事務局   2012年度年報もくじ


京都教育センター 年報25号(2012年度)


第43回京都教育センター 研究集会 基調報告


子どもと教育をめぐる情勢
                    京都教育センター運営委員会
 
はじめに――新自由主義教育の暗雲に覆われた子どもと学校
 
 
 2006年12月15日、当時の安倍内閣による「教育基本法の改変」はそれ以降の学校教育をはじめ教育全般を大きく転換する施策の引き金になりました。この転換路線は「自民党をぶっ壊す」とのキャッチフレーズで、グローバル競争と規制緩和をベースにした「聖域なき構造改革」路線を推進し、国民に貧困と格差をもたらした小泉内閣(2001〜2006)の教育版ともいえるものでした。閉塞した政治・経済状況を打開するとの欺瞞的手法で「改革なくして成長なし」との打ち出し、営業や医療・福祉での「小さな政府」論を強行しそれ以降の国民生活の土台を破壊しました。教育面では文科省などの「抵抗勢力」もあり、改革が容易ではありませんでしたが、「教育基本法の改変」以降は新自由主義的教育観の嵐のもと、矢継ぎ早に強行される施策の「見直し」で学校教育が危機的状況に陥っています。「美しい国づくり」と「戦後レジュームからの脱却」を掲げた安倍氏は自民党総裁に返り咲き、次の首相をシフトして「教育再生実行本部」を立ち上げ、「6・3・3・4制や教員養成の見直し」「教科書検定・採択の改革」「教育委員会制度改革」などの教育改革ヴィジョンの検討をすすめています。

 「教育基本法の改変」で安倍氏が重点とした「愛国心の涵養」にはあまり乗り気でなかった文科省も「教育振興基本計画」の策定には真っ先に飛びつき、翌年からの「全国いっせい学力テスト40年ぶりの復活」を手始めに、教育内容の策定にどんどん踏み込んできました。「金は出すが教育内容には介入しない」とする「47基本法」の精神を投げ捨て「金はケチるが教育内容には口出しする」行政に大転換したのです。私たちは、これまでの反動的教育施策の押しつけに対しては「教育基本法」を“後ろ盾”にした反撃を果敢に展開してきましたが、改悪された今では反動勢力の“錦の御旗”になろうとしています。地方教育委員会もこれに追随し、大阪府・市をはじめとして教育委員会を飛び越えた条例制定や施策の見直しを強行し、子どもを主人公とする学校づくりや「子ども声に耳を傾ける」教育観は後衛に追いやられてしまいました。かつての一時期に革新自治体であった東京都や横浜市、名古屋市、大阪府、大阪市、京都市などがその先陣を走っているのも特徴です。

 2006年以前からも、政府直轄の「臨時教育審議会」や「教育改革国民会議」、「教育再生会議」などが教育行政の枠を越えて政策提起することはありましたが、学校現場や子どもたちにダイレクトな影響を及ぼす施策の遂行については慎重であったと言えます。しかし、「教育基本法の改変」以降は「教育振興基本計画」の策定権限をふりかざして、都道府県や市町村段階での「時間差」があるものの一気に具現化されているのが大きな特徴です。
  新自由主義教育政策について佐貫浩氏(教科研委員長)はその著書「危機のなかの教育」で次のように述べています。

 新自由主義とは、単なる市場主義イデオロギーの自己運動でも、規制緩和という「自由化」が本質でもなく、巨大化した多国籍資本による国家権力の再掌握のもとで、国家政策と社会のしくみが、この支配者の意図に沿って、強権的に組み替えられるその手法、しくみ、制度、理念の総体である。
そして、新自由主義の具体的教育施策は次の4つの目的や性格をもつものである。

