事務局   2012年度年報もくじ


京都教育センター 年報25号(2012年度)


パネルトーク
「子どもの成長・発達を見通す教育の広がりを」
―公立学校・私学・父母の立場で語るー

 
【主旨】

 今学校は、新自由主義的教育改革によって子どもは競争に追い込まれ、教職員は多忙と管理強化により苦しめられています。それは子どもたちの成長・発達を歪め、教職員が願う本来の教育実践すら困難な状況を作り出しています。

 その中でも子どもたちの伸びようとする力を信じ、様々な形で教育実践を積み重ねている教職員、そして子どもたちの健やかな成長を願っている親たち。それぞれの思いや願いを出し合い、学校はどうあってほしいのか、家庭や地域はどうあるべきか考え合います。
 
 
 * 教育センター事務局の責任で編集し、見出しは編集者がつけました。
 
本田(コ^ディネーター):パネルトークの主旨は、書いてあるとおりです。では、最初にSさんお願いします。
 
学年劇『長崎に翔ぶ−ふりそでの少女像をつくった中学生たち−』を通じて  (Sさん)

1.はじめに

 初めに私自身のことを紹介させていただきますと、『児童劇団やまびこ座』というところで、大人と青年と父母とそしてもっともっと上の世代、おじいちゃんとか一緒になってみんなで劇を作るという活動を12年間ずっと小学校の1年生から高校の3年生まで、大学で県外に出るまではずっとかかわってきました。その中で、黒田先生、ここの研究のところでもたくさん活躍されたと思いますが、お世話になってやらしていただいたなあと思っています。

 私にとって演劇というものは、疑似似体験としていろいろなことを感じたり、体験的に味わうことのできる活動だと思っています。そのやまびこ座を通じて教育にかかわる諸問題を幼い時から何も知らずに感覚的にかかわってきたということが現在の自分自身を作っているということを振り返って思っています。特に学校でいじめられている「学校行きたくない」と言った小学校4年生の子の一人の思いをみんなで聞いて、集団創作劇で学校とは何なのかということを作っていった3年にかかって作った作品作りだったんですけれども、そういう小学校の時期から中学校にかけての創作活動が自分自身にとっても根付いている部分を感じています。あと、平和学習をすすめながら調べていったことを広島に行って平和の劇をして伝えたりだとか、そういうことを活動的におこなってきました。私にとって芝居ということが自己表現を通じて、さらに自分自身の価値や世界の価値観を問い直していくようなそういう営みだと思っています。

 勤めた学校は1200人という大規模で文化性というものを私は皆無だなあと思ったんです(笑)。行った時に観た劇は、映像がパッと流れて自転車が横に並んで走っている。これダメだよねえという映像を自宅で作って「いい子のマナーに違反だよね」みたいなことを発信するというのだったので、文化祭の時に私はきょとんと「これは文化なのか」と感じたんですが。そういった学校で「本当に純粋な劇をしたい」、それが私の願いで、採用されて3年目ですが、1、2、3と持ち上がらしていただいた学年で、3年生最後にいい芝居を一緒にやりたいなあと願って作りました。

2.演劇のテーマ「子どもたちに伝えたいメッセージ」 


 劇のテーマとして、何を子どもたちに伝えたいのかということを春の段階で悩みました。修学旅行で長崎に行くことがあったので、そこで長崎に行くにあたっての平和学習をぜひ担当したいということで手を揚げさしていただいて、これまで自分がやまびこ座で学んできたことをいろんな考え価値のある中でとても伝えたいなあという思いで平和学習に取り組んできたことを活かして、長崎にまつわる平和をテーマにした脚本をものすごく探しました。探したんですが、なかなかこれと思った作品に出会えなかったんです。特に気にしていたのは、私の勤める学校にはいろんなイデオロギーの問題がありまして、その中でみんなが教職員集団を含めて作りたいと思えるテーマの劇を選びたいということが脚本選びの一番のねらいでした。

 そこで偶然、私は全国生活指導研究会というところ、通称「全生研」というところに入っているのですが、そこの先輩がA中学校で実際された実践を劇にした脚本があるという情報を手に入れました。それが今ここに持ってきた『長崎に翔ぶ』という作品ですが、今本になっています。私はこの本自体まったく知らなかったんですが、A中学校の実践ということで読ませていただいところ、生徒会が中心になって、長崎に住むあるおばあちゃんが「自分は自分の娘を長崎で亡くした、その娘を供養するお地蔵さんを作りたい」と言った言葉に、中学生の純粋な感性で「そんなふうに思うんやったら協力したい」ということで集まった中学生たちが大人を巻き込んで、周りの大人は多忙化とか、時間がないと言われて追い立てられているその大人を動かして、そして地域の人を巻き込んで、ついに長崎の原爆資料館のところの上に立っている『ブロンズ像・未来を生きる子ら』という大きな像があるんですが、その銅像を作り上げるに至った実話がエピソードになっています。これは「私にとってはこれしかない」と思ったんです。何かというと、今子どもたちと話す時に「平和が大切だ」ということは、耳にタコができててそんな話聞いたって何にも心に残らないんです。でも、「自分たちに何ができるの?」という問いかけに対してとっても否定的で、「別に自分にできることなんかない。自分が何やったってそんなに世の中は変わらへん」、なんかそういった無力感みたいな思いが強いなと思っていたので、この作品を通じてセリフでたくさん出てくるんですが、小さな願いだったとしても始まりは、でも「それを多くの人が望んだら願いが実現するんだというプロセスを描いたものだ」ということがこの劇の一番の魅力で、これを一緒にやることで感じていきたいと思いました。

3.子どもたちの取り組みでの様子

 この劇をするにあたって学年会でこの脚本を提案をし、文言なんかで修正のあるところはすべて直して打ち直した状態で学年集会でプレゼンテーションをしました。そこで、こんなテーマで劇がしたい絵本を紹介して、振袖の少女の荼毘に付される姿をスライドで写して、「この劇に一緒にやりたい人」っていうことで有志を呼びかけたら、予定より倍ぐらいの人数が集まってきました。キャストに関しては急遽オーディションを組んで、そのオーディションでキャストを選んで、スタッフはオーディションに落ちた子は全部引き受けるということで、やりたい子は全部やろうということでやりました。演劇経験なんかはほとんどない生徒たちなので、脚本というものをもらっただけでものすごくテンションが上がってうれしいきもちになるんです。「オーディションでも脚本のここをみんなの前で読んで、それをみんなで見て、みんなで選ぶんやで」と言うとけっこう真剣に選んで、力関係でいったら強い子が落ちたりとか、本当に読みの上手な子が通ったりとかして、子どもたちの見る目ということに関しても、「あー、なかなか一生懸命やろうと思う物事に対して良い目でものを見るなあ」と私自身もうれしい気持ちで、スタートしました。

 脚本を読んだ時に、部活動でやんちゃな男の子ですが活躍してて、今ちょっと暇をもてあました9月に「目立ちたいしちょっとやろうか」と思った男の子がいたんですが、いつもおちゃらけてます。「先生、ほんまにあった話なん?」と聞いてきたので、「そうやで。ほんまにあった話やで。ここには書いてへんけれど(学校名伏せてましたから)、A中学校の○○先生からもらった話なんや」という話もして。そうすると、「すごいなあ。信じられへん」。ものすごくびっくりして、「同い年でこんなことやれる奴いるんや。俺この話だけはほんまにちゃらけて絶対やらへんし」と約束をして、最後までほんまにふざけることなくやりきったというのが印象に残ってました。

4.ぶつかったのは意外な壁

 この中で、活動・作業をずっと進めていくわけですが、始まりは調子いいです。ものすごくいい形で、「これはもういい芝居になるなあ」という始まりなんですが、練習時間は週に1時間あるかないか、4週間後に発表。放課後の時間は部活動優先のためほぼ使うことはこっそりでないと使えない。土日は、私陸上部を担当しているのですが、陸上部の指導があるため、大会シーズンであるためほとんど使えない。じゃあどうするんだということで、時間のこと、また1200人が活動するため体育館の割り当ては唯一2時間のみ。たった2時間しかステージを使えない。どうやってこれを進めるんやと頭を悩ませました。ただ一緒に担当している先生とそのため集まって、何とかやれる場所やれる時間を増やそうということで、朝練習をしたりとか、放課後も秘かに会議のないタイミングを狙って集まったりだとかして進めていきました。

