事務局   2012年度年報もくじ


京都教育センター 年報25号(2012年度)
第43回京都教育センター 研究集会 基調報告
子どもと教育をめぐる情勢
                      京都教育センター運営委員会

 

はじめに――新自由主義教育の暗雲に覆われた子どもと学校

 2006年12月15日、当時の安倍内閣による「教育基本法の改変」はそれ以降の学校教育をはじめ教育全般を大きく転換する施策の引き金になりました。この転換路線は「自民党をぶっ壊す」とのキャッチフレーズで、グローバル競争と規制緩和をベースにした「聖域なき構造改革」路線を推進し、国民に貧困と格差をもたらした小泉内閣(2001〜2006)の教育版ともいえるものでした。閉塞した政治・経済状況を打開するとの欺瞞的手法で「改革なくして成長なし」との打ち出し、営業や医療・福祉での「小さな政府」論を強行しそれ以降の国民生活の土台を破壊しました。教育面では文科省などの「抵抗勢力」もあり、改革が容易ではありませんでしたが、「教育基本法の改変」以降は新自由主義的教育観の嵐のもと、矢継ぎ早に強行される施策の「見直し」で学校教育が危機的状況に陥っています。「美しい国づくり」と「戦後レジュームからの脱却」を掲げた安倍氏は自民党総裁に返り咲き、次の首相をシフトして「教育再生実行本部」を立ち上げ、「6・3・3・4制や教員養成の見直し」「教科書検定・採択の改革」「教育委員会制度改革」などの教育改革ヴィジョンの検討をすすめています。

 「教育基本法の改変」で安倍氏が重点とした「愛国心の涵養」にはあまり乗り気でなかった文科省も「教育振興基本計画」の策定には真っ先に飛びつき、翌年からの「全国いっせい学力テスト40年ぶりの復活」を手始めに、教育内容の策定にどんどん踏み込んできました。「金は出すが教育内容には介入しない」とする「47基本法」の精神を投げ捨て「金はケチるが教育内容には口出しする」行政に大転換したのです。私たちは、これまでの反動的教育施策の押しつけに対しては「教育基本法」を“後ろ盾”にした反撃を果敢に展開してきましたが、改悪された今では反動勢力の“錦の御旗”になろうとしています。地方教育委員会もこれに追随し、大阪府・市をはじめとして教育委員会を飛び越えた条例制定や施策の見直しを強行し、子どもを主人公とする学校づくりや「子ども声に耳を傾ける」教育観は後衛に追いやられてしまいました。かつての一時期に革新自治体であった東京都や横浜市、名古屋市、大阪府、大阪市、京都市などがその先陣を走っているのも特徴です。

 2006年以前からも、政府直轄の「臨時教育審議会」や「教育改革国民会議」、「教育再生会議」などが教育行政の枠を越えて政策提起することはありましたが、学校現場や子どもたちにダイレクトな影響を及ぼす施策の遂行については慎重であったと言えます。しかし、「教育基本法の改変」以降は「教育振興基本計画」の策定権限をふりかざして、都道府県や市町村段階での「時間差」があるものの一気に具現化されているのが大きな特徴です。

  新自由主義教育政策について佐貫浩氏(教科研委員長)はその著書「危機のなかの教育」で次のように述べています。

  新自由主義とは、単なる市場主義イデオロギーの自己運動でも、規制緩和という「自由化」が本質でもなく、巨大化した多国籍資本による国家権力の再掌握のもとで、国家政策と社会のしくみが、この支配者の意図に沿って、強権的に組み替えられるその手法、しくみ、制度、理念の総体である。
そして、新自由主義の具体的教育施策は次の4つの目的や性格をもつものである。
(1)グローバル競争を担う人材要求と国民統合
 @国家と教育行政による「教育目標」の設定、「教育振興基本計画」の策定
 A新学習指導要領による教育内容への詳細な支配
 B教育現場からの報告の強制、学校運営と教育実践へのPDCAサイクルの導入
 C学力テスト体制
 D学区の自由化と学校選択制の導入による学校間競争の組織化
 E教師への成果主義管理、人事考課制度の導入
 こうした新自由主義的な教育施策はこの10数年間、かつてない緻密さと効率性でスピーディーに強行され、学校現場に強力な統制力、支配力が浸透することになった。
(2)教育費の抑制で学校の教育力の後退を招く
(3)この間の社会格差に対応する学校制度の格差的多様化で格差のスパイラルを強める
(4)学校教育は安定した雇用のイス獲得のサバイバル競争になりその結果は「自己責任」に帰着される


1.原発問題と学校教育

(1)被災地の子ども・学校の実情と原発再稼働をめぐって

     ぼくらがじしんにとられたもの  浪江小 松本諒
ぼくらがじしんにとられたもの それはみんなの心をとられた
あのおそろしい事からこわくなった またあのじしんが来ると思いこわくなった
だけどぼくたちにはまだ命がある それだけでうれしい
ぼくたちがじしんにとられたもの それは自分のゆめをとられた
ゆめにむかって歩きだした一歩で ぼくのゆめはとまってしまった
でもいまはゆめがある それは幸せにみんながなること すこしでも  

 福島県浪江町は福島第1原発事故に伴い全町避難。529人の子どもたちも全国に散らばったが、浪江小学校は同県二本松市の廃校を借り開校している。今、30人の子どもたちが懸命に学んでいる。