 (1)グローバル競争を担う人材要求と国民統合
@国家と教育行政による「教育目標」の設定、「教育振興基本計画」の策定
A新学習指導要領による教育内容への詳細な支配
B教育現場からの報告の強制、学校運営と教育実践へのPDCAサイクルの導入
C学力テスト体制
D学区の自由化と学校選択制の導入による学校間競争の組織化
E教師への成果主義管理、人事考課制度の導入
こうした新自由主義的な教育施策はこの10数年間、かつてない緻密さと効率性でスピーディーに強行され、学校現場に強力な統制力、支配力が浸透することになった。
(2)教育費の抑制で学校の教育力の後退を招く
(3)この間の社会格差に対応する学校制度の格差的多様化で格差のスパイラルを強める
(4)学校教育は安定した雇用のイス獲得のサバイバル競争になりその結果は「自己責任」に帰着される
 
 
 1.原発問題と学校教育
   
(1)被災地の子ども・学校の実情と原発再稼働をめぐって

     ぼくらがじしんにとられたもの  浪江小 松本諒
ぼくらがじしんにとられたもの それはみんなの心をとられた
あのおそろしい事からこわくなった またあのじしんが来ると思いこわくなった
だけどぼくたちにはまだ命がある それだけでうれしい

ぼくたちがじしんにとられたもの それは自分のゆめをとられた
ゆめにむかって歩きだした一歩で ぼくのゆめはとまってしまった
でもいまはゆめがある それは幸せにみんながなること すこしでも

 福島県浪江町は福島第1原発事故に伴い全町避難。529人の子どもたちも全国に散らばったが、浪江小学校は同県二本松市の廃校を借り開校している。今、30人の子どもたちが懸命に学んでいる。

 東日本大震災から1年9か月たつ今なお震災復興は、遅々としてすすんでいない。復興予算の大企業への流用問題や、2030年代に原発稼働ゼロを可能にするという不十分な方針も日本経団連やアメリカに批判されると閣議決定すら見送った政府の責任は大きい。さらに政府と関西電力は、「原発はいらない」「原発NO」の多くの国民の声を無視し、大飯原発の再稼働をすすめた。関西電力京都支店前では毎週金曜日「再稼働反対」のアクションがおこなわれ、毎回200〜300人の市民が大飯原発再稼働を強行した関西電力への抗議行動がおこなわれている。また京都を中心に「大飯原発差止訴訟」第1次原告団が発足し、11月29日提訴している。今、国民の「原発ゼロ」の声を実現する政治の転換が求められる。

(2)原発学習について

 原発の必要性と安全性をベースにして作成・普及されてきた文科省の副読本「わくわく原子力ランド」「チャレンジ原子力ワールド」には、「大きな地震や津波にも耐えられる」などの記述が随所に見られ「原発安全神話」を吹聴する多くの問題点があったことが判明した。今回の事故を踏まえ「放射線について考えてみよう」など放射線の解説を主とした新たな副読本が文科省から発行されたが、その内容は、福島原発事故についての記述は数行記載されているだけで、大事故の実態やその原因、地震と津波の影響などには一切触れないもので、放射被ばくの危険性を覆い隠し、新たな「安全神話」を基調としたものとなっている。

 私たちは子どもたちに科学的な認識と判断力を育てる教育をすすめる立場から、「原発・放射能」のことを正しく教えるテキストとして、「原発・放射能をどう教えるか」を2012年6月、京都教育センターが編集し、京都教職員組合が発行した。テキスト作成の編集委員となった市川彰人氏、小野英喜氏が中心となり各地で学習会が開催されている。今、徐々にではあるが理科、社会、「総合的な学習の時間」などの時間を活用し実践され始めている。今後さらにテキストを活用し、実践がおこなわれることが望まれる。

(3)子どもの安全と学校給食

 岩手、宮城、福島の教職員は、教職員組合の所属の違いをこえて文部科学省に対し「東日本大震災と福島第1原発事故による被災地の学校と教育の1日も早い復旧・復興を求める要求書」を提出し、要請した。その内容は、学校・地域の復旧・復興をはかり、被災地に生きる子どもたちの安心・安全を確保し、教育活動を保障する。原発事故の被害から子どもたちを救済し、放射能汚染から守るための対策を講じる。の二点が大きな柱となっている。

