初めて、信頼できる大人に出会えた。一緒に悩んだり喜んだりしてくれることが本当にうれしかった。私もみんなみたいな大学生になりたい。なってボランティアしたい。ちょっと勇気を出したら受け止めてくれる大人はいるんだよ、と伝えたい。そう思うと大人になっていくのが楽しみ。ありがとう。」

 今は通信制高校に通いながら、困った時には来てくれるようになりました。卒業してからも何かあったら言える場所ができたことはよかったと思っています。

〈西條〉

 ここで、パネラー同士で意見の交流があれば、と思います。では大江さん。

〈大江〉

 水沼さんに聞きたいんですけど、問題行動が3年生になるとだいぶなくなってきて、レクリエーションの中で活躍できるようになった、とおっしゃったんですけど、そこにはどういう過程があったのでしょうか。

〈水沼〉

 荒れ自体は、3年生になっても激しい部分はありますが、その子たちを取り巻く集団の価値観が変容してきました。リーダーのイワオはタカシと副団長のポストを取り合うんですけど、最初からイワオは、タカシがやったほうがいいしと思っていて、敢えてジャンケンするんです。タカシが最終的に副団長のポストを取って、やったぁ!とがんばっていきます。そういうリーダーや集団の見方が、3年間で生まれてきて、少しずつ自分らしくいられるようになったと言えるのではないかと思います。

〈西條〉

 ここで会場のみなさんからのご意見をお聞きしたいと思います。

〈会場発言〉

 梅原さんのお話で、ボランティアの学生さんがたくさん参加しておられますね。その中で、大学生自身の育ちということはどうでしょうか。

〈梅原〉

 ボランティアの大学生が、子どもたちの言葉に傷つくこともあります。「死ね」とか「消えろ」とか。でも、子どもたちは、学生にはお家のことをポロッと言いやすいんです。私には言いにくくても、大学生にはポロポロこぼすことができてー。なおかつ、身近なモデルというか、自分も大きくなったらこんな素敵な大学生になれるかもしれないとか、自分ももしかしたら好きな勉強で大学にいけるかもしれない、というモデルにもなります。

 自信のない学生にとっては、自分が関わることによって子どもが変化するというのは、すごくうれしい経験なんです。自分も不登校だったとか、実は一人親家庭で育ったという学生も最近多くて、自分にとってはマイナスの経験だと思っていたけれど、活動で子どもの力になれたことで、マイナスな経験がすごくプラスになった、今までの人生を認めることができた、という学生のコメントもありました。

〈会場発言〉

 憲法26条で教育を受ける権利がある、となっているのに、15歳を過ぎたら放り出して、それで文部科学省の責任は終わったという発想が世の中に多いんで、追い出された子どもが行くところはないですよね。アルファベットも書けない子どもを、教育課程を修了して卒業しましたと放り出している気がします。最低限必要な学力を18歳になっても社会が責任を持ってみてやれよと言いたいです。

〈水沼〉

 乙訓では、退職教員が「ひまわり」という会を立ち上げました。非行をかかえた少年少女の学習支援をしています。中学校卒業後も支援をしています。学校の中だけで生活指導をするのではなく、地域もまきこんで支援していく団体です。
〈会場発言〉子どもたちが夜間の定時制で、けっこう自己回復しています。定時制高校で勉強がわかるようになった、と言うんですよ。分かるようになってそれで学校が楽しくなったと。あるいはわかってくれる友達がいる。もう一つ、定時制は先生との距離が非常に近いと。

〈水沼〉

 私も、7年目にして、アルファベットを読めない感覚を子どもに教えてもらいました。「internet」を読めない感覚が自分にはなかったのですが、低学力の子には記号なのです。教え合いのできるクラスにしよう、分からない子に寄り添いながら、みんな頑張れるクラスにしようね、と訴えるんですけど、子どもたちは新自由主義の中で育っていますから、共同学習の世界を作ることはそう簡単ではありません。

〈会場発言〉

 うちの学校では「学びの森」といって、4人グループでどんな授業でも教え合いをしよう、というとりくみを進めてきています。入学した時から机を男女男女の市松模様にして、4人がぱっと顔を合わせたら男子2人女子2人になるようにしました。すると不思議に男女の仲もよくなって、掃除の時も男女関係なく声を掛け合うようになって、それが行事の中にも生きてきています。若い先生たちの提案が全校に広がって、よその学校とも交流しながら、動きがすすんでいくのを目の当たりにして、若い人たちの力ってすごいなと思っています。

〈西條〉

 最後に3人のパネラーの方に課題や展望を語っていただきたいと思います。

〈梅原〉

 最近、小学校さんや中学校さんから、一緒にやろうと言ってくれるようになったので、学校と一緒にやることで、活動に参加する子どもが増えてきたり、地域と連携していろんな取り組みができていったりして、子どもたちが困った状況になる前に何とか救い上げられているかなと思っています。これから学校さんとか一緒にやっていく機会が増えていくと思います。みなさんの力も借りて活動していきたいと思っています。

〈水沼〉

 最近、卒業式で「君が代」を歌う生徒が増えてきました。よく見ると課題を抱えた子どもほど歌っている。弱い子どもから権力側に包摂されていく。危機感を感じています。現場では平和教育ができる50代の先生たちが減り続けている状況の中で、しっかりと年配の先生から、受け継いでいかないといけないなと思います。

〈大江〉

 弁護士という立場は、子どもが犯罪をおかしてしまった後でしか関われないので、出会ったときにはもう少年はどん底にいることが多いんです。ただ、どん底からどうやって少年が立ち直っていくかという過程を見ることはできます。残念ながら立ち直れない子どももたくさんいるんですけれど、立ち直らせるにあたって必要なものは、居場所だと思っています。本当は再犯を防止するために継続して関わっていくことが必要だと思っています。弁護士としての受皿を開拓していく必要があると思っています。子どもの未来のために、京都の先生方ともこれからも一緒にやらせていただけたらと思っています。

〈西條〉

 パネラーのみなさんありがとうございました。困難を抱えている子どもたちに対する具体的な取り組みを交流しながら、密度の濃いパネルができたのではないかと思います。また、熱心にトークに耳を傾けていただき、貴重なご意見も頂いた会場のみなさんにもお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 
 「京都教育センター年報(27号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(27号)」冊子をごらんください。

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              2015年3月発行
京都教育センター