 東日本大震災から1年9か月たつ今なお震災復興は、遅々としてすすんでいない。復興予算の大企業への流用問題や、2030年代に原発稼働ゼロを可能にするという不十分な方針も日本経団連やアメリカに批判されると閣議決定すら見送った政府の責任は大きい。さらに政府と関西電力は、「原発はいらない」「原発NO」の多くの国民の声を無視し、大飯原発の再稼働をすすめた。関西電力京都支店前では毎週金曜日「再稼働反対」のアクションがおこなわれ、毎回200〜300人の市民が大飯原発再稼働を強行した関西電力への抗議行動がおこなわれている。また京都を中心に「大飯原発差止訴訟」第1次原告団が発足し、11月29日提訴している。今、国民の「原発ゼロ」の声を実現する政治の転換が求められる。

(2)原発学習について

 原発の必要性と安全性をベースにして作成・普及されてきた文科省の副読本「わくわく原子力ランド」「チャレンジ原子力ワールド」には、「大きな地震や津波にも耐えられる」などの記述が随所に見られ「原発安全神話」を吹聴する多くの問題点があったことが判明した。今回の事故を踏まえ「放射線について考えてみよう」など放射線の解説を主とした新たな副読本が文科省から発行されたが、その内容は、福島原発事故についての記述は数行記載されているだけで、大事故の実態やその原因、地震と津波の影響などには一切触れないもので、放射被ばくの危険性を覆い隠し、新たな「安全神話」を基調としたものとなっている。

 私たちは子どもたちに科学的な認識と判断力を育てる教育をすすめる立場から、「原発・放射能」のことを正しく教えるテキストとして、「原発・放射能をどう教えるか」を2012年6月、京都教育センターが編集し、京都教職員組合が発行した。テキスト作成の編集委員となった市川彰人氏、小野英喜氏が中心となり各地で学習会が開催されている。今、徐々にではあるが理科、社会、「総合的な学習の時間」などの時間を活用し実践され始めている。今後さらにテキストを活用し、実践がおこなわれることが望まれる。

(3)子どもの安全と学校給食

 岩手、宮城、福島の教職員は、教職員組合の所属の違いをこえて文部科学省に対し「東日本大震災と福島第1原発事故による被災地の学校と教育の1日も早い復旧・復興を求める要求書」を提出し、要請した。その内容は、学校・地域の復旧・復興をはかり、被災地に生きる子どもたちの安心・安全を確保し、教育活動を保障する。原発事故の被害から子どもたちを救済し、放射能汚染から守るための対策を講じる。の二点が大きな柱となっている。

 文部科学省は、昨年9月食材の放射線量検査機器購入に半額補助を決め、検査の公表への意向を明らかにした。しかしながら食材の品目数や回数は大変少ない。宮城県では1293ベクレル/Kgという驚くべき数値の給食が出されたといわれる。

 京都においても「学校給食の食材は大丈夫なのか」という不安の声が親からも上がり安全性が問題になっている。京都市では、親や栄養教諭などの申し入れにより福島、群馬、茨城、千葉、埼玉の産地野菜のみ検査所で放射能検査した値をホームページに掲載しているがまだまだ不十分である。なによりも国の責任において安心して食べられる学校給食を保障すべきである。


2、格差・貧困社会の子どもの課題と大津いじめ事件の影響

 子ども達の親の生活は、ますます厳しくなっています。不況、不景気を口実に賃金抑制・合理化、管理強化がすすめられ格差・貧困がすすんでいます。パート労働、非正規労働者がますます増えています。生活保護家庭が戦後最高になっています。親達の生活は追い詰められ、余裕を失い、子どもをつい責めたり、放置されている子どもが増えています。子ども達はそれに耐えながら寂しく思っています。さらに過度な競争が煽られる中で子ども達は苦悩しています。その苦しみを溜め込んだ不満・ストレスを他者攻撃に向けられると、暴力や暴言・荒れ、いじめや非行になるのです。これが「子どもの問題行動最多」を作り出しているのです。攻撃制が内に向けられと「こんな自分はダメだ」「うまくいかないのは自分の努力が足りないからだ」(自己責任)と自分を責めて子ども達は「孤独・孤立し」引きこもり、不登校となっていくのです。

(1)増加する問題行動・暴力・非行、子供の虐待被害

 文科省と警察庁は半年ごとに「子どもの問題行動・暴力」を発表しています。そして1年間の結果を発表していますが、ここ数年毎年「統計をとってから最多」と報道されています。これは現代の子ども達の攻撃制がますます強まり身近な人間に暴力・暴言になっているのです。子ども達は その学校生活、家庭生活、地域、社会のなかで息苦しさ、生きづらさを感じているのです。
また 子どもの虐待被害も「最多」を記録しています。これは「虐待防止法改正」で通報が増えたからだけでなく 「孤立する子育て」「追い詰められる経済状況」の中でその支援体制が追いつかなくなっているのです。この幼い時の虐待体験が新たな教育困難を生み出しているのです。