 けれども作業の中で、9月には合唱コンがあってその合唱コンの3日後に文化祭の発表なんです。クラスは合唱に向けて歌ばっかり歌ってますので、有志で集まる劇のことに関してクラス単位での事前指導とか事前学習みたいな時間はほとんどないんです。その子たちだけが劇をやる、残りの子たちは展示を必死で張り合わせたりとか、色を塗ったりとかしてる。でもそういう状態で、7日後に体育祭があるんです。行事立て続けの中で訳が分からへん、私もクラスがありますので自分のクラスの合唱のことやってたと思ったら次は劇のことをやり、でもなぜか体育の部のリハーサルがあるとか、もういっぱいいっぱいの中やったんですが。

 特に印象的やったのは、スタッフが壮大な装置を作りました。担当の先生と分担をして、私はキャストの演技指導をやるとなったので、安心して再任用でこられている超ベテランの先生で「これまでにもいっぱい学習劇をやってたんや」ということで、意欲がすごくあって、「じゃあ、お願いします」とお任せしていたら、なんかおかしいなあというところがあって、フアットマンの設計図を持って来て、「こんなものがあるんです」とか、なんかおかしいと思うことがあったんですが、もう場所がないので分かれてキャストだけで活動してたんです。そうすると、この広さぐらいの場所に入りきらないぐらいの巨大なB29を作っている。そういうことが発覚して、空き教室が実はもう壮大な制作場所になっていて、元は散らかり放題で、両翼でいったらここの机ぐらいの幅のB29の飛行機をスタッフは総出でみんななんや分からへんまま、何を作っているのか分からへんまま超巨大な装置を塗っていってる、まだ全貌が見えてなかったので、その時にはまだ羽だけやったんです、胴体とつないでなくて。

 その作業をしながら、合唱コンのあとやったら ケンカするんです。合唱コンが終わって優勝したクラスのやつが気いよう塗ってる。そしたら、「何、気いよう塗ってんねん。こっちは負けて、そんな気分ちゃうんや」と。そんな散らかり放題の制作場所のところで、さらにパッと教室に入った瞬間、「聞いてえ。ほんまに腹が立つねん。もう一緒にこいつとは作業できひん」。そこでそんな合唱コンのことでもめんでも。でも、合唱コンしながらさらに劇のこともやっているから、子どもたちの気持ちとしては正直な気持ちやなあと。今日、合唱コンが終わったのにどうせその次にあるからといって、気分切り替えられるのは大人の感覚で、子どもは引きずるよねと思いながら一緒に作業しました。おもしろかったです。

 ぶつかった壁は、意外な壁がたくさんありました。そのフアットマンの設計図に、「うん?」と思ったことをはじめ、廊下がペンキでベタベタになっていて、これは子どもたちが何か問題を起こしたんじゃないかということで用務員さんから学年主任に連絡がいったので、大きなトラブルやと思って教員10人ぐらいが駆け付けたわけです。そしたら何のことはない、作業中の不手際であっちこっちペンキで汚れている。劇の担当者としてはもう謝り倒して、「すみませんでした。すぐかたづけます」とか言いながらかたづけて、ここで若い私ですのでイラッとして子どもに、「何こぼしてんねん」。でもよく考えたら、「そこに新聞を敷くということぐらいの手立てはこっちでやってやらんかったらあかんかったんやなあ、こっちの手落ちやなあ」と思ったりするような場面もあったりしながらやっていきました。

 直前まで、いろんなことのトラブルにその時その時の対応をしていたので、リハーサルはほんとうにサンサンたるリハーサルで、まずなんのことはないB29がステージに入りませんでした。(笑)後ろの通っていく装置を流す裏の扉から流すんですが、流れません。背景画はもうほんとにステージの全部の長さを測った模造紙が18枚組み合わさった背景画が4枚あったんですが、どうやって張り替えるのかの手立てもできてなかったので張り替えられません。(笑)子どもたちが現れて18枚をペタッと張るという話やったんです。18枚つなぎ合わせた模造紙を。そんなことは不可能やということに至ったわけです。

 私はキャストの指導ばっかり、声を出すとか、演技がどうやとか、歌がどうやとかに張り切ってたわけですが、そんなことでは全然まわらへんということに気がついて。超ベテランの先生に職員会議では私はようものも言いませんが、「先生どういうつもりですかあ!」とか言いながら、「じゃあどうするんですかあ!」とか言って、どうやったら段取りよく組んだら背景がうまくまわるのか、B29はどうするのか、フアットマンの投下のシーンはどうやってこの巨大なB29からを落とすのか(笑)、もうどうやっても思いつかないことの連続でした。ここでちょっと助けてくれたのは私の学年の中でそうやってその先生と、「どうしましょう!どうしましょう!」と話してることをちゃんと耳に拾ってくださるベテランの先生が夜中の前日の12時ぐらいに体育館の一番高い所にある梁のところにロープでB29をつなぎ、本番の日には何かがあると思いながら1,2年生の劇を観て、3年生の時になったら体育館の天井の上をパッと照らしたら超巨大なB29が見えて、「このためにあったんかあ」と保護者がハアーっと思うような壮大な設置が完了しました。

 これを助けて下さったのは技術家庭科のベテランの先生だとか、理科の先生が落とす角度とか(笑)、投下のフアットマンのいろんなことをご指導いただいてできるようになりました。その中で、同じ若い私と同じ年の先生が一緒に働いているんですが、その先生が「今、社会科で、公民で対立と共同という内容を教えている」と。公民の授業で教えている。「あなたとその先生のやり取りを見ていると、まさにそれを実体験したわ」(笑)というようなことをおっしゃっていました。私は一番難しいことは「自分の価値を超えた価値を持つ人とどうやって一つのものを作るのかということは、ものすごい難しいんやなあ」ということを気がついて。そのために、子どもたちは私たちが必死で考えた段取りを当日の朝から長時間スタッフ会議をして頭に叩き込まれるということがありました。スタッフの子たちは何が出来上がるやらわからへんままに作った壮大なものが、体育館の天井にあることにまず驚き、そこからフアットマンを落とすんやという仕掛けも当日の朝に実験しているような状態やったので、ほんとに段取りのない付け焼刃の芝居やったなあと思うのですが、ものすごい集中力で一生懸命やりました。フアットマン係やったら、その係のメンバーは仲良くもなかったのにものすごい手を組んで必死に練習して、本番はずっと体育館の上のところで待っている。落とすところで失敗して、2回公演やったのでその2回目に成功した時は、涙を流して喜んだというようなことがありました。

5.まとめ

 私としてはこの取り組みを通じて、子どもたち自体は私も含めて新たな価値というものを作っていく中の喜びとか楽しさを知ったなあと思いました。修学旅行で平和学習をして、そこから平和の劇を発信するという流れがつながっていたので、学年の先生たちほんとに協力的にいろんなところで助言をいただきました。私自身はこの脚本の内容が子どもたちに近いので自分の言葉として話せるような平和の劇やったということが楽しかったなあと思っています。みんなで『青い空は』とか『折り鶴』とか『島原の子守歌』とか、私自身楽譜を持っているわけでもなくて、子どもの時から歌ってたから覚えているメロディを口で伝えて、それを聞きながらまた耳で覚えてという子どもたちすごい技を持っていて、それをみんなで合唱するような体験はものすごく子どもたちの体に残る活動体験になったのではないかなと思っています。

 私国語科ですが、教科の中で「故郷」という題材を扱って最後の一文を取り上げた時に、「それ劇のセリフで言ってたなあ」と劇を観た子が言ってくれたこと、それは私自身にとってもうれしかったんです。その中のその最後のセリフに引っ掛かりを持つ子どもが劇を観て現れたことがうれしかったです。