 文部科学省は、昨年9月食材の放射線量検査機器購入に半額補助を決め、検査の公表への意向を明らかにした。しかしながら食材の品目数や回数は大変少ない。宮城県では1293ベクレル/Kgという驚くべき数値の給食が出されたといわれる。

 京都においても「学校給食の食材は大丈夫なのか」という不安の声が親からも上がり安全性が問題になっている。京都市では、親や栄養教諭などの申し入れにより福島、群馬、茨城、千葉、埼玉の産地野菜のみ検査所で放射能検査した値をホームページに掲載しているがまだまだ不十分である。なによりも国の責任において安心して食べられる学校給食を保障すべきである。

 
 2、格差・貧困社会の子どもの課題と大津いじめ事件の影響
   
 子ども達の親の生活は、ますます厳しくなっています。不況、不景気を口実に賃金抑制・合理化、管理強化がすすめられ格差・貧困がすすんでいます。パート労働、非正規労働者がますます増えています。生活保護家庭が戦後最高になっています。親達の生活は追い詰められ、余裕を失い、子どもをつい責めたり、放置されている子どもが増えています。子ども達はそれに耐えながら寂しく思っています。さらに過度な競争が煽られる中で子ども達は苦悩しています。その苦しみを溜め込んだ不満・ストレスを他者攻撃に向けられると、暴力や暴言・荒れ、いじめや非行になるのです。これが「子どもの問題行動最多」を作り出しているのです。攻撃制が内に向けられと「こんな自分はダメだ」「うまくいかないのは自分の努力が足りないからだ」(自己責任)と自分を責めて子ども達は「孤独・孤立し」引きこもり、不登校となっていくのです。

(1)増加する問題行動・暴力・非行、子供の虐待被害

 文科省と警察庁は半年ごとに「子どもの問題行動・暴力」を発表しています。そして1年間の結果を発表していますが、ここ数年毎年「統計をとってから最多」と報道されています。これは現代の子ども達の攻撃制がますます強まり身近な人間に暴力・暴言になっているのです。子ども達は その学校生活、家庭生活、地域、社会のなかで息苦しさ、生きづらさを感じているのです。
また 子どもの虐待被害も「最多」を記録しています。これは「虐待防止法改正」で通報が増えたからだけでなく 「孤立する子育て」「追い詰められる経済状況」の中でその支援体制が追いつかなくなっているのです。この幼い時の虐待体験が新たな教育困難を生み出しているのです。

(2)減少しない不登校・登校拒否と父母・教師の取り組みと教訓

 子どもの数が年々減少しているにも関わらず「不登校・登校拒否」の子どもの数は「横ばい」と文科省は発表しています。不登校については「適応教室」や「教育相談」「スクールカウンセラー」等各教育・福祉行政で取り組みが進んでいるのにもかかわらず不登校が減らないのは何故でしょう。それは現在の日本の教育システム、子どもをめぐる社会構造からきているのではないでしょうか。不登校問題に取り組む教育実践、親の会運動からの教訓は今や教育のあり方そのものへの問題提起となっています。「弱いところも、得意でないことも あなたはありのままのあなたであっていいんだよ」「つらい時は学校へ行かなくてもいいんだよ」「自分の苦しみ悲しみを聞いてくれる中で私は私になれた」と不登校の子ども達が自分を取り戻したり、苦しむ親は子どものことを語る中で、子育てに 励ましを得て 自信を取り戻しています。               bQ