(2)減少しない不登校・登校拒否と父母・教師の取り組みと教訓

 子どもの数が年々減少しているにも関わらず「不登校・登校拒否」の子どもの数は「横ばい」と文科省は発表しています。不登校については「適応教室」や「教育相談」「スクールカウンセラー」等各教育・福祉行政で取り組みが進んでいるのにもかかわらず不登校が減らないのは何故でしょう。それは現在の日本の教育システム、子どもをめぐる社会構造からきているのではないでしょうか。不登校問題に取り組む教育実践、親の会運動からの教訓は今や教育のあり方そのものへの問題提起となっています。「弱いところも、得意でないことも あなたはありのままのあなたであっていいんだよ」「つらい時は学校へ行かなくてもいいんだよ」「自分の苦しみ悲しみを聞いてくれる中で私は私になれた」と不登校の子ども達が自分を取り戻したり、苦しむ親は子どものことを語る中で、子育てに 励ましを得て 自信を取り戻しています。

(3)発達に課題を持つ子の増加と学校・教師・父母の取り組み

 10月14日に開催された教育センター公開研究会「発達障害を考える」学習会には会場を溢れる115名の参加者がありました。いかに今学校現場教職員、父母保護者の中に発達障害、特別支援教育について 学習と悩みが多いかを表しています。とりわけ一般学級の担任は充分な支援体制が無い中でその指導で困難を抱えています。発達障害の子供を他の子ども達と共に成長させる実践研究と支援体制の充実が緊急の課題となっています。

(4)大津いじめ・自殺事件の原因・背景と事件の影響

@子どものいじめの現状と背景

 今回のいじめ・自殺事件の背景・要因には「いじめ遊びと子どもの変化」に特徴があります。それは「プロレス遊びで首を絞めたり、殴ったり、けったりする遊び」「足や手をしばり ガムテープで口を塞ぎ 苦しむのを見て遊ぶ」「1人の子が嫌がっているのにズボンや下着まで集団でずらして笑って楽しむ」等「いじめ遊び」が子ども達の一部の中で日常化しているという「いじめ文化」の広がりがあります。事件の学校でいじめ場面を目撃しても一部の子どもと教師は「いじめではないか」と心配しても「やりすぎうるな」と通り過ぎる教師や子どもも「またいつものふざけや」と放置してきたの現状があります。「友だちが苦しんでいるのを笑いと遊びにする」攻撃制(研究者の中にはサディズムだという分析がある)が今回のいじめ事件の特徴と言えます。「あれは あそびでふざけだ」と今だに加害のこどもが言い張るのはこのことのを反映かもしれません。

Aいじめ指導と事実の聞き取り

 いじめ指導ではまず「事実の聞き取り」が指導の出発で大切になります。それはまず「いじめられている子」に寄り添い「あなたを守る、味方だよ」と言う人間関係をつくり個別にていねいな聞き取りが重要です。いじめられている子は年齢が上がる程本当のことは簡単に言いません。「ちくったと仕返しをされないか」心配しているのです。「大丈夫」「遊び、ふざけです」「けんかです」と言ったからと放置せず、本人以外の目撃者に聞き取ることが大切です。証言で事実がはっきりしたらもう一度被害の子どもに確めるのです。そして加害の子どもに事実確認をします。その時も「いじめっ子は何処かでいじめられていたり、大切にされていない場合が多い」ことを考えて本当の事が言いやすいように聞き取る事が大切で、怒りながらでは事実が聞き取れません。今回の事件では 被害の子ども、周りの子ども、加害の子ども いずれもきちんとした聞き取りが出来ていなかったと思われます。とりわけ加害の子どもの親(PTA会長と役員)が事情調べを止めさせたと言われる中で学校の調査が充分されなかったという新しいいじめ問題の特徴と困難があります。

B学校・教育委員会の事実隠し、隠蔽体質が事件を大きくした

 今回の「大津いじめ・自殺事件」を大きくした原因として「学校・教育委員会の事実隠し隠蔽体質」が大きいと言えるのではないでしょうか。中には「マスコミが騒ぎすぎるのが原因」と言う主張も聞かれますが、元々「いじめはなかった」「自殺の原因といじめの関係不明」と言い続けていたのに 2回の生徒への「アンケート」の中に数多くの子どもの目撃証言が書かれていたことを「見落としていた」「気がつかなかった」などウソと事実隠しを平然と発表することに市民、国民世論は怒りを持ちマスコミが書き立てたのです。もっと早く学校長と教育委員会が事実をみとめ謝罪していれば 変わっていたはずです。

C「いじめ問題」と「子どもの自殺」の関係

  今回のいじめ問題の重要性は勿論「子どもが自殺した」ことです。当初マスコミとは「自殺はいじめが原因」と主張 その責任を加害者、教育委員会に迫っていました。それに対して教育委員会は「自殺の原因、いじめとの関係は不明」後に「家族関係に原因も」と主張してきました。学校、教職員関係者からは当初から「家庭が複雑、叱責が原因ではないか」と言われていました。事実子どもが自殺直後 父親は「家族のことであるので そっとしておいて」と葬儀も学校関係は断ったと伝えられています。しかし父親はしばらくして「子供はひどいいじめにあっていた」と聞くとその責任を追及されたのです。

 一般に自殺の原因は複雑で一つの原因に限ることは無理があるといわれていますが、過去の「いじめ自殺」の事例、遺書の分析をしても「いじめ」が1つの原因であることは間違いありませんが、いじめだけが原因と言えないことは幾つかの裁判でも明らかになっています。