 やった生徒の感想としては、生徒たちほんとにいろんな背景を持っている子たちが寄せ集めのように集まったので、キャラクターは多種多様だったのですが、一人だけ紹介させていただきます。「1,2年まで学年展示をやっていて舞台発表に出ませんでした。その頃は今よりも内気な性格だったので大人数で取り組むなど想像できませんでした。でも今年は中学校生活最後の文化祭なので、自分が折れるか、自分が変わるかと賭けるような思いでスタッフをやってみようと思いました。最初はみんなにがちがちしながら仕事に取り組んでいましたが、次第にみんなと気軽く話せるようになり、本番がだんだん近くなるに連れてみんなと協力することが出来ました。そして、本番が始まり無事に終わってみんなで喜び合った時、本当に自分を押し切ってスタッフになって良かったと思いました。自分が少し前向きに考えることもできました。高校でも文化祭でこういった取り組みにも参加してみようと考えられる劇のスタッフでした」

 彼に関して私が印象に残ったのは、「自分を押し切ってスタッフになった」という言葉やったんです。私これ聞いた時に、ああー、そういう思いでこの劇にチャレンジした子がいたんだ。すごく発見があったし、強大な制作にあたって私はケンカばっかりしてたんですが、その中で子どもたちは、訳も分からずに見たこともないものを作る喜びみたいなことを、本番の舞台でなくてその過程の中で手に入れてたんやなあと、たいへん私自身は印象に残った感想です。

 私自身は子どもたちが活動をしたいという願いをもっていると、身近に近くにいて感じます。ただそれができる場所だったり、時間だったりいろんなものが必要だなあと思うので、そしてそれをいざやるとなってもやっぱり段取りを組む能力とか、自分自身そうやって多くの人と共同しながらものを作るような計画性とか、そういうところ全然できてないなあと思うので、これからも勉強しながらそういった活動をしていきたいと思っています。


 
 
本田:ありがとうございました。生徒と一緒に作り上げる喜び、ベテランの先生も巻き込んでの取り組みでした。それでは、次にYさん。『生徒たちと向き合って』ということでお話していただきます。
 
 
生徒たちと向き合って  (Yさん) 


1.「勝ち組」「負け組」としての私学生き残り戦略のもとで

 私学の教員が公立の先生方の前で私学の状況を話しするというのはあまりないことだと思います。私学の中にももう「勝ち組」と「負け組」がはっきりしていて、中学校の3年生担任された先生ならばすぐにお分かりだと思いますが、「去年何人生徒集まりましたか?」で始まります。何もしなくても来年大河ドラマでNHKが来て校門を映している同志社と、生徒を集めようと躍起になっても集まらない我が高校と、この差は大きいものがあります。

 でも実は、数年前にある私学で「オール3の生徒が□□大学に進学」というキャッチフレーズが生まれました。同時に一方ではいくつ かの私学では、教員の賃金カットがざっと起こっていったわけです。私の勤務校だったら今の一年生□□人、二年生□□人、トータル□□人。経営が成り立たなくなります。「勝ち組・負け組」ってそういうことです。そこで起こってることって何なのかと言うと、経営者、つまり理事会がたとえば何々予備校が経営しているエデュケーショナル何々っていう、一方では教師塾を経営している団体が学校の中に経営コンサルタントとして入ってきて、そして経営コンサルタントとして授業の場面や学校のスタンダードを作っていく作業をしていくわけです。

 例えば、私が授業に行くと生徒が座っているのが10点もらえる評価になるわけです。それから生徒が教室の中でウロウロしていると、私の評価はマイナスです。そういうのを年に2度、その人が私の授業を見に来るわけです。そして評価していくわけです。そしてそのことを通じて、職員会議で何々の先生はここを直しなさいという立派なビラが一人一人に渡されます。これはうちの学校だけじゃなくて、同じようなことがたぶん全国的に公立の高校、あるいは中学校にも波及しうることではないかと思うのです。例えば、公立の高校の先生はもう中学校に生徒募集にまわっておられます。

 私学の場合そして私の場合はそういう形で締め付けられていくわけです。だから、今年になってからも2人途中で病気になられて休職にはいられています。40何人の職場で3人急に病気休職入られる。精神的にも肉体的にも、そして同時に教育実践的にも、痛めつけられて耐えられない状況が出てきています。ベネッセの模試、それから駿台の模試、それを定期的に受けさせながら偏差値が2点上がったとか、3点上がったとか、マイナス5だとか、いう形で一人一人の生徒の表がスーッと出てくるわけです。4月入学1年の最初のテスト受けてから、ずーっと3年間出てくるわけです。そうすると、職員室での会話の中に実は固有名詞と生きた人間が出てこなくなります。「なんで点下がってんにゃあ! 英語科何してんにゃあ!」になるわけです。その子の、たとえば家の状況とか、その子が抱えている精神的問題とかに思いを馳せる会話がなくなっていくわけです。その怖さをすごく今感じます。

 一方の問題は、実は7時まで生徒が自主的に残って勉強する時間を設けています。何が起こるかというと、たとえば10人いる生徒の中で、3人ぐらいが残っていきます。そうすると、3人ぐらい残って職員室に数学の先生にたとえば「数学教えて」って来ます。奇妙なんですが、一か月続いたら3人だけかわいくなるんです、その先生。「この3人は見込みがある」と、「毎日残って勉強しとる」と、あとの7人は消えていってるわけです、意識の中で。同じクラスなのに。3人の偏差値だけが上がった、下がったといって喜んでいるんです。これ悲しい事だけど、実は追い詰められていくと教師もそうなってしまう可能性をもっているということだと思います。同時に、生徒たちも追いつめられています。

 昔、KOCというミュージカル運動をやっていて7年間いろんな私学の高校生を集めてミュージカルを作ってきたんですけど、そのR高校の子が「後ろからずーっと追いかけられている夢を見る」んだと、ということを言ってました。「自分は勉強してるんだけど、後ろからつかまれるような、追いかけられるような夢ばっかり見るんだ」と言ってました。たぶん私学の生徒も、本校の生徒もそんな感じだとは思います。

2.現実の生徒たちの生育史・生活史に寄り添う

 僕の目の前にいる子どもたちは中学校の時にそんなに主人公になっていない。そんなにケアされたという感覚を持っていない。だから教師を見るまなざしが半分試しと、半分あきらめの眼だというように思います。特に本校の子の場合はオール3前後の生徒ですから、すごく感じます。そういうスタートの中で、たとえば、始めいろんな話を子どもたちから聞くわけですが、中に欠席の多い子どもがいました。たとえば木津から来てる子だったんです。知恩院から50tのカブ乗って木津に行きました。めっちゃ時間かかって家着いたら、玄関鍵かかっているんです。入り口は後ろからで、土間みたいにあってそこに冷蔵庫があって靴がそこにあるんです。家に誰もいないのです。

 しかたがないから、寒いんで共同風呂があったんで近くに、その共同風呂の玄関先の椅子の上で寝ていたら、地域のオッチャンに「お前死んどんのか」と言われて(笑)、「いえ、生きてます」って挨拶して親しくなりました。そういう経験をして、あくる日その子に「先生なあ、出会いたくて行ったんだけどなあ、お風呂さすがになあ、俺あのお年寄り連中の中によう入らなんだわあ」と言ったんです。そしたらその子、出席日数あぶない子なんだけど、おもしろいんですね。ほんとうは僕の肩を揉んでやろうと思たんでしょうね、カブで行ったから。でもみんながいる前で、「先生、肩揉んでよ」と言うんです。でも気持ち良かったんですよ、揉んであげていると、何故かこっちも。そしたら他の子どもたちが写メ撮って、「ブログに載せる」って言うんで、「ちょっと待ってくれ。俺セクハラで訴えられる」。そういう会話が教室でできる、「笑いが出てくる教室」いうのが実は作りたい教室なんです。そのことを通じ、その子たちの居場所とか、安心感とか、教師との信頼関係とか、そういうものが生まれるんじゃないかというふうに思います。