(3)発達に課題を持つ子の増加と学校・教師・父母の取り組み

  10月14日に開催された教育センター公開研究会「発達障害を考える」学習会には会場を溢れる115名の参加者がありました。いかに今学校現場教職員、父母保護者の中に発達障害、特別支援教育について 学習と悩みが多いかを表しています。とりわけ一般学級の担任は充分な支援体制が無い中でその指導で困難を抱えています。発達障害の子供を他の子ども達と共に成長させる実践研究と支援体制の充実が緊急の課題となっています。

(4)大津いじめ・自殺事件の原因・背景と事件の影響

@子どものいじめの現状と背景

 今回のいじめ・自殺事件の背景・要因には「いじめ遊びと子どもの変化」に特徴があります。それは「プロレス遊びで首を絞めたり、殴ったり、けったりする遊び」「足や手をしばり ガムテープで口を塞ぎ 苦しむのを見て遊ぶ」「1人の子が嫌がっているのにズボンや下着まで集団でずらして笑って楽しむ」等「いじめ遊び」が子ども達の一部の中で日常化しているという「いじめ文化」の広がりがあります。事件の学校でいじめ場面を目撃しても一部の子どもと教師は「いじめではないか」と心配しても「やりすぎうるな」と通り過ぎる教師や子どもも「またいつものふざけや」と放置してきたの現状があります。「友だちが苦しんでいるのを笑いと遊びにする」攻撃制(研究者の中にはサディズムだという分析がある)が今回のいじめ事件の特徴と言えます。「あれは あそびでふざけだ」と今だに加害のこどもが言い張るのはこのことのを反映かもしれません。

Aいじめ指導と事実の聞き取り

 いじめ指導ではまず「事実の聞き取り」が指導の出発で大切になります。それはまず「いじめられている子」に寄り添い「あなたを守る、味方だよ」と言う人間関係をつくり個別にていねいな聞き取りが重要です。いじめられている子は年齢が上がる程本当のことは簡単に言いません。「ちくったと仕返しをされないか」心配しているのです。「大丈夫」「遊び、ふざけです」「けんかです」と言ったからと放置せず、本人以外の目撃者に聞き取ることが大切です。証言で事実がはっきりしたらもう一度被害の子どもに確めるのです。そして加害の子どもに事実確認をします。その時も「いじめっ子は何処かでいじめられていたり、大切にされていない場合が多い」ことを考えて本当の事が言いやすいように聞き取る事が大切で、怒りながらでは事実が聞き取れません。今回の事件では 被害の子ども、周りの子ども、加害の子ども いずれもきちんとした聞き取りが出来ていなかったと思われます。とりわけ加害の子どもの親(PTA会長と役員)が事情調べを止めさせたと言われる中で学校の調査が充分されなかったという新しいいじめ問題の特徴と困難があります。

B学校・教育委員会の事実隠し、隠蔽体質が事件を大きくした

 今回の「大津いじめ・自殺事件」を大きくした原因として「学校・教育委員会の事実隠し隠蔽体質」が大きいと言えるのではないでしょうか。中には「マスコミが騒ぎすぎるのが原因」と言う主張も聞かれますが、元々「いじめはなかった」「自殺の原因といじめの関係不明」と言い続けていたのに 2回の生徒への「アンケート」の中に数多くの子どもの目撃証言が書かれていたことを「見落としていた」「気がつかなかった」などウソと事実隠しを平然と発表することに市民、国民世論は怒りを持ちマスコミが書き立てたのです。もっと早く学校長と教育委員会が事実をみとめ謝罪していれば 変わっていたはずです。

C「いじめ問題」と「子どもの自殺」の関係

  今回のいじめ問題の重要性は勿論「子どもが自殺した」ことです。当初マスコミとは「自殺はいじめが原因」と主張 その責任を加害者、教育委員会に迫っていました。それに対して教育委員会は「自殺の原因、いじめとの関係は不明」後に「家族関係に原因も」と主張してきました。学校、教職員関係者からは当初から「家庭が複雑、叱責が原因ではないか」と言われていました。事実子どもが自殺直後 父親は「家族のことであるので そっとしておいて」と葬儀も学校関係は断ったと伝えられています。しかし父親はしばらくして「子供はひどいいじめにあっていた」と聞くとその責任を追及されたのです。