 またいじめが適切な指導がされず長期化、日常化すると被害の子供が「うつ状態」になり、自死願望を持つようになります。なによりいじめを受けた子供が「教師も友だちも家庭も味方になってくれない」と本人が思い「みんな自分を見捨てている」と言う孤立と絶望の中で「生きていけない」となるのです。今回の大津「いじめ・自殺」も学校でのいじめを主要な原因としながら 自殺の子供に関係する友達・先生・家族から「見放された、味方してくれない」と言うことが 最後の生きる望みを断ち切ったと言えるのではないでしょうか。自殺の原因は「いじめを放置した学校か 複雑な家庭等の人間関係か」争うのではなく中2の生徒につながる友だち、教師、大人が「自殺を止めることは出来なかったのは何故」と自らに問いながら「どうすればいいのか」真剣に事件と向きあい語り合うことではないでしょうか。それはさらには私たち全て一人一人が子供の自殺を今一度考え合うことが重要ことではないでしょうか。

D大津事件の影響と問題点

  第一の問題は「教育現場と警察の関係です。大津警察署は被害の父親がいじめ被害で3回も相談と被害届けを警察に申し入れているのに「何時 どこで 誰が 何をしたのかはっきりしないと受理できない」と被害届けを拒否してきました。はっきりしないからこそ親は被害届けを出そうとしたのにこの警察の処置に市民から批判が集中しました。その批判をかわそうと警察は突然中学校と教育委員会を何の相談もなく強制捜査したのです。マスコミと世論は学校と教育委員会が事実を明らかにしない苛立ちから「いじめは犯罪だ、警察に任せたらいい」と言う考えが広まっています。いじめは確かに犯罪と呼べる事例もあります。しかし幼い子どもの友達同士のトラブルは子どもの集団の発達課題であり、暴言などは人権問題でもあります。事件以降 学校や教育委員会もまったく知らない所でいじめ警察の捜査が進められる事例が全国で広まっています。確かに明らかに犯罪と言える恐喝、リンチ・暴力等は 警察と連絡して対処しなくてはならない現実があります。しかしそれでも 学校・家庭と話し合い子供の立ち直りを見据えて対処しなくてはなりません。京都の教育現場でも府教委が「学警連携」と現職警察官が学校現場に入り込み「万引き指導」「いじめ指導」の学年集会などで指導するなどは、教育の放棄と言える問題ではないでしょうか。

 第二の問題は大津いじめ事件の中で大津市長が教育委員会介入している問題とその影響です。大津市長は最初教育委員会の「自殺の原因といじめの関係は不明」としていたのが「アンケートに自殺の練習という記述があった」と判明するや「裁判で争わない和解する」「教育委員会は信用できない、なくても良い」等と一方的に発表しました。さっそく大阪の橋下市長は「全く同感」とコメントしました。今「教育委員会無用論」が広がろうとしているのは危険な動きです。行政の市長・知事とは独立した権限をもつ教育委員は元々市民の選挙で選ばれていました。それを行政の首長の任命に保守政権が改悪したのです。准公選制も含めて 民主的な委員会にしていくことが大切です。

 第三の問題は 大津市議会で「いじめ条例」が決定されようとしている問題です。子ども、親に「いじめを発見したら届出る」と言うことを条例で決めると言うのです。いじめ防止を条例にしたらいじめはなくなるのでしょうか。子供はますます管理と監視の中におかれ息苦しい学校生活になるのではないでしょうか。全国にこの動きが広まろうとしています

(5)現代の子どもの苦悩を深く理解し 父母 子どもと共にいじめ問題に

 以上今日の子供を巡る状況を「問題行動・暴力、荒れ、非行」「不登校・登校拒否」「発達に課題を持つ子の問題」の中で明らかにし、「大津いじめ・自殺事件」の背景・原因・問題点と事件の影響について考えました。それでは「いじめ・自殺」問題に取り組む課題は何でしょうか。

 第一に いじめ指導は 全ての日常指導にあります。およそ子どもの集団の中では「いじめが全くない」ということはありえません。一回限りのことや小さい事を含めて日常生活の中に次々新しいことが起こるのです。1時間「特別指導」をしたから一切のいじめやトラブルがなくなるわけではありません。いじめ問題が注目されるたびに「いじめが起こるのは規範意識が弱いから、道徳教育と生徒指導を厳しく」と言う主張がいつも強調されますが、大津の事件の中学校が長く「道徳教育推進校」であったことからも「いじめはいけない」の概念だけで不充分です。一つ一つの出来事を聞き取り、具体的なことで、話合う中で子どもは発達し成長していくのです。自主的集団的な取り組みと、一人一人の子どもと子ども、子どもと教師のつながりがいじめを少なくし、楽しい学校生活を子どもと教師で作り上げる日常指導が何より大切です。(日常指導・自主的集団活動)

 第二に 子ども一人一人の生活現実を子どもが表現する機会を増やし 表現力を伸ばす取り組みです。学力向上、繰り返し練習ドリルも大切ですが、子どもの生活ノート、生活の記録を通して一人一人の子どもの生活、思い、悩みをたとえメモでも1・2行の文でも書かせ友だち関係の事実をつかむきっかけを得ることが大切です。アンケートもいいですが日常生活をつかむことが重要です。その中で「いやなことは『いや』と言える表現力」をつけるのです。その中から学級通信・学級文集を編集し今学級で皆がどんなことを考えているのか交流する実践が大切なことになります。(個別生活把握と表現力・学級通信)