3.何を生徒たちに伝え、実践しようとしてきたか

 子どもたちにいつも言っているのは、「本物を見つけよ。本物を見つけるんだ。言葉の巧みさやら、言葉の上手さやら、そんなものではなくて本物を見つけよ。本物の基準はあなたとどれだけ時間を過ごしてくれているかだ、相手が。あなたが悩んだ時、困った時、いて欲しい時にどれだけ時間を一緒に過ごしてくれるか。それをまず基本にしよう」ということを子どもに伝えます。

 そして、自分が変わるということは、相手を変えること。だから「みんなで変わろう」っと言うだけでは変わらないのです。こういういい方申し訳ないですけど、こっちの方に変わるということが実現できる手立てと仕組みと戦略が必要です。「おいみんな変わろうや。集まろうや」って言っても集まりません。その戦略が教員の方に必要であって、それらを気づかれないように子どもたちには「みんなで頑張ろう」って言います。僕が子どもたちに一番最後に伝えるのは、高校3年生の今になったら「報われないことが人生には多いよ」と。教員は壇上から、そして私は学年主任をしてますからみんなに向かって「頑張ろう。もうあと一息だ。頑張ろう」と言いますが、「でも、報われないことが多いんだ。報われないことが多いという自覚をもって頑張ろう」と言います。子どもたちには何のことかわからないと思いますけど、大人の私にはよくわかります。報われないですよ、頑張ったら大学に行けるとか、頑張ったら□□できるとか、言いますけれど。いそうはなかなかならないですよね。でも、子どもたちには「頑張れ、頑張れ!」言うてるわけでしょう。そうじゃなくて、「頑張ったも報われないことがあるけれど頑張ることに価値を見出す、そういう人間になろう」って言います。

 もうひとつ教員は、いや私はいつも一歩先を見通した取り組みをすることに心がけています。「一歩先」というのはどういうことかというと、2学期の成績が出て今日保護者三者面談でしたが、まだ自分のクラスの卒業を考えるのは早いと思うんですが、すでに「クラス卒業記念写真集」の制作に入っています。一人ひとりがA4サイズの原稿に写真を貼ったりメッセ−ジ書いたりして、自分が作りたい自由なページを作ります。そしてそれをスキャナ−で取り込んでA4サイズの印画紙に印刷して、アルバムを作ります。卒業の時に一冊渡すわけです、全員に。

 私が独自に作る6枚分だけは卒業式当日まで子どもたちには見せません。これを手伝ってくれる子が27人我が家でバーベキュー大会で盛り上がります。この作業は、クラスの子どもたち全員が提出していますから、実は成績悪かって赤点とった子や出席日数の悪い子に対して暗黙の「みんなで卒業しよう」というメッセージを送ってることなんです。そして三者面談の時に、何げなく保護者の眼のはいるように置いておきます。何気なくです。でも、保護者はやっぱり自分の子どもがたとえば、どんな仲間と一緒に写っているのかが気になるし、先生に対してどう思っているのかを知りたいので見てくれるわけです。私にとっては「クラス卒業記念写真集」を作るということが、3学期じゃダメなんです。3学期頑張って全員が卒業するためにも、2学期の今取り組む必要があると、私は認識するわけです。

 それから、いつも子どもたちが帰った時の教室に行って、子どもたちが黒板や机に書いている「私へのメッセージ」は、全部写真に撮ります。そして朝教室に行った時にクラスの生徒の欠席、遅刻理由をすべて黒板に書きます。{K今日寝坊遅刻。E短大入学金を作るために役所行き。}書いて全員の生徒に知らせます。それぞれの生徒の抱えている状況を自分のクラスの中でオープンにしていく、その中で支えあうということをやります。

 実は、校長命令で担任を途中交代してうけもったクラスです。それは2年前の11月6日でした。一週間「前の担任□□帰って来い。横内帰れ」と書かれたんですが、それでも2年間かかってようやく「クラス卒業記念写真集」も作れるようなクラスまでなりました。生徒に笑顔をどれだけ作ってやれるか、生徒と共有できるか、時には肩揉んだり、時にはバーベキュー一緒にしたりして、楽しい教師生活を送らせていただいています。以上です。

 
本田:ありがとうございました。私学の話はあまり聞けないので、もっとお聞きしたいこともあったのではないかと思います。またあとのご質問でお聞きください。それでは最後、京都市内のお母さんでOさん、よろしくお願いします。
 
 
「親として地域で何ができるのか」  (Oさん) 

1.PTA役員になって

 小学校5年生と2年生の子どもの母親です。今日は、親として地域で何をしてるのかということを振り返ってお話します。一番目は、今年初めて、小学校に子どもが入って5年目でPTAの役にあたったというか、役をしてます。学校の代表委員会という、いろんな委員会の代表の人が集まってくる会議に参加するようになって、今まで全く知らなかったようなことを知れて、「ああ、こんな苦労しているんだなあ」とか、「そこは違うんじゃない?」とか思うようなこともいろいろあります。

 たとえばPTA会費の値上げが今年は提案されました。理由は「子どもの数が減っていることと、就学援助を受けている家庭が多くてPTA会費を集める対象が減ったので、いろいろ活動費も削減を検討してやっているけど、やむを得ず」という提案でした。保護者の方々からは、「消費税も上がると言われているのに、これ以上負担が増えたら困る。うちは子どもが4人いる。支出の見直しができないのか」というお父さんもいました。「今年から子ども見守り隊の予算3万円が増えてるけど、なんで? 去年はなかったのに」と質問したら、「京都市が今年から補助を打ち切り、子どもにとって必要なお金だしPTAから出すことにした」と。そういうことを知ったり。

 保健委員さんという係があり、トイレとか衛生の点検をしてくださいます。トイレがむちゃくちゃ臭い。なんでかと調べるとトイレ掃除で水を使わないからでした。校長先生が言うには「トイレ掃除をする時に水は使わせません。理由は子どもが水を使うと、ジャージャー使って水道代がすごくかかって、学校の経費が大変だから子どもに水は使わせません」ということです。トイレ掃除は掃き掃除だけ。ほこりやごみを集めるだけで、あとは月に2回ぐらい、トイレの掃除の業者さんが入ってくれるそうなんですけど。「あっ、それで臭かったんや」と。「でも先生、水使わへん掃除ってありえませんよね」って、お母さんが提案したら、「じゃあ、週一回金曜日だけバケツ一杯の水を使ってトイレ掃除をする方法を考えて提案します」って、校長先生は言わはったそうなんです。それを聞いた時は、参加している保護者も一同衝撃を受けて。「そうなん!」。家に帰って子どもに聞いたら、「そうやで」って当たり前みたいに言うので、私たちは全然そういうこと知らずにいて衝撃を受けました。

 いろいろ学校の予算が削られている中で、苦労もあるんだなってわかりました。PTAで提案されることは、「校長先生がこうしたいと思っておられます。今度こんなんがあるんです」というようなことを、どうこなすかという提案が多いのです。さっきも言った、見守り隊の補助を打ち切ったために私たちが負担する。「なんで京都市打ち切るの。打ち切ったらあかんやろ」という声をあげようじゃないかとか発言するのはすごく勇気がいります。ちょっと発言してみるんですけど、横に置いておかれます。

 だけど、一番話したい「子どもが困ってること」とか、「学校はどうしてくれるの」というようなことは、みんなの問題になって広がったら困るという空気が漂っている中ではなかなか言えない、勇気がいるような状況なので、「何でも話し合えるPTAにしていけたらいいなあ」と参加しながら思っています。

2.家では、できるだけ子どもとの対話を心がける

 家では、できるだけ子どもから「学校でどうやったん? 今日どうやったん?」と聞くように心がけています。自分が聞きたい時はそうやって聞くんですけど、子どもが「母さん、母さん」って言ってくる時は、「ちょっと待って」とか言ってしまいます。