 一般に自殺の原因は複雑で一つの原因に限ることは無理があるといわれていますが、過去の「いじめ自殺」の事例、遺書の分析をしても「いじめ」が1つの原因であることは間違いありませんが、いじめだけが原因と言えないことは幾つかの裁判でも明らかになっています。

 またいじめが適切な指導がされず長期化、日常化すると被害の子供が「うつ状態」になり、自死願望を持つようになります。なによりいじめを受けた子供が「教師も友だちも家庭も味方になってくれない」と本人が思い「みんな自分を見捨てている」と言う孤立と絶望の中で「生きていけない」となるのです。今回の大津「いじめ・自殺」も学校でのいじめを主要な原因としながら 自殺の子供に関係する友達・先生・家族から「見放された、味方してくれない」と言うことが 最後の生きる望みを断ち切ったと言えるのではないでしょうか。自殺の原因は「いじめを放置した学校か 複雑な家庭等の人間関係か」争うのではなく中2の生徒につながる友だち、教師、大人が「自殺を止めることは出来なかったのは何故」と自らに問いながら「どうすればいいのか」真剣に事件と向きあい語り合うことではないでしょうか。それはさらには私たち全て一人一人が子供の自殺を今一度考え合うことが重要ことではないでしょうか。

D大津事件の影響と問題点

  第一の問題は「教育現場と警察の関係です。大津警察署は被害の父親がいじめ被害で3回も相談と被害届けを警察に申し入れているのに「何時 どこで 誰が 何をしたのかはっきりしないと受理できない」と被害届けを拒否してきました。はっきりしないからこそ親は被害届けを出そうとしたのにこの警察の処置に市民から批判が集中しました。その批判をかわそうと警察は突然中学校と教育委員会を何の相談もなく強制捜査したのです。マスコミと世論は学校と教育委員会が事実を明らかにしない苛立ちから「いじめは犯罪だ、警察に任せたらいい」と言う考えが広まっています。いじめは確かに犯罪と呼べる事例もあります。しかし幼い子どもの友達同士のトラブルは子どもの集団の発達課題であり、暴言などは人権問題でもあります。事件以降 学校や教育委員会もまったく知らない所でいじめ警察の捜査が進められる事例が全国で広まっています。確かに明らかに犯罪と言える恐喝、リンチ・暴力等は 警察と連絡して対処しなくてはならない現実があります。しかしそれでも 学校・家庭と話し合い子供の立ち直りを見据えて対処しなくてはなりません。京都の教育現場でも府教委が「学警連携」と現職警察官が学校現場に入り込み「万引き指導」「いじめ指導」の学年集会などで指導するなどは、教育の放棄と言える問題ではないでしょうか。

 第二の問題は大津いじめ事件の中で大津市長が教育委員会介入している問題とその影響です。大津市長は最初教育委員会の「自殺の原因といじめの関係は不明」としていたのが「アンケートに自殺の練習という記述があった」と判明するや「裁判で争わない和解する」「教育委員会は信用できない、なくても良い」等と一方的に発表しました。さっそく大阪の橋下市長は「全く同感」とコメントしました。今「教育委員会無用論」が広がろうとしているのは危険な動きです。行政の市長・知事とは独立した権限をもつ教育委員は元々市民の選挙で選ばれていました。それを行政の首長の任命に保守政権が改悪したのです。准公選制も含めて 民主的な委員会にしていくことが大切です。

 第三の問題は 大津市議会で「いじめ条例」が決定されようとしている問題です。子ども、親に「いじめを発見したら届出る」と言うことを条例で決めると言うのです。いじめ防止を条例にしたらいじめはなくなるのでしょうか。子供はますます管理と監視の中におかれ息苦しい学校生活になるのではないでしょうか。全国にこの動きが広まろうとしています