 第三に子どもの現状、問題を教職員集団で常に情報交換し、学級と学年の状況を全校で共通理解することです。現場が忙しくなり「朝の打ち合わせ」を無くする学校が増えてますが、今一度考え直すべきではないでしょうか。又今回の事件で明らかになった中学校では学年が違うと全く分からない状況も検討する必要があるのではないでしょうか。生活指導委員会で出された学年の子どもの状況、問題をニュース・文書でも全体のものにすることが不可欠ではないでしょうか。小学校では担任が事実を隠すと他の教師は分からなくなります2人でも学年会は大切です。(教師集団)

 第四に 父母との関係です。ややもすると父母からの要望や苦情は避けられがちですが、一部の理不尽な要求は別にして その苦情の背景にある自分の子どもの可能性を延ばして欲しい、自分の子どもを大切にしてほしいという個人の要望を父母の共通の要求にするにはどうするか、学級懇談会の工夫、地域の教育懇談会・集会を少数でも続けることが今こそ大切です。(父母の苦情・要求を父母のつながりに)

 第五に 現在の日本の政治状況、教育をめぐる情勢はかつてないほど右傾化、危機にあります。教育委員会制度、学校の職員会が無力化され教育を政治支配の道具にされようとしています。このような状況の中で子どもと教師、父母がゆがみあっていてはなりません。教師は厳しい情勢の中で 市民と共に 消費税 生活保護 原発 沖縄問題 TPP 偏ったメディア問題等 無関心であってはなりません。地域住民と語り合い一人の住民市民として共通の地域要求で手を結ぶことです。(地域住民と共に)


3.橋下・「維新の会」による「教育改革」

(1)背景

 民・自・公の政治的失敗による社会的閉塞感は、風穴をあけてほしいという風潮をつくり、それにマスコミも同調して日本を右傾化させているのが橋下・「維新の会」の動向であるといえるでしょう。

 橋下氏は、2008年の大阪知事選で「大阪の子どもに笑顔を」と言って当選しましたが、すぐ公約を破り、財界の要求に沿って上からの強圧的政治に転じました。そして石原東京都知事が実施した新自由主義・国家主義的政策のさらに先を行く危険な政策を実行しています。今や京都、名古屋などの地方にも「維新の会」として広がりをもっています。

 橋下・「維新の会」は、いくつかの条例を矢継ぎ早に出していますが、これらを「教育諸条例」として押さえて、その特徴を考えてみましょう。

(2)「教育改革」の特徴

@ 「国旗・国歌」の条例による押しつけ

 2011年6月、「国旗・国歌条例」が大阪府議会で「維新の会」によって強行可決されました。「日の丸」「君が代」が嘗って担った戦争への協力の問題などの議論はいっさいありませんでした。2012年3月、卒業式や入学式での業務命令で起立斉唱を強要されました。君が代を歌ったかどうかの口元をチェックする管理職があらわれたり、起立しなかった教師を保護者の前で謝罪させた校長も現れました。新国家主義の露骨な「非」教育的押しつけで、思想・良心の自由の完全な侵害です。

A 政治の教育への介入

 典型的には首長が「教育目標」を決定出来るという問題です。2006年の教育基本法の改悪による「愛国心」条項が規定されました。これを基にして首長が教育目標に介入する恐れがあります。つまり、排他的なナショナリズムが押しつけられ危険性です。

 教育委員が目標を達成できない場合は首長が罷免できるという条項があります。これは教育委員会が本来もっている政治的中立性を侵すものです。橋下氏はもともと教育委員会無用論者ですが、大阪府教育委員でも教育条例に反対して一時「辞職」の態度を表明したことは無用論を否定するものだったことの証左と言えるでしょう。

B 競争の激化でエリートづくり

  高校の学区を撤廃して父母による「学校選択の自由」を保障しようという政策です。実際は保障されるどころか、どの高校を選ぶかで15の春は泣かされます。いわゆるエリート校に人気が集中し、底辺校は定員割れを起こして統廃合の対象にさせられる可能性があります。

  高校入試をかかえる中学校は一層激しい学力競争に走るでしょう。文科省の一斉学力テストで大阪は「低位」でした。最も貧困と格差が激しい大阪です。問題のある学力調査テストですが、低位であることは必然と言ってもよいのです。貧困と格差をそのまま放置して置いて学力テスト結果のみを学校別に公表しようというのは暴挙です。子どもたちが犠牲になります。

C 管理と監視の中の学校

 教職員は5段階の人事評価にさらされ、免職を含む「懲戒処分」になるという仕組みがまっています。儀式で「国旗・国歌」条例におどされ、日常の授業では管理職の授業評価の目に晒されます。そして「教育は2万%強制である」という教育観を強要されます。「学校は監獄である」という悲鳴は現実味を帯びています。

(3)民主教育の視点

@ 大阪の先生たちは、情勢の学習を深めて頑張っています。
A 教育の条理(憲法)にもとづいて実践します。子どもと教育に関わるあらゆる人々とつながりあて合意形成への努力をしています。
B  教育委員会制度の政治的中立性が担保されるために公選制を視野にいれて、民意が教育委員会に反映できる教育行政になるように取り組みます。
C  対抗軸として、「地域に根ざす教育」を進めます。子どもは地域で育ちます。例えば、小・中で遠距離通学を止め、高校では学区の縮小を求めます。
D 「いのちの尊重」という人類の普遍的価値を教育で実現します。公害・原発事故でもその事実に真剣に向きあわない無責任体制を「いのちの尊重」を中核とする社会に改革する展望を持って努力していきます。