 2年生の息子はすごく幼くて、あんまり言葉がうまくしゃべれず、聞いても要領がわからず、本人も「わからへん。知らん。ムリ」ばっかり言うので、けがして帰ってきても、なんでけがしたのか、どうなのかというのがさっぱりわからず、いつも連絡帳が頼りで先生に「何があったか教えて下さい」ということで聞いているような状況です。

 5年生の娘は思春期で、あんまり家でも話さなくなってきました。学校ではすごくおとなしくていい子にしています。良くも悪くも目立たない子です。何が目立たないかというと、一つお話しすると、娘は学校では掃除とか進んですごくやって整理整頓が得意みたいですけど、家では散らかしっぱなしで、夏休みの宿題を早々にがんばってやったんですけど、夏休みが終わる時には「ない!ない!」って探して、子どもも散らかしてるけど私もほったらかしているので、お父さんにそこらじゅうのものをほかされた時にほかされたと思うんです。学校へ持っていかなあかんのになくて、必死で親子で探したんですけどなくて、これはもう謝るしかなくて、「学校行って、ちゃんと謝りや」と言って行かしたんですけど。毎日帰ってきて、「今日は言えたか?」って聞くけれど、一週間たっても「まだ先生に言えてへん」って言うので、しかたなく私が先生に謝りました。(笑)私はきっと「いやあ、なんで出えへんのかなあって思ってたんです」と先生が言ってくれると思ってたんですけど、「エエーッ、出てませんでしたか!」って言われて、「気づかなくて、ごめんなさい、ごめんなさい」と、逆にいっぱい謝られてしまいました。(笑)

 娘は学校ではすごくまじめでいい子なので、「出さないはずはない」と先生は思ってくださっていたようです。娘と「言わんかったらよかったなあ」と言ってたんですけど。(笑)そういうわけにもいきません。そういうおとなしい目立たない娘なので、学校でも口数が少ないのですが、一人悶々と考えることが多いです。自分で思いが抱えきれなくなると、お風呂でぽつぽつしゃべってくれます。

 10月に運動会があり、80m走の練習で順番並んでいる時に、自分の隣にいる男の子、すごく優しくていい子で、重い荷物をいっぱい持っていたら、「僕が一つ持ってあげよか」とか言ってくれる子なんですけど、その子に対して、前に並んでいた女の子が、「もう気持ち悪い。あっち行って。ばいきーん」とか、毎日毎日言う。娘はそれを見ていて、「この子何にも悪いことしてへんのに、なんでそんなひどいこと言うんや」と毎日思ってるんだけど、今まで自分も助けられて、学童でも一緒にやってきた友達やのに自分は何にも言ってあげられへんとしゃべりました。運動会が終わってから、学校評価のアンケートの自由記述欄に「私が書いてもいいかと子どもに聞いて、そのことを書きました。返事が来るかなと思って待っていても、学校からは何にも返事が返ってきませんでした。

 冬休みの前の個人懇談があったので、「先生、私アンケート出したんですけど、まだ何にも返事とかいただいてないんですけど、あれはどうなったんですか?」と聞きました。事実確認をして、男の子たちがその子に対してそういうふうに言っているのを聞いていて、同じようにしたと。クラスとしてホームルームで時間をとって話し合い指導したということでした。

 学校では『なかよしブック』という道徳を教える冊子を作って、子どもたちに「時間を守りましょう」とか、「職員室の約束を守ろう」とか、当たり前のことなんですけど、これを全校集会で校長先生がお話したり、道徳の時間に勉強したりしています。校長先生の「はじめに」の言葉に「あかんことはあかん。世の中であかんことは学校でもあかん。人のもの黙って盗ったり、学校のものこわしたり、人をたたいたり傷つけたりするのは、りっぱな罪です。世の中では場合によっては、警察に捕まり法律によって罰を受けます。学校では許される、そんなことがあってはいけません」って書いてあります。「『ルール守る』学校だからこそ社会に出る前に守るべきルールをきっちり守ることができるようにしておくことが大切」と書いてあります。これでええんかなと改めて思ったんですけど、「あかんことはあかん」と教えるのは当然です。だけど、あかんってわかってるけど人を傷つけることを言ってしまっている子どもたちが、「なんで言ってしまっているのか」。「あかんことやな」と確認するだけではあかんと私は思います。いじめられていた子だけでなく、いじめていた子どもたちも心配だし、娘のように見ていて困っている子どもたちも心配です。

 先生は忙しさの中で、そういう子どもの気持ちをじっくり聞く時間というか、そういう余裕がないのだろうなというふうに思っています。そういうところを改善するために、保護者としてどうしていったらいいのかなあということも、集団で学校の中で、保護者も一緒に話し合うことが大切ではないかと思っています。

3.「30人学級」の実現に向けて

 私は新日本婦人の会に入り、家庭塾小組や子育てサークルの仲間といつもおしゃべりしています。子どもはちょっと「嫌やな」と思っているかもしれませんが、おしゃべりすると心配ごとが少し軽くなったり、楽しくなったり、元気がでます。おしゃべりして子どもの様子や、私が見えていなかった我が子の素敵なところを教えてもらえたり、友だちに支えられている子どもの様子がわかり心強くなります。

 新婦人では、そんな日頃のおしゃべりを、ただのおしゃべりにせず、年に1〜2回、教職員組合や子どもを守る会と共催で教育懇談会を開いています。子どもの発達段階について学習したり、保護者の先輩から、学級崩壊で子どもが困った時に保護者として、どんなふうに学校とやりとりして対応を求めていったか話をきかせてもらったり、具体的な子どもの困りごとから出発して、どうしたら改善できるかを話し合ったりしています。

 京都市では、2年生までは京都市独自の予算を付けて35人学級を実施していますが、3年生からは国の基準の40人学級編制になります。私の娘が3年生に進級した時も2年までは28人学級でしたが、39人学級になり、転入生があり40人学級になりました。

 授業参観では、教室が机と子どもでキチキチ。親は廊下にあふれ出る。班にわかれて音読発表しても2年生では6班だった班が、8班に増え、授業時間内に全班の発表が終わりません。発表に対する生徒の感想・意見交流の時間も十分にとれません。

 40人学級について子どもに聞くと、「給食準備に時間がかかり、食べる時間は20分間。」「教室内でぶつかるので、子どもどうしのトラブルも増え落ち着かない」「人数が多いので、手をあげずおとなしくしていれば、一日発言せずにすむ」と言いました。「おとなしくしていれば、一日発言せずにすむ」と言った娘の気持ちは決して「ラッキー」というものではありません。算数が苦手な娘は「わからないから当たらなかったらほっとする」「先生は時間内にここまでやると気合入ってるし、わからなくても言えない」と言っていました。これは改善しなくてはと、当時、保護者数人で相談し、校長先生に「40人は多すぎる。4学級に分けてほしい」とお願いに行き、4年生からは改善されました。

 今年の3年生も同様に進級時に1クラスの人数が10人増える状況でした。

 お母さん方は「子どもたちのために、やれることは何でもやろう」と校長への要請し、京都市教育委員会へ要望署名2228筆を提出し、左京区選出の市会議員や府会議員を訪問して要請を行いました。

 校長先生と京都市教育委員会は「3年生から40人学級編成は決まったことだから仕方がありません」という対応で、署名運動に対しても様々な妨害がありましたが、保護者の間で広がった署名の影響は大きく、校長先生の判断で学年に加配をつけることになり、2年生時に引き続き1学級28人クラスとなりました。

 先日、個人懇談会の帰りに、友人と二人で校長先生に「来年もお願いします」とお話に行ってきました。校長先生は、「私も思いは同じです。40人学級より30人の方がいいと思っています。」「ただ、加配が何人もらえるはかわからない。」「今年度、少人数加配の先生は1人しかもらえていない。それは5年生に充てている。3年生に充てたのは教務主任として加配された先生。学校に人手がなくて先生方にも無理をお願いすることになっている。」「国が早く全学年を30人学級にしてもらいたい。国が1年生を35人学級にした分、京都市は3年生を35人学級にしてくれたらいいと私も思っています。」と話してくださいました。