(5)現代の子どもの苦悩を深く理解し 父母 子どもと共にいじめ問題に

 以上今日の子供を巡る状況を「問題行動・暴力、荒れ、非行」「不登校・登校拒否」「発達に課題を持つ子の問題」の中で明らかにし、「大津いじめ・自殺事件」の背景・原因・問題点と事件の影響について考えました。それでは「いじめ・自殺」問題に取り組む課題は何でしょうか。

 第一に いじめ指導は 全ての日常指導にあります。およそ子どもの集団の中では「いじめが全くない」ということはありえません。一回限りのことや小さい事を含めて日常生活の中に次々新しいことが起こるのです。1時間「特別指導」をしたから一切のいじめやトラブルがなくなるわけではありません。いじめ問題が注目されるたびに「いじめが起こるのは規範意識が弱いから、道徳教育と生徒指導を厳しく」と言う主張がいつも強調されますが、大津の事件の中学校が長く「道徳教育推進校」であったことからも「いじめはいけない」の概念だけで不充分です。一つ一つの出来事を聞き取り、具体的なことで、話合う中で子どもは発達し成長していくのです。自主的集団的な取り組みと、一人一人の子どもと子ども、子どもと教師のつながりがいじめを少なくし、楽しい学校生活を子どもと教師で作り上げる日常指導が何より大切です。(日常指導・自主的集団活動)

 第二に 子ども一人一人の生活現実を子どもが表現する機会を増やし 表現力を伸ばす取り組みです。学力向上、繰り返し練習ドリルも大切ですが、子どもの生活ノート、生活の記録を通して一人一人の子どもの生活、思い、悩みをたとえメモでも1・2行の文でも書かせ友だち関係の事実をつかむきっかけを得ることが大切です。アンケートもいいですが日常生活をつかむことが重要です。その中で「いやなことは『いや』と言える表現力」をつけるのです。その中から学級通信・学級文集を編集し今学級で皆がどんなことを考えているのか交流する実践が大切なことになります。(個別生活把握と表現力・学級通信)

 第三に子どもの現状、問題を教職員集団で常に情報交換し、学級と学年の状況を全校で共通理解することです。現場が忙しくなり「朝の打ち合わせ」を無くする学校が増えてますが、今一度考え直すべきではないでしょうか。又今回の事件で明らかになった中学校では学年が違うと全く分からない状況も検討する必要があるのではないでしょうか。生活指導委員会で出された学年の子どもの状況、問題をニュース・文書でも全体のものにすることが不可欠ではないでしょうか。小学校では担任が事実を隠すと他の教師は分からなくなります2人でも学年会は大切です。(教師集団)

 第四に 父母との関係です。ややもすると父母からの要望や苦情は避けられがちですが、一部の理不尽な要求は別にして その苦情の背景にある自分の子どもの可能性を延ばして欲しい、自分の子どもを大切にしてほしいという個人の要望を父母の共通の要求にするにはどうするか、学級懇談会の工夫、地域の教育懇談会・集会を少数でも続けることが今こそ大切です。(父母の苦情・要求を父母のつながりに)

 第五に 現在の日本の政治状況、教育をめぐる情勢はかつてないほど右傾化、危機にあります。教育委員会制度、学校の職員会が無力化され教育を政治支配の道具にされようとしています。このような状況の中で子どもと教師、父母がゆがみあっていてはなりません。教師は厳しい情勢の中で 市民と共に 消費税 生活保護 原発 沖縄問題 TPP 偏ったメディア問題等 無関心であってはなりません。地域住民と語り合い一人の住民市民として共通の地域要求で手を結ぶことです。(地域住民と共に)
   
3.橋下・「維新の会」による「教育改革」
   
 「京都教育センター年報(25号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(25号)」冊子をごらんください。

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              2013年3月
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