4.新学習指導要領と学力問題

(1)新学習指導要領の検証:増えた学習内容と積み残し、子どもの疲れ

○ 新学習指導要領では、小中学校での学習内容は約30%増加されたが、授業時間数は小学校で約4%、中学校で約7%増加したに過ぎず、1時間あたりの学習内容はさらに増えることとなった。

 その結果、教科書通り授業を進めるとすると、いっそう大量の「おちこぼし」を生む危険性があり、教師の多忙と負担増が劇的にもたらさねかねない。

○ このような状況を見越してか、高校学習指導要領では、新たに「義務教育段階の学力」を高校で履修し直すことが明記されることとなった。高校1年生で新しい科目の設置や数学・英語などで週あたり4時間から6〜8時間設定まで可能として、義務教育段階の学習内容を高校で学び直させようとしているのは、「おちこぼし」を前提としているといえるのではないか。

○ 改悪された教育基本法の趣旨に沿って、あらたに「神話」や「古典」が教科書に載せられるなど復古的な内容の問題も生じている。

○ 改訂「教育基本法」をうけて、全領域での「道徳教育」重視とともに、「体育」の授業で討論やレポートに取り組むことを通じて「言語能力」を培おうとするなど、小中高校にいたるまで、全教科で「言語能力」を「重視」するよう徹底しようとしてきているのが今回の特徴といえる。

○ 授業時間数確保のために、「総合的な学習」の縮小と中学校での「選択授業」が廃止されるとともに、夏休みや冬休みの短縮が全国的に進んでいる。また、私学に次いで公立学校でも土曜日授業が実施されつつあり、週休5日制は形骸化しつつあり、教職員・子どもの多忙化に拍車をかけるものとなっている.。土曜日の扱いが大きな課題となっている。

○ 「部活動」の文言が、今回の学習指導要領に初めて明文化されたが、学校によっては、放課後の長時間練習や早朝練習に加え、土日の練習試合など際限のない教職員の超過勤務と慢性疲労を抱えた子どもたちが大量に生み出されているという問題がある。

(2)学力テスト問題

○ 予算の関係で悉皆調査から抽出調査としたが、「自主的」参加も含めかなりの高率で「全国一斉学力テスト」が実施されてきた。この間の大阪府市の動きにもみられるように、「学力テスト」結果の学校別順位の公表を通じて、教職員の管理・統制を強化しようとするところに大きなねらいがある。

 また、B問題への各学校での取り組みを通じて、新学習指導要領の「言語能力」重視を徹底させるねらいもあると考えられる。

(3)民間研や自主教研の状況

○ 授業時間確保のためとして、「夏休み」「冬休み」などの長期休暇が切り詰められるもとで、民間教育研究団体の夏季全国大会などへの参加条件がたいへん厳しくなっている現状がある。

 また、土日の授業・補習・部活動練習などにより、自主的な教育研究活動が持ちにくい状況がつくられている。しかし、新採用教職員が急激に増加してきている学校現場にあって、青年教職員の「いい教育がしたい」「経験から学びたい」という要求は強い。「新任教員研修」での負担軽減の全国的な要求運動の成果もあり、改善されてきた。教職員組合主催の青年教職員の「教育講座」「せんせいの学校」などへの青年教職員の継続的な参加も生まれてきている。新採教員が「楽しいわかる授業づくり」を学びたいと呼びかけて自分たちで「社会科サークル」を立ち上げ、先輩教員が経験を紹介しながら相互に学び会う取り組みも地域で生まれ始めている。これらの経験をさらに学び広げたい。


5.偏差値で学校を選ぶ時代が!

(1)京都市・乙訓総合選抜地域の教育改革の方向を考える

 京都府・市教育委員会は昨年10月「京都市・乙訓地域公立高校教育制度に係わる懇談会」(以下懇談会と略す)を設置し、1985年から始まった「類・類型制度に基づく高校教育制度」を抜本的に改定し、いよいよ各高校による単独選抜への道を歩み始めた。

 1985年からの「類・類型制」は、同じ高校内での序列化を進め、かつ高校間での序列化を進めるなど全国的にも例を見ない制度であり、発足当初から深刻な制度矛盾を抱えていたが、それでも京都市・乙訓地域ではT類の総合選抜は維持されてきた。

 その総合選抜が単独選抜に変わることの意味は、高校間格差が如実なものになり、偏差値による輪切りが全府下的に進むことである。教育委員会は「公立高校を中学生が選べるようにする」、「各高校の特色を中学生が選んで、受験する」と説明しているが、懇談会の中でも委員から「21高校で21の特色はできない。結果的にはランク分けになる」との危惧が出されていた。

 この間、公立高校は様々な特色をうたった特色学科などを設置してきたが、そのいずれもが大きな困難に直面している。そのことの示す教訓は、特色で高校を選ぶことの難しさを示している。結果的には数年後に受験産業がはじき出した「偏差値」で輪切りされることになる。

 さらに、通学圏が京都市・乙訓すべての公立高校に拡大され、広域の通学範囲になることも、深刻な問題を含んでいる。最初は学校間格差は緩やかでも、やがて他府県と同じ偏差値輪切りになるため、長距離通学生を余儀なくされる生徒が心配される。

(2)安心して地域の公立高校で学べる環境を!