 30人学級の方がいいに決まっています。国会は、古い自民党政権に再び戻ってしまいましたが、計画的に全学年を30人学級にしていく計画はもとに戻されてはたまりません。微力ですが、仲間といっしょに30人学級の早期実現、学校に必要なだけ先生を増やしてもらう運動をすすめていきたいです。

 初めに、自民党政権になってという話があったんですけど、30人学級実現の流れというのは別に民主党が政権をとったから実現の方に進んだんじゃなくて、ずっとそういう子どもたちの困っていることとか、願いを実現するために保護者や地域やみんなで運動してきた中で進んできたことですので、これからもその流れは絶対に変えさせないために保護者と力を合わせてがんばっていきたいと思っています。

 
 
本田:ありがとうございました。親として、学校・先生に対していっぱい思いがあって、「子どもの気持ちをじっくり聞くゆとり、どうやったらできていくのかな」という問題提起もありましたので、そのことも合わせて、3人の方へのご質問を受けたいと思います。
 
 
質疑応答


発言@:S先生のお話の中で、「文化を子どもと共有していく」というのはとても大事だと私も思って聞いていました。「教材で子どもたちと勉強する」というのはある意味では文化を変えていくことでもあるし、文化を創造していく営みでもあったなあと思いますが。今回この劇を一緒に作ったということを語られましたが、こういった文化活動がこれからも深まっていくことを願っています。そのために、中学校の教員として自身の文化性を高めていけるよう頑張っていきたいと思います。
 「自身の文化性を高めていけるような学習」とは、具体的にはどういうイメージなのか、なかなか日々の忙しさの中で大変だと思いますが、聞かせて下さい。

Sさん:「自身の文化性」と言われると、ものすごくつたない現代のテレビとかドラマとか観てるような世代です。ただ、来年の夏に私が入っているサークルの全国大会で、開会セレモニーで「私たちが学びにとって何が必要と思ってるか。何が私たちが学ぶということの必要性の中心にあるのか。そこにあるのは、今目の前にいる課題を抱えている子どもたちですが。その子どもたちの姿をお芝居で出すことによって表現することによって、学びの提起しよう」という取り組みをサークルの中で今やっています。演技指導してきた先生がたくさんいらっしゃるので、その先生たちの流れに乗って、今回はキャストをさせていただくんですが、自分が殻を破ってみんなの前で演技をすること。それも一つ自分の文化性かなあと思っています。 
 あともう一つは、私の職場は80名教員がいますが若手が多いです。その若手の中で学年によっていろんなカラーがある中で、さっき講演の中でもあったけれども、「少しかける言葉がけとか、いろんなものがきつくなってる」、そういう悩みかかえている仲間と一緒に集まって読書会をしようと。いつもファミレスに行って怒られない程度に自分たちの持っている本を読んでいくことをやる中で本から学ぶことが多いなあと思っています。

本田:せっかくお母さんが問題提起されたので、子どもの気持ちをじっくり聞く、そういうゆとりってどういうところからできるかなあというのを、SさんとYさんお願いします。

Yさん:僕は職場の中できわめて変わった人間です。他の人と一緒の歩調を合わせることが30年間できませんでした。その理由は簡単で、あまり上の方を向いたことがありません。自分の世界と自分の子どもとの関係を大事にしたいと思いましたから、放課後も教室に行きます。昼休みも学食がありますが、生徒と一緒に食べます。こんなことやっている教員いないんですね、高校で。それから、年に3回我が家でバーベキュー大会をします。保護者に許可をもらってします。誕生日は事前に携帯にその日の前にアラームで知らせるようにしていて、夜中の12時に必ずメールを打つことにしています、生徒に。そして、朝「今日、おめでとう」って、教室でみんなにわかるように言います。学級日誌に何を書いても怒りません。黒板に何を書いても怒りません。授業も僕は完全に公立の先生のような状況からいえば、失格教員です。

 うちの教員は全員立たして挨拶してから授業をしますが、僕は「あっ、よよよ」(手を一回叩く)って言ったら座れる状況がベターだ、ベストだと思っていますから、それを言ったら座ります。それが僕のやり方です。若い時はびびったんですけど、この年になったら何にも怖いものありません。保護者にも、きれいごとの保護者対応は一切しません。「こうして欲しい」ということは、保護者に直接正直に話します。そのかわり、家に行って話します。電話は一切話しません。電話では人の顔が見えません。言葉のニュアンスが、表情と伴わない時があります。だから、必ず顔を見て話します。そういう自分の中に「これだけは大事にしたいというものを大事にした」教師生活を送りたいなっていうふうに思っていますから。

Sさん:忙しさの中で、ゆっくり話を聞く余裕がないなあと思うことが日々あります。教科担当制ですので朝に5分連絡したら、その後お昼の15分の時間のみで、お昼もあっちこっち行ってなかなか帰って来ない生徒がいっぱいいますので、「戻ってこい!」って追っかけて一緒に行ったりしていたらお昼の時間もあっという間に過ぎて、週学活は10分間ですので連絡をしたら、もうそれ以外のことで一緒に何かをするということがなかなか取れないのが現状です。

 ただ、今3年生で進路に向かうということで、私自身は初めての進路だし、私が初めてであることで子どもたちに不安とか、マイナスなところは与えたくないので、できる限りのところは自分が百歩でも動いて学級が少しでも前進したらいいという思いがあります。とにかく10分休みだったら教室を開けて小論文の指導をしたりだとかしています。

 「高校なんか行かへん。どうせ行ってもやめるし、行くだけ無駄」。そういうことをポロっとこぼした男の子がものすごく引っかかって、その子に成長する働きかけを何回も声をかけて。それまで「やらへん。いやや」だったんですが、夏休みぐらいにおうちの人に「先生いつになったら来てくれるんやろう。僕に勉強教えてくれるって言うてたんやけどなあ」ということを教えてもらった時に、どんなに時間がなくっても、どんなにやることがあっても、優先順位を変えようと思って9月から今3か月間毎週水曜日は7時になったらその子の家で基本から、小学校の復習から勉強する。その子がそれを逃げずに、また学年の中にいるもう一人の子も連れて来て、一緒にやっています。それが原点かなあって。私がこの仕事をしたいと思ったのはそういうところにあるなあって。

 目の前のその子と過ごすその水曜日の7時からの2時間勉強を一緒にしながら、くだらないクラスの話をしゃべる。それ行くために、ものすごい勢いで6時以降事務仕事を全部かたづけて行きますし、行って帰る時には週のまん中やけれども、「明日からもまたがんばろう」って、思えてしまうので不思議です。ゆっくり聞く時間の余裕なかったり、クラスのこと見られてないところいっぱいあるので、そこに関してはほんとに全然です。でも、こだわってる部分に関してそれをやりきってること、ずっとやり続けてることが自分自身の中の余裕、ゆとりにつながる部分があるし、それがあるからがんばれるというのがあります。

 その子が3か月変わっていって、クラスで授業飛び出さなくなるっていうことはクラス全体にとって、とっても前進です。そこが前進してるってことがクラスの安心感であったり、女子がその子の面倒を見始めたりだとか、変化につながると思っているので時間がなくても、どれだけやることがあっても優先順位は考えるようにしています。

本田:ありがとうございます。「優先順位を変えよう」というのはなかなかいい言葉ですね。
 ほかいかがですか?