 京都府が長らく堅持してきた「高校3原則」によって、京都の公立高校は地域に均等に設置されている。これは大変恵まれた教育環境である。これから迎える偏差値教育に抗して、安心して近くの公立高校で学べる学校作りと教育環境整備が何より大切である。
 この27年間で公立高校の教育思想は「選別」にその中心をおいてきた。成績によってクラス分けする事が当然のごとくなされてきた。しかし、かつては高校低学年では、共通教科を、進級に伴って、希望を中心にした選択科目をおき、興味と関心、進路上必要な科目を自ら選択して、高校での学習を進めてきた。

 しかし、競争原理的な教育思想が受験効率を優先させ、教科選択ではなく、コース制によって教育費を圧縮している。その結果、できる生徒には手厚く、できない生徒にはそれなりにという教育政策が行われているが、基本的に誤りである。しかしこのままで推移すると、成績上位校への予算配分は手厚く、下位校には少なく配分することが予想される。しかし、本来は”できない生徒”にこそ十分な時間と対応が必要であるのは明らかである。つまずきを抱えた生徒に様々な工夫をしながら理解を保障する教育が求められる。そのためには学校が自由で、教師の豊かな教育研究を進める旺盛な教育論議と交流が益々大切になる。しかし、現在の学校は教師への個人評価によって自由にものが言えない職場環境がある。最近、産業界でも特に製造業において社員のやる気を引き出すためにいかに働きやすい職場を作るかが研究されている。ましてや、教育現場が数値目標によって評価され、教師が萎縮せざるを得ない不合理性を改めることが特に必要であろう。

 中学生が高校を選ぶ最も大きな点は、「学校の外観と設備」である。すべての公立高校が環境を整え、設備を充実させることは緊急に必要なことである。耐震補強や、教室やグラウンドなど学校のたたずまいを整えどの学校を選んでも等しく教育環境が保障されることを求めたい。

(3)今あらためて「学校とは」、「教育とは」の議論を

 今年度の府立高教組の大会アピールは、学校現場が数値目標と成果主義の競争に追い立てられて、周りのことに目が向けにくくされている現状を指摘し、今あらためて「教育とは何か」を問い直す必要があると訴えている。このことは同時に「学校はどのようなところでなくてはならないのか」を問い直すことでもある。「競争と管理の教育」に対抗する対抗軸をどう実践的に打ち立てるのか、そのことが問われている。


6.歴史認識と教科書問題

(1)南京大虐殺・「従軍慰安婦」などをめぐる歴史歪曲

(ア)河村たかし名古屋市長は2月、名古屋市と友好関係にある中国・南京市の共産党幹部との会談で、「南京大虐殺はなかったと思う」と発言した。

(イ)大阪維新の会代表(当時)・橋下徹大阪市長は8月の記者会見で「慰安所はあったかもしれないけど、慰安婦が軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという証拠はない。あるなら韓国にも出してもらいたい」と発言した(21日)。橋下市長はその根拠として2007年の閣議決定で「慰安婦」の強制連行を裏付ける直接の証拠はないことが確認されているとした(24日)。

(ウ)9月、自民党新総裁に安倍晋三が再度選ばれた。これ以前の4月、安倍元首相は自民党部会で2011年度の高校教科書検定結果について、「慰安婦」、南京大虐殺、731部隊など日本の加害の記述が検定に合格したことを批判し、「自分が総理のときに、『いわゆる従軍慰安婦の強制連行はなかった』と国会で答弁したが、一体、いつ変更したのか」と、自らの政権時代の歴史歪曲を根拠にして再び加害の歴史事実の否定を行っている。安倍新総裁の登場により、櫻井よしこらがアメリカの新聞に「慰安婦」の強制連行を裏付ける資料は存在しないという意見広告を載せるなど、「慰安婦」問題に関して「河野談話」を否定する動きを加速させている。

(エ)橋下大阪市長と松井一郎大阪府知事は、大阪の戦争展示施設・ピースおおさかに代えて、「近現代史博物館・近現代史教育館」を建設するとの構想を示した。新たな展示内容については、「日本教育再生機構」「新しい歴史教科書をつくる会」の意見も聞くとの意向を示し、戦争に関する大阪の公的な発信内容に関して、「つくる会」系の見解に市民権を与えようとするものである。

(オ) 日本の戦争の加害の事実を否認しようとする自民党・民主党の右派と第三極を名乗る勢力が今日目指す焦点は、「慰安婦」問題に関する「河野談話」を否定することである。実は安倍内閣当時の閣議決定も強制性に関しては「河野談話」の内容を踏襲するとしている。「河野談話」は「慰安婦の募集については、…本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」とするものである。直接の資料の有無に関わらず、「全体として判断した結果」、「慰安婦」の募集及び慰安所の生活は「強制的な状況の下での痛ましいものであった」としたのである。にもかかわらず、強制性を狭義に解することと、被害者の証言を無視し資料の有無のみに問題をすり代えることで、深刻な加害事実を根拠の曖昧なもののように見せかけ、ついには事実の存在そのものをもなかったものと描き出すのが歴史修正主義の常套手段である。

(2)「尖閣諸島」「竹島」問題とアジア外交

(ア)竹島・独島は現在、韓国が実効支配をしているが、李明博大統領が大統領として初めて島に上陸し、韓国領土であることをアピールした。日本ではこれに反発する世論があるが、韓国の世論には実効支配している島をことさら外交争点化した大統領の行為を批判的にみる向きが相当程度存在していること、また、当初日韓関係の未来志向を唱えていた李大統領がそのための「従軍慰安婦」問題の解決を昨年の京都首脳会談で野田首相に持ちかけていたにもかかわらず、日本側が0解答だったことが今回の背景の1つであることが指摘できる点が重要である。

(イ)尖閣諸島をめぐっては、今年に入ってから石原東京都知事(当時)が都による購入方針を発表し、都への対応に迫られたこともあって野田内閣が尖閣諸島の民有地の島を地権者から購入した。これが中国世論の激昂と政府の厳しい姿勢をひき起こし、日中関係を冷え込ませたまま今日に至っている。チャイナ・リスクを認識した日本の世論では中国に対して厳しい見方が広がりつつある状況にある。野田内閣の対応については、国有化方針の発表は盧溝橋事件が発生した7月7日であったこと、実際に国有化を実施したのがAPECで日中首脳が言葉を交わした直後であり、かつ柳条湖事件の9月18日の直前であったことなど、明らかに配慮を欠いたものであった。

(ウ)竹島の日本領土への編入は、第1次日韓協約により韓国政府に日本政府推薦の外交顧問が必要されるようになっていた1905年2月であった。この直後、日本は韓国を保護国化する第2次日韓協約を強要した。韓国側は竹島・独島問題は日本帝国主義による韓国保護国化・植民地化の歴史問題と認識している。戦後、アメリカ占領軍の決定をめぐり島近海に李承晩ラインが設定されたが、日韓基本条約で撤廃された。しかし、その後また韓国が実効支配して今日に至っている。

(エ)尖閣諸島の日本領有は、日清戦争の帰趨が決まった1895年1月であり、下関条約の対象とはなっていない。敗戦にともなって沖縄などとともにアメリカ軍の軍政下に入った。サンフランシスコ平和条約で沖縄の一部としてアメリカの施政権下に入ることになるが、同講和会議に二つの中国(中共、台湾)ともに招聘されておらず、この件について発言する機会は与えられなかった。中国外交部が尖閣諸島・釣魚島について初めて主張したのは1971年に沖縄返還区域内に尖閣諸島を入れられた際である。中国側の明代からの島の認識・領有の主張には疑問・問題点が指摘できるが、中国側からは、尖閣諸島・釣魚島は日本帝国主義によって奪われた中国の領土の一部であり、それを主張しえなかったのも日本の戦争責任と戦後処理の問題と映ることになる。

(オ)竹島・尖閣諸島の問題とも、相手側が歴史認識問題、戦争責任問題として捉えていることを知る必要がある。日本政府が「固有の領土」と主張していることは歴史認識を無視することとなる。また、韓国の場合、背景には「従軍慰安婦」問題の影が大きい。相互に自国の主張を押し通すだけでは、不慮の衝突から戦争に発展することもありうる。領土問題は正しい歴史認識に立つことだけで解決できるものはないことも知るべきである。平和的解決と友好・互恵の立場に徹しなければならない。

(3)教科書をめぐる情況

(ア)八重山地区の教科書採択が一本化できず、育鵬社の公民教科書を拒否した竹富町の教科書については国の無償措置が適用されないという採択制度・教科書無償措置制度の問題点・不備が放置されたままの状態になっている。教科書採択権を学校現場や、教師などの専門的な議論の積み重ねに委ねようとせず、教育委員の政治的任用によって現場の意向を無視して採択を強行しようとする「つくる会」・教育再生機構などの戦術が事態を混乱させている。安倍自民党総裁の登場により、教育委員の政治的な採択がますます強められる懸念がある。石垣市・八重山地区の採択協議会が育鵬社の公民教科書を採択するにあたって利用されたのが、尖閣諸島をめぐる中国脅威論と国境近くの島嶼部防衛強化論である。領土問題をめぐるナショナリズムの煽りが教科書採択へも悪影響をもたらしている。

(イ)都立高校と横浜市立高校における教科書の学校採択において、実教出版の日本史Aを採択した学校の学校長に教委から電話で採択を変更するよう口頭で伝えられ、学校長が社会科教員に圧力をかけたり、学校長が勝手に教科書採択を変更する事態が起きている。これは、国旗・国歌をめぐって一部の自治体に強制の動きがあることを記述した実教出版『日本史A』を両教委が敵視し、高校の学校採択を侵害した問題である。教科書無償制にともない導入された広域採択制度と、教育委員会採択にまつわる問題のみならず、学校現場の採択を行ってきた高校へも圧力が加えられるようになっている深刻な状況である。

(ウ)高校日本史教科書には、「従軍慰安婦」、731部隊、南京大虐殺などが記述されているが、これに対して安倍自民党総裁を筆頭に執拗な攻撃が行われている。また領土問題を背景に地理・公民教科書においては北方領土・竹島・尖閣諸島などについて日本政府の主張をそのままに記述する傾向にある。領土ナショナリズムを克服しうる歴史認識と相手側の主張・論理への理解、そして歴史歪曲を許さない歴史の客観的・実態的認識が可能となる教科書と教育実践が求められる。そのための教科書制度・採択制度の改善と教育への政治介入を許さない運動が求められる。

 
 「京都教育センター年報(25号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(25号)」冊子をごらんください。

事務局   2012年度年報もくじ

              2013年3月
京都教育センター