発言A:私は大阪の私学の通信制単位制の高校に勤めています。Y先生の話の中に、お誕生日お祝いするとか、子どもたちとバーベキューするとかあったんですけど、うちの学校でも誕生日、全員の先生で子どもの誕生日お祝いします。昨日大掃除だったのですが、学校きれいに一緒にしたいって思う子らが自分の気持ちで来てくれて、お昼ご飯をみんなでお鍋をつつくみたいにして、みんなで楽しもうって過ごしていました。子どもに関わるどの人も、その子が校内に対して思った姿にちょっとでも近づいていけるように何ができるんやろうと思って接してると思います。

 その時に、私一人でがんばっても限られていますけど、父さんや母さんや同じ学校の先生とか、他の子どもたちなど、その子と関わるいろんな人と一緒に一人の子どもをみる。みんなの子どもを、全員の子どもとみるって言ったら、できることっていっぱい広がっていくんだろうなと思うので。それは簡単にはできないけれど、「一緒にしゃべろうよ。一緒の時間を過ごそうよ」ということを、どこの学校でもできるのがいいし、福井先生の話とそれから3人の方のお話を続けていくことで、やっぱりそうだなと思える時間にしたい。とてもいい時間を過ごさせてもらいました。ありがとうございました。

発言B:今日の福井さんの話はとっても臨場感があっていい話だったのですが、2方の先生もお母さんの話もとても非常にリアルなことがよく伝わってきて、とてもいい感想を持ちながら聞いています。そういうリアルな臨場感の話を、もっとたくさんの人に聞いてもらいたいという思いがすごくします。

 それから、Yさんのお話を聞いてますと、生徒に「本物を探していく勇気を持つこと」と、「本物を教えたい」と思ってらっしゃる。私はその言葉は大好きで、その基準はどれだけ教師と生徒のことでいったら、その生徒に時間を費やすかというところで本物の基準というのがわかるんだという話もとってもよく伝わってきますし、口先だけで「あんた愛してるよ」と言ったって、愛の強さは、その人と時間をどれだけ使うかということで量られると思うんです。

 そういうほんまもんのDNAを、どうやったら若い先生たちに伝えることができるのか? 方法論や戦略を聞かせて欲しい。

 それともう一つ。一般化したら同僚の中で、先輩後輩の中で磨かれていく。そういうシステムがどんどん失われてきてるんじゃないですか。初任者研修の中でバカーンと日の丸掲げられて、型はめられてしまうとか、そして一番最初に赴任した学校で、非常に型にはまっちゃうとか、いうことがある中でこの集会に参加してらっしゃるようなベテランの先生方の教師魂が、どういうふうに若い先生方に伝えていけばいいのか、私は今一番課題だと思っています。そこのヒントになるようなお話をしてください。

本田:Yさんにお話ししていただく前に、せっかく若い方が来ていらっしゃるので、学ぶ場とかについてお話していただけたらと思います。会場の方からいかがでしょうか?

発言C:京都の大学生が一緒に『教師の卵』っていうサークルを作りました。『教師の卵』では、相互理解を中心において学生同士が現代の教育施策とか、制度の問題とかを理解したりとか、温かい人間同士のつながりを大事にするサークルで、今度雑誌『ひろば』にも『教師の卵』の活動を載せていただいたのですが、毎週文献学習や論文を読んでみんなで議論したり、小野田正利さん、三上満さんなどを呼んでお勉強したりだとかしています。

 去年被災地に私たち足を運んで3月と9月に学校のボランティアに行かせていただきました。宮城県の東松島市です。「地域に根差した学校づくり」といって、「地域再生の場と絆を再確認する場」として運動会を実現している先生のもとでボランティアをさせていただいて、私達は報告集を作りました。

 そこで、私たちの思ったのはやっぱり震災を通してあらためて人間同士の温かいつながりとか、支えあって生きていくこととか、命の大切さっていうのを感じました。そして「この被災地から本物の学力って何やろう」ということを問い直さなければいけないということを感じました。この報告集の購入をお願いします。

本田:会場のみなさん、ほかいかがでしょうか。「若い人にどう伝えるか」という、若い人だけではなくて年配の方でも結構ですので。

発言D:学校現場が、組織的に子どもに寄り添って実践することが難しくなっていることは事実だと思います。個別指導計画を作るわけですが、それを会議に出すと、「目標は誰が見ても分かる、成果が出せるものを目標にして欲しい」ということを管理職から指導が入ります。そして、その評価のあり方についても、どう言ってもそれを書き換えさせるっていうことが起こっています。

 それから、もう一つ。2年目研っていうのがあってレポートを出さなきゃあいけないようですが、子どもが集団的に育ちあうということは教師の予測を超えるものだと思いますが、「どういう指導目標のもとに、どういう指導をしたかで、どうなったか」っていう形でないと、受け入れられないっていうふうに管理職から指導があったようです。そして、そのことでまた真面目な若い方は悶々としていらっしゃってこれでストレスをためておられる。子どもの豊かな土壌を耕すための教育的な営みをしたいと思っていること自体も、なかなか理解してもらえる管理職がいないっていうところは、年寄りとしては大変心を痛めているところです。

 そういうことがある一方で学ばないと成長していけないっていうことで、自主的な学びの自主サークルを立ち上げて学習するとか、このセンターの障がい児教育の場で、発達の学習だとか、自閉症の学習会っていうのが連続的に行われていますが、積極的にレポートを書いて子どもの育ちを丁寧に学んでいくというのもすごいなあって思いますし、学びたいという思いがあるっていうことは、少し年寄りも激励されることです。そういう若い方々が組織的な大変厳しい状況ですが、着実に子どもと一緒に頑張っていきたいっていう志を失わないような、今こそ自主的で民主的な研究会サークルが求められている時代だと感じます。年寄りも一緒に学びあっていけたらいいなあと思っています。

発言E:今のお話を聞いていて、引継ぎの問題ですが、小さい学校ですが、平均年齢が35ぐらい。若いグループに入れてもらえるかどうかわからないですけども、先輩の先生が去られる時に、自分たちがどうしていくんだという危機感があったりとかして、聞かせてもらっているというのをたくさん感じます。どんな時かというと、子どもたちと同じように自分たちも大事にしてもらえているので、先生の成長も願ってくれているのがよくわかります。さっき全員でお誕生日お祝いするって言ってましたけど、職員会議とかもピリッとする時間も内容によってはありますが、いっぱい笑います。まじめな話をしている時に、一番怖そうな先生が冗談とか言って、「あー、笑っていいんや。おもしろいなー」と思って。でも、そういう時間が大事なんだということを聞いたりしながら、授業づくりも先輩の先生と一緒にさせてもらったりとか。三者懇談に全員の先生で関わるとか、体育の先生全員で行くとか、先生たちで行って楽しもうとか、そんな中で「今日こんなうれしいことがあってねえ」とか、聞かせてもらう時に、「あっ、こんなところに喜び感じるんだ」ということがわかってきます。横内先生の周りには若い先生おられると、話を聞きたいなあと思っていらっしゃるのかなあと思っていました。

発言F:S先生がその劇成功されたというのは、たぶん希望者を募って手を挙げた人間がやったからうまいこといったんじゃないかと思うんですが。どんなふうに希望者を募ったのか聞きたいです。僕は個人的には教室いっぱいのB29を作られたその再任の先生に非常に共感します。教室いっぱいの10分の1の模型なんて、なんか共感します。S先生の魅力に負けて応援する周りの方が現れたりするのは、非常にうれしい話やなあと思いました。

 それから、Y先生。僕は写真をしているので私学の学校に写真を撮りに行くことがあるのですが、私学には個性的な先生がけっこうおられる。ちょっと公立高校にはおられないような、そういったら失礼かもしれませんが。友達に、教育委員会で指導している人間が、「これから先生が大量採用で、とんでもない人が先生になってきますよ」って脅かされたんですけど。Y先生みたいな先生も公立高校にどんどん入ってくるのを期待しています。そういう先生を送り出していただきたいと思っています。

 それから、僕もPTAの経験があって思いますが、会長は男性としても日常の活動は主婦をされているお母さんがやっていると思うんですけども、仕事をもっている方も、PTA活動と思って「夜の会議も」って提案したら、「主婦にそんな時間出られますか」って、猛反発を食らったことがありました。僕も小学校へ行って若いお母さん、お父さんと話す機会がありますが、僕らの頃は男親が学校へ出て行って役をするというのはなんか抵抗があったようですが、最近の若いお父さんには全然そういうのがなくて、わりとフランクに町内の活動に出たり、地域の活動に出てこられる方が以前よりはおられるように思います。だから、PTAがもう少し活発にするためにお父さんがPTAの中に出てくればいいんじゃないかなあと思います。そのへんの兆候があるかお話いただければと思います。

本田:最後にご質問も出ましたので、それも含めて一言だけお話していただきます。

 
 
Sさん:400人で13学級あるので、学年集会の場を借りてパワーポイントとか使って若手の先生集まって、「こんな最後の取り組みがしたいんや」というアピールの後、クラス単位で希望者のアンケート、そのアンケートを見て「ちょっとでもやりたい」に丸をしていたメンバー全部集めて、作文を一生懸命書いてきた希望者が集まりました。

 先ほど、若手を育てるにはという話がありましたが、私自身は若手は競わされているとすごく感じます。私も若手でやっているので、ボロを出したら突っ込まれる、ボロを出したら次担任を外されるかもしれないみたいなプレッシャーを常に受けています。それが、若手がかなり伸びにくい原因、やりにくくなる原因だと思いますが、ただ私が水曜日に子どもの家に行っていることを、いろいろ言われる先生もいますが、中には、「どう言われてもいい。批判は全部僕が受けてあげる」、そうやって言ってくれる先生もいます。そこが私の拠り所となって、そう言ってくださる先生がいるのだから、自分が動けることは動こう。若いというのは、私は家庭がないということは時間がどれだけでも使える。そこの部分経験足りない、言葉がけのいろんなコツのセンスのないのを補う部分動こうという気持ちでやっています。

 若い私たちが求めているのは、伝えて欲しいと思っています。担任として主体的にクラスのことを考えさせて欲しい。クラスを受け持つのであれば、自分のクラスの方針とかいろんなものを作っていきたい。そういうことがしたいなと思ってるんですが、失敗がないように若い先生に担任を初めて持たすのは不安やからとか、もしも保護者が困りごとを訴えてきた時に、その対応はそちらで受けるとか、そんなことは全然求めてなくって、私は主体的に自分のやったことの失敗はきちんと聞きたいし、受けたいと思っています。

 今学校の中で、主体性を奪って責任だけ、結局君のせいだみたいな押しつけは止めて欲しいなと思っているし、自分が中心になってやったことの失敗は自分で引き受けていきたい、それがまた次の成長につながっていくというというようなことを思っているので、できれば近くにいる若い先生に何かを任せて欲しいなと思っています。

 今回の学年劇も、ほんとに上手に流そうと思ったら、もっとベテランの先生をチーフにつけておけば失敗は起こらないし、B29は阻止されたと思います。でも、その阻止がない中でやったことだし、私はよい経験として受け止めているので、そういう機会、チャンスが欲しいなと思っています。

Yさん:今やっていることは三点です。私は教育センターの生活指導研究会で報告させていただいている実践は、私の学年の4人の教師と教頭には全部先に読んでいただいています。ですから文化祭の取り組みとかは学校の中ではオープンにしています。それが一点。

 二点目は、必ず成績審議会の時や職員室で、「点が悪かった」っていう話になります。その時には、私は一番大きな職員室の一番端にいますが、コーヒーを淹れながら、職員室の一番前に立って、木村という生徒がいたとしますと、「木村はなあ、必ず本人はBだと思っても書く時にはDになるんだよね。だから、あの子英語がんばってても単語よく見たら、BとD全部反対になってるよ。そういうふうに見てあげたら、まさか2点満点を2点ペケしないよね、1点はやるよね」っていう話を聞こえがしにやります。それからもう一つ。たとえばこんな話をやります。「あの子落ち着きないなあ。遅刻多いなあ」っていった時には、「実はあの子なあ、弟がいてなあ、弟が今家庭内暴力はたらいていて、お母さん一週間逃げているんだよ。今、だからあの子落ち着かない。昨日もおとついも夜の7時まで絶対に残って勉強してないのに、学校残ってたでしょう。帰る時、職員室で『先生さよなら』って言ったやろう。そういう目で見たってよ」っていう話をします。

 三つ目。学年主任ですので全教員を動かしながら、生徒とやれることを新たに模索した取り組みをしています。3学期に後輩が先輩を送り出す会があるんですけど、今まで送り出される3年生は何もしなかったので、僕は高校3年生の主任とコースの主任を兼ねてますので、体育のダンスの先生に学年の生徒を動かしてもらっています。コーラスとダンスを重ねてやるっていうことで、一回目の練習をしました。

 もう一点。この一年でずっと心がけてきたこと。自分はコース主任と学年主任と担任ですから、持ち時間が会議を入れないで週に12時間です。授業、コマ数、恵まれています。したがって、他の空いている時間帯、僕が空いていて会議がない時間帯の授業は全部カメラを持って授業参観させてもらいました。体育、音楽、ダンス。生徒と一緒に音楽で歌を歌わしてもらいました。ダンスも生徒と一緒にしました。カッコつけて、「写真残したいから」言うて、先生にお願いしました。理由は簡単でした。「なんであの子足上がらへん。あの子はちょっと病気してたんや。」ということを、その先生にどの視点で生徒を見てらうかという視点、ずっと一年間かけて授業参観をしながらやらせてもらいました。それがどのように伝わるか、どのようになるかまだ分かりません。たぶん来年僕は違う学年の主任をやっていると思いますので、今度は学力の上げる、上げ方を後輩の教師に伝えたいと思います。

Oさん:お父さんの参加というのは、私の学校のPTAの会長さんも副会長さんも女の人です。お父さんじゃなくてもいいって、私は思っているんですけど。だけどいろんな行事をする時とか、お父さんがいたら便利というか(笑)、できることの幅が広がる。たとえば、『遊びの学校』という行事が毎年秋にあるんですけど、今年初めて迷路のコーナーが体育館に作られたんです。それはその実行委員会に参加しておられたお父さんが、設計したりとか、木を組んだりとかするのが得意な人で、その人がいたから何か迷路の設計ができて、それを形どる木の枠の柱が建てられて、そこに新聞紙をはって迷路を作ってやられたそうなんですけど、破れたらはり直すみたいです。それは毎年使えるので、これ残しておこうというので、いかにお金をかけないで、子どもたちが楽しく遊べることを準備するかというのが、お父さんの発想ですごく大きく広がって良かったかなあと思っています。係であるかどうかとか、まあ役になるかどうかじゃなくて、もっと保護者同士いろいろつながって、ここにこんな得意な人があるっていうとか、こんなんやったらあの人に頼んだらもっといいのができるとか、そういう保護者同士の情報を共有し合いながら、子どもたちのために一緒に取り組むことが、役になるならないは置いといて、協力広げていったらいいんじゃないかなって思っています。

本田:どうもありがとうございました。

 実はこのパネルトークを作るにあたって、テーマを『子どもの成長・発達を見通す広がりを』っていうふうに、いじめ・自殺問題が起こっている中でも展望の見える、希望の見えるそういうトークにしたいなってことを見通して、お話していただく方もベテランの素晴らしい実践をされている人じゃなくて、若い先生、ちょっと変わった私学の先生(笑)、そしてお母さんという三人三様の方にお話をしていただいて、そこからなんか共通点を見出して、みなさんと一緒に子どものことや教育のことを考えられたらいいなあということで企画しました。

 S先生の素晴らしい取り組みや、そういう若い先生が学校現場でがんばっている姿というのが私たち参加者に勇気を与えてくれたのではないかと思います。

 後半、話題になりました「若い人につないでいく」っていうことは、こういう場に参加を働きかけると同時に、学校現場の中でもぜひ若い人に声かけをし、一緒に取り組んでいくっていうことや、また地域に出て行ってお母さんとつながっていくっていうことが何よりも大事かなというふうに思いました。

 今日、3人の方の素晴らしいお話をありがとうございました。もう一度みなさん、大きな拍手をお願いします。ありがとうございました。
 
 「京都教育センター年報(25号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(25号)」冊子をごらんください。

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              2013年3